第4話 未だ解けない
校舎前のグラウンド、黒い傘に降るコインの雨が止むまで、金閣寺は彼女の目を見つめていた。
この痛く降り頻る珍しい雨が今日学校や自身に起こった一連の怪奇騒動の終焉だというのならば、金閣寺歩は、まだどこか夢の中にいるようで、何かを終えたような確かな手応えは感じてはいけないものだと、そう思った。
コインの化物の正体は結局なんだったのか。分からない。それでもまたあの霧散した赤目の影の化物が、コインをその身に集わせ顕れたりはしないのだろう、彼女の目がそう言っている。
祝福にも思えた幾多のコインは腐りゆき、地に還る。嗅いだことのない雨上がりの臭いが、不吉に香りゆく。
グラウンドに色のグラデーションを作る腐った土。積もり起伏のできた周りを見て、現実感をわずかばかりに感じる。にわかに降った災厄を一応やり過ごしたようだ、そう思った金閣寺はようやく、彼女に向け口を開こうとした。
その時────
突然体に痛みが走る。呻めき、その場にうずくまるほどの痛みが彼を襲った。
あの時の痛みに似ている。身体中を噛まれるような、何かが自分の肌から肌の内まで這い回るような痛みに。思い出したくもない耐え難い痛みに脈絡なく襲われた金閣寺は、己の二本の足で立っていられなくなった。
すると、そんな呻めき悶える彼の元にゆっくりと彼女がその足で近づく。地にへばりつく彼を見下ろす紫の瞳は、わずかに微笑っている。
もしかして騙された、彼女は本当は──
その見下す藤乃春の目の意図が、意味が、金閣寺歩には分からない。邪推する思考すら、全身を流れる痛みに、掻き消されてしまう。
どうにも解けない呪いのような痛み、見下ろしつづける冷たい紫の眼光、薄気味の悪い笑みに、暗い暗い感情が金閣寺歩を支配していく。
やがて、彼女はしゃがみ込んだ。苦悶する彼の表情をじっと見つめながら、必死に土を掻くその情けなく伸ばされた彼の手を取った。
汗ばむ手に白い指が這う。強張る彼の左手、その人差し指が、きつく縛られた──。
「あなたのことがとても好きみたい」
「……!」
至近で囁かれた、それは一体どういう意味なのか。今の金閣寺歩には分からなかった。
新たな絆創膏が巻かれていた。その指先から彼女の細い指先が離れていく──。
全身を駆け巡っていた痛みは嘘のように穏やかに和らいでいた。
彼がへばりつく地から立ち上がった時には既に、彼女の背はグランドになく、靡く黒髪、靡く紺のプリーツスカートの切れ端が校舎の裏その影の奥へと隠れていった。
空を見上げれば真っ赤なオレンジ。時計の針は6時を過ぎ差す。
グラウンドの中央に立ち尽くす金閣寺歩は、再び巻かれた絆創膏を剥がすことはなかった。
彼がただただ見つめる縛られ封をされたその指先に感じたのは、底知れない恐怖か、得体の知れないチカラか。それとも彼女の──
金閣寺歩には、分からない。ただ、ズキズキと疼く指先の痛みが、薄らいでいくことに彼が安堵することはなかった。
土に汚れたシャツの裏、鼓動する心臓の音は鳴り止まない。じっとり汗の滲んだ顔肌ごと、おもむろに垂れ下がる茶髪を掻き上げた。
穏林高校の校舎を見つめる。何事も無かったかのように聳える、その有様を見つめ、彼の身体はまた元の日常を目指して進んでいった。
赤焼けのグラウンドに描く、とぼとぼと悩み帰る男の足跡は────【ば】────歪んでいる。
彼の賜ったその呪いは、未だ解けない────。