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第26話 ワンダフルパーク❷

 不快感を払うように打ち付けただるまはひび割れ、地を転々ところがった。


 金閣寺はわけがわからない。赤く濡れた手からなおも滴る気持ち悪い感覚に、驚き発そうとしたその言葉をも失う。


 友人の阿部加奈は呆然と青ざめ、依然その場を動けず。地に転がる汚いだるまを見つめていた。


 とにかく彼女の手をとり、金閣寺は急ぎその場を離れることにした。自分の左指の疼き、そして今手に取った──伝染する彼女の小刻みな身震いに、只事でない事態を察した。


 華麗な花の道なんて今は関係ない。景色には目もくれずフラワールートを走り進む。


 そしてレンガの迷路を右へ左へ、やがて真っ直ぐに走った先────対面の花たちの中には何故かさっき投げ捨てたはずのソレが、並び見ていた。美しい白い彼岸花の群れに紛れて、目を赤く濡らしたソイツが笑い見ていた。


 赤い汁に辺りの土を濡らされた白き花々が、だんだんとしおれ深々とお辞儀をしながら、グレーに褪せてゆく。


 気味が悪くなった。まさかの隠れ待ち伏せしていた血だるまに驚き、思わず息を飲み立ち止まってしまっていた金閣寺は、再び阿部の手を引いた。ソイツがいる方と別の道に切り替え、駆け抜けてゆく。


 やっとのことで入口の蔦のアーチを抜けて、サイクルポートに辿り着いた二人は、来た時に駐輪させていた赤い自転車を見つけそれに乗り込んだ。


 ここまで走る気力と体力がまだあった阿部は金閣寺の指示に従い、自ら自転車に乗り彼の先導する道をついていく。


 今はあのだるまのことを彼女に聞いている場合じゃない。それにもしかすると、自分のせいでおかしな事が起こったのではないか。疼いた絆創膏の裏の左指に、彼はこれがただの遊びや幻想でないことを確信してしまう。


 ブルーサイクリングロードを逆走する。右手側に映る浜の景色は何故か来た時より、汚く埃っぽい色に見えた。


 吹く風がひどく邪魔に感じた。ひどく強く吹いたように感じた逆風を必死に割きながら金閣寺は自転車をこぐ。されど後ろに彼女がちゃんとついてきていることを時折確認しながら、慎重にこの長い自転車道を進んでいった。


(どうして、どうして、どうして……)


 忽然と現れた笑えない恐怖に、阿部加奈は正気ではいられない。それでも、激しい風の中を突き進む茶髪の靡く友人の背を、彼女はただただ見つめ自転車をこぎ追っていく。



『がしゃん────ッ』



 後方に突如鳴り響いた鈍い音に、金閣寺は振り向いた。


 進む赤い自転車の前籠に突如天から降り注いだのは、白いオブジェクト。見たことのある丸みがかったそのシルエットが、打ち付けたひび割れた頭から赤い汁を垂らしながら、彼女に歪な顔して微笑みかけた。


 阿部加奈は自身に降りかかってきたその白い恐怖に絶望する。血色の赤を垂らしながら、おどける恐怖の白だるまが、籠の中で腹を抱えて笑うように蠢いている。


 横転した自転車の悲惨な音が鳴り響く。


 ブルーサイクリングロードの半ば。浜辺の砂は骨のように真っ白に灼け、グレーの海は暗く赤く血のように染まっていった────。









 前輪の制御を失いやがて派手に横転した自転車。その際の衝撃で道に身を投げ出された阿部加奈。彼女の元にすぐさま、前方を走っていた金閣寺は自分の自転車を停めて駆け寄った。


「おい阿部大丈夫か……!」


「……痛っ」


 先ほど吹いた強風にあおられて彼女の乗る自転車が倒れてしまったのか。そう推察した金閣寺が、膝を擦りむいた阿部の身を心配そうにいたわっていると──


『ごろろ……』


 ゆっくりな音を立て、変哲のない石道の上、二人の足元ちかくへと転がってきたのは──フラワールートで見たあの白いだるまだった。汚い赤い線を地に描きながら、今、二人の元で寝転んで笑っている。


「ナッ──!?」


 執拗にどこからともなく、何度も何度もどれだけ離れても現れる……白だるまの執念じみた何かに、金閣寺はその立つ鳥肌を抑えることができない。


 金閣寺は足元、彼のつま先に今ぴったり──転がってトまった。


 気味の悪いそのだるまを思わずスニーカーで反射的に蹴り上げた。舞い上がっただるまは道の柵を越え、浜辺の方へと蹴り出された。


 真っ白な砂に埋もれて、だるまは黙る────。


 金閣寺は恐怖に乱れた息を抑え整えながら、今のうちに倒れた阿部をつれ、自分の自転車の元へ急ぐ。道に倒れたあのもう一台の自転車はきっと呪われている、その場に放棄することに決めた。


 そして阿部を自分の自転車の後部席に乗せ二人乗りになり、彼はペダルを慌てこぎ始めた。


 いくら強く阻まれても、ただの吹く風にめげている場合などではない。海が嫌な赤に染まったブルーサイクリングロードを自転車で急いで行く。


 しかしその半ばでまた、



『がしゃん────っ』



 不吉な事象はどこからともなく唐突に。


 激しい音を立て、自転車の前籠の中に勝手にも飛び込んできたのは、あのだるま。見たくも触れたくも拝みたくもない、あのイカれただるまだった。


 この世の理をまるで無視した奇怪な物体の強襲に、金閣寺と阿部の心臓がびくりと驚き跳ねる。


 驚きと不思議なチカラで制御を失いかけた自転車の前輪を、金閣寺は咄嗟にハンドルを強く握り、なんとかバランスを取り持ち堪える。


「ッ──!? くんな!!!」


 けらけらと笑っているとでも言うのか、揺れる自転車の前籠の内で白いだるまが、のたうちまわりはしゃいでいる。いや、揺れているのではなく前籠ではしゃぐソイツに二人乗りしている自転車ごとを揺らされている。


 揺らされる、揺らされる、揺れていく。


 子供のはしゃぐ小さなだるまから波打つ大きなチカラには抗えない。


 ハンドルを握っただけでは、地を滑る細い車輪では、もうこれ以上この厄介を乗りこなせない。


 ────それは咄嗟の判断だった、されど無知ではなかった。


 金閣寺はいきなり飛び乗ってきた血まみれの異物に対して、備えついていた自転車の左ハンドルの鈴を何度も執拗に鳴らした。すると、だるまは予期せぬ鈴の音に驚いたのか、籠の外へと大きく跳ねて、やがて地に砕け落ちた。


 金閣寺は片足をつきスニーカーの底をすり減らしながら、蛇行した車輪の軌道を正し、自転車の横転を防いだ。


 木から崩れ落ちた柿のように、道端に汁を垂らし黙る──。金閣寺は落下しただるまが砕けたのを後ろ目に振り返り確認した。


 なんとか奇怪なだるまの追跡を振り切った。


 ぎゅっと腰にしがみつく阿部加奈を後ろに乗せたまま、金閣寺は持ち直した自転車で、ブルーサイクリングロードを抜けていった。











 のどかな午後のワンダフルパークに来場したのは、突然の不穏不吉。


 自転車に乗り右手に見えるワインレッドのように濁った海を見ながら、ここがただの現実でないことを金閣寺歩は悟る。


 青い海の理が崩壊した何か。遊び回ったワンダフルパークなどではない。それになぜ、だれもスタッフがいないのか。子供も大人もあれだけいたはずの客もいない。人影は見当たらない、たった二人をのぞいて──。


 金閣寺の懸命にこぐ自転車はブルーサイクリングロードをようやく抜けて、芝生の敷き詰められた公園エリアへと戻った。


 しかし息ついている暇もない。常識に則っている場合でもない。このままこの広い芝生を自転車で横断しながらショートカットし、最短で出口を目指そうとした、その時──


 進む前方から耳に流れたのは、愉快なメロディ。やがて電子的なそのレトロな音色が、重なり合う。歪な重奏が、自転車に乗る二人の耳に鳴り響いた。


 だだっ広い野の上をゆっくりと徘徊するどうぶつの群れ。持ち場を離れたアニマルバッテリーカーたちが秩序なく好き勝手に、芝生の上を徘徊していた。


 奇妙な光景に、思わず自転車を止めてしまった。そして金閣寺と阿部が不吉に訝しみ見たそれらの背の上には──


 色とりどりのだるまたちが置かれていた。


 子供客の代わりに、どうぶつたちの背にだるまが一つ、二つ、乗せられている。いや、乗っている──。まるでその遊具を楽しんでいるかのように野を徘徊しつづけている。


 野に群れて現れた気色の悪い光景が、ゆっくりと二人の赤い自転車のもとに忍び寄ってきている。気のせいではない、やはり鬱陶しいメロディを垂れ流しながら、吸い寄せられるようにこちらに近づいて来ていた。


 不吉に感じた金閣寺は、ゾンビのようにのろのろ進むどうぶつたちのいる辺りを迂回することにした。停めてしまっていた自転車を飛ばし芝生エリアをまた横断していく。


 どうぶつたちのメロディが耳に遠のいていく。度重なり現れた厄介をようやく避けて、二人が安堵の息を漏らしかけたその時──



『ガラララララララララララララララララ────!!!』



 左耳の鼓膜まで鋭く響いた。左を走った、電車が通りすぎたような強烈な流れの音に、自転車に乗る二人は驚き振り向いた。


 鉄のかち合い擦れる音、何かがとめどなく流れる音。聞こえたその音の正体は、長い長いローラー滑り台をすべりゆく何か。溢れゆく、くだりゆく、傾斜の道からあふれ落ちんばかりのだるまたちだった。


「んだこれ……」


「……!?」


 だるまたちと共に滑り台を流れる赤い川が赤いしぶきに変わる。滑り回転しつづけるローラーに弾かれながら、血の雨のように降り注ぎ、青い芝生を赤く赤く染めていった────。







 ながれすべる光景が滑稽なものか。およそおぞましく見ていられない。それはまるで血の川を流れる人の頭蓋めいた────


 見れば精神を穢される、まともに直視してはいけない。こんなものは。


 しかし目を逸らせど流れる音は止まらない、騒がしく嫌な水音と落下音が、耳の穴にべたつく恐怖を与え犯しつづける。


 青い芝生もみずいろの滑り台も、しだい赤く赤く────


 金閣寺は、現実に滲もうとする幻想を振り切るように、その不吉な滑り台が構える近くから離れた。





 やっとのことで芝生の公園エリアを自転車をこぎ横断した。


 やはり今までそこにあった存在が仮置かれ、置き換わっているかのように、客は黙っただるまたちしかいない。


 休憩所の椅子に憩うだるまたち、噴水場の近くで血を清めるだるまたち、なだらかな山の遊具を登ろうとし転び落ちるだるまたち。


 全員こっちを見ている────。


 丸いフォルムの黒い眼が、何が羨ましいというのか、二人のことを覗き見つめて離れない。


 そんな気色の悪い光景と客たちに構わずに、二人乗りの自転車は、スピードを一切緩めずに園内の敷地を突っ切っていく。


 やがて、車輪の歪んでいた自転車を二人は乗り捨てた。自転車の通過できない封鎖された入場ゲートをここからは徒歩に切り替え、飛び越えようとした。


 入場ゲートを管理するスタッフは、『カタカタ──』隣り合う体をぶつけ鳴らしながら、並ぶだるまたちのみ。


 要らぬ歓迎と乾いた木の音に肝が冷える。金閣寺は受付の五月蠅いだるまたちを、腕を払い残らずのかした。


 とにかくこのおかしな遊園地から出ていく。彼の思考にはもうそれしかなかった。耳を塞いだ仕草をした阿部加奈を連れて、入場ゲートを無理やり飛び越えていく。



『かたかたかたかたかたかたかた────』



 園外を進み始めていた金閣寺はふと、今聞こえた木の打つ音のさざめきに、後ろを振り返った。


 だるまたちが入場ゲートに殺到し、積み重なっていた。しかしどういう理屈か、いくら積み木のように重なり山となっても、騒ぐカレらはそれ以上越えられない、出られない────。


 赤色の涙をながして、山が染まってゆく……。




 いくら驚かされてももう振り返らない。金閣寺は後ろを見ようとした阿部の目元を手で覆い隠した。


 そして、すばやく前を向き、二人が園外を進み見えてきたのは──


 ここに来た時に一度通り抜けたことのある、駐車場へとつづくはずの小トンネルだった。



 抜け道を見つけた──そうに違いない、見覚えのあるあの穴を疑うことはない。見つめ合った金閣寺と阿部の二人は頷き合い、暗がりの穴を目指し駆けた。


 手を繋ぐ二人はトンネルを走り抜けてゆく。たとえ足元が見えなくても、たとえ目の前がまっくらでも、反響する彼の声が『こっちだ!』と幾度も叫んだ。


 この先を急ぐ。方向はきっと合っている。彼の左の人差しが『こっちに良い風が吹いている』と彼に報せている。


 もうすぐ、もうすぐ、きっともうすぐだ。鳴り響く四つの強い足音が二人のことをさらに後押しする。


 一歩、一歩。そう、【一手】、【一手】────


 壁に打ちつけるこの音はなんだ。後ろから後ろから、上から下から上から、這い回るこの音は何だというのか。


 追ってきている。床を壁を丸い天井を這うように打ちつける得体の知れない怪物の足音が、走る二人のことを追っている。


 振り返らない、振り返らない、振り返れない。決して振り返ってはいけない。


 金閣寺は痛いほど固く結んだ阿部の手を引きながら全力で前へ前へと駆けた。


 自分の足音も彼女の足音も息遣いも、張り裂けそうな心臓の鼓動も分からない。後ろには、頭上には、両耳には、這う怪物の強い足音だけが、もう────────























 得体の知れない怪物の棲む暗がりのトンネルを駆けた。怪物が襲い這う足音と、逃げるちっぽけな獲物の足音が重なったその刹那──



 前へ前へと意識が流れつづける、


 たどり着いたここが天国か地獄のどちらかと鼓動する音に問われたら、それはきっと眩く白い──幻か現実だと、彼はそうあいまいに答えるだろう。


「はぁはぁ……な……なんだったんだ……」


 金閣寺が息を切らしそう呟いた、少しでも冷静になろうとひとりごちたのだろう。阿部はそれ以上にひどく息を切らしたまま、何も言えず、震える膝に手を置き、ただ苦しそうな呼吸音を向き合う地へと向かい垂れ流す。


 暗がりの穴を抜けた先に待っていたのは、二人が必死に駆けて放り出された景色。視界いっぱいに広がる白い光は、吐く息とともに徐々に色付いていった。


 あの暗く恐ろしい奇怪な様相から、チャンネルが切り替わったとでもいうのか。


 べたつく茶髪と額の汗を拭い、仰ぐ空の色は青く。鳥の声、虫の音が耳になじむように聞こえる。


 元に戻ったのか、逃げられたのか。


 まだ、体験してしまったばかりの恐怖にきつく縛られた心が晴れない。金閣寺は訳も分からぬうちに立っていた硬い地面から、トンネルのある方をおもむろに振り返った。


 午後3時55分、まだ明るい午後の日差しが降り注ぐその穴の先に目をやると、


「ねぇねぇ見てパパ! ママ! なにこれなにこれ!」


「うわっ! な、なんだ……もう夏だから肝試しでもやってるのか?」


「きゃっ! なんなのこれ……こらッ、触らないの! あなたも見てないで!」


 子供が天に指を差しながらはしゃぐ。父親、母親とともにそのトンネルを歩き通ってゆく。


 向こう側の入場ゲートへとつづく筒状の壁に、幾つも残るのは【赤い手形】のアート。


 凝らした目に、目の当たりにしてしまった金閣寺は喉元を一瞬絞められた心地になった。呼吸を止めて忘れるほど、その穴が、禍々しい何かの潜む恐怖の巣のように見えた。


 日に焼かれた肌の内から汗が流れ続ける。呆然と立ち止まり動かないそんな男の元に、煙草のニオイが近づいた。


「兄ちゃんどうしたが? その靴」


「へ?」


 寄ってきた駐車場で休憩中だったタクシーの運転手が、指を差す。


 運転手の男が今指を差した下方を、呼びかけられた金閣寺は、たどるように視線を落とした。


 彼の黙って立つ付近には、枝分かれした奇妙な模様がスポットライトのように、いくつも、いくつも、赤く重なる。


 ナニモノかに強く掴まれた跡がある──。赤く濡れた靴、紫に滲み変色した青いジーパンの裾。


 怪物は此処にはいない、だが、確かに彼の足首をべったりと掴んでいた。


 足元をいろどった強烈な恐怖の残り香が、彼を驚かせる。


 疲れたその足が折れるように、金閣寺歩は、アスファルトに尻餅をついた────。

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