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第8話 きょう、一緒に帰ってくれる……?

「大丈夫か」

 

「う、うん……だいじょう……ぶ…ぐすん……」


 ソファーに掛けるその子は大丈夫だと震える声で呟くが、ずっと涙が止まらない様子だ。


 金閣寺はドリンクを運んできた店員から、余分に貰っておいたもう一つのポケットティッシュを彼女を気遣い手渡した。そして、おそるおそるも、そこまで流れつづけている彼女の涙の理由を色々と聞いてみた。


 彼女、道島えりは重ねたティッシュを濡らしながら言う。ただただどうしようもなく流れて止まらないのだと。


 金閣寺は何故そのようなことを今涙する彼女に無理に聞いてしまったのかと、少し自省した。問いただすように聞くようなことではないのだ。


 〝怖かった〟よくよく考えればそれだけでその涙の理由など片付く。しかし、泣きたいのは自分の方でもあった。あんな自転車の大群に追われることになるなんて、それに最後は危なかったものだ。本当に心臓ひとつでよく助かったものだ。あの恐怖と安堵の落差から、彼女の涙が止まらないのも無理はない。彼の目に映る道島えりの姿は至って人間らしい反応をしていた。


 そして、彼は今でもはっきりと覚えている。あの赤空の下のアスファルト駆ける逃走劇や、最後に飛びかかった錆色の自転車の執念を。理由など思い出したくもない彼女の気持ちが同時にいたく分かりもした。金閣寺は道島えりに、それ以上無駄に問いかけることをやめた。


 二人が訪れたここはカラオケ屋の店内。あの帰路に陥った恐怖体験から、すっかり喉がからからになっていた二人は、即座にお互いのドリンクをそこで注文した。


 特段歌いだすようなわけではないが、道島えりがここに入りたいと言ったのだ。そして金閣寺もそれに同意した。歌って騒ぐための場所ではあるが、とにかく腰を据えて落ち着ける場所といえば、個室に分かれていたここが一番今の二人にとっては適してもいた。


(結局、俺は道島に何が聞きたかった? どっか、歯に詰まるような──何か……。いや、それより……)


 何故かもう曲は彼女の慣れた手つきで泣きながらも何曲か予約されていて、10年以上前に流行った二人組の曲、いわゆる懐メロと区分されるものが彼女の選んだセットリストには多いのだ。


 明るい曲調と裏腹に、なんとも言えない重苦しい空気がただよう。


 隣室で歌い騒ぐ音と、目の前の女子の泣きべそと、男子がメロンソーダを吸うストローの静かな音。そして、画面に流れ続けるボーカル不在の空虚な歌詞と能天気なメロディーに────


 とても彼は耐えられそうもなかった。


 彼はそうせずにはいられなかった。彼の属するいつもの友人グループでも、勝手に指名されハモらされたり勝手に入れた曲を歌わされることが多いのだ。


 いつもは受け身の便利屋だが、今日は自らこのどんよりとした気分を払拭したくもあった。


 まるでベンチで代打の出番を待つように、流れてきた七曲目、彼もよく知っている曲のイントロが始まったとき────


 金閣寺歩は、沈むソファーから重い腰を上げ立ち上がった。


「こぶちゃで……【夏のイロイロ】!」


 彼は机上に置かれてあったマイクを一つ取った。カラオケ屋での役割をまっとうするように歌った。


 しかしサビになっても道島えりの耳に聞こえる彼の歌声は微妙にズレている。それは音痴だとか、リズム感が絶望的だからではない。むしろ、彼はその歌い方に慣れているようだった。


 懸命に王道からズラされてゆくような彼の特異な歌声には、大事なピースがぽっかりと抜け落ちている。それは奇妙ではなく、むしろその大事なピースが合わさることでより美しく奏でられる。彼女の耳に今届くその声にはそんな期待感と不思議な誘惑に満ちていた。


 少しズレた一人でハモるような金閣寺歩の歌声に、道島えりは誘われるように、机上に残る一つのマイクを手に取って────。














「あ、カクジ。ちょうどよかった。今日アレなんだけど、かわって」


「あぁ? アレってなんだ?」


「もう分かってるくせに、ア・レ♡」


 アレとは何か、とぼけたように怪訝な顔をした金閣寺の鼻先を、湊天の指先がつんと小突いた。


 彼女のその指で鼻先をつつかれるのは幾度目になるか、湊天はよく金閣寺に対してそのような独自のスキンシップをする。大方クールな女子を気取りながら、いつもの如くからかっているのだろう。


 そんな悠々と近付いてつついてきた湊の指先に気を取られていると、金閣寺の左腕には黄色い何かがいつの間にやら巻きつけられていた。


「はぁ? おい待て、んなもん俺にメリットがないぞ」


「メリット? ふぅん────そんなに欲しい?」


 湊は唇に手を当てながら、少し立ち止まり考えた。そして何を思ったのか湊の両手が、その妖しげな手つきが、金閣寺の顔・輪郭にゆっくりと近付いてゆく。


「ナッ!? ──いらねぇから、去れ。蹴飛ばすぞ」


 金閣寺はその両手に頬をなぞられる前に、一歩後ずさった。そして語気を少し強めてそうツッコむように言った。


「ふふ、じゃよろしくっ。メリットメリットぉー、ふふっ」


 すかされた両手を重ね、そのまま自分の口元を隠して湊は思わず笑う。そして、謎の呪文を呟きながら、彼女は顔を顰めていた彼の真横を通り過ぎ、左の肩をつつきながら去って行った。


 爽やかに揺れる短めの黒髪が、遠く見つめる彼の視線に振り返り、品良く手を振っては愛嬌良く笑った。


 5時間目終わり、休み時間の廊下でばったり会った湊天に、金閣寺歩は黄色い【アレ】を押し付けられ託されてしまった。







 校内でまだ流行っているバランスタワーゲーム【ジェシカ】の記録は──


 三階の掲示板の前はざわついている。眼鏡をかけた二人の男子を取り囲むように、人の輪が形成されていた。


「さすが田中くんと田中くん」

「たなたなの時代きたこれ」

「さすが二年の天才&秀才」

「さすが双子って感じ」

「パソコン部ってすごいんだ、見直したかも」

「ま、一年には負けないか、ははは」

「田中くんコツ教えてコツ」


「フンッ、これぐらい最新の物理演算を用いたシミュレート通りにやればできて当然だ」


「やっぱり我々にこの遊びは小さすぎましたね、もう完全にこのタワーを安定させる手順とコツは解き明かしました」


 昨日まで学校記録だった一年生かいきんペアのスコアは、パソコン部に属する謎の上級生男子ペアに更新されていた。



⬜︎ジェシカ最強ペアランキング

たなたな 16(学校記録★)

かいきん 15

やまやま 14

にしにし 14

⬜︎



「抜かすか?」


 廊下の掲示板に貼り出されていた紙と写真を、隣で一緒に見ていた宗に金閣寺が静かに問う。


「知るかよ! 誰だよこいつら! このダブルメガネ!!」


 宗は吐き捨てるようにそう言い、ぽっと出の【たなたな】ペアのことを腐した。


 金閣寺は宗の反応を鼻で笑う。しかしふと、顎に手を当てもう一度ジェシカのスコアとランキングを何かを思い眺めては、やがて金閣寺はその首を小さくかしげた。


「はぁ、こんな遊びにマジになってられるかよ。おい金閣寺、練習いくぞ!」


 人のふりを見て我がふりを直したのか、今もてはやされている二年の田中と田中のことを哀れむような目で見ては、宗はすっかり興味心を失ったようにそう冷静に言った。野球部の彼には野球が一番、そんな遊びのスコアを伸ばすことに必死になる必要はないのだ。


 いつもの邪心や下心を失った宗のことを見て、もっともだと金閣寺も珍しく同意したが、


「あぁ、わりぃけど俺今日アレの当番らしいぞ」


 思い出したように、金閣寺はブレザーのポッケから今おもむろに取り出した黄色い【アレ】を宗に見せつけた。


「えぇー、お前だりぃアレの当番になっちまったのかよ。じゃあ終わったらすぐ来いよ金閣寺! 俺の更なる成長のためにはお前のバッピが必要だ。今日はそうだな……シンカー投げろシンカー、豊高の塩島みたいなふわっと落ちるヤツ」


「お前……バッピ呼びで嬉しいと思うのかよ。あぁー、もう行かね、誰がお前のために登板してやるかよ」


「アレ? 本気になっちゃったか、お前むかついてやがるのか金閣寺、はははは」


「ばーか、野球なんかに俺がマジになるかよ」


「おい、お前それは聞き捨てならねぇぞ!」


「バッピの言うことなんていちいち間に受けてんじゃねぇよ。ま、気が向いたら付き合ってやるが。シンカーなら、膝元にぶつけられても文句言うんじゃねぇぞ」


「ははは、お前のMAX120ならぶつかっても痛くねぇだろ。よーし受けて立ってやる! 今度はどんなに曲がる違反球を使う気だ? はは、絶対来いよ。俺たちかいきんコンビだからな!」


「ハッ、だせぇな」


 二階と三階の踊り場で見上げ話していた宗海斗は金閣寺に約束を取り付け、そのまま階段を素早く駆け下りていった。







 黄色い腕章を左肩に付けた一人の男子生徒が、今、自転車置き場から東門を次々と出てゆく自転車通学の生徒たちに向けて、仕方なくその目を光らせていた。


 彼はスピードを出し過ぎた者や、危ない二人乗りをする生徒に対して声をかけ一応の注意をする。注意を受けた生徒に逆に文句や愚痴を言われたりもするが、彼はこの前味わった苦い怪奇体験のことを思い出し、その主張を譲らなかった。


 腕章を付けた監視役の彼がその学校から与えられた権限で、車体後ろに貼られた赤いシールの駐輪番号を手持ちの用紙に書き込む素振りをみせると、噛みついていた生徒たちは態度を180度変えたように下手に出た。


 生徒たちから恨みを買う損な役回りでしかない。だが、この左肩に付けた黄色い腕章には生徒たちの乗る自転車のマナーや交通ルールを守らせる一定の効果はあるのだろう。


 必死の願いを優しくも聞き入れた彼は、その自転車に乗る三人組の生徒たちが去ってゆく姿を見届けながらも、頭の隅に記憶していた番号をおもむろに用紙に書き込み、鼻で微笑った。


 東門を担当することになった彼は、もう下校時間のピークを終え、帰る自転車がすっかり少なくなったことを確認した。


 役割をあらかた終えた彼は、東門前の学校の外から自転車置き場へと入り、そこの片隅にあった黄色いポストに用紙を投函しようとした。 


「その……きょう、一緒に帰ってくれる……?」

 

 突然後ろから伸びた震える手が、【交通安全当番】と描かれた黄色い腕章のつけられた彼のブレザー袖を掴んでいる。


 見覚えのある黒髪の女子生徒が、新品の黒い自転車を隣に、驚く彼の目を不安気を表情で見つめている。


 きゅっと掴んでいた彼女の指先がブレザーの袖から離れ、おもむろに外した黄色い腕章を彼はポストに投げ入れた。


 金閣寺歩は、困ったように茶髪をかきながら、やがてその首を縦にゆっくりと頷いた。










 曖昧な午後の陽射しがさす屋上に、黒い番傘が一輪、ぱっと咲き広がる。

 

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎。穏林高校からの下校中、自転車にて対向車と衝突、非業の死を遂げる。この悲劇を教訓とし、学校は市に対し、危険箇所への徐行標識と広角ミラー設置を強く嘆願。また、校内独自の制度として、生徒が互いの安全を見守る交通安全当番制が発足された──────ふふ」


 開いていた黒い番傘は閉じられる。口角を僅かに上げた、長い黒髪の姿が屋上の入り口を目指してゆっくりと歩き去ってゆく。


 藤乃春が手にしていた破れかけの古い新聞が、妖しく吹いた風に朽ち、曇り空の彼方へと、溶けるように舞い飛んでいった。

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