苗字呼びは許さないからな!
結果から言えば、三人は遅刻することなく、教室に辿り着いた。無事に、とはいえないかもしれないが。
「ぜぇぜぇ………俺、もう天国がみえるぜ…」
「……はぁはぁ…あれ、綺麗なお花畑が見えるよ、晃雅…」
この通り、若干二名が生死の境を彷徨っているので、やはり全く以って無事じゃない。とてつもなく広い“学院”なのだ、いくらすでに敷地内にいたとはいえ、先ほど会話していた場所から教室までは、それなりに距離はあるので無理もないが。
そんな中、晃雅だけは少したりとも呼吸を乱さず、自身の席と残りの二人の席まで調べたのち、落ち着いた口調で二人に声をかける。
「だらしないな、お前たち。少しくらい身体鍛えとけよ。だいたい、大抵の魔術師は………いや、そんな場合じゃないか。そろそろ担任もくるだろう。席つけ。咲良はあっち、吉井はこっちだ」
「おいっ親友っ! なんで俺は苗字呼びなんだよ?!」
海斗は、先ほどまで疲れきっていたのが嘘のかのように抗議の声をあげるが、晃雅は気にせず、返事が出来ないほどに疲れて俯いている咲良に囁く。
「咲良? 大丈夫か?」
「あぅ~、こうがぁ、連れてってぇ」
本当に、咲良は危ないようだ。通常だったらあり得ないような甘えた声で、晃雅に助けを求めた。――こういう時の咲良は、何を言っても無駄だな。晃雅は、幼馴染のそういう一面をよく知っている。初めて出会った五歳の頃から、ほとんど一緒に過ごしてきた二人だ。あらゆる秘密はあってないようなモノ。互いに、互いのコトは大抵分かっている。
だからだろう。彼は抗議することもなく、素直に彼女を席まで導いた。そして、何食わぬ表情で自身の席につく。その光景は整った綺麗な顔立ちのカップルが、公然と惚気ただけにしか見えず、まだクラスの者は晃雅が魔術を使えないことを知らないので偏見や差別の念は挟まれることはなく、男子からは晃雅へ憎しみにも似た決して好意的ではない視線、女子からは咲良へ憧れの視線が突き刺さった。
そんな状態をニヤニヤしながら批評するのは海斗だ。
「ニシシっ! 晃雅、お前らは本当にただの幼馴染か? 朝っぱらからラブラブしやがいだぁああ!?」
最早お馴染み、晃雅による鉄拳制裁…………かと思いきや、海斗に叩きつけられたのは明らかにほっそりとした女性の手だった。その白雪のように綺麗な指先をぴんっと伸ばし、その側面を彼の頭に……つまりチョップの形で叩き込んでいる。
「ごらぁ、席つけぇ! もう朝のHRの時間は始まってるよっ!!」
随分豪快な言葉遣いの女性。言葉の内容からして、このクラスの担任だろうか。その彼女は、紅い髪――海斗のように染めた紛い物ではなく、純粋に紅い髪をストレートに下ろして靡かせ、薄く化粧を施した綺麗な顔にあくどい笑みを浮かべ、にんまりとして立っていた。妙齢の女性ながら、かなりの威圧感を持っている。
「今日はあんたらの入学式なんだっ! うだうだしてんじゃないよっ!!」
気圧されて大人しく席についた海斗を見届け、その彼女は教卓をばんっと叩き、みなに怒鳴る。……彼女としては普通に“言った”だけだったのだが、“怒鳴る”という言葉が正しいほどにその言葉は荒々しい。
「アタシはあんたらの担任で、名前は関本 千種ってんだ。千種先生か、千種ちゃんって呼びなさいっ! 苗字呼びは許さないからな! よろしくぅ!」
ニカっと人懐っこい笑みでサムズアップする。基本、荒々しくてもどこか憎めない……そんな感じの女性だった。彼女のそういう魅力に負けたのか、数人の男子生徒は彼女にサムズアップを返し、『よろしくお願いします、千種先生っ!!』と声を揃えて返している。………いや、これはただ彼女の色気にやられただけかもしれないが。
晃雅や咲良は軽く会釈だけで済ませて(基本、挨拶は重んじる性質である)いるが、返事をしない生徒もいた。ノリが悪い云々ではなく、ただ彼女のテンションについていけなかったのであろう。朝からあのテンションは、存外キツイものがある。とはいえ、挨拶を返さなかった生徒や、会釈で済ませた生徒が、朝でなければサムズアップを返したかと訊かれれば、問いの答えは否であるのだろうが。
そんな中で、海斗はもちろん…。
「千種ちゃんっ! 俺と付き合ってくださいだぁああっ!!?」
懲りずに告白(紛い…?)をして、それを受けた当の本人に鉄拳制裁をくらっていた。………痛みに快楽を感じるという、おかしな性癖の持ち主となる者が開ける扉は、是非とも開かないでいただきたい。
「さぁて! 変質者の討伐も終わったとこで、さっさと連絡済まして式場まで行ってもらうよ!」
こうして、朝のHRは騒がしく始まり、つつがなく進行され、数分で終わりを告げた。
「よし、じゃあ連絡終わりっ! 今から式場向かうから、みんな着いてきな! ……あーっと、道中、変質者には気をつけろよ? 最近、いきなり告白し始める赤髪ピアスの変質者がこのクラスで出没するらしい。特に女子っ、気をつけるように! うし、それじゃ、始業式もそろそろ始まるから、さっさと行くぞ~。ちゃんと着いてこないと、この広い学院で迷子になっちまうからな」
彼女は冗談半分(であろう)言葉をニヤリとしながら言い放ったのち、クラス中が笑いに包まれる前に式場への先導を始めた。生徒たちも、早速近くの者たちとくすくす笑い合いながら(中には豪快な笑い声をあげる男子生徒もいたが)、その後を追っていった。
「いやいや、俺は変質者じゃないからね?!」
残された海斗の、虚しい反論が空っぽのクラスに響く。
「吉井、反論が遅いぞ。もう既にあの人は生徒の先導を始めてる。ここからじゃ聞こえないだろうな」
「………いや、なんか一応反論しておかなきゃいけない気がしてよ…」
「吉井くん、変なの。………あっ、置いてかれちゃう。晃雅、行こう?」
釈然としない海斗に首を傾げつつも、咲良は晃雅を促す。彼も、それに対して『そうだな』と、海斗など全くお構いなしに答え、教室を出た。
「いや俺は?!」
またもや、海斗の悲痛な叫び声。
そんな叫びを哀れに思ったのだろう。晃雅を追いかけて教室を出ようとしていた咲良は、振り返って微笑み、一言。
「吉井くんもついでに、行こっ」
「ついでにっ??!」
なかなか可哀想な仕打ちを受ける海斗であった。この時、既に彼の“いじられキャラ”という役割は定着し始めているのだった。
◆
「入学式………本当にやるのかね?」
国立天凪上位魔術学院、学院長室。そこで壮年のオヤジのくせして大人気なく愚図る、白髪混じりの金髪の男一人。――東條 斉。これでも“学院”の長である。
「毎年のことでしょう? 学院長はもう少し、しっかりなさってください」
そんな物臭な学院長を、なんの感情も込めずに諌める声。――谷口 真樹。艶やかな黒髪が特徴の、メガネをかけた秘書である。彼女は内心呆れ返っているのだが、その感情が面に出ることは無い。
「それでも「しっかりなさってください!」………やればいいのだろう?」
真樹の二度目の諌める声。今度は、先ほどのモノとは違い、軽く怒気も込められた叱責であった。いつまでも駄々をこねる子供のような学院長に、嫌気が差したのだろう。
無感情だった彼女が、唐突に内心をむき出しにする。……中々の迫力を持ち合わせていた。その迫力に負けたか、はたまたどれだけゴネても入学式の進行に学院長は不可欠であると諦めたのか、東條 斉はその重い腰を上げる。
「………仕方ない。私としても責務は果たさなければならないからね。ただ、今年も入学式直後に“アレ”をやる。いいね?」
「“アレ”ですか。確かに、伝統ではありますからね。ですが………わざわざ入学式の日に実行する意味、ありますか?」
どうやら、彼らの言う“アレ”とは、入学式に行うべき行事ではなかったようだ。少なくとも、真樹はそう思っている。
そんな彼女は、自身が問いかけたことに斉が答える暇も与えず、話を続ける。
「“アレ”は、言ってしまえば授業の一環のようなものです。少なくともあなた以前の学院長は、入学式の日に……しかも抜き打ち状態で、行ってはいなかったと聞き及んでおります。第一、生徒たちが困惑していまいますよ」
「困惑、大いに結構。その方が、こちらとしても見ていておもしろいじゃないか。だが、私は生徒たちが困惑することだけを楽しみにしているわけではない」
彼はここで言葉を切り、なにが嬉しいのか満面笑みで、“アレ”を入学式の直後に行う理由は……と、まるで子供のように告げる。
「ただ単にめんどくさいからだっ!! 入学式直後にやれば、適当に進めても『生徒の困惑を誘って、困惑時の対応を学ばせるため』みたいな理由をつけて説明も適当に、唐突に始めることが出来るではないかっ!!!」
それに、面倒なことは早めに消化するに限る。そう続け、彼は満足そうに学院長室の扉に手をかける。やっと、入学式の式場へ向かう決心がついたのだろう。
真樹は学院長の言葉に更なる呆れを感じるものの、今度は『言っても無駄』という事実に負け、その感情を面に出すことはない。そのまま出て行く学院長を見届けた後、自身もその後ろにぴったりと着いてゆくのだった。
ちなみにこの会話。入学式が始まる五分前に始まり、開始予定時刻の十分後に終わった会話である。………学院長・東條 斉が、どれだけギリギリまで、というより予定時刻をはみ出てまで『入学式なんてやりたくない』とごねていたのか……そう考えるだけで、この学院の存続を危ぶんでしまうのは、秘書である谷口 真樹だけではないのだろう…。
次回投稿は五月二十七日(金)を予定しています。