あさきゆめ
慢性的な疲労は一日や二日、徹底的に休めたところで寛解などしない。
一時の快楽などは後から後悔するだけだからな。
熱帯の中、歩道を引き摺るようにしながら動く身体のメンテナンスが、週末の僅かな慰みであるスーパー銭湯だというのだから救えない。
今の時代に若返りの美容整形があれば、どれだけ金を払っても受けただろうに。
初めて来たところだったが、珍しくロウリュウ付きの岩盤浴だった。ここは良いところだな。
さっさと飯屋でビールを一杯やって帰ろうと、やたら面積の広い踏み心地の良い廊下を歩いているところだった。
『マッサージ あさきゆめ』
そんな暖簾が目に入る。
マッサージか。そういえば、昔にいた彼女に誘ってもらって一度ばかり行ったかもしれないな。
俺は気付けば、その暖簾に吸い込まれるようにして、店内に入っていた。
「いらっしゃいませ。コースをお選びください」
ポロシャツ姿の感じの良い女性が俺にメニュー表を渡してきたので、まじまじと吟味する。
『浅き夢コース ¥3,000
深き夢コース ¥6,000
極め夢コース ¥10,000
冥途の土産コース ¥時価』
「浅き夢コースでお願いします」
さっと目を通した俺は即答する。
メニュー名でふざけてくる店なんか、とりあえずお手頃価格を試すに決まっているんだ。
「うつ伏せになってくださいね……。まずはお背中から始めますねぇ」
始まってすぐに、俺は凄まじい眠気に誘われた。
体勢が変わる。俺の下半身は心地の良い傾斜で着地する。
その瞬間に真っ暗な闇が視界に入ってきた。耳をすませば辺りがざわついている。肌に纏わりつく汗が、熱気を伴った空気を知らせていた。
そこは土手だった。
「かき氷、奢ってくれてありがとう」
声がした隣を見ると、高校時代に付き合っていた彼女がそのまんまの笑顔を見せ付けていた。
「なんでここおんねん?」
「なんでって、何が?」
訝しげつつもはにかむ彼女は、確かに目の前にいる。
あれ、俺はさっきまで何をしていたんだっけ?
「あ、いや……。なんか、ええなこういう空気」
「珍しい。そんなこと言わんかったのにな」
俺は勝手にそうやったっけ? と出てくる口の代わりに彼女をちゃんと見た。
定期的に並んだ提灯が、ぼんやりと、しかしくっきりと彼女を浮かべる。
白さをベースにした、大きな紫陽花が咲いた浴衣。彼女自身が選んだだろう黄金色の髪飾り。
時間がかかったと思われる丁寧に結われた髪。
「……綺麗、やな」
「ほんまに今日どないしたん? 綺麗なんはこれからやて」
彼女が俺の手を取って立たせる。俺自身も、自分の身体がこんなに軽かったとは思わなかった。
そのままの勢いで、改めて視界に夜を迎え入れる。
すると星いっぱいに広がる夜空いっぱいに、一輪の華が咲いた。
それは数舜を置いて、巨大な重低音を鳴り響かせる。
俺は何も言えずに、ただ花火を見つめる。
「いやーー今年も来れて何より! 来年も一緒に来ようね!」
独特な硝煙をバックに喜びを爆発させる彼女は、俺の記憶とも一致している。
「……俺もさ、来年も一緒に……。来たかったわ」
「え? なんで過去形?」
駄目だ。言うな。今の記憶は邪魔でしかない。
「……どうしたん?」
不安そうに顔を覗かせる彼女は、俺の手を握る。
それはあまりにも温かく、柔らかかった。思い出の彼女を目の前にして、俺は涙を堪えながら、何も言えなかった。
彼女は、この冬に──。
「お疲れ様でしたぁ。大変でしたねぇ」
顔を埋めていたタオルはしっかりと湿っている。それが現実へ引き戻された証左とも言えた。
しゃくりあげながら号泣を続ける俺の背中を、施術者は優しくさすり続けてくれていた。
お礼を言いながら料金を払う。
「ポイントカードもございますよ。次はきっと、もっと深い眠りに」
「いや、大丈夫ですよ。また来れたら来ます。スッキリしました。ありがとうございました」
「いえいえ、またお役に立てたら。所詮はあさきゆめでございますので」
俺は手に残った僅かなぬくもりを手に、銭湯を後にした。




