魔術が絶対
「あ゛ぁぁ゛~、ひぃ~まぁ~だぁ~」
「そうだな。でも黙れ」
「いぃ~やぁ~だぁ~。崎ちゃんなんか暇潰し考え「嫌だ」……そんなこと言わずにさぁ~」
とある寮部屋にて、だらだらと『ひま~』を連呼する少年と、それを軽くあしらって読書を進める少年がいた。海斗と晃雅である。それぞれの机の前にある椅子に座ってくつろぎ、昼休みを過ごしている。
ゆあを迎えに行った咲良と別れ、二人はいち早く寮部屋まで帰ってきていたのだが、することがない。実は二人、料理は全く出来ないので、料理の出来る咲良や、親が料理人で腕もあるいつかを待っているのだが、どちらも現れることはなく、ひたすら待つしかないのだ。
咲良は迎えにいっているので仕方がないが、あれほど晃雅を問い質したがっていたいつかが遅いとはどういう了見か。二人はそんな不満で顔をしかめながら、だらだらしたり読書したりしているのだが…。
「やっぱ暇ぁあああ!!!」
だらだらしているだけの海斗は、相手にしてくれない晃雅へも不満が募ったようで。『暇ぁぁあ』と叫びながら椅子から立ち上がり、晃雅にちょっかいをかけるように肩を揺さぶる。
「なぁ、暇だってぇ!」
「知らん」
だが、晃雅は相手にせず、揺らされる動きに合わせて右手に持つ本の位置を変え、読み続けている。
それがさらに不満を募らせ、海斗のちょっかいも段々とエスカレートしてゆく。
「ひっまっ! ひまひまひまひまぁああ!!」
「うるさい」
さすがにイラッときたのか、こめかみをぴくぴくさせ、不機嫌そうに眉間に刻まれた縦皺がさらに深いものになる。これが漫画ならば、所謂怒りマークとでも言うべきものが無数に浮かんでいることだろう。
そしてついに。
「ひっまぁぁぁぁああああ!!!」
「うるさいっつってんだろうが吉井バカイトぉぉぉおお!!」
肩を揺さぶる海斗の腕を掴み、容赦なく引き剥がす。そのまま両手で彼の右腕を固定し、立ち上がる。晃雅が何をしだすのか、決して少なくない恐怖に震える海斗を一瞥し、彼は何の躊躇いもなく海斗を扉の方へ勢いよく…………投げた。
そう、投げたのだ。放物線を描く、などといった生易しい表現は適さないほどに素晴らしいスピードで、海斗は真っ直ぐ扉へ向けて飛んでゆく。
「んぎゃああああ!! お助けぇぇぇええぃ!!!」
さらに、悪いことは重なるものである。海斗が扉に衝突するその瞬間、扉は開かれた。
「ごめんっ! 遅れたよ! 僕のクラス、四時限目の先生がかなり授業を延長してね………って、なんで飛んでんのぉぉお!!?」
ゴッチーン!
そんな音が響き渡る。遅れてきたであろう杉山 いつかと、晃雅によって飛ばされた吉井 海斗の衝突の音は、激しく残酷でありながらも、存外に可愛い響きであった。
海斗は頭頂部、いつかは額に、まるで焼印を押し付けられたかのような焼けつく、それでいて鈍い痛みを感じ、地に伏せる。
「うごぉぉお、いだいぃぃ……!」
「血っ! これ、絶対血が出てるよぉぉ…」
そんな二人の方へ晃雅はつかつかと歩み寄り、にんまりと………そう、にんまりと笑う。
「大丈夫だ。血は出てない。………それにしても偶然だな杉山。ちょうど吉井に制裁を加えたところでお前が顔を出すとは思わなかったぞ? 実に運が悪いヤツだ」
「なんで“偶然”のとこに力を入れてるんだ?! わざとだろ! 僕がすぐそこまで来てたことに気付いてただろぉぉ!!」
「あぁ、悪い。気付かなかったよ」
そう言いながらも、晃雅の表情は実に楽しげだ。………これは、明らかに気付いていた。そんな表情であった。
「なんでわざわざ僕に当てるんだ!? 犠牲は吉井だけで充分だろっ!!」
いつかの抗議が部屋中に響く。些か、海斗がかわいそうになる言葉であったが。だいたい、自身も今朝、不良を煽って再び晃雅と対立させてしまう可能性のある言葉を吐いているので、先ほどの痛みは妥当だ。
やはり、海斗は報われない。それでも、報われずとも悲痛なツッコミを入れてしまうのが海斗の哀しいサガである。
「俺を犠牲にするのもどうかと思うけど、そこんとこどうよ??!」
「「いや、お前が犠牲なのは当たり前だ」」
「はぁ!? なぜに被害者の杉山までハモってるわけ?! おかしいっ、ぜったいにおかしいですぜ兄貴ぃ!!」
もはや通例と化した海斗いじりだが、それでも中々に有意義な(?)暇つぶしとなったらしい。いつの間にやら、騒ぎ立てる海斗を驚いた表情で見ているギャラリーが二人ほど増えていた。
「……あれ、吉井くん。また騒いでるの?」
「あぁ、おもしろくてうるさいって噂の! ふむふむ、正しく不良だね。でも、いじられキャラなんだ? おもしろい!」
咲良とゆあである。一人は呆れたように、もう一人は興味津々で、蹲るように地に伏せる海斗を覗き込む。………ゆあなどは、頬をツンツンと突ついたり髪の毛を軽く引っ張ったりして遊んでいる。海斗も抗議するのだが、ゆあはまるで気にせずに悪戯を続けている。
そんな二人に軽く苦笑ながら、晃雅は幼馴染に声をかける。
「おう、来たか。咲良、さっそくだが杉山と昼食を用意してくれないか? 腹が減った」
どうやら、彼の空腹もかなり危ういところまできていたらしい。
「うん、わかった! 杉山くん、いこっ?」
そんな晃雅の空腹状況を察してか、ニコッと微笑んでいつかに声をかける。
………だが。いつかが返事をすることはない。どこかボーっとしたような表情で、未だに海斗を突ついて遊んでいるゆあを見つめている。心なしか、顔が赤いように見える。………明らかに、アレである。そう、一目惚れだ。
「杉山くん?」
「へ? うわぁあ?!」
どうしたの? そう言いたげな表情で覗き込む咲良に気付き、やっとのことでいつかは正気に戻る。
「変なの。……さっきの、聞こえてたかな? 晃雅が、お昼ご飯作ってほしいんだって。行こう?」
「あ、あぁ、分かった」
顔は赤く、慌てたままで料理などして大丈夫なのだろうか。依頼した晃雅も、いじられながらも見ていた海斗も、少なくない不安に駆られるのだった。
ただ、いつかの顔を赤くさせた張本人であろうゆあだけは、気付かずに未だ海斗をいじっていたが。晃雅が魔術を使えるようにすると息巻いていた彼女だが、この時点ではそれすらも忘れているようだった。
◆
料理が並んでゆく。今日は洋食のようで、ハヤシライスにサラダとスープがついてくる昼食であった。いつかの状態は芳しくないように見えたが、料理が酷いものになることはなかったようだ。
それでも、再びゆあを見たいつかが固まっている事実は、見てみぬふりをすることが一番だろう。それに、この状況ならば、いつかが晃雅に魔術が使えないことについて問いただすことはない。あまり詮索されたくない晃雅からすれば、好都合だ。
「さて! 本題だよ!」
一方、いつかに熱い(?)視線を送られている側のゆあは、そんな視線には全く気付かず、晃雅の問題について話し始める。
「私、永崎くんが魔術を使えないって聞いたから、手伝いたいんだ。魔術を使えないままにしとくなんてナンセンスだよ! 一緒に頑張ってみない? 絶対に使えるようにしてみせるからっ!」
自信満々の表情で手を差し出し、フワリと柔らかく微笑む。当然、その手が握り返され、共に魔術の修練を積むことになると信じて疑わない笑みであった。……その笑みにやられ、再び呆然としているいつかに関しては、しばらく放っておく方向で話を進めることとする。
手を差し出された晃雅であったが、彼が動き出すことはない。中々動き出さない晃雅に、ゆあの自信に満ちた表情が歪み始める。
「だ、ダメかな? やっぱり、初対面の私じゃ信じられない?」
不安そうに訊ねるも、晃雅はどこか困ったような表情で頬をぽりぽりと掻くだけで言葉を発することはない。どうやら、彼自身もどう答えようか困っているようだ。咲良も困っていたのだし、同じ反応である。
それでも、やっとのことで意見をまとめ、努力は積んできたがダメだったこと、魔術以外にも魔術師を凌駕する術はあるはずだという意見を持っていることを話そうとする。魔術を当たり前に使える現在で、説得は些か難しいかもしれないが。
「俺は、魔術は使えないんだ。それはしょうがない。その代わり、違う努力をしてる。これで納得してくれないか? 魔術の訓練を積む気は、俺にないんだ」
「なんで?! まだやれることはあるはずだよ!!」
案の定、ゆあが納得することはなく、食い下がる。中々強情であった。――これは、かなり説得が難しいな。晃雅は困ったようにそう嘆息する。
そんな光景に見かねたのか、海斗がゆあを宥めるように口を挟む。
「まーまー、崎ちゃんだってさ、今まで頑張ってきてんだよ。その証拠に、空間魔術師の杉山にだって勝ったらしいしな。崎ちゃんは魔術を使うことは諦めた代わりに、魔術以外で魔術師を越えようとしてんのさ。な、だから分かってくれ」
本人よりも、第三者の方が心の内を語りやすいということもあるのかもしれない。海斗は、晃雅が思っているであろうことをほぼ完璧に察していたのだ。これが晃雅自身であれば、どこか恥じらいのようなものを感じてここまで分かりやすく説明できていなかったはずだ。案外、海斗は咲良ほどではないにせよ、晃雅の理解者であった。
「で、でもっ……!! 昔、魔術使えない子を魔術師にしたことだってあるしっ!!」
それでもゆあは食い下がる。魔術を使えないままでいることに、恐怖でも抱いているかのように必死であった。
「ゆ、ゆあ? あのね、晃雅も悪気があって断ってるわけじゃないんだよ? 晃雅が魔術を使えないのは、本当にしょうがないんだ。昔、充分いろいろとやってたもん…」
「だけど魔術を使えないままなんてダメだよ! 魔術が絶対なんだっ!!」
叫ぶ。悲痛な声で。咲良の言葉さえも耳に入らないように、ゆあは両腕を抱き、小さく震えながら叫んでいた。つい先ほどまで見とれていたいつかでさえも、その光景に身をすくめるほどの叫びだ。
「魔術は! 使えないとみんなにいじめられる! 親にも見捨てられるんだ! だから努力した! 使えないままなんて嫌だったから! それで私は使えるようになったんだよ? だから、諦めちゃダメなのっ!!」
魔術を使えない過去。それを彼女は持っていた。“魔術を使えない者”を“魔術師”に変えたのではなく、“魔術を使えない者”から“魔術師”に成長できたのが彼女だったのだ。
とはいえ、そんな前例は他にもあったが、晃雅のようなケースとは似ても似つかないものばかり。彼女が指導したとしても、晃雅が“魔術師”になることなど不可能だろう。
「君と俺は違う。確かに、いじめの対象にはなるだろうし、親からは迫害されるだろう。俺は、姓まで取られた。ほぼ勘当状態だな。十三歳の頃から金だけ渡されて一人暮らしだ。それでも、俺は魔術を使えなくたって生きてきている。それに、俺には咲良がいる。好敵手を名乗る杉山がいる。ついでに吉井もな」
「俺はついでか?!」
「ついでだ」
的確にツッコミを入れてくる海斗を、苦笑しながら軽くあしらう。実際は親友と、晃雅自身も思っているので、“ついで”発言は単なる照れ隠しだろう。
ここで、話がずれてきたことに気付き、軽く咳払いして先を続ける。
「……まあ、とにかく。魔術が使えなくても、困ることなんてほとんどないんだ。だから、残念だが君に師事することはない。ごめんな?」
晃雅は少しバツが悪そうに、ゆあの様子を窺う。が、しかし…。
「だけど………魔術を使えないままなんて、認められないよ…! 辛いんだよ! もう、お父さんにもお母さんにも私がいないように扱われるのは嫌なんだ! それと同じ境遇の人がいるのも嫌なんだ! なんで努力しないの!? 魔術を使えるように努力してよっ!!!」
晃雅には、何も答えられない。悲痛な叫びを上げる彼女が、過去に虐げられていたことがよく分かるから。それと同じ仕打ちを受けてきている自分には、彼女の苦しみがよく分かるから。何も答えられなかった。
――やがて。ゆあは背を向け、立ち上がる。
「………ごめん、言い過ぎた。努力はしたんだよね。……だけど、気持ちの整理がつかないんだ。しばらく、一人にして…」
そう言って、彼女は去っていってしまうのだった。
最初のふざけたテンションから一転、唐突なシリアスという不思議。
……明らかな力量不足っ