また、来るかも
六月もすでに中旬。梅雨はまだ終わらないものの、昨日までの全魔戦トーナメントの日と同じく、空は晴れ渡っている。
トーナメントを勝ち進み、ブロック優勝した者たちで繰り広げられる本戦は明日だ。天気予報が正しければ大雨だが、関係なく本戦は開かれるだろう。雨もまた、一つの演出として捉えられ、観客席以外には屋根を広げられることもなく進める、と大会説明の際に言い渡されたためだ。
そんな雨の日の大会に向け、英気を養っている者たちがいる。本戦出場者だ。これから、その中でも“無能者”でありながらブロック優勝を果たした晃雅、彼をピックアップしていこうか。
◆
彼は、特に気負うことなく、部屋に居た。相も変わらず鬱陶しく動き回る海斗を尻目に、静かに本のページをめくる。紅茶片手に本を読み進める様は、そこはかとなく優雅である。
「なぁなぁ崎ちゃん! 優勝とかあんたすげぇよ、うん! 明日も勝ち進むんだよな? やっぱり、御尊四家相手でも無双しちゃったりなんかして余裕で優勝っすか? 先輩、憧れるっす! 弟子にしてくd「ヤダ」……即答は酷いと思う」
今日も今日とて、晃雅は海斗を適当にあしらって読書し続ける。この様子は、入学当初からなんら変わらない。海斗には多少の不満もあるだろうが、平和だ。
だが、そんな平和もある者の乱入で一気に終わりを告げることになる。
バンッと開かれる扉。学院最高峰の魔術師による鍵がかけられているはずだが、扉を開けた女性にとって、開錠することなど雑作もなかったらしい。
その彼女は、ふんわりとしたウェーブのかかったハニーブラウンの髪を揺らし、明るい茶色の瞳をまるで子どものようにキラキラと輝かせて、しかし何も言わずに部屋に入ってきた。
二十歳程度の若々しくも“お姉さん”と言った風情の顔を近づけ、晃雅を観察するようにじろじろと見つめる彼女。顔の距離は、近かった。
「はっ、え、ちょ! おいおい崎ちゃん、このキレイなお姉さんはお知り合いですかっ?!」
さすがの晃雅もこれには驚き、訊ねてきた海斗を完全無視して問いかけた。もちろん、顔が近いのを気にして、少し下がるのも忘れない。
「どうしたんですか、明菜さん」
「あ、おねーさんの名前覚えててくれたの? なんか嬉しいなっ。小さい頃に一回会っただけなのに」
明らかに晃雅と違うテンションで、また顔を近づける。晃雅の小さな抵抗は、無駄に終わったようだ。
晃雅が“明菜”と呼んだ女性は、満足そうに頷き、再びその可憐な声を発する。
「晃雅くん、また強くなったんだね。顔つきが、前よりいいよ。ほら、あれだね、護るべき者のためにー、みたいなっ!」
「あー、まぁ最近、もう一つ決心したんで。確かにそうかもしれないですね」
『この先だって、ずっと俺がキミを護ってみせるよ』――そう告げた。幼少の頃からそばにいる、大切な“幼馴染”に。
「え、なになに、親友である俺を護ってくれちゃったりなんk「自分の身は自分で護れ」……はいはいわかってますよ、咲良ちゃんだろ、護んのは」
「それと、別に親友だって認めたわけじゃないからな」
「え、まだ認めてくれてなかったのかっ?!」
「……悪い、俺には認められそうも…」
「ないってか?! つかそんな嬉しそうな表情で言ってんじゃねぇ! 冗談ってわかってもなんかイラつくわボケぇ!!」
客がいても関係なく、晃雅と海斗の“親友劇場”は開幕する。思いのほか晃雅も、海斗とのこの掛け合いを気に入っているらしい。
「ちなみに、冗談でもなんでもないからな」
「や、無表情で言われるとそれはそれでかなりイラつくのですがっ?! そこんところどう思「うるさい。明菜さんに迷惑だろ」……う、うわぁぁ、崎ちゃんがいぢめるぅ! そこのキレイなお姉さん、貴女の柔らかい神秘の丘へ俺っちを誘って慰めてくださぁぁい!!」
海斗の身体が宙を舞う。真っ直ぐにGo to Heavenである。そして、その彼はもう一度宙を舞う。地面に叩きつけられ、Go to Hellだ。
「ふふ、おねーさんに襲い掛かろうなんて、君には千年早いよ?」
紛れもなく、明菜の仕業だった。晃雅も、この結果が見えていたから海斗の暴挙を止めようとしなかったのだろう。
「泣きまねしてでも逝きたかったか?」
「……おそらく、逝くってホントに死ぬって意味で訊いてんだろうな」
「あぁ、死んでもおかしくなかったな」
ニヤリと笑ってサムズアップした。晃雅にしては珍しく、本当に楽しそうな笑みだったとか。これだから、海斗いじりはやめられないのだろう。
そんな二人を見ていた明菜もまた、楽しそうに笑う。この掛け合いが気に入ったのか、それとも海斗自身がおもしろいと思ったのか。今度は晃雅にではなく、海斗に話しかけた。
「ねぇ、ところで君のお名前は? ずいぶん晃雅くんと仲良いみたいだけど」
「はいっ、吉井 海斗といいます! ちなみに崎ちゃんとは「なんの関係もない人物」です! ……や、親友だろ!?」
「親友と認められたかったら、もう少し静かにしてくれ。読書する時、正直迷惑だ」
「……あ、なんかそれ冗談じゃないっぽくて、今までで一番傷ついた!」
「そうか、それはよかった。明菜さんもそう思いませんか?」
「そうだね、海斗くんどんまい! とだけ言って、落ち込むのを喜んで見てるよ」
晃雅の嫌味な笑いに、明菜も被せて笑う。案外、気の合う二人なのかもしれない。
「あ、けど静かにしてれば親友って認めるってことじゃね? 逆に言えばっ! そーかそーか、崎ちゃんは素直になれなかっただけなんだなァ! つまりはツンデレさんとゆーワケkいだぁぁあああ??!」
おかしなベクトルで復活の早い海斗には、お馴染みのオチが待っていた。ちなみに、今日の被害は脇腹だ。脇腹をこう、ガツンと。回し蹴りだ、とだけ言っておこう。
「中々、クレイジーなことするんだね」
「こいつの扱いはこれで充分です。そもそも俺は、つ、ツン…」
「ツンデレ?」
「そう、それなんかではないですから」
「え?! 崎ちゃんはツンデrひぎゃああああ??!」
晃雅の『ツンデレではない発言』に否定的な意見をぶつけてくる海斗を、もう一度蹴って黙らせた(ちなみに、“黙らせる”とは“気絶させる”と同義である)あと、晃雅はあからさまに話題を切り替えるように話し始める。
……これ以上、ツンデレ云々の話をするのは、自分にとってよくないと予想したのだろう。
「……ところで、明菜さんはどんな用事でここにいらっしゃったんです?」
「え? 用事? んー、なんだっけ?」
しかし、晃雅の話題切り替えは成功したものの、その質問はすぐに答えられるものではなかったらしい。
明菜はそのウェーブがかかったハニーブラウンの髪を揺らし、首を傾げる。
そして一言。
「うん、忘れちゃった!」
「いや、忘れないでくださいよ……」
「んー、じゃあ、晃雅くんの顔が見たかったっていうことにしておくよ。ほら、トーナメントでは頑張ってたみたいだし。魔術が使えないのにこんなに強くて、やっぱ君はおもしろいよねっ」
楽しそうに笑った。案外、本当にそれが彼女の目的だったのかもしれない。
「あ、けど……一種の挨拶かなぁ」
「挨拶、ですか?」
「うん、挨拶。本戦、頑張ろうねって。優勝、したんでしょ? 晃雅くんは」
ふふ……と、含みのある笑みを洩らし、明菜は晃雅の目を覗き込む。そんな彼女に、晃雅はほとんど動じることなく、再び身を引いて距離を離した。
そして彼女とは違う、ニヤリとしたシニカルな笑みを浮かべて言葉を返す。
「そうですね。貴女と同じです。……本戦では、よろしくお願いしますね、西藤先輩」
西藤 明菜。それが彼女のフルネームだった。
「うん♪ けど、明菜さんって呼んでもらった方がうれしーかなぁ」
「ふふ、分かりました。じゃあ、明菜さん。頑張りましょう」
「よし、おねーさんを倒すつもりでくるんだよ? まぁ、御尊四家・西藤家の長姉として、負ける気はないけどね。……無事に、本戦を終えられるとは、思わないほうがいいよ」
最後に意味深な言葉をはき、『それじゃあ』――そう言って、彼女は去ってゆく。今回の訪問目的は、自分の中で達したと判断したのだろう。そこからの行動は早かった。
元々、荷物もなにも持ってきていない状態での訪問だ。身一つ、翻して、閉まっていた扉を開く。
「また、来るかも」
最後に振り返って言い放ち、今度こそ部屋から出て行った。
一つ、晃雅に似た不敵な笑みを残して――。