あのバカ…っ!
学院が、魔獣に襲撃された。その緊迫したアナウンスが流されたのは、全魔戦本戦が始まる直前のことだった。
晃雅は、魔獣と聞いて真っ先に咲良の身を案じたが、コロシアムの耐久度なら大丈夫だろうと思い、とりあえず大きく溜め息をついた。まずは、本戦出場者たちの意見を聞き、どう動くか確認しておくべきであろう。
「なー、魔獣だってよー」
仁のやる気なさげな言葉。おそらくこの男は、教師陣が撃退に赴けば自分は必要ないと考え、コロシアムの外には出ないのだろう。
そんなことは百も承知で、雪音は問いかける。撃退に行くべきなのか、と。
「そのようですね。御尊四家として、撃退には赴いた方がいいと思うのですが、どうでしょう? 東條くんはコロシアムから外へ出ますか?」
「待ってください、北川先輩。いくら御尊四家とはいえ、やはり熟練の教師には及びません。わざわざ行動に移す必要も、危険に身をさらす必要もないですし……今は明菜さんもいない。もう少し、待つべきでしょう」
晃雅は引き止めた。頭の切れる彼女のこと、彼女の意見は、このような場ではとても貴重だ。そう思っての言葉だった。
「待ったところで、彼女が帰ってくるとは限らないでしょう。彼女の実力ならば、もしコロシアム外に出ていたとしても切り抜けられるでしょうし、気にかける必要はありません。……各々で判断し、行動するのが一番だと思いますが」
「なら、俺はこっから動かねー。西藤さんが戻ってくるかもしれねーしなぁ」
結論から言って、ただ動くのがめんどくさいだけなのだろうが。
このように、各自で動く流れとなった。晃雅は明菜の意見も聞くつもりであったが、皆が勝手に動きだすのなら別、自分の思うとおりに動くのが吉だろう。
とりあえず気になるのは咲良のこと。彼は、咲良のもとに向かうことに決めた。
そう決心した晃雅は、おそらく撃退を補助しにいくのだろうと思われる雪音と共に、控え室をあとにするのだった。
◆
途中で雪音と別れ、比較的急いで咲良のもとへ戻る途中。晃雅は、一つの人影を見つけた。遠くからでも目立つ赤色の髪。言わずと知れた彼の親友、海斗だ。
「おぉ、崎ちゃん! 魔獣が出たって聞いてよ、お前は大丈夫かなーって、そっち向かってたとこなんだけど……大丈夫みたいだなァ! ま、よかったぜ」
「あぁ、俺は大丈夫だ。けど、そんなことより、咲良たちはどうした? 大丈夫そうだったか? 不安にかられていなかったか?」
少し、矢継ぎ早に質問した。やはり、彼は咲良のことが気になるのだろう。各自行動することになって、正解だったかもしれない。
ただ、彼の欲した答えは、海斗の口からは得られないようで…。
「あー、わ、悪りぃ。実はちょいとふざけすぎて、みんなと別れちまってて……アナウンス流れたらこっち向かうことにしたからさ、あいつらの様子は見れなかったんだ」
「そうか……」
「けど、他の生徒たちは少しパニくり気味だったしなァ。あいつらの方に、向かった方がいいかもしれねぇ」
海斗の意見に頷き、二人は観客席を目指した。
観客席は、今二人がいる地点から目指すにはいくつか階段を昇らなくてはならない。一緒に走り出した二人は、当然のように晃雅のスピードで走り続けるので、海斗は息も絶え絶え。それでも、文句は言わずに共に走った。
そうして階段を昇りきり、その先にある観客席へと続くトンネルのような道を抜ける。このトンネル型の道の先にある光へ向かい、二人は走りぬけた。
―――――そこには、予想し得なかった光景がひろがっていた。
「お、おい…! なんだよ、あれ! な、なぁ、崎ちゃん!!」
「……知らん。ただ、あれはすごくマズいかもしれないな。かなり、上位だ」
二人の視線の先にあるもの。……それは魔獣。それも、とても上位の。
怪物としか称しようのない容姿を持つソレは、身体全体を薄汚い包帯に包まれ、その巨大な姿を悠然と見せつけている。目測で、全長10mほどはあるだろうか。それも、腰から下は地面に埋まっている状態で、だ。
腰の辺りからは繭のようなものが広がっており、上半身の左右をガードするように包んでいた。そして、なんと言っても一番目立つのはその瞳。身体中を包帯に包まれるなかで唯一、覆われていない右目だ。巨体に似合わず小さい瞳であったが、薄ぼんやりと光るソレは、誰がどう見ても不気味としか形容のしようがなかった。
「地面を掘って出てきたんだろうな。……まさか、学院であれほどの魔獣が飼われているとは思わなかった」
「さ、崎ちゃん、けっこう冷静なんだな? 俺、震えが止まんねぇんだけど…っ」
そう言って、右手をかざした。その手は、確かに小刻みに震えていた。
「……まぁ、これからどう動くか、考えなくちゃならないからな」
「それじゃ、どう動くんだ…?」
「まずは、咲良と合流する。そして、お前はそこに置いてこう。……まぁ、咲良のことは頼む、海人」
晃雅の言葉に、海斗は少し青ざめた表情ながらも、しっかりと頷いてみせた。目的を示すだけで、震えさえも止まるのだから不思議だ。
頷いたあと、いくらか落ち着いた気持ちで、海斗は問う。
「崎ちゃんは、どうすんだ? 置いてくってことは、なにかしようと思ってんだろ?」
「今のところあの魔獣は観客席に手を出さないようだし、ブロック優勝者たちに声をかけてみることにする。……一人で相手取るのは大変だが、全員で当たればアレくらいなら倒せる。北川先輩も、外に出ようとはしていたが、途中でヤツに気づいたはずだ。合流は可能だろう。だから、やれる」
海斗は、晃雅の強さを思い出す。そして、ブロック優勝者たちについてもだ。
前衛に晃雅をおき、仁が遊撃し、雪音が遠距離から大きな魔術を放つ。そして、負傷者に明菜が回復魔術をかける。そんな様子が、容易に想像できた。
「そか……うん、気をつけろよな」
「当たり前だ。だいたい、大怪我でもしたら咲良に怒られるだろうが」
「ニシシっ! それもそうだなァ!」
二人して笑いあう。人懐っこい笑みを浮かべる海斗と、苦笑したような笑みの晃雅。対照的ではあるが、息はあうようだ。どちらともなく、しかしほぼ同じ瞬間に真剣な表情に戻ったのだ。
「よし、いくかァ!」
「あぁ、まずは咲良たちの方だ」
頷きあい、走り出す。……その時だった。コロシアムで変化が起きたのは。
一人の少年が、コロシアムの舞台に下りたのだ。それに気づいたのは、海斗の方だった。彼の目に映ったのは、黒いウェーブのかかった髪を持つ少年の姿だった。
「あのバカ…っ!」
思わず、そう悪態をついてしまう。それに気づいた晃雅も海斗の視線の先を追い、大きく舌打ちする。――南原 有流人。彼が、一人で突っ込んでいったのだ。
彼の得意とする音魔術の詠唱が響き、魔獣を襲う。……が、その行動が仇となった。魔獣には有流人の攻撃など効かず、攻撃態勢に入られてしまったのだ。
薄ぼんやりと光っていた瞳が、愚かな少年に照準を合わせられる。そして、カッと強い輝きを放った。
……有流人の身体が、コロシアムの壁まで吹き飛ばされた。大気を震わすような轟音と、観客席から固唾を呑んで見守っていた生徒たちの悲鳴が入り混じる。単調に攻撃をしかけるような魔術師に、あの魔獣は手に負えないらしい。
「……海斗。今から咲良を任せてもいいか?」
そう問うたのは、有流人が再び瞳の光によって吹き飛ばされた時だった。有流人がゆあに迷惑をかけた事実も、雪音が『気をつけたほうがいい』と忠告するほどに捻じ曲がった性格であることも分かっている。しかし晃雅には、そんな彼でも無様に殺される様子など見ていられなかったのだ。
晃雅の言わんとしたことが分かったのか、海斗も小さく頷く。
「よかった。目の前で死なれるのは、気分悪いしな。……ただ、東條 仁を呼び出すよう、高峰に言ってくれると助かる」
仲間内で仁の電話番号を知っているのはゆあだけだ。
おそらく観客席のどこかから、魔獣の様子を窺っているであろう雪音は、晃雅の出現と同時に加勢してくれるだろうし、明菜の電話番号は自身が知っている。呼び出しも可能だ。
「おう、了解した! ……無茶は、すんなよな」
「分かってる。……じゃあ、また後でな」
晃雅はそう言って、観客席から飛び出す。その間に明菜のケータイにコールをかけた。ほぼ間を空けることなく電話に出た彼女は一言、
『分かってるよ、おねーさんも君のあとに続く』
とだけ告げ、通話を切った。彼女も魔獣の様子を確認していたのだろう。飛び出した晃雅を追うように飛び出した銀髪の少女と、茶髪の女性。これで、決勝メンバーの三人が揃った。
「不本意ですが、今回は協力戦ですね」
「ええ、お願いします、北川先輩! 俺が前衛をします! 明菜さんは、後ろから俺たちを指揮しながら、回復魔術を!」
「おねーさんに任せなさい!」
コロシアムの舞台へほぼ同時に降り立ち、魔獣へと向かう途中に軽く言葉を交わす三人。途中、ぼろぼろになった有流人とすれ違ったが、致命傷は負っていない。三人揃って彼の横を駆け抜けてゆく。
明菜が有流人付近で立ち止まり、その少し先で雪音が立ち止まる。その際雪音は一言呟き、氷の刀を晃雅に手渡すのも忘れなかった。
アイコンタクトでお礼を言い、晃雅は雪音の次なる詠唱と、明菜が始めた詠唱を背に、魔獣へ向かって全力で駆け出す。
魔獣撃退戦は、今まさに、始まろうとしていた。
ちなみに、今回出てきた魔獣、モデルがいたりします。
知っている方がいたら、ほぼまんまじゃん! となるかもしれませんねw