あぁ、俺って最近…
晃雅が、試合で疲労した咲良を休ませようと、自室へ向かっている時のこと。
Aブロック第六回戦。それを行うためのAブロックコロシアムに、二人の少年がなぜか双方共にダルそうに立っていた。
一人は癖のある栗色の髪をいじりながら溜め息をつき、もう片方は耳についた派手なピアスをそっと撫でながら生気のない瞳を相手に向けていた。分かる人には分かるだろうが、“空間魔術師”のいつかと、“いじられ役”の海斗だ。……海斗の紹介が適当な気がするものの、突出しているプラスの才能が他に“ツール作り”しかないのだから仕方あるまい。
地の文にすらもいじられている憐れな海斗は、そんな考察がされているなどとは夢にも思わず、ただテンションの低い表情でいつかと相対す。
「……勝ち目、ねぇよなぁ」
思わず、呟きが洩れた。海斗の初戦の相手が、空間魔術という希少で高度な魔術を使ういつかだということに、すでにやる気をなくしているようだ。勝ち残り戦を、爆発ツール乱用という強硬手段でなんとか乗り切った海斗だったが、レベルの高い空間魔術を使ういつかが相手となれば、そのいつものテンションが下がってしまうのも仕方のないことなのだろう。彼の場合は、課題の免除もかかっていたのでなおさらだ。
とはいえ。どちらにせよ、トーナメントで勝ちあがれば、御尊四家という強大な敵とかち合うことになるのだ。幸い、Aブロックには御尊四家の者はいないものの、晃雅もいるブロックなので、やはり海斗に勝ち目はないのだろう。その答えまで自分で辿り着き、海斗はもう一度、深い深い溜め息をつく。
―――――完ッ全に学院側に踊らされたな…。無理ゲーなのに、期待しちまった……。
第一、このトーナメントで優勝するほどの猛者……つまり、御尊四家ならば、大抵の者は課題などに苦労などするはずもない。唯一の例外として、めんどくさがりな東條 仁がいるが、彼も課題など苦することなくすらすらと消化してしまうだろう。まあ、課題免除で大喜びすることに変わりはないのだが。
それでもこの課題免除が、海斗のような本当に必要な者に、恩恵を与えることはないワケで。この辺り、学院の、生徒の扱いの上手さと、あくどさが垣間見る事が出来た。
そんな学院のあくどさに、海斗の溜め息は絶えない。文句の一つも言いたくなるというものである。幸い、目の前に文句をぶつけられる仲間がいるではないか。試合が始まるまで、愚痴を言わせてもらおう。
「なぁ、いつかァ。学院側のあくどさってのはホント、どうにかならね「うるさい、僕はいま不機嫌なんだ」……さいですか…」
だが、その試みは盛大に失敗したようで。海斗に負けないくらい低いテンションで、言葉を遮られてしまった。いつかの溜め息も、絶えない。
しかし、妙である。彼に消化困難な課題などない。海斗に勝つのは大した労力も消費しないだろうし、御尊四家とかち合い、勝ち進むのが難しいことを予測するのは、彼にとって“予測”というのもおこがましいほどに当然のことであったはずだ。ならば、何を意気消沈する必要があるのか。本当に妙であった。
そして、そこに疑問を持つのは海斗も同じだったようで。
「つーかよ。なーんでお前はんな不機嫌なんだ? 俺みてぇに、課題免除の慈悲が所詮ただのエサだって今さら気付いたわけでもねェだろうに」
「わ、分からないのか…? と、いうか、君はそんなくだらないコトで意気消沈していたのか。信じられないね。僕の不機嫌は、君なんかとは質が違うよ」
言いながら、洩らす溜め息。それは、海斗などより実に感情が篭っていて、どこまでも悲しい、悲壮の香りが漂っていた。生気のまるでない栗色の瞳は、まるで死んだ魚の目だ。
「質、ねぇ。んじゃあ、参考までに訊くけどよォ。そのテンションの低さの理由、教えてもらっていいか?」
試合は始まる直前だが、その理由くらいは訊く時間はあるだろう。そう思って、海斗は質問してみた。いつかのテンションが低い理由。それは一体なんなのか。
そしていつかは口を開く。その唇の隙間から魂が抜けていくかのように、小さな呪詛のような呟きで、言葉を紡ぐ。
「高峰さんだよ…」
「ゆあちゃん? ケンカでもしたのか?」
「違うっ!!」
大きな声で否定。先ほどまでの呪詛のような呟きが嘘かと思うような、激しい否定だ。それだけ、彼女とケンカなどしたくなかったのだろう。酷く顔色が悪いので、彼女とケンカしたらどうなるかと想像してしまったのかもしれない。
そして、そんなヒステリックなテンションのまま、言葉を続ける。
「違うんだよ! 僕はね、永崎の試合も、上原さんの試合も、もちろん高峰さんの試合だって頑張って応援してたんだ! 魔術を使って、君たちに音まで届けただろう? なのに!! 僕たちの試合を観戦する仲間がいないとはどういうことだ!! あの高峰さんまで『次の試合の準備』とかで見てくれないし……タイミングが悪すぎるぞ…」
叫ぶいつかに、海斗は思う。
―――――そ ん な こ と か ぁ ぁ ぁ あ あ ! !
「意味わかんねぇよ、しょうがねぇじゃん、次の試合あんだから! 咲良ちゃんだってなぁ、疲れてんだからしょうがねぇ! どーせ崎ちゃんも付き添いだろうしさァ!! んなことでテンション下げてんじゃねぇよ、鬱陶しい、ただでさえこっちのテンションは低いのに、さらにそれを助長してんじゃねぇよぉぉ!!」
海斗の叫びはまだ続く。いつかの状態でさらにテンションを下げさせられたと主張する彼は、そんな主張が嘘としか思えない大声でいつかに対して叫ぶ。
……それが、彼にとっては命取りだった。
もともと、試合開始直前だったのだ。いつまでも海斗の叫びが終わるのを待つほど、学院側も甘くない。無情な声が、コロシアム内に鳴り響く。
『Aブロック第六回戦、開始っ!』
それと同時に始まるいつかの詠唱。自分の大音声のせいで試合開始に気付かず、未だに叫ぶ海斗。結果は目に見えていた。
海斗が試合開始に気付かないよう、無駄なアクションを起こさないようにブツブツと詠唱を開始する。
「《前方の空間を支配。範囲指定、前方五メートルを中心とし、指定パターンB、標準規模の空間を圧縮する》」
そして笑う。――最初の落ち込みからの策に、全て綺麗にはまってくれてありがとう。そう心で呟き、皮肉に笑う。これが一番、楽な勝ち方だ。海斗が扱いやすいことを知っていなければ、到底出来ない芸当であろう。
圧縮されてゆく空気。逃げ場を失ったそれは、確実に外へと向かうエネルギーを溜め込んでゆく。爆発させるかさせないか、それは全ていつかの手にかかっていた。
「だいたいよォ、なーんでお前はあんまいじられねぇんだよ! 俺はいじられキャラだとしても、てめぇはへたれキャラだろ! 俺と同じほどじゃないにせよ、いじられないとおかしいっ!! なにが空間魔術師だってんだ! 俺だってなァ、俺だって、ツールの制作に関しちゃ誰にも負けねぇぇぇぇええ!!」
一際大きく叫ぶ海斗。もはや論点が盛大にズレ込んでいるのだが、本人は気付かずに叫びぬいたようだ。
……と、ここで、いつかが片手をこちらに向けていることに気がついた。
「あ、あれ…? なんで片手こっち向けちゃってんのかなぁ? ちょーっと、怖かったりするんだけども? も、もしかして試合始まっちゃたりして……?」
「始まっちゃったりしている。残念だったな、吉井クン? 《―――――我、支配せし空間を開放す》」
ニヤリ。笑みが零れた。あくどい笑みだった。いつもの晃雅に負けないほどの、あくどさだった。
―――――あぁ、俺って最近、こーゆー笑いしか見てねェわ
巻き起こる“火を伴わない爆発”のなか、海斗の心の中では、そんな悲しい言葉だけがくっきりと残っていたという。