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第28話 悪心

⬜︎PINEメッセージ (日)


まだ起きてる?


あぁー、起きてる。何見てる?


これ★カピバラが温泉に入るだけのやつ


温泉旅館でカピバラの入浴シーンみちゃってるやつ


それ、一緒にみちゃってるやつ


みちゃってたらもうねむいやつ


そろそろ、おやすみ


あぁ、おやすみ


眠れた?


あぁ、ぐっすり。そっちは


うん、ぐっすり。


⬜︎









 風山温泉旅館、宿泊二日目。


 食卓にたくさん並ぶ小鉢品目の数々は、忙しい学生たちの朝には、なかなかお目にかかることはできない手の込んだ光景だ。


「はぁー、朝食に炊き立ての白飯ってはじめて食ったかもしれねぇ……」


「え? なにその感想? きんきん、毎日パスタ系の女子みたいなこと言ってる」


「いやいやおかしいだろ、それで女子って? 毎日パスタ系ってのは、なぜか共感できるが……(簡単だもんな)」


「じゃあ、ギャル?」


「なんでわざわざギャルにした……ってギャルが『はぁー、朝食に炊き立てのしろめしぃ〜〜っ』んなの呟くか」


「ジャー、清楚でやりなおし」


「ジャーじゃねぇよ炊飯ジャー。どこの朝ドラヒロインだそれ」


「じゃあ、週刊ジャイアント系」


「『はぁー、腹減ったぁー』じゃねんだよ! 米食うんだよそんな奴は、バカみたいに俵ごと! ……これで満足か?」


「んー? じゃあ、おかわりで!」


「やるかよっ。──あ、俺もおかわりで!」


 向かい合わせた席で、朝から騒ぎ合う珍しい若い二人組の客がいる。


 旅館内の食事処に用意されていた朝食を食べ終えた二人は、今日は予定通りに、昨日は見回れなかった旅館の外へと出かけることにした。









 朝はたらふく食べたので、お昼は軽くうどんで済ませることに。二人が物静かな店内の座敷席で音を立てすすりあう。690円。


 小腹の空いた午後はだんご。みたらし団子。串で持つ甘じょっぱさと香ばしさを頬張りながら、高い木造の通り道を渡ってゆく。380円。


 次はどこを回ろうか。下方に流れつづける川を横目に見ながら、金閣寺はふと後ろを振り返った。


「きんきん?」


「いや? なんでもねぇ?」


 道にたくさん飾られた風鈴の音が、後ろの方でちりちりと鳴った。そこには誰もいない。風がただ、そっと吹いただけだった。


 金閣寺はそれ以上気にすることなく、阿部加奈のいる前へと追いつこうと、また歩き出した。






『善悪の境目に無断でシャッターを切る、その瞬間、僕という存在はいったいナニモノになっているんだろうか』


 乾いた唇が詩的に呟いてみせたのは、良心と悪心を曖昧な自虐心へと変換し、己に許しを乞うため。


『────天才お笑い女子高生ギャガー、アベカナ。その精一杯におかしく着飾られたミドリの虚像の実体は……どこにいてもわからない、そんなとっても普通の子でした』


 暗い横道の影に息を潜めたのは、後ろめたい行いだと知っているから。


『そして僕は今、とてもかなしい。それでも人が瞼を閉じなければ生きれぬよう、シャッターを切らざるをえない、この穢い性と衝動に』


 その手持つ黒いカメラに撮り収めてきたのは、仕事の数々。彼の飯のタネだ。


 カメラ内に保存された写真データを確認しながら、口角を吊り上げニヤリと笑っている。その男は、とてもかなしそうには見えない。


『しかし、これはこれでとても良いシーンではないでしょうか? ────まさに虚飾にまみれた芸能界の対となるような実、いやそんな少女一人のことにとどまらない。醜く飾られたこの世界そのものの解放の時も、きっと近いのではないのでしょうか。蓋をされ毒気の廻っただましだまされる仮宿の世界は終わり、いずれ光の射す本物の〝ひとつの世界〟が開かれる。ですのでその時まで、もっともっと綺麗になかよく──』


 何かを履き違えた男は懲りずに呟く。男の目に宿るのは悲壮感でも虚無感でもなく待望。


「ン?」


 何かに気付いた男の目が、今、驚きに変わった。


 カメラに見入りながらメモリーをチェックする。撮影した最後の写真に写っていたのは、──影。


 一見すると、ただの、木造の道を渡る若い男女二人の背を写した写真。だが、カメラ視点から長く伸びた床にうつる撮影者の影は、どこか不自然な形を成していた。


 思いがけない発見をした男の顔に、思わず笑みが広がりこぼれた。男はデジタルカメラのボタンを強く押し、まるで慌てたように操作しながら、他の写真にもそのような影はないものか、入念にチェックし出した。


「ハァハァハァッ……!」


 昂りいそぐ息遣いで男は執拗に熱心に、宝でも掘り当てたような心地で、写真の中のセカイを探りつづける。


 しかし急に────見えない。暗く翳りだし、男の目にははっきりとは見えなくなった。


 時刻は午後3時15分。日が沈んだわけでもない。「バッテリーが切れかけてでもいるのか」──原因不明の機器の不調にいらついた男は、もう居ても立ってもいられない。身を潜めていた狭くて暗い横道から、カメラを片手に日の射す方へと向かおうとした。


 しかし男は、その途中で足を止めた。背中を睨む冷たい気配に、自身の背丈を覆う得体の知れないカゲに、


 静かに明滅するカメラ画面の明かりが照らすのは、ナニカを待望した男の顔ではない。


 乱れる鼓動に合わせるような、短く荒い呼吸音をもらしながら、


 冷たい壁に手をついた男が、そっと横道の奥を振り返ると────












 山の上に佇む旅館のさらに上、人の寄りつかない秘境がある。しかし今、息をしずめた人影が一人、青い色をためた水の中に裸で飛び込んでいった。


 まるで水面に浮かぶ綿のように、体と心が静かにそこに浮かんでいる。捧げる、浮かべる、曖昧な感覚で冷たい中をただよいつづける。


 滝壺のすぐ近くに天から流れ落ちる激しい水の音も、彼女には聞こえない。それ程の集中力を得るには長い修練が必要であったが、もはや元の様を忘れ戻ることができないとも言える。人の身でありながら形容し難い感覚を悟ってしまった彼女は、そうなりつつもある。


 目を閉じる。そうすると水面に波紋を重ね走らせる冴えた水の音色だけが、両耳だけでなく浮かべる全身に、わずかに震え聞こえてくる。


 その冴えた水音を抽出するように、浮かぶ彼女の体は集中し滝壺の青に浸っていた。


 やがて彼女の身に、かわるがわる重ね押し寄せていた青い音色が、今──緑に変わった。



「風が────ないた?」



 瞼にひそんでいた黒い瞳孔がはっきりと開く。全身を豊かに染め上げていた青い音色が、緑の風に流された。そして今度は、それも渋く黒ずんだきたない色に変わってゆく。彼女は水面に浮かべていた姿勢を解いた。


 濡れた黒い髪を後ろにかきあげ、霞がかった天を彼女は見上げる。


 仰ぐ鼻先に嗅いだ風の行方は、激しい滝の音に紛れていく。


 とおく、とおく、去って行き知れず────。


 沈んでいた水辺から地に上がった彼女は、そっと、立ちながら目を閉じた。













 午後5時31分──温泉旅館に宿泊する二人は、旅館から離れた山中に構える、露天風呂施設へとやって来た。


 今日は旅館内にある温泉施設ではなく、昨日は疲れて行けなかった目玉の露天風呂のある場所に行ってみることに。


 一緒に来た男女二人は、番台で見張る従業員に旅館から配られた札を渡し、ロッカーの鍵を受け取り、青い暖簾と赤い暖簾のそれぞれの方向に別れた。





 足を伸ばし1分ほど、天然の湯船に浸かっていた金閣寺。優雅に浸かりながら、白い湯気の立つ彼の視界先にふと目に入ったのは、木造のサウナ室。


 伸ばしていた足を閉じた金閣寺はおもむろに湯から上がり、持ってきたタオルを絞り、体の雫をおおまかに拭きあげた。


 サウナ室のドアに手をかける。入口付近で今度は見逃さなかった四角いマットを片手に、それを尻に敷いてマナーよく木椅子に一人座った。


 誰もいないサウナ室の真ん中で、熱風を肌に浴びながら、しばらくじっとしていると──


「あれ、そういえば。……いや……なんだ? このかんじ」


 ただじっとしているだけで、気持ち悪く感じたのは、尻と椅子の間に挟まった一枚の簡易マットの感触でもなく。


 それでも何か思い出そうとすると、途端にさっぱり分からなくなる。


 デジャヴにしているようにも思えたのは、ただ二度目のサウナ室に来たからだろうか。


 何故かこの前来た時よりも、広く感じた、一人のサウナ室内。


 遮るモノはここにはない。一人、室内を循環する熱を感じながら、顎に手をやり固まった姿勢が新鮮な汗を垂らしていく。


 茶髪の少年は途端に思い出すことをやめる。勘違いしたそのデジャヴ感を無意識・忘却の内に吐き捨てて、今一人で佇む現実のほうをさぞ当たり前のように受け入れていく。


「明日の学校は────明後日の俺が頑張るか……」


 剥がれ落ちずにのこった絆創膏のその裏側。巻かれた左の指先が、指の腹を通り過ぎやがて床に滴った雫に、わずかに痺れた────。









 風山温泉旅館の名物、露天風呂施設にある柚子風呂。白い湯に顔を出し浮かぶ柚子たちが、とても豊かな爽やかな香りを湯気とともに辺りに漂わせている。


「きんきんがよくしてくれるのは、お人好しだから……?」


 湯に沈み座り、金閣寺歩という同級生の男の子について考える。彼はお人好しというよりは、仲の良いグループの内の誰にでも分け隔てなくツッコミを入れるひと。ここまで自分に親身にしてくれるのは、彼女自身の知る限り初めてのことであった。


「きんきんといると、あっちにいるよりとっても楽……そんな気がする」


 彼と過ごす時間は、自分がとても自然でいられる気がする。お喋りに応えてくれる彼はそうではないのかもしれないが、彼女はそう思ってしまっていた。


「──うん、きっと、これって──そうなんだ」


 彼女の中で何かが解けそうな気がした。


 お笑いのこと。久々に会いに行った父親のこと。ダメだったこと。怖かったこと。とても笑われ、とても叩かれたこと。いくら成功しても、ずっとどこか不安だったこと。


 リラックスする心と体を、柚子の湯と香りが温める。


 浮かんでいた柚子をひとつ両手の器にすくいながら、彼女は考え耽る。二人で歩きまわった今日一日のことも思い出すように──


 黄色と緑のまんまるをじっと見つめながら、自ずと微笑んでいた。


 気分がよくなった阿部加奈は、そのまま目を閉じて、手にすくいあげたその果実のニオイを嗅いだ。


 今日という素敵な一日には、お笑いのネタのように名前をつけることはできないが、こうしてその香りを嗅ぐ度に、旅の記憶として思い出すことができるかもしれない。彼女は、ひっそりと知らぬ心の奥でそう思った。



 やがて、彼女の鼻腔を満たす癒される柑橘系の香りが────異臭へと変わった。


 ぽかぽかと温まる彼女の身と心は、異臭をキャッチしたその瞬間、目を覚まし、冷めていく────。


 手に取っていた濡れた柚子が、急にしおれゆき、鮮やかな緑と黄が腐った色へと変貌する。


 身に溜めていた熱が一気に冷めいく。彼女は、不意に背を小突いたちいさな感覚に、不安気な心で、ゆっくりと振り返った。


「はっ……はっ…はぁっ……!!?」


 浸る水が冷たい、吐く息が凍りつく。視界に入れたスベテを、現実に溶かし受け入れ切れはしない。


 忽然と現れた異物どもが腐り果てた柚子の色を覆い隠す。



 仲良く黙るだるまたちが、


 赤く濁る湯の上に、


 ぷかぷかと浮かびながら、


 全員、彼女のことを見てワラっていた────。

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