頑張れ、咲良
突然だが、ここで一つ“微笑み”というものについて記しておこうと思う。
微笑みとは時として、残酷なモノである。とろけそうに甘い極上の微笑みの裏に、隠しきれない怒り……どす黒い障気のようなものさえ含まれていたりする場合もある。実に厄介で残酷、純粋な怒りなどより余程、人間の恐怖というものを喚起させるのだ。実際、微笑みとは元来、牙を見せつける威嚇のための行動だった、という説もあるほどなので、微笑みに厄介な残酷さを感じ、恐怖するのは当然の事象であると言えるかもしれない。
と、ここまで“微笑み”について語ったが、何も全く関係のない話をしていたわけではない。むしろ、大ありである。
先ほど説明した厄介な残酷さを秘める、それでいてとろけそうに甘い極上の微笑み、それを目の前の怜悧な美貌の少年に向けて浮かべている少女がいるのだ。白磁の頬に差す朱がなんとも魅力的なその少女、名を上原 咲良という。
しばらく先まで試合のない彼女は、たった今、試合を終えた少年の部屋に上がりこみ、一対一で相対している。
そんな状況で例の微笑みを湛え、真っ直ぐに黒髪金瞳の少年を見つめる。何も言い出さないこの状況が、少年、晃雅の恐怖を煽る。
そう、恐怖だ。彼は最愛の幼馴染に恐怖を抱いていたのだ。だが、それも当然のことなのかもしれない。何故なら晃雅の恐怖の形は、通常とは少し、性質が異なるモノなのだから。
その微笑みから、自分が咲良にどれだけの心配をかけてしまったのかと。この火傷で彼女をどれだけ悲しませてしまったのかと。想像するだけで怖い。罪悪感に苛まれ、それと同時に気付く。
「……俺は、こんなにも気にかけられてたんだな」
その小さな発見は、小さな呟きとなって。晃雅の、形の良い唇の間から漏れ出す。
「当たり前だよ。だって、晃雅は私の大切な人だよ? それで憧れなの。晃雅はいっつも危なかっかしくて、心配が絶えないんだから…」
晃雅の呟きに応え、今度は心配そうな、不安げな表情を浮かべる咲良。実に晃雅の“罪悪感”というものを逆撫でするその表情の変化は、眼前の少年を素直に謝らせるのに充分であった。その表情の変化というものを、意図的にではなく心からやってのけてしまう咲良のそんな純粋さに、晃雅は逆らえないのかもしれない。
「……悪い。実は、勝つつもりはなかった」
そして、そんなところに俺は憧れるんだ。晃雅は、そう心の中で呟く。
互いが互いに憧れ、尊敬しあっている。それは中々に理想的なことなのかもしれない。だからこそ、二人は互いのことがなんとなく分かってしまう。この場合は咲良だが、彼女も気付いてしまった。晃雅の、勝ちたくない理由に。
「あ………御尊四家?」
「まぁ、そうだな。あれに目ぇつけられると、結構困る」
その言葉に、咲良はバツの悪い気持ちになる。確かに、晃雅は無茶をして炎の魔術に当たる必要はなかったし、そのせいで自分たちに迷惑をかけているので、あの怒りは妥当と言えた。しかし、その“無茶”をせざるを得ない状況を作り出してしまったのは、もしかすると自分なのではないか、そう思い至ってしまったのだ。
だが、それは彼女の思い違い。正直に言えば、晃雅としては、彼女の存在はありがたかった。彼女の声援を、妙に温かく感じた。やはり、彼には彼女が必要だった。
「あぁ、別に咲良を責めてるわけじゃないぞ? ……確かに、勝つ気はなかった。それでも、俺は負けず嫌いでな? あれこれ理由つけても、結局は勝ち残り戦だって自分の意思で勝ち進んだし、棄権もしなかった。炎の魔術だって、くらったらすぐに負けを認めるはずだったんだ。なのに……俺はそれをしなかった。たぶん、待ってたんだろうな。咲良の声を。あれがあったから、俺は動けた。だから、逆に俺は感謝してるんだ。ありがとう、咲良」
そう言って、肩をぽんっと軽く叩き、照れ隠しをするように彼女の横を通り過ぎて、近くにあった椅子にどっかりと座り込む。自分で言った感謝の言葉が、気恥ずかしかったのだろう。
「晃雅………ううん、こちらこそ、私なんかの期待に応えてもらっちゃって、ごめんね」
「いや、お前の期待があったからこそ、俺はやる気を出せるんだよ。どっちみち、俺はここで“魔術師”と対抗する術を見につけなきゃならない。なら、別に御尊四家に目ぇつけられるなんて、逆に好都合。……そのための一歩は、俺一人じゃ踏み出せなかったよ」
そう、晃雅の学院入学最大の理由は、“魔術師を越えること”。それを叶える近道は、魔術の性質を学び、実際に見て、相対すことだ。つまり、今回の全魔戦などは、絶好の機会。ただ、御尊四家という強大な力の前に、怖気づいてしまっていたのだ。晃雅一人なら怖気づいたまま、一回戦敗退を喫して……いや、勝ち残り戦さえ勝ち進むことを諦めていただろう。だが、そうはならなかった。咲良の声援、期待のおかげである。
だからだろう。晃雅はやはり、ここでも見栄を張ってしまう。
「さて……今度からの試合は本気でいくよ。嘘はつかない。しっかりと咲良の期待に応えてみせる。任せな。俺は火傷で医務室にいて気付かなかったが、高峰も初戦を勝ち進んだらしいし、あいつにも負けてられん。勝ち進むよ」
どこまでいっても負けず嫌いで、咲良の前では少しでも、頼れる自分でいたい。そんな子供な部分は、晃雅の中でも小さいとは言いがたいほどに存在していたのかもしれない。
「だから。次は、咲良の試合だ。……初戦の相手は御尊四家の一角、北川 雪音だったか? 同じ氷属性の“派生魔術師”だな」
「うん。正直、勝つのは難しいと思う…」
「勝て、とは言わない。北川の者は、情け容赦ないことで有名だからな。でも、応援する。俺にお前がついてるように、咲良には俺がついてるぞ。……まぁ、なんだ、俺の言いたいことは一つ、だな」
―――――頑張れ、咲良。
「……うん! ありがとう、晃雅っ!!」
やはり彼女には、柔らかく、優しい微笑みが一番似合う。
◆
「よぉし、頑張るぞ。だって、晃雅が応援してくれるんだもん! 勝てなくても、一回は雪音さんの意表を突きます、私っ!!」
Cブロックの試合を行うコロシアムの中心部。そこで、気合を入れて拳を天に向かって突き出す少女が一人。どこかぽわ~んとした柔らかい雰囲気をした彼女は、目の前の冷めた表情で立ち尽くす銀髪の少女の冷たい視線など歯牙にもかけず、声を張り上げていた。
彼女が相対す少女――長く銀に煌くストレートセミロングの髪と、切れ長で冷めたグレーの瞳が特徴の彼女こそ、御尊四家が一角、北を守護する北川家第十七代目当主、北川 冬耶の一人娘である“学院三年生”雪音嬢である。
その彼女は、どうにも嫌そうに顔をしかめて、咲良を見ている。なにかが気に入らないのだろうか。そして、そんな目を向けられているのにも関わらず、全く動じずに先ほどのような言葉をはいてしまう咲良のある意味“天然”と言える部分は、さすが、としか言いようがない。
だが、雪音には咲良のそんな“天然さ”が気に入らなかったようで。そのどこまでも冷たい表情が、もはや“凍てついている”とまで表現することが正しいのではないか、と思えるほどに冷たさを増していた。
「……先ほどからあなた、鬱陶しいですよ。大体、勝ちを諦めているのなら、一矢報いようと努力する必要などありません。大人しく散ってください」
その透き通るように真っ白な肌に映える、真っ赤な唇の間から零れ落ちるように呟かれた言葉は、やはりどこまでも冷たく、そして鋭利だった。
「そんなわけにはいかないです。だって、晃雅が応援してくれるんですからっ!」
それでも、咲良の想いは変わらない。目をキラキラさせて、まるで夢でも見ているかのように晃雅からのそっけなくも優しい『頑張れ、咲良』という試合前の言葉を思い返す。それは、彼女のモチベーションの上昇へ、非常に大きな影響を及ぼしていた。
だが。咲良にとっては紛れもないプラスの存在である晃雅も、目の前の雪音には大いなるマイナスでしかない。そう、御尊四家であれば、知っている。―――晃雅の本当の姓を。彼が、“天城寺家の落ちこぼれ”であるという事実を。
「はぁ、またその少年ですか。……いい加減、上原の者として自覚を持ったらどうです? 落ちこぼれに肩入れするなど、私としては愚かしいこととしか思えませんね」
「晃雅は落ちこぼれなんかじゃないもんっ! 私よりも、もちろんあなたよりも強いんだからね!」
落ちこぼれ。魔術を使えない晃雅についた、二つ名のようなもの。他にも、“無能”や“汚点”など、どう考えても晃雅を差別する内容でしかなかった。
咲良は、それがどうしようもなく嫌だった。晃雅たちの前だとあまり感じられないのだが、元来彼女は人見知り……そうであるにも関わらず、二年も先輩である雪音に食って掛かるばかりでなく、敬語をはずしている。彼女にとってこの言葉は、その差別意を向けられている晃雅よりも敏感に反応してしまう言葉であった。
「そうですか。ならば、あなたが私に勝ってみなさい。あなたは、落ちこぼれよりも弱いのでしょう? そのあなたが私に勝てば、落ちこぼれの私への優位性が証明される」
そんな提案。もちろん、咲良は…。
「当然だよ! 私は、勝つ!!」
その提案を受けた。
―――――それでは、Cブロック第五回戦、始めっ!!
Cブロックのコロシアムだけに鳴り響く放送。
咲良の、晃雅が有能であることを証明するための初戦は、今まさに始まろうとしていた。