おいら泣いちゃうぞ☆
晃雅が魔術を使えない事実は、土・日曜日の間に爆発的に広まった。魔術を使えないと判明してしまったのは金曜日なので、噂が伝わるための時間は充分にあったようだ。噂とは得てして広まりやすいもので、今回もそのご多分に漏れることはなかったらしい。
人の噂も七十五日、とは言うが、おそらく今回の噂は根強く残るだろう。その噂が事実であることもそうだが、“魔術”というものが人間に根付いているということも、やはり“魔術を使えないという異分子”を排他する傾向を作りだしてしまうからだ。
そんな噂を囁かれ続ける“魔術を使えない晃雅”は、特に何かを気にするわけでもなく、広まっていく噂に歯止めをかけようとするでもなく、ただ悠然と残りの授業を過ごし、上品に夕食をとり、寮部屋に戻っても慌てる海斗をよそに一人読書に勤しんだ。
そして夜になれば、湯浴みをして夜着に着替え、そのまま就寝し、やはりなにごともなかったかのように次の日の朝を迎える。
土日の間にはバイトに出勤するなど、噂を歯牙にもかけない様子で二日間を過ごし、とうとう月曜日の朝。靄がかかったような眠たげな目をこすり、どこかめんどくさそうにベッドに手をついて起き上がる。時間は早朝。太陽は、今まさに昇り始めようとしているところだ。基本的に日課となっている早朝トレーニングを済ませるための早起きである。
軽く寝癖のついた後頭部をガシガシと掻き、黒いジャージに着替えて窓から飛び出した。寮は一階にあるとはいえ、彼が飛び出したのはロフト部分の窓である。その実質二階という結構な高さから落ちる衝撃を、膝をたわめることで難なく緩和した晃雅は、そんなとんでもない行動をとったことが嘘かのように、トレーニングのために走り去っていった。
◆
トレーニングから戻り、汗を流すために頭から水をかぶって湿った髪を乾かす晃雅は、未だ眠りこけている海斗を起こすことなく学院指定のブレザーに着替える。買いだめしていた食パンをほおばり、牛乳を流し込む。朝食は基本的に大食堂で集まって食べるものだが、晃雅はトレーニングに打ち込みすぎ、その規定時間に遅れてしまったらしい。少し物足りない朝食を済ませた。
そしてそのまま時間を確認し、些か慌てた様子で寮部屋から出て行く。どうやら遅刻の可能性を感じているようで、いつもに増して早足だ。だが、遅刻しそうであるにもかかわらず、爆睡中の海斗を起こす気はないらしい。すたすたと一人、教室へ向かっていった。
十分もせずに教室へ辿り着く。急いだおかげか、存外早く着いた。いつもと変わらぬ余裕を持った時間……いや、それ以上に余裕があるかもしれない。
今日は噂が広まり、最初のクラスメイトとの対面である。実際に晃雅が魔術を使えなかったその事実を見た彼らのことだ、どんな反応をするかは分かりきっていた。
「おいおい、無能さんのお通りだぜ!」
「魔術使えないのに授業でむだ知識を披露してた、例のヤツか!!」
「かわいそーに! 魔術使えないのに“上位魔術学院”なんかに来ちゃってさ!!」
心無い言葉、それに伴う笑い声。嘲り。海斗のような不良らしい外見を持つ三人の男子生徒が、晃雅を見つけた途端に笑い出したのだ。その反応に、他の生徒たちもざわざわ、くすくすと笑いをもらす。つい昨日までは憧憬の視線を送っていた女子たちでさえも、失望したような冷めた目で晃雅を一瞥し、すぐに目を逸らした。
明らかにいじめとも言えるその光景。すでに来ていた咲良は、豹変してしまったクラスメイトたちの反応に悲しみを抱き、寂しそうに自身の席で俯いている。
だが、そのいじめを受ける側、晃雅は何も気にする雰囲気もなく、暗い雰囲気を纏っているわけでもない。いつも通りに堂々とした態度で胸を張って歩き、自身を代表してバカにした不良の三人を一瞥し、逆にバカにするような冷たい笑いを見せ、席についた。
当然、そのようにバカにされれば簡単に逆上するのが、この年代の素行の悪い少年というモノである。
「てめぇ………ふざけんのかゴラァ!」
先ほども一番に声をあげた、腕輪をジャラジャラとつけた不良が声を張る。
「魔術使えないくせによぉ……生意気なんだよ!!」
それを受け、どこかキザな雰囲気を纏う金髪の不良が怒鳴る。
「………てめぇみたいなヤツが、学院にいるだけで腹が立つんだよ…!」
最後に、この不良グループで一番まともそうな外見をしている不良が、ドスの利いた低い声で凄む。まともな外見をしている彼だが、その鋭く光る黒い眼光が“まともさ”を否定する。彼の持つ迫力から考えるに、どうやら彼がリーダーのようだ。
だが、それでも晃雅が慌てることはない。彼からして見れば、この不良グループは“その他大勢”に過ぎないのだ。当然、咲良ほどの才能もないと判断しているし、いつかほどの実力もないことは明確だった。おそらく三人がかりでもいつかに勝てず、それは当然晃雅にも勝てないことを意味していた。
「そんなに俺の近くが嫌か? なら、俺に近づかない方がいいぞ。ほら、離れたらどうだ? 嫌なんだろ?」
どこか彼らで遊ぶかのような晃雅の一言。余裕に満ち、海斗をいじる時のようなあくどい笑みでニヤリと笑みをこぼす。先ほどの冷たい表情が嘘のように、子供っぽい笑みであった。
「ちっ! てめぇ……」
「なんだ? まだ用事か? 俺を嫌ってるわりには、よく絡んでくるんだな? いい加減鬱陶しいぞ?」
もはや、晃雅は完全に遊んでいた。いじめを実行する側だったはずの彼らに逆上し、当り散らすという行為ではなく、ただ只管に彼らを使って楽しんでいる。いじめられる側であったはずなのに、見上げた図太さ、図々しさである。
「調子のんなよ!! 魔術を使えない無能がっ!!」
だが、少々遊びすぎたらしい。その余裕綽々の表情や、しかめられていたはずの顔を崩してあくどい笑みを浮かべる晃雅に、いじめる側だった不良たちの怒りが、抑えようのないものとなってしまった。
「無能なくせに粋がってんじゃねぇよ! 俺らがわざわざ構ってやってるだけって気付かねぇのか?!」
「だいたいよぉ! 無能が上原さんと仲が良いのもうぜぇんだよ! どんな手使って誑かしやがった! 幼馴染ってなんなんだよ!! 天城寺家の子供でもあるまいし、上原家と幼馴染なんておかしっ………?!」
不自然なところで止められる言葉。それ以上は、晃雅にとってまずかった。自分が“天城寺”であることが露見すること………それは、絶対に避けるべきことだ。自身の嫌う天城寺と一緒にされたくなどないし、天城寺であるにも関わらず魔術を使えないという劣等感を呼び寄せてしまうから。
そんな危惧が、晃雅の今までの“仮面”を剥ぎ取った。……それはそうだろう。魔術を使えることが当たり前の世界で、自分だけが使えない劣等感。それを、盛大に刺激されているのだ。ああでもして、自身の心すらも偽らなければやってられない。
子供のような笑みを浮かべていた表情から表情が抜け落ち、代わりに冷たい能面が顔を出す。怒っている風でもなく、激情に駆られるでもなく、ただただ冷然と立ち上がる。そして、吹き出す大量の“オド”。それが放つ異様な威圧感に、不良たちどころか生徒たちですらも身動き一つとることは出来なかった。
晃雅はそんな身のすくんだような不良たちのうち、リーダーと思われる者の喉元へ向けて手を伸ばしながら口を開き……。
「やめてっ!!」
口を開き、おそらく不良を脅すような言葉を発する瞬間のことだった。ガタンっと小さな音と共に立ち上がり、決して小さくない悲痛な声をあげる一人の少女が。――上原 咲良。晃雅の幼馴染だ。
「ひひっ! ほらぁ、上原さんも俺たちの味かt「違う!」……へっ?」
勘違いした不良たちの間をすり抜け、一直線に晃雅のもと歩み寄る。その悲しそうな表情に、晃雅はなんだかバツの悪い気持ちになり、いかにも困ったと言いたげな苦笑をもらす。そして、どこか毒気の抜かれたような表情で、頬を一掻き。
「咲良…。悪い、調子のった」
そして謝罪。どうやら、晃雅は咲良が言いたいことに気付いたようで、彼女に先んじて謝りを入れた。あまりにも素直な、そして、あれだけ冷酷に不良たちをあしらっていたとは思えない人間味のある表情。不良三人を含め、クラス全体が呆気に取られていた。
「そうだよ、晃雅…。こんなところで暴力沙汰なんて、シャレにならないんだから……」
咲良の制止の理由は、やはり完全に晃雅のためのものであった。しかし、所謂“おかーさんモード”へ突入するようで、片手を腰に置き、少し前傾姿勢になりながら、その白魚のような人差し指をピンッとのばして晃雅の方へむけ、お説教。
だが、それが新たな不幸を生む。
「晃雅はもっと、先のことを考えて行動してっ!!」
「………ごめん」
「確かに、さっきの人たちは最っ低で最っ悪だったけど! そんな人たちのせいで、晃雅が退学なんてしたらどうするの!!」
感情的になり過ぎていたのは案外、咲良の方だったのかもしれない。晃雅へのお説教のつもりが、不良への罵倒になっていた。
もうHRの時間も間近に迫る中、不良の怒りは再び、しかし急速にMAXまで駆け上る。今までクラスで一番人気だったはずの彼女はこの時から、完全に不良から目の敵にされることとなる。
「……んだとおい! てめぇも出来損ないに味方すんのかよ!!」
「調子乗んのもいい加減にしろよ!!」
「派生魔術を持つてめぇだってなぁ、俺らにかかりゃあ怖かねぇんだよっ!!」
まさに一触即発。血管が千切れてもおかしくないほどに怒り狂い、今にも咲良に掴みかからんとしている不良三人。相手は女性であるにも関わらず、希少な“派生魔術”の一種である氷属性の魔術を使う咲良に、三人がかりで相手取ろうとしている。なんとも呆れた不良である。そんな不良から、咲良をかばうように前へ出る晃雅は、威圧感の篭った金の瞳で彼らを見据え、激情に駆られる彼らに対して一歩も引く様子はない。
場の空気は、やはり緊迫していた。………一つの例外を除けば、だが。
「あわわっ! ご、ごめんなさいっ! そんなつもりじゃなかったんです! えと、あの、だから、す、すみませんっ!! あぅぅ……」
一人、危機感の足りない慌て様を見せる少女。咲良だ。先ほどまでの毅然とした態度や、“おかーさんモード”のおせっかいさはどこへやら。目をグルグルと回し、無意味に手をバタバタさせる。実に緊張感のない光景である。
それでも。彼女の声が途切れると、場の空気は再び底冷えしたような沈黙に包まれる。 何をしていいやら手持ち無沙汰な様子の彼女を尻目に、睨みを利かす不良たち。負けじと鋭い視線を返す晃雅の威圧。そして……。
「くそっ! むかつくんだよっ!! 《風、風、風、風っ!! 吹き荒れろ! 切り刻め! 血を求めて刃となれ!!》」
ついに緊張の糸はプツンと音を立てて千切れた。
オドの動く気配。不良たちのリーダーがあげる右腕から、微かな風が巻き起こる。彼の右拳に封じ込められた風が渦巻き、それに伴って起こる風圧だ。やがてそれは解き放たれ、無数の刃を生むのだろう。
「《―――――カッター・ウィンd「ちょい待ちっ!!」》………んあぁ??!」
まさに魔術が解き放たれ、詠唱の通りに風の刃が晃雅たちに向けて突き進もうとしたその瞬間。どこか気の抜けたような、しかし底抜けに明るい制止の声が響き渡る。
染めた赤髪。耳できらりと光る派手なピアス。“親友”の登場である。先ほどまで晃雅が相対していた不良よりも“不良”だが、その心は遥かに温かい。
「こーんなとこで魔術ぶっ放そうとしてんじゃねぇよボケェ! そんなことで崎ちゃんと咲良ちゃんが傷ついたら、おいら泣いちゃうぞ☆ ………おえ、自分で言って気持ち悪くなってきた。今のナシな!! つーか崎ちゃん!! なんで起こしてくれなかったんだよ! 遅刻しかけただろっ! 朝メシも食えなかったじゃないか、どうしてくれる!! なぁ、答えろ!! いや、それよりも今日の崎ちゃんは咲良ちゃんとの距離感が近すぎるぞ!! まーた公然とイチャらぶですか??! いい加減みんなの邪魔だぞ!! ちゃんと自覚しなさいっだっぁあああ??!」
いつものように勝手マシンガントークを繰り広げ、自分勝手に言いたい放題で話題をすり替え、最後にはちょうどHRの時間になって教室に入室した千種による鉄拳制裁をくらう。なんというか、完全にその場の空気を“ぶっ壊し☆”とでも言うべき状況である。
「邪魔なのはお前だ! 扉の前で大声出してんじゃないよっ!! ほら、HR始まる! 席つけ! 他のヤツらも席つけよ! 晃雅と咲良も、その他大勢も! さっさと席つけぇ!!」
やはり荒々しく、怒鳴る。晃雅が魔術を使えないと知っても、彼女の態度は変わらない。その変わらない態度が、晃雅にはありがたかった。そして、“親友”にも心の中で感謝の言葉を。彼の中では、海斗がわざといつも通りにマシンガントークを繰り広げ、千種の餌食になることで場の空気を換えてくれたという認識になっているのだ。そして、それはあながち間違いではない。
しかし……。
「千種ちゃん………叩く力、前よりもだいぶ強いよ…。俺の努力は一体……」
海斗が虚しくいじられ役に徹するという事実も、やはり変わらないことのようであった。そんな海斗に、晃雅は思う。
―――――海斗。どんまい…。
報われない海斗よ、貴方にかける言葉はやはり一つしかないだろう。どんまい、と。