そんなに不安かね?
なんで俺、こんなとこに立ってるんだろうな。
晃雅は嘆息していた。目の前で、尊大な表情をした茶髪の少年が、両腕を組んでナニカを見下すような視線を向けているのを見て、心底、嫌気が差す。その“ナニカ”が自分なのだから、不快な思いを抱くのは、些か仕方のないことなのかもしれないが。
しかし。晃雅がうんざりしているのは、なにもこの少年のせいだけではない。このコロシアムの会場に立っていること、それだけが彼を嘆息させるのだ。
だいたい、御尊四家に目ぇつけられないために辞退するって決めてたじゃないか。それなのに、なんで俺はここに立ってるんだよ、本当に。
そんな考えが頭を巡り、やはり晃雅は嘆息を禁じえなかった。
彼がこのような事態に陥った経緯を語るならば、少し時を巻き戻さなければならない。そのために過去の話を一つ、お付き合い願おう。
……………
………
…
『咲良。ちょっといいか?』
その日、晃雅は連れてこられたいつもの訓練場で、するつもりもなかったのに、全力で訓練に取り組んでしまったあと、咲良を自分のもとへと呼び寄せた。全魔戦を辞退する旨を伝えるためだ。彼女は、晃雅が全魔戦に出て、皆を見返すことを非常に楽しみにしていたようなので、辞退するならば声をかけておくべきだろうと判断したのだ。
幸い、彼女は物分りがいい。少しは残念がるだろうが、ちゃんと説明すれば納得してくれるはずであった。
『はぁい。どうしたの、晃雅?』
晃雅の呼びかけに、彼女は嬉しそうに応える。いつも通り、柔らかい印象を与える綺麗な微笑みだ。同じくふんわりとしたブラウンのポニーテイルに、非常によく似合っている。
『あのな。一つ、言いたいことがあるんだ。今度の全魔戦のことでな』
『あぁ、全魔戦! 楽しみだよね! 私は勝てるかどうかわかんないけど、晃雅ならっ!』
咲良のテンションは上がる。全魔戦を辞退しようと思っていた晃雅にとって、この流れは非常にまずいものであるのだが、彼女の勢いは止まらない。
『だから、晃雅! 全魔戦、絶対勝ってよね。私、頑張って応援してるからっ!』
『お、おう』
それが決め手だった。満面の笑みを浮かべての『応援してるからっ!』の言葉を否定して、辞退することなど彼には出来なかった。それどころか、条件反射で肯定の返事をしてしまうほどであった。
答えてしまったからには、引くわけにはいかない。今さら『やっぱ出ない』などと言うことは、彼のプライドが許さなかった。故に彼はしかめっ面を崩し、自信すら浮かべた笑みを咲良に向け、彼女の髪をそっと掻き撫でながら答えてしまう。
『任せろ。咲良の期待には、応えてみせるさ』
――――とりあえず、数減らしの勝ち残り戦だけは生き残って、トーナメントまでは進もう。
見栄を張ってしまう彼は、どうしたって“男の子”であった。
…
………
……………
過去の自分を思い返し、軽く自己嫌悪に陥ってしまう。なぜ、あの時に否定しなかったのか。それ以上に、なぜ『任せろ』などとほざいてしまったのだろうか。大体、髪を掻き撫でるってなんだよ、恋人同士かっ! …………後悔は絶えない。
それに――と、晃雅は思考を重ねる。
学院に入学してから、体調が悪い日が続いているのだ。時たま訪れる眩暈のような頭痛と、それに伴う吐き気。何かの病気に侵されているか、とも考えたが、学院の精密な健康診断にも引っかかることはなかったので、とりあえず大丈夫なのだろう。それでなければ、現在の“地球”の魔術学や科学の最先端でも解明できない病気だろうが、その場合は打つ手がない。諦めるしかないと、決心もつく。
だが。晃雅の中のなにかがその可能性を否定する。“夢”で“望み”を叶えられ、“代償”を捧げさせられた時のように、性質の悪い確信のようなものすら感じてしまうのだ。
と、ここまで考えてまたも顔をしかめる。また、思考が明後日の方へ飛んでしまった。体調の悪さに関して考えはじめると、最近の彼は思考が止まらなくなるのだ。悪い癖だ。
「まぁどちらにせよ、戦わなきゃならないってことだな」
そう呟き、思考は再び冒頭へ戻る。コロシアム内に五十人近くの生徒を放り込み、最後まで気絶せず、コロシアムに一時的に設置されたステージ内から放り出されることもなく勝ち残ったメンバーだけで構成される、六十四人のトーナメント制で行われる全魔戦の中でも、最初の戦闘に当たってしまった晃雅は、前日の勝ち残り戦を勝ち抜いた者の中で、誰よりも早くこのコロシアムの地を踏み、同じく第一試合に出場する生徒と相対する。コロシアムは四つあるので、A~Dブロックで戦いは行われる。よって、第一試合に出場するのは計八人。勝ち残り戦の時から考えれば、千人以上もいる中で八人に選ばれてしまったのだ、かなりの不運だろう。やはり晃雅は、自身の不幸を嘆かずにはいられなかった。
しかし。そんな彼が、真剣に戦うか、と訊かれれば、それは否なのだろう。トーナメントに出るぐらいまでは気張っても大丈夫だろうと考え、勝ち残り戦を無難に生き残った晃雅は、それでも、いくら咲良の期待があるとはいえ、やはり御尊四家に目をつけられるわけにはいかない。試合会場に来て、その地を踏み、改めてそう思った。彼女には申し訳ないが、本気を出して期待に応えることはやめよう。トーナメントの初戦で、負けよう。
そう決心し、いつの間にか俯き加減になっていた顔を前へ向ける。必然的に視界に入る、茶髪の生徒の尊大なニヤケ笑いは晃雅の神経を大いに逆撫でするが、ここで気にしたら負けだ。いや、どちらにしろわざと負けなければならないのだが。
それを思うとやはり洩れてしまう溜め息は、目の前の生徒に違う幻想を抱かせた。
「そんなに不安かね?」
「は?」
思わず聞き返してしまった。何を不安に思う必要があるのだろう。痛くもない魔術を受けて痛がらなければならないという、演技力への不安か? それとも、格下の相手にわざとでも負けなければならないという、屈辱感を強制されることへの不安か?
晃雅からしてみれば、どちらも大した不安でもなかった。ただただ非常に面倒なだけである。目の前の生徒が『不安か』と訊ねてくる意味も分からなかったし、それどころか『面倒だ』などと考えて溜め息の絶えない自分が、どうにも“東條家”の者と重なって、小さな微笑みを浮かべてしまったほどだ。
「何をニヤケているんだ。……あぁ、そうか。無能な君は“魔術師”と相対することへの不安で壊れてしまったのだね。かわいそうに。ここまでこれば、汚い手で生き残ったであろう勝ち残り戦ですらも惨めに思えてくる」
ここでようやく、晃雅は相手が言う『不安』の意味を理解した。自分が勝ちようのない魔術師と相対すことへの不安か、と。――自分の中に、そのような不安の種類など存在もしていなかったのだから、思い至ることがなかったのも仕方のないことだろう。そんなことよりも晃雅の心は、目の前の生徒がわざとらしく嘆息し、しかしニヤケている顔への苛立ちの方が募っていたのだ。
だからだろう。晃雅は、目の前の不遜な茶髪を少し茶化してやろう、と思い至る。幸い、試合開始の合図はA~Dまで合同で鳴らされるので、時間はある。
「運がよかったな。俺みたいな無能との初戦で」
気軽に、気負わず、笑みすら浮かべているような、普段がしかめっ面の彼からしてみればあり得ないフレンドリーな態度で語りかけた。
この問いに、相手の生徒は今までのニヤケ笑いをさらに色濃く表し、晃雅を見下すような態度を全く崩さず、それどころか拍車をかけて見下しながら言葉を返す。
「ああ、すこぶる運がいいよ。君みたいな無能が相手だと、簡単に勝てるからね」
「かもな。そうじゃなきゃ、魔術師失格だろう。本当に、お前は運がいい。俺と当たったおかげで、初戦敗退という不名誉を被る必要がない。俺のみたところ、どう見ても俺以外と当たればお前は勝ち上がれないからな。実に運がいいよ」
余裕綽々。そんな四字熟語がたまらなく似合う、意地の悪い笑みを浮かべた晃雅は、目の前の茶髪をわざとらしく煽る。これは、ストレス解消にもなるうえ、明らかに実力不足なこの魔術師の魔術を怒りによって少しでも攻撃的なものにし、“負ける演技”を楽にするという、一石二鳥の効果が期待出来た。
その目論見は、晃雅の思惑通りに成功したようで。茶髪の生徒は顔を茹蛸のように真っ赤にし、目の端を吊り上げるように怒りに震えている。自信満々に振る舞いながらも、実力の伴わないキザなこの年代の少年には、ありがちな沸点の低さであった。
「この“平塚 啓吾”を怒らせるとは、なんたる悲劇。今の僕は、非常に機嫌が悪いよ。僕の火の魔術で、燃やし尽くしてやる」
こいつはバカだろうか。――そんな気持ちを抱いてしまった晃雅に、罪はないだろう。試合開始前から自分の適正魔術の属性を告げるとは。これで、いつかのように隠した属性がなければ、これはやはりただの“バカ”と言わざるを得ないだろう。
だが、それを指摘してやる道理もないし、時間もない。中心に位置するBブロックとCブロックの間の中継所にある小高いガラス張りの部屋に、学院長秘書である谷口 真樹の姿が認められたからだ。艶やかな黒髪を揺らし、颯爽とマイクの元へ向かう彼女は、今日もメガネが非常に良く似合う。
そんな彼女は、いつも通りにいろいろな感情(主に学院長への不満)を内に隠しこみ、繕った無表情でマイクを握る。魔術で効果を高めているマイクは、それだけでA~Dブロック全員の耳までよく響き渡る。
『準備はよろしいですね? ……それでは、全校生徒出場制魔術戦闘大会、A~Dブロック初戦の開始を今ここに宣言致します』
生徒間に緊張が走る。コロシアムの観客席にいる生徒たちでさえも、心地の良い緊張間に包まれ、特有の興奮状態が生まれた。
―――――それでは、始めっ!!
全魔戦ブロック別初戦、開幕である。
名前をつけるつもりのなかったモブキャラに名前が……。
平塚啓吾、恐るべし…!