かなりの頻度でいるやつ
「鈴木さん、話があるんだけど。ちょっといいかな」
これはいいかどうかを確認しているのではなく、来いという意味であるが、わざわざ回りくどい言い方をしている。
「最近仕事どう?」
どう?という台詞は具体性に欠けるために、適切な答えを導き出すのが困難であることに質問者は気がついていない。
ここで、どうとは?と聞き返すと角が立つので、無難に済ませるのが良いと考えられる。
「そうですね、みなさんの協力のおかげでなんとかやれています」
「なるほど、そう仰るけれども、上手くやれているようには見えないんですよ」
この場合、上手くやれているようには見えない、というフレーズがすでに上司の頭の中には用意してあって、こちらの回答がどのようなものであっても、それを否定することは決まっていただろう。
もし仮に自然発生したフレーズであったとしても、少しのポジティブさをも受け取ることができない以上は、あまり的確な見解とは言い難い。
「そう見えないというのは、何のことでしょうか」
ほら、それだよ。と上司は指さす。
「そういう風にさ、論点をずらすじゃない。それをやめてもらわないといけないと思ってる」
あなたはAだ。と言われて、Aとは何かを問うことは論点をずらすことと同義となる。
そうなのだろうか。
ここで一つ検証してみよう。
あなたはみんなから気持ち悪いと言われているよ。が成立するためには、気持ち悪さの定義およびみんなの範囲を特定する必要がある。
言葉はある一定の幅を持つために、複数人の感じ得る気持ち悪さというものにはばらつきが生じる。
さらにみんなという人間たちが、まず実在するかどうか検証することも非常に重要な要素であることは言うまでもない。
だからこう尋ねる。
誰が、私のどのような点を気持ち悪い。と仰っていたのですか、と。
しかし上司の論理では、これは論点ずらしになる。
なぜならAであるという情報に、なぜAであるかの具体性を問うことは論点をずらすことになるからだ。
本来論点をずらすというのは例えば、
「上手くやれているようには見えないんですよ」
「それは見方がおかしいんじゃないですか、そちらの」
というような、相手を非難する返答が該当するであろう。
相手がおかしいと断定できる証拠を開示できなければ、当てずっぽうでしかなくなり、根拠のない批判をすることに、議論を交わすうえでのメリットはとくに生じない。
だから、上手くやれているようには見えない、という発言を一旦受け入れた体として、それはどういうところか詳細を求めているだけなのだが、上司は論点をずらしていると語る。
人というものは、己の弱点を突かれたときに様々な反応を見せる。
押し黙る。
感情的になる。
言葉を再定義する。
今回のケースは、結論ありきなので自分なりの都合の良い言葉を当てはめたときに、論点をずらす、と形容することとなったのだろう。
このように、日本語を使うことが難しくなっている管理職は実は多いのではないだろうか。
ノリと勢いで立ち回ってきた時代に押し上げられて得た地位を、経過した時間を無視するほどに固執することしかできない。
昔は残業なんか当たり前、翌朝まで働いた。
それに比べれば君たちはマシだよ。
このように典型的な謳い文句も標準装備である。
それでは昔はそろばん使ってたなら、パソコン使わなくてもいいのでは。
という次元の思考と何ら変わらないことを管理職は認知することができないでいる。
彼らの口から出てくる縦波は、おおよそ共通言語の形を取っているけれども、中身はまるで違うことがあり、混乱を招くことも多い。
論理と書いて、普通はロンリと読むが、彼らは時として、論理と書いて、ハヤクヤレ、ダマッテヤレ、等と解釈することを無意識に要求してくる。
それで良いのだろうか。
もちろん早くやっても構わない。
黙ってやるのも構わない。
あとになって、
何でやったんだ、とか、何か考察を述べなさい、なんて言わないでくれないだろうか。
命令はするが責任は取らない。
出てきたアウトプットを理解する能力も、勉強する姿勢すら欠けている。
だからこそ地位にしがみつく。くだらないことに拘泥する。
人にはパターンがある。
仕事のできるできないの二択と、行動力の有無の二択。
それぞれの掛け算で四パターンに大別される。
このとき、最も厄介なのは誰だ?
そう、仕事ができなくて行動力もないそこのあなた、ではない。
仕事ができなくて、行動力があるあなただ。
敵と味方の区別もつかず、戦地でめくらめっぽう銃を乱射するあなただ。
そのくせ自分に銃口を向けることだけは絶対にない。
銃はそんなことのために与えられたのではない。
誰かを苦しめるための玩具ではない。
お願いだから、少しでも勉強しないのか。
それともしたところで分からないのか。
狭い世界に自らを閉じ込めて、その深い井戸の中を二次元的に動き回るだけのつまらない存在感を発揮し続けるのか。
人は生まれたときに決まっているのかも知れない。
他者を排斥することで自己を正当化するタイプになるには、ある意味では特異なメンタリティ、才能が必要だと考えられる。
なるべくbotだと思われずに日々を過ごしていきたいものだ。




