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第3話 同じ傘の下

 徘徊するコインの化物はどこへ行くのやら。入っていったのは、何故か今は誰もいない三年B組の教室内。



 あ、


 ら、



 化物は呟きながらコインの足を這うように引き摺る。学習机の中に手を伸ばすように、身の一部のコインを切り離し侵入させる。


 三十四もの机の内が、蛙が一斉に鳴き始めたようにガタガタと騒々しい音を立て始める。異様なオーケストラの演奏がひとりでに教室内にこだましていき──やがて、鳴り止んだ。


 探し物が此処には無いと分かると、その化物は形を崩しバラバラに溶ける。堆積したコインは床に侵食し、また別の場所へと移動を始めた。




 4階から3階へ、コインが天を滴り落ち再びその草葉を覆い被ったようなシルエットは現れる。徘徊しだしたコインの化物はやがて、黒板に書かれた血塗られた【あ】を見つけた。


「あああああ!!!!」


 コインの化物は狂ったようにがなり叫んだ。そして、黒板の中央に大きく書かれたそれに、猛進し触れようとした。


 荒ぶるコインの濁流は並ぶ机を海を割くように薙ぎ倒し、邪魔な椅子をひしゃげさせる。


 そのとき、上から黒傘が叩きつけられた。突如、天井をすり抜けるように現れた藤乃が化物を叩き、コインの集合体が脳天を打ったその衝撃に散り散りにバラけた。


 乱れる黒髪、閉じた番傘、彼女の背後、黒板にかかれた【あ】が、溶けるように赤く滴りながら、教壇の床を濡らした。


 床に散乱する腐るコインの数々の様を見届けた藤乃春は立ち止まらない。次の気配をキャッチした藤乃は、もぬけの暗いこの教室から隣の教室へと傘を前に走り、壁を不思議にすり抜けて移動する。


 そしてまた、同じように現れていたコインの化物を傘で叩き、滅した。


「これは、もしかして?」


 不意打ちを受け、腐りゆくコイン。赤く溶ける黒板の【ら】。奇妙なそれらを見つめながら、立ち止まる藤乃春は考える。


 【あ】と【ら】これらの文字が意味するのはどういうことか、もし、この先があるとするのならば、『お隠れになられたのは?』────


 繰り返す校内放送を片耳に聞きながら、藤乃春は黒い番傘を勢いよく開き、乱れ重なっていた机の上を飛び跳ねた。






 一方忽然と藤乃春の姿が消え、4階の廊下に一人残された金閣寺歩は、コインの化物に絶賛その身を追われていた。


「くそーーなん、なんなんだコイツは!! はぁはぁ!!! 金なら自腹だ、くれてやる!」


 金閣寺は財布に残っていた小銭を大胆にも全て吐き出すように振り返り投げ捨てた。


 廊下を引っ掻き突き進んでいたコインの化物は、その床に散った482円分の煌めきに目を奪われた。するとその化物は己の身をじゃらじゃらと音立て、まさぐった。


 そして、床に落としたのは482円。その化物は金閣寺が今投げ捨てた482円分の硬貨をきっちり真似するように同じく並べた。


 なんとそれらは、稲穂や菊や桜に平等院鳳凰堂の絵柄。発行年に至るまで完璧に一致していた。


 小銭の確認を終えた化物は、金閣寺の投げ捨てたダブったコレクションにすっかり興味が失せたのか、また前へと走り始めた。


 このままではいずれ追いつかれる。小銭で足止めは数十秒もできず、また始動した化物から必死で逃げ始めた金閣寺は、突如、上履きのつま先の向きを鋭く変え、逆走した。


 視界いっぱいにさざめいた恐ろし気なコインの流れを見据える。鳥肌を存分に立てた金閣寺は、己が選び向かったままに、もう、意を決する。


 廊下にすれ違い、流れをいなす。左肩に強くぶつかるコインの飛沫、耳をつんざいた荒ぶる怒りの流れが通り過ぎていく。


 命からがらでの、廊下での化物とのすれ違い。上手くいった、だが、彼にその先の未来・予測は立てられなかった。


 ぶつかられ痛めた肩から姿勢を崩した金閣寺は、床に散らばったコインの罠にまたも足を取られてしまった。


 勇敢にも、高揚して、後に不注意にも、また盛大にこけてしまう。


 運命の悪戯は、攻防、波風激しくも、彼の命・心臓を乗せたその天秤を揺らし弄ぶことをやめない。


 赤目を真反対につけ直したコインの化物が、またその身に散らばったコインをかき集め、倒れた金閣寺に一気に駆け寄り襲いくる。


 だが彼は立ち上がった。床に落ちたコインを投げつけながら、懸命に逃げる。


 痛む肩、痛む膝、酷使した心臓をも鼓動させ、まだ生きている彼は背を見せ逃げ走った。


(……俺って、なにをやっても────)


 絶命の危機に回想するのは、何をやっても一番には程遠い自分のこと、記憶。仲間の輪でただ醜く笑う自分がそこにいる。頭の中のワンシーン、ワンシーン、至る所で、いつの間にか道化のように邁進するようになった彼は、とても────


 近づく冷たく鉄臭い金属音の波、どうしようもない暗い感情に支配され、体が足が重たく痺れる。それでも前へ前へと、彼が走ることをやめないのは────


 地から咲いたのは、真っ黒な花。一輪咲いた、大きく咲いたそれは、廊下を這う冷たいまだらの波を吹き飛ばした。


 藤乃春だ。また忽然と奇抜な方法で登場しては、黒傘で化物を下から開いた傘で吹き飛ばし彼のことを助けた。コインが天井に飛び、蛍光灯が割れてチカチカと点滅する。


 また彼女に助けられてしまった。わけもわからないままに。走り疲れやがて振り返る金閣寺の後ろに、藤乃春が傘を差し現れていた。


「この学校がこっくりさん。コインを動かして、お告げを完成させる。そうしたいみたい」


「はぁはぁ……この学校が…こっくりさん…なにが……──!?」


 現れてはさっそく意味深なことを淡々とのたまい始めた藤乃は、彼が握りしめていた左の拳を指差す。


 一体なんなのか。金閣寺は彼女の目から自分の拳に視線を向ける。極度の緊張で強張っていたそのグーをといていき、赤く汚れた手のひらを見た時──金閣寺はぞっとし、肝を冷やした。そして同時に藤乃の今言った本当の意味を察した。


 ゆっくりと一本、一本、硬い指を開いた金閣寺歩の左の手のひらには、




【ば】




 見知らぬ血のような赤に汚れた文字らしきものが滲み、書かれていた。


 やけに熱いその赤が、乾いた肌を濡らし、震える手の間を、指先を、ぽたぽたと、滴っていく。


「あなたにひとつ、任せてもいい?」


 藤乃はそう動じず問いながら、広げていた傘を彼の方に向けスライドさせる。


 金閣寺歩は、分かったかもしれない。彼女の言っていることが、この血塗られた遊びの意味(ルール)が、コインの化物を動かした不気味な校内放送の思惑の一端が。


 滲み出た汗粒を臙脂色のブレザー袖で拭う。


 彼は彼女のことを唖然と見上げながら、妖しく蠢くまるい影の中へとその足を一歩踏み入れた────








 彼が踏み入れた黒い影の中、細い腕に支えられた黒い傘の下で、彼女が彼の耳元にそっとささやいた。


 金閣寺は耳に伝ったその静かな「声」に、何を悟ったのか、翳る面の目を見開き、ゆっくりと頷いた。


 やがて、金閣寺歩は堰を切ったように走り出した。黒い傘の下に佇む藤乃春の横顔をすれ違い、彼は振り返らない。


 力強く確かな彼の足音が、校舎三階、一本道の廊下を吹き抜けて、立ち尽くす彼女の黒い長髪をそっと靡かせた────。




 一体彼の何がその化物を惹きつけるというのだろうか。金閣寺は赤い左の手のひらを覗き、ぎゅっとその字を握りつぶした。


 引き付けるというのならば、解答は簡単、引き離すだけだ。


 上から下へとコインの弾む足元危険な階段を彼は勢いよく飛び降りた。いつも以上の段飛ばしだが、叱る者は誰もいない、派手に着地を決めようと彼の勝手だ。


 そんな勢いある披露された人間の飛び様を真似たコインの化物は、3階と2階を繋ぐ階段の踊り場にぶち当たり悲惨に崩れ散った。


 階段を段々と流れるコインの速度より速く、そのまま逃げるただ逃げる。今の彼にできることは、追われつづけても逃げつづけるただそれだけだ。


 階段を跳ねるように降りていき2階から1階へ、下駄箱の靴はいりやしない。上履きのまま手際よく校舎を抜け出す。


 たどり着いたグラウンドわきの水道で彼は水を飲む。蛇口を逆さに水を上らせ、渇いた喉を直に潤す。追われつづける恐怖に対し気が狂い余裕を見せているわけではない、ただ一番に此処にたどり着いた彼には、水を飲む余裕があったそれだけだ。


 一服していると、しつこくもまた姿を取り戻したヤツが校舎の玄関から湧き現れた。


 金閣寺は、その肩に重く感じた臙脂色のブレザーをその場に雑に脱ぎ捨てた。


 濡れた茶髪、濡れた白シャツ。頭まで冷たい水を被り、僅かばかりの冷静さをインプットしてみた。


 金閣寺はなおも近付いてきているコインの集合体をじっと睨み見た。だが、いくらその目を真剣に凝らせど、怖いものは怖かった。


 グラウンドを走る。逃げる。化物は当然追ってくる。必死に逃げる校舎から遠ざかるように、ただ真っ直ぐに。


 上履きの内に邪魔な砂が入れど、また息を荒げて、必死に走る金閣寺。途中、ぞわりと背を撫でるように伝った奇妙な感覚に、彼はおそるおそるも後ろを振り返り見た。


 彼の足跡はどうして呪われているのか。【ば】の字が砂に描かれる。彼の周りに、彼の行方を追うように、【ば】の砂文字が、狂い描かれ次々と────。




「【ば】【ば】【ば】【ば】【ば】【ば】【ば】【ば】【ば】【ば】アアアアア」




 狂い唱えるコインの化物が、水を得たようにその足を速める。


 化物の発する恐ろし気な鳴き声を聞くだけで、彼は息が詰まるようだ。設計杜撰な耳の穴があることをこれほど知らぬ神に恨んだ日はない。


 とてつもない、得体の知れない恐怖を感じざるを得ない。しかし、同時に彼が走るのをやめて、その場に立ち止まって見せたのは、諦めたからではなかった。


 荒げる息はゼロにはならない、拙い呼吸をそれでも整えようとする。迫りくるまだら模様のコイン群、赤目の化物が睨む。そんな極限の恐怖に支配された中でも、乱れ脈打つ心臓より、流れ滲む汗・脂より、「ズキズキ」と痛むモノがある。


 怖いものには怖いものをぶつける。そんな考えや気持ちが彼の中でそよ風のように渦巻いた。


 得体の知れない「ズキズキ」は、左の人差し指。


 立ち止まる。振り返る。覚悟する。その一本に賭けようと思ったのは、彼が気狂いでオカルトに傾倒したからではない。


 校舎三階、黒い番傘の下、あの時耳元に吹き込まれた藤乃春の助言を思い出し────


 おもむろに今、指を差す。砂煙巻き上げるコインの濁流、その赤目が点る方向に。


 恐ろしいモノに指を差す、その彼の行動が意味するのは「定める」「明かす」「覚悟する」きっとそんな(まじな)いを込めた自分を苦しめる得体の知れない恐怖の塊への宣戦布告じみたもの。


「痛いの痛いのは……」


 ドキドキと高鳴る鼓動は、期待と不安と恐怖の入り混じる音。


 メラメラとかく汗粒は、熱された興奮を抑えきれないから。


 ダンダンと疼く絆創膏の裏側は、活発に渦巻く暴の気配に満ちていた────



 死しても生きても時は今、金閣寺は粘つく左の封を思いっきり引き剥がした。


 すると前方に、ぶわりと風が巻き起こった。とてつもない、風の暴が、発汗する生の指先から、鋭くとめどなく前方のベクトルへと溢れてくる。


「トんでいけぇえええええ!!!!」


 さし示した左人差しの指先が、唱える彼の絶叫が、喉元にまで走り迫ったコインの化物を吹き飛ばした。


 欲深きコインを連ねた手は、伸ばし求めるも、彼の首を掴めず吹き飛んだ。


 身を覆うコインの草葉は、押し寄せた突風に抱かれさらわれる。丸裸になった黒い影が、霧散していく。


 影に点る赤い目は金閣寺を睨みつづける、寄り続ける。ゆっくりと、ゆっくりと、彼の至近まで近づいて、前に立てたままの左の指先に、顔を近づけて触れようとする。


 やがて遮るように吹いた横風に、赤目の影は跡形も無くさらさらと運ばれ溶けていった。



 短く苦しい息を繰り返し、立ち尽くす彼に、おくれてコインの雨が降る。


 今、大量に天から降り頻るコインの雨は、屋上に滴ったあの時の恐怖とは不思議とデジャヴしなかった。


 グラウンドの中央で、痛い痛いまだら金属の雨を一身に呆然と浴びていると──


 後ろから傘を差す。頭上を騒がしく打つ痛みは消え、妖しい影が彼を覆う。金閣寺が振り返ると、そこには藤乃春がいた。


「天気予報は、晴々しくも大雨」


 コインの大雨、にわか雨。風のわだちに、水たまりのように溜まりゆく煌めき。


 穏林高校、二人だけの佇むグラウンドに、降り頻るのは祝福か怪奇か、地に打ち鳴らすのは喝采か胎動か。


 藤乃春、彼女は微笑った。


 金閣寺歩は、彼女の作る表情に安堵するそれと同時に恐怖する。


 紫の瞳、今突き刺さる彼女の視線は、同じ高さ同じ目線。なんとなく苦手だった彼女の目が今は、とても美しく、とても妖しく、とてもくっきりと色付いて見えた。


 冗談も疑問も、今は言えない。傘を差し出す彼女をただ、黙って見つめ返すことしか彼にはできなかった。


 弾けて鳴りやまないコインの雨の音がまだ、同じ傘の下で憩う彼ら二人のことを包み込んでいった────────。

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