継承の残る傷
父と兄の討死を告げる泥だらけの早馬が高梨村へ届いたとき、榊原澄景は十一歳だった。大広間の上座は広すぎ、膝の前に置かれた脇差はまだ彼女の腕に重い。けれど、廊下の端で待つ百姓や足軽の顔には、子供だからという猶予がなかった。囲炉裏から立つ細い煙が残るなか、澄景は泣く時刻を夜まで預け、まず澄景に「今日食べられぬ者の名を」と尋ねた。
家臣の視線が幼い澄景へ集まる。声の大きい者ほど戦を口にし、失うものの少ない者ほど誇りを説いた。澄景は反論せず、古い帳面、村絵図、残った米、動かせる馬を一つずつ座敷へ運ばせた。数字は勇ましくない。だが、五百の兵を三日出せば、春に耕す手がどれだけ減るかは隠さなかった。宗兵衛は黙って頷き、頼継は不満げに腕を組んだ。
澄景は喪の城で当主印を受け取ると告げた。ただし命じて終わらせず、誰が、いつまでに、どの村で行うかを木札へ記させた。失敗した者を斬るとも言わない。隠した者だけは役目を解く、と静かに加えた。その言葉で広間の空気が変わった。恐れではなく、逃げ道の形が見えたからだった。
夕刻、高梨村の門前には小さな列ができた。女は欠けた椀を、老人は縄で補った笊を持ち、兵は槍を壁へ立てて荷を運んだ。澄景も袖を括った。白い手が泥に染まると、笑う者はいなかった。彼女は次の収穫までを一つの戦と定めた。その夜、死者と生者の名を同じ帳面には書かなかった。生きている者には、まだ明日の役目があった。
翌朝には霜が降りた。村の子供が裸足で走り、母親に叱られて藁沓へ戻る。城の決定は、その小さな足が春まで動くかどうかにつながっている。澄景はそれを忘れぬため、評定の前に必ず台所と厩を歩いた。
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