三郡会盟・来客
北越三郡の国人が葛葉寺へ集まる。榊原澄景は12歳になっていた。山ノ内城の風は冷たく、遠寺の鐘と風の音が人の声の切れ目に残った。かつて上座で脇差の重さに耐えた少女は、いまや三郡の使者から返事を待たれる身だった。それでも最初に見るのは朱印状ではない。炊き出しの列、厩の飼葉、帰れぬ荷夫の数だった。
古い境論と血縁が同じ席で噴き出す。評定では強硬策が叫ばれ、弱みを見せれば国が食われると頼継が拳を置いた。冬乃は反対せず、残米、塩、馬、雪道を越せる日数を読み上げた。宗兵衛は兵の数から、田植えに戻すべき者を引いた。千の兵という言葉は、帳面の上で六百余りに縮んだ。澄景はその差こそ戦場で最初に死ぬ者だと言った。
彼女は盟主を名乗らず共同の雪道と市日だけを決めると決めた。慈円には十二日だけの役目を与え、成果ではなく途中の記録を持ち帰らせた。失敗を隠すほど罰を重くし、正直な撤退には次の役目を残す。領地が増えたぶん、守るには以前より強い言葉が必要だった。
日暮れ、山ノ内城の土間で兵と百姓が同じ鍋を囲んだ。誰かが敵方の訛りで礼を言い、隣の足軽が一瞬だけ箸を止めた。それでも椀は取り上げられなかった。澄景は柱際で死者帳を開き、新しい名の横に、村と家族と最後に受けた命令を書いた。数だけにすれば敗北は軽くなる。名だけにすれば次の失敗が見えなくなる。どちらからも目を逸らさないことが当主の役目だった。
夜更け、冬乃が明日の配給札を束ねた。澄景は火鉢へ手をかざしながら、「城より先に人の帰る道を守る」と小さく言った。それはその日に得た傷の記録だった。朝になれば水を汲み、馬へ草をやり、子供へ粥を分けねばならない。国とは、その繰り返しを途切れさせぬ仕組みだった。
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