……永崎です
「で、あるからして~、この魔術理論は成り立つわけよ。分かったかてめーら!」
昼食前の四時限目。教壇に立つ紅い髪の女性は、バンっと黒板を叩き、もはや怒号とでも言うべき確認を行った。彼女としては普通に“話した”だけなのだが、どうしても“怒鳴った”としか言いようのない迫力。
ここまで言えば、ある程度察することの出来る者もいることだろう。“学院1-A組”担任、“関本 千種”。薄い化粧を施した、妙齢の女性教師である。
これは、学院の授業が始まって四日目――つまり、サバイバル演習が終わって四日後のことである。と、言うのも、サバイバル演習が終わった日は、昼から各自自由時間となったためだ。
授業開始後二日間は、どの教科もオリエンテーションのようなものが大半だったので、魔術に関する授業については今日が最初の“まともな”授業だ。
とはいえ、今はまだ実践授業は行われないので、魔術の理論や発動方法、個々人で違いの出る詠唱の原理についてなどを説明する授業となっている。
そんな座学授業。あの“学院”の教師である千種の教え方は、相当に分かりやすいはず………かと言えば、そうでもないのかもしれない。
「先生、その説明では些か分かりづらいと思いますが」
その証拠に、珍しく敬語を使った晃雅から非難、とでも言うべき声があがった。
「おいおい、まーた川崎かぁ?! アタシのことは千種先生か千種ちゃんって呼べっつってんだろ?」
とは言うものの、彼女は晃雅の名前自体を間違えている。晃雅の苗字として登録されているのは“川崎”などではなく、“永崎”だ。その間違えがわざとなのかそうでないのか、晃雅には判断がつかなかったが、間違えたことにかわりはない。彼の表情は、余計しかめられる。
「お言葉ですが、俺の苗字は“永崎”ですよ、先生」
「知ってるって岩崎。それと千種ちゃんって呼べって」
やはりわざとなのか、彼女はもう一度間違える。それも、自分の名前の訂正は忘れずに。さらに言えば、選択肢から“千種先生”というものまで消し去っている。どうやら、彼女としては“千種ちゃん”と呼ばれる方が嬉しいらしい。
「……永崎です。それに、この話題は堂々巡りですね。授業を続けてください。先生」
「ちっ、アンタも強情なヤツだなぁ。他の生徒たちはみーんな千種ちゃんって呼んでくれるぜ?」
不満そうに頬を膨らませる教師。……いくら彼女が整った顔を有しているとはいえ、教師が授業中にとる態度とは到底思えない。と、言うよりも、もはや教師失格ではないのだろうか? 晃雅の質問が発端とはいえ、授業中断の時間もそろそろ長すぎるとも言える。
それを感じ取ったのか、晃雅は話を区切るように、言葉を紡ぐ。
「教師に対して、馴れ馴れしい態度をとる気になれませんので」
やはり珍しい敬語だが、それはそれで板についていた。
だがそれでも、冷静で落ち着いている晃雅と言えども、次にある三度目の間違いは、彼を非常に苛立たせることとなる。
「もっとフレンドリーでいいってのに。まーいいや、とりあえず崎本、なんか質問あったんだろ? さっさとしな」
ブチっ! 晃雅には、そんな何かが引きちぎれる音が確かに聞こえた。いや、いくらか晃雅の近くの席であった海斗にもその音が聞こえたので、本当にそのような音が発せられたのだろう。
「だから、俺は永崎だ。な が さ き ! ついでに言えば、あんな説明でよく授業なんて言えるな? この学院はあれか、学院長と同じく物臭の溜まり場か? もっとその魔術理論が成立する証明を細かく、さらにその魔術に対する対処方までキチンと、説明しな」
声を荒げることはないまでも、敬語を崩し、それなりに理不尽な要求。なまじ、晃雅には授業の内容を簡単に理解出来てしまったので、その先を深く知りたくなったのだ。
だが、そこまで理解出来る生徒は少ない。そのため、彼女も“晃雅ほど深く理解出来ない生徒”……つまり、一般の生徒と同レベルの授業を展開しなければならない。
彼女から見て、晃雅が不満なのは充分に理解できるのだが、先ほどの理論をこれ以上深く追求するわけにはいかないのだ。
よって、晃雅の要求は理不尽と言え、やはり彼も未だ十六歳の子供だということだろう。
そんな晃雅の状況まで汲み取った千種の反応は、やはり大人、そして“学院”の教師として、荒々しいにしても相応しいものであった。
「おう、そら悪かった。ならこれからアンタは晃雅と呼ぼう。苗字より、名前の方が呼びやすいんだ。……んで、もっと細かく授業しろって? それもいいが、ちゃんと周りは見てやれよ?」
怒るでもなく、諭すでもなく、晃雅自身に間違いに気付かせるよう促したのだ。言われた通りに周囲を見渡すと、千種と晃雅の会話など歯牙にもかけず、未だ理解出来ていないかのようにノートにペンを走らせている生徒が多数見受けられた。彼らにとっては、高度な内容だったのだろう。
「……分かったか? これが、学院一年生の“普通”だ。一番上位の“学院”でこれなんだから、それ以上横着すんなよ?」
晃雅は魔術を使えないとはいえ、魔術に対抗するために魔術については多くを学んできた。それは読書であったりインターネットであったり様々だが、その知識量は半端ではない。そこからさらに先の知識を学ぶために“学院”の入学を希望したのだから、その研究心はかなりのものだ。
晃雅はここでやっと、自分の知識は周りよりも進み過ぎていることに気がついた。
「……はぁ。分かりました。授業を中断させてしまい、申し訳ありません。続けてください」
「分かればよろしいっ! んじゃ、先に進むぞー! 次は火の属性についてだが……」
彼女の講義は、再び荒々しく始まった。
火や水、風や土などの“属性魔術”について。その“属性魔術”を組み合わせ、派生させる“派生魔術”の行使者の希少性について。さらには、杉山 いつかの“空間魔術”のような、“派生魔術”よりもさらに希少な“特殊魔術”の数々についてなど、淡々と、しかし荒々しく説明されていく。
今度は誰かから質問があがることはなく、授業の終了時間はあっというまに訪れた。あえてチャイムを作らない“学院”であり、授業時間が休憩にはみ出ることも多々あるのだが、今回の授業ではそんなことにはならず、定時に授業は終了した。
「さて、これで終わりっと。あぁ、終わりの挨拶はいいから、各自復習しておくように! それと晃雅、あれより先の授業は二学期になったらやるから、楽しみにしてなぁ!!」
そう言い残し、千種は去って行った。
―――――そこからが晃雅の災難であった。
「晃雅くん、さっきの理論分かったの?!」
「すごーい! 私なんて全然理解出来なかったのにぃ!」
「ねえねえ、今度教えてよっ!!」
「あぁ、ずるい! 私も教えて欲しいですっ!!」
「そうだっ! お昼ごはんは大食堂で、一緒にみんなで食べません?」
「「「「あ、それいいー!!」」」」
女子から群がられ、それを見た男子に激しい憎しみの視線を向けられるという、晃雅にとって全く以って嬉しくない展開に追い込まれてしまったのだ。
通常なら、男子からの視線を思考から省けばこれ以上嬉しい立場はない、と思うかもしれないが、晃雅は違う。――どうせこいつらも、魔術を使えないと知れば離れていく。そんな確信が、晃雅を不快にさせ、困らせてもいた。いくらこの先拒絶されるとはいえ、自分から拒絶しようとは思えなかったのだ。
拒絶するのにも勇気はいる。拒絶されるのに慣れている彼は、拒絶される痛みも拒絶する痛みも知っているがために、やはり困り果てるしかなかった。
「ほいほ~い、崎ちゃんが困ってるじゃないか! ほーら、咲良ちゃんとべたべたしたいって言ってんだから、大人しく離れてあげなさいだぁああ??!」
困り果てるしかなかった晃雅に助けの手を差し伸べたのは、自称・親友の彼、吉井 海斗である。人ごみが苦手な咲良を後ろに控え、晃雅救出を試みたのだ。………少しばかり余計な事を口走り、制裁を加えられたのはご愛嬌だ。
彼の介入で女子勢が混乱している隙に、晃雅は咲良の隣まで逃げることに成功した。
「咲良、ちょっと出よう。俺らの寮部屋なら、昼休みもゆっくり出来るだろう」
「うん、そうだね! ……私も止められたらよかったんだけど、ごめんね?」
「いいんだ。それより、行こう」
二人で会話を交わし、晃雅の鉄拳制裁で潰れている海斗と、残念そうな女子を残し、彼らは去っていった。
「いやいやいや! 助けた俺はどうなった?!」
海斗の叫びは、虚しく教室にこだまする。もはや、興味の対象がいなくなった女子たちにも無視され、海斗は余計に惨めになった。
そんな惨めな彼にも、救いの光が。
「吉井くんもついでに、行こっ!」
教室の廊下側の窓から、なにか思い出したようにひょっこり顔を出し、にっこり微笑む咲良の姿が。その表情は、慈愛に満ちたまさに天使だった。
だが…。
「ついでに?! って、この扱い、ちょっと前にもあった気がするぞ??!」
「気のせいだよ吉井くん。ほら、早くしないと置いてかれちゃうよ? 晃雅って、歩くの速いんだから」
そう言って彼女は、先を行く晃雅に追いすがるように走っていった。
今日、海斗が学んだコト。
―――――咲良ちゃんは、残酷な天使さんです。
今日も一つ悟り、海斗は一人、それでも明るく呟く。
「つっても、行く場所は俺と崎ちゃんの寮部屋だから、置いてかれても問題ナッシング♪」
うし、行くか! そう気合いを入れて廊下を目指すと、廊下への扉には何故か晃雅が立っていた。
「何やってんだ吉井。さっさとしないと本当に置いてくぞ?」
「って、行ったんじゃなかったのかよ?!」
驚きの声をあげる海斗に、わざわざ彼の元まで戻ってきた晃雅は、なんだか決まりの悪い表情で頬をポリポリと掻き、明後日の方を向きながら呟くように言葉を一つ。
「うっさい。………あと、さっきは助かった、海斗」
「あ? 最後なんて?」
「二度も言わん。ほら、早くしろ」
素直でないところも、相変わらずの晃雅……なのかもしれない。