い、いつ、いつかっ
雨。降り注ぐ雨。暑くなってくる季節を迎えたこの街にも、それを冷やそうとするような冷たい雨が降り注いでいる。
しかし、本戦の行われるコロシアムは、人々の熱気に包まれていた。
今日は本戦。ABCDそれぞれのグループを勝ち抜き、見事に優勝した四人によって繰り広げられる、学院最高峰の魔術戦の日である。
そんな決戦の日、コロシアム観客席の一角で、小さめの屋台をを開いている者一人。
「さぁ全魔戦! 始まるぜオイ! ほら、誰に賭ける? 今はAブロック代表、永崎 晃雅の倍率がめっちゃ高いぜ! 大穴だっ! がっぽり儲けたいヤツはチャンスだzいだあぁあ??!」
……すぐに、その屋台をたたむことになりそうな事態にはなったが。
「もう、吉井くん! そういう賭け事とかは、よくないんだよ!」
ポニーテールに纏めた、柔らかいブラウンの髪をぴょこっと動かし、両手を腰に当てている。説教体勢は万全だ。
「……ハイ、スミマセン、咲良サン」
そう上原 咲良。この賭博に文句があったのだろう。いつもは晃雅の役目である鉄拳制裁を、代わりにくだしていた。……わざわざ、賭博場に群がっていた生徒を押しのけてまで。
これには、隣にいるゆあも苦笑いを隠せなかった。頭に手をやり、軽く溜め息をつくのも忘れない。こうなったら咲良は止められないと分かっていたのだろう。
しかし、咲良の行動は、そんなゆあの予想の斜め上をいくことになる。
「晃雅の親友なんだから、ちゃんと晃雅を応援しないとダメっ! だから、晃雅に5000円賭ける!」
「え、賭け事ダメって言ったの咲良なのに?!」
咲良のあまりの行動に、ゆあがツッコミ役に転身した瞬間であった。
「おー、崎ちゃんに5000と! りょーかい!」
「ちょ、吉井くんもなんで乗っかっちゃうの?!」
「うん、ありがとね、吉井くん♪」
満面の笑みで笑う。もう、ゆあにはツッコミを入れる気力は残っていないようだ。せめて、新たに助けがはいってくれないとやってられない。そんな雰囲気だった。
「咲良まで無視なのか……」
……ツッコミという職業も、大変なものらしい。
大きく溜め息をつき、助けになるであろう人物を探す。三人のバカみたいな騒ぎのせいで、賭博場に集まっていた生徒はみんな散り散りになっており、周りを見通すのは簡単だ。
が、本戦出場によって絶対にいないはずの仁はもちろん、いつかでさえ見つからない。再び溜め息をついて、質問することにした。それなら、話題を変えることぐらいは出来るだろう。
「そういえば、杉山くんは? 吉井くんと一緒じゃないの?」
「んー杉山? あれあれ、噂の東條くんじゃなくて?」
しかし、その話題転換さえも無駄だったようで、ニヤリとした嫌らしい笑みを返された。
「……えと、どこから仕入れたの? まだ噂になんてなってないはずなんだけど」
「え、なになに? ゆあ、東條くんとなにかあったの? 教えて教えてっ」
咲良も興味津々のようで、ここでゆあは話題転換の方法を大いに失敗してしまったことを悟る。
「ふっふーん。俺っちの情報網を甘く見ちゃダメなのだよ。ちゃーんと、偶然にも東條と仲良くしているところを見たのさァ! ……杉山が」
「自分じゃないのかっ!!」
「おー、もはやツッコミスキルが板についてきてるじゃねェか」
「ついて欲しくなかったけどねっ!」
今ここに、新たなツッコミキャラが誕生した。これで、海斗の『いじられ』といつかの『へたれ』に並ぶ。ゆあの『ツッコミ』という特性が生まれたわけだ。
非公式で、晃雅にも『ツンデレ』という特性が生まれはじめている。実にバラエティに飛んだ五人組だといえよう。
そんな中、彼らと出会う前から『天然』というスペックを持ち合わせていた咲良が、驚きの声をあげる。
「え、えぇぇぇえ??!」
……相当驚いたのだろう、周りの人間まで注目してしまうほどに、その声は大きかった。これには、さすがの海斗やゆあも、ギクッとして咲良の方を見て、慌てながら訊ねる。
「ど、どーしたよ咲良ちゃん?!」
「そ、そうだよ、そこまで驚くことでもあったの??!」
「す、す、杉山くんが……!」
ごくり。そんな喉が鳴る音は、誰からこぼれたのか。とにかく、思わず喉が鳴ってしまうような緊迫した空気が生まれる。しばらくの沈黙を貫き、存分に焦らしきったのち、告げる。
―――――その、驚愕の事実を。
「杉山くんが、女の子と一緒にいるよっ!!」
……………………………………。
どこからか、人の転ける音がした。いや、『どこからか』という表現は正しくかもしれない。『周りのギャラリーのほとんどが』……転けたのだ。海斗など、まっさきに盛大に転け、その反動で気絶をしかけているという体たらくだ。
その惨状に気付いたいつかも、隣の『女の子』を連れて、三人に近づいていく。
「あれ? みんなどうしたの? いきなり転んで……バナナの皮でも踏んだ?」
「いやいや、そんなたくさんバナナとかないから。……で、あのさ、杉山くんだってね、年頃なんだから恋人の一人や二人、いてもおかしくないよ?」
「えー、そうかなぁ? だって杉山くんはゆあのあふぇあっ?!」
慌てた様子で咲良の口を塞いだ。気迫の篭もった切実な瞳が、その先を続けてはならないと告げている。いつかだ。
「コレは僕のいとこだ。伊坂 蓮。彼女とかじゃないからな」
いつかの気迫に、咲良も何かを感じ取ったのだろう。一つ頷き、それを見て塞いでいた手を外しても、先を続けることはなかった。
「ちょっと、コレってなにさ? ボクには蓮って名前がちゃんとあるんだからね。名前で呼べよ…っ」
いつかの少し後ろから、服の裾を引っ張って抗議。なまじ身長差が小さいばかりに、間近で潤んだ瞳の抗議を見ることとなった。
それを見てうろたえ、素直に名前呼びをしてしまうのは、いつかがへたれである故のことなのか。
「じゃ、じゃあ蓮。紹介するぞ。こちらのストレートヘアの子が高峰 ゆあさん。そしてさっき騒いでたポニーテールの子が上原 咲良さんだ」
「よろしく、伊坂さん?」
「えと、よろしく…っ」
ゆあ、咲良の順で、それぞれ挨拶する。ゆあはニッコリと微笑み、咲良は少し、怯えながら小さくお辞儀をした。人見知りな面が出てしまっているようだ。が、すぐに打ち解けてしまうことだろう。
「上原さんと……高峰さんね。うん、わかった。負けないから」
蓮は少し咲良のあとに少し間を空け、しかとゆあを見据えて、そんな言葉を吐いていた。
「な、なにに?」
「高峰さんに」
「なんで?」
「え、そ、そりゃあ……い、いつ、いつかっ……その、いつかっ、いつかそのうちっ、他の魔術師にも勝ちたいと思ってて……うん、そう、だから今度試合してよ、約束っ! ……あ、いや、やっぱめんどくさいからやらないでいい…っ」
最終的には、顔を赤くして俯くという状態に落ち着いた。『いつかをオトすのはボクだからね』と言いたかったのだろうが、とんでもない方向転換である。それも、試合を行う方向に持っていったかと思いきや、言い放つ言葉は『めんどくさいからナシで』で締めくくられる。
……正直、聞いていたゆあには、最初から最後まで全く理解出来なかった。
しかし、そんな状況も、咲良の視点から見れば実に簡単なことであった。
「結局、伊坂さんはいつかくんのことがすkひぁんっ?!」
「そそそ、それは最後まで言っちゃダメだっ! ボクは、誰のことも好きなんかじゃないからなっ!」
……その簡単な事実を、最後まで告げることは叶わなかったが。
「さ、さぁて、そろそろ永崎くん……だっけ? 彼の本戦も始まるだろうし、席につこう? ね、そうしよう。うん、それがいい! ほら、いつか! いくぞっ!」
「お、おぉ……って、引っ張るなっ! っとと、高峰さんたちも着いてきてくれっ」
そして、いつかは蓮に引っ張られるように、咲良とゆあは、それに着いていく形で、この場を去るのだった。目指すは、観客席の中でも晃雅を見やすい特等席だ。空いているといいのだが。
◆
皆さん、お忘れではないだろうか。物語初期で登場した、騒がしい赤髪ピアスの人物のことを。彼は一人、大げさなリアクションのせいで命を散らし(もちろん、本当の意味ではない)、ついには蓮への自己紹介もされずに、その場に残された。
哀れ。実に哀れ。そうとしか言いようがない。
ここはそんな哀れな彼の、なけなしの名誉を守るため、あえて名前の明記を避けておこうかと思う。ご了承していただきたい。
「……さくらちゃん、ゆあちゃん……そしていつかァ! マジで、ひどすぎる思うのですがこれ如何に?!」
リアクションは、ない。すでに、この賭博場周辺に、人などいないのだ。
「あぁ、ここで崎ちゃんだったら『知らんっ』とか言ってツッコミを入れてくれんだろうなァ……」
今までで一番、仲間内のいじられキャラたる彼が、親友のありがたみを実感した瞬間であった。