私は、あなたを認められません
海斗が、ツッコミ役の重要さをしみじみと感じていた頃。晃雅は、他の三人のブロック優勝者と共に、控え室でくつろいでいた。
いや、『くつろいでいた』というのは、本当に過去形だ。くつろいでいた過去は、すでに過ぎ去っている。
現在の彼。その状態は、くつろぐなどという生易しい状態では、断じてない。現状として、困っている。それも非常に。困っているのだ。
「すいません、なにも言わずに俺の前に立ち続けるのは、やめてもらえませんか?」
話しかける。だが、言葉が返ってくることはない。その様子を、西藤 明菜は楽しげに、東條 仁は興味なさげに見ていた。
「視線に魔力、込めてますよね? さすがに鬱陶しいのですが」
「鬱陶しいのはこちらです」
返ってきた。言葉が。しかし、なぜかケンカ腰。晃雅に、納得は出来なかった。
むしろ、ケンカ腰になっても許されるのはこちらだ、といえるほどの所業をなしてきた人物であるというのに、この状況はどういうことか。
晃雅は、魔力の込められた視線に鬱陶しさを感じながらも、目の前の北川 雪音に対し、そんなことを考えていた。
彼女は、晃雅の“大切な幼馴染”である咲良を、試合とはいえ必要以上に痛めつけた経験がある。晃雅が、ケンカ腰になっても許されると思った根源の理由はここにあり、ここに尽きるのだろう。
「なぜ、俺のことを鬱陶しいと?」
「言うまでもないでしょう。魔術を使えないのにも関わらず、一部の少数人にその存在を認められているからですよ」
「なら、その意見さえも潰すように、この大会で優勝すればいいじゃないですか。そして、その場で北川先輩が俺を完全否定すればいい。そうすれば、以前の魔術差別が勢いを取り戻すはずですよ」
晃雅はそう言って手をふり、これで話は終わりだとばかりに自身の荷物の中から本を取り出し、読書を始めた。これで、本戦開始までは読書にふけることが出来るだろう、と、そう考えてのことだった。
しかし、晃雅のその予想は、完全に外れることになる。
「……」
「……」
動かない。なにも言わず、無表情を貫いている。その銀に煌く髪の下、凍てつくようなグレーの瞳は、熱を帯びるでもなく冷め切って、しかしそれでも晃雅から目を離すことはない。
その瞳が興味なさげに冷めていなければ、晃雅を甘く溶かしてしまうのではないか、とでも思えるほど、じっと見つめていた。
「……まだ言いたいことがあるのなら、さっさと言い切ってください」
「あなたを認められません」
「それは分かりました。だから話はこれで終わりと言ったじゃないですか」
そう言って、また晃雅は本に目を戻した。
が、雪音がその場を去ることはない。控え室のソファに座る晃雅を覗き込むように、じっと見据え続けている。いつまでも無遠慮に見据えられる雪音の非常識さもそうだが、晃雅の、雪音の視線をほぼ完全に無視してしまう忍耐力も大概だ。
その様子をいつまでも楽しげに見続け、微笑んでいる明菜は行動に出ない。さすがに、いくら面倒なことが嫌いな仁であろうとも、この不毛な状況は見かねた。
「なー、おそらくだが、雪音さんはあんたに他の用事があるんじゃないか? ちゃんと、最後まで聞いてやれよ」
仁の意見に、晃雅は疑問を覚える。いつでも話を聞ける体勢ではないか、と。むしろ、さっさと話せよ、とでも言いたげだった。
「読書中でも話は聞けるぞ。俺がいつ、北川先輩の話を聞かなかった? なんども、俺を『認められない』という話を聞いてるじゃないか」
「それでも、認められないっつー話を聞いたら、すぐに会話をきってるだろ? 女性の話は、最後まで聞くのが礼儀だ」
最後まで聞いても、どうせ自分を蔑む言葉しか返ってこないというのに。そう、晃雅は思いながらも、仁の意見を否定することはなかった。それも、一種の諦めだ。
「それで、他に何が言いたいんですか、北川先輩は」
「私は、あなたを認められません」
それはもうさっき聞いた。そんなうんざりした表情になりそうになるのを、晃雅はなんとなく堪えてみることにした。とりあえず、無表情を貫く。
晃雅が何も言わず、会話を区切ろうとしないのをいいことに、雪音はさらに言葉をつなげる。相も変わらず無表情だが、その瞳の“冷たさ”が、一瞬なりを潜めたように見えたのは、晃雅の気のせいなのか、どうなのか。
「私が認められないと思っているのですから、他にもそう思っている方は大勢いることでしょう」
「それはそうでしょうね。いくら勝っても、なにをしたって俺は魔術を使えない。今だって、学院の四分の三以上は、俺を差別しているでしょう。認めていないのなんて、もっとたくさんいるかもしれない」
あくまでも晃雅の主観的意見だが、あながち大きな間違いでもない見解であった。
「自覚は、しているんですね」
「当たり前です。どれだけ、マイナスの感情を充てられてきたと思ってるんですか? 俺の基本的思考は、逃げと諦めで構成されていますよ」
その言葉に、雪音は黙る。晃雅には白々しい態度にしか思えなかったが、それは少なからず感じる“罪悪感”のせいであった。彼女も、魔術差別というマイナスの感情を晃雅に向けてきた人物なのだから、当然だ。
バツが悪くなり、思わず目を逸らしてしまいそうになるのをこらえ、なんとか言葉を続ける。
「私が言いたいのは、あの、その……私たちのような、あなたを『認めていない』者達に気をつけろ、ということです。特に私のような御尊四家であなたを認められない人物は、プライドを踏みにじられたようで憎しみさえ覚えてしまいます。だから気をつけなさい」
そういったのち、『まぁ、私は人格者なので、私に襲われる心配をする必要はありませんが』と続ける。それで自分の伝えたいことは言い終えたのか、さっと後ろを向き、彼から遠ざかるどころか、控え室の扉を開けていた。
どこへ行くのかと問うと、返ってきたのは、
「お花を、摘みに」
とのこと。化粧室に用があるようだ。少し、気まずい空気が流れた。
結局、彼女が何を言いたかったのか……それは晃雅には分からなかった。視線を仁に向けても、返ってくるのは短い溜め息のみ。どうやら、彼にも理解は不能だったようだ。
しかし、ここにいるのは何も、人の心情の機微に疎い男性陣だけではない。とはいえ、その“もう一人”に該当する彼女が、切れ者かと問われれば、むしろそうではない、と答える者の方が多いのだろうが。
それでも彼女、西藤 明菜は、雪音が晃雅に伝えんとしたことを見抜き、沈黙を貫いていた口を開く。
「たぶん、だけど」
「はい? どうしたんですか、明菜さん」
「おねーさんが思うに、雪ちゃんはこう言いたかったんじゃないかな。『南原 有流人に気をつけろ』って」
明菜の言葉に、残りの二人は眉をひそめる。一体、何が言いたいのかと。正直、先ほどまでの会話の流れを完全に無視しているような気さえしていた。
だが、明菜は確かに“切れ者”であった。それを認めさせるかのように、説明を始める。
「つまり、雪ちゃんが言いたかったのは、晃雅くんを認めていない人はたくさんいるってことでしょ? その中でも、雪ちゃん自身のような御尊四家には、プライドを傷つけられるようで気に食わない、と。そう言いたかったんだよね?」
「その通りですが、それはどういう……南原先輩との関係なんて、どちらも御尊四家であることしか……」
と、ここで気づく。明菜の推察した、雪音の伝えようとしたことが。
「……そうか、そういうことですか」
「んー? 永崎は気づいたのか? もったいぶってないで教えろよ」
案の定、考えるのを放棄していた仁は、めんどくさそうにコーヒーをすすりながら、晃雅に訊ねた。呑気なものだ。
「南原先輩も、北川先輩同様に俺を認めていない。さらに言えば、彼女は俺に敵対する意思はないが、彼にはある……少なくとも、北川先輩は、彼が俺に危害を加えようとしていると思っているんだろう。それで、忠告してくれた、と。まぁそんなところじゃないか? ……そうですよね、明菜さん?」
確認するように訊ねた晃雅に返ってきたのは、もちろん、とでも言いたげな肯定の声だった。
「そうそう、おねーさん的解釈では、そんなカンジ。たぶん、間違ってはいないんじゃないかな。あの子、冷酷だけど実際には冷酷になりきれない、根は優しい子だから」
そう言って、彼女はふわりと柔らかく笑った。最初、晃雅の目前に雪音が迫った時のような、あの微笑みだ。
これは仮定の話だが――彼女は、雪音があのような行動に走ったその時から、この展開を予想していたのではないだろうか。もしそうなら、彼女は相当に侮れない切れ者……策士や、軍師の類の素質を持っているのかもしれない。
「確かに、そうなのかもしれませんね。認めてくれないのは、中々に居心地悪いですが」
そう言って苦笑する晃雅に、明菜は身を寄せる。耳元で、晃雅だけに聞こえるように囁いた。
「おねーさんは、晃雅くんの味方だよ?」
コロコロと鈴が鳴るような声で楽しげに笑い、雪音と同じように控え室を去っていく。入れ替わりに雪音が帰ってきたが、中からも外からも、明菜の行き先を聞く人物はいなかった。
雪音は自分と同じ目的だろうと察していたし、晃雅や仁に関しても、また雪音のときのような気まずい空気になるのをさけたかったのだろう。
「三人で、なにを話していたのですか? 特に永崎 晃雅。あなたは西藤さんとの距離が無駄に近かった。何が目的ですか? もしや、彼女を違う意味で襲おうt「暴走はやめてください」……失礼」
気まずい、本当に気まずい。そんな、重苦しい空気が流れた。
晃雅にとって元々、親交の薄かった雪音だ、彼には彼女の心情が全く以って理解不能だった。しかし、ただ冷徹なだけの少女ではないこと、それだけはわかった。
気まずくはあったものの、彼女の本質を勘違いし続けることにならなかっただけでも良しとしよう――そう思い、晃雅は一つ苦笑が混ざったような溜め息をつき、途中まで読んでいた本に目を向けた。本戦開始までに、読み終わるだろうか? そんなことを考えながら。
だが、晃雅がその本を読み終えることはなかった。本戦が始まったから……ではない。アナウンス側の声、学院長秘書・谷口 真樹の、悲鳴のような声によって、途切れることになったのだ。
『魔獣! 魔獣です! 生徒たちはこのコロシアムで待機! 頑強なコロシアムですので、閉め切れば魔獣に襲われることはないでしょう、安心しなさい。そして教員たちはコロシアム前に集合してください!』
魔獣の襲撃。学院地下のダンジョンに魔獣を封じ込めたこの時代、それだけはありえない事態だったはずなのだが。
コロシアムの控え室、晃雅たちはそんなことを考えながら、顔を見合わせた。この先、自分たちはどうすべきか、と、そんな相談でもするかのように。