第24話 転落
アベカナのどこが面白いのか。いつからだろう、そんな議論がネットの中でわき起こり始めたのは。
『彼女は一発屋じゃないのか』
『眼鏡と帽子をとればフツウの女』
『そもそもネタが意味不明』
『もうつまんない』
『いつもの』
『ちやほやされてる部分は女子高生ってだけ、ぼんぼんぼんぼん凡才』
そんなよからぬコメントがネットニュースやsnsを通じ寄せられることも増えた。
そんなコメントや一種のつぶやきを見つけてしまう度に、真面目な性質をもちあわせる当の彼女は、もっと面白いネタを考えようと日夜四苦八苦し没頭していた。むしろ、それだけしか彼女には頑張れる術がなかったとも言えた。
登り続けたばかりと思っていたお笑いの峠道。いつのまにかその坂をゆるやかにくだりつつあった。彼女は孤独の内にそう感じた。
それでもまだまだお笑い芸人アベカナは人気だ。以前ほど絶頂とはいえないが人気者だ、ファンレターだって今もなお寄せられている。初期の勢いのまま決まったテレビのレギュラーだって幾つかある。一時の落ち込みに挫けるような時期ではない、安泰と言っていい。
スタジオと事務所、ホテルを行き来する、そんな日々の仕事を熱心にこなしていく中。
芸人たちが裏でささやく声を、ある番組の収録で楽屋で待機しようとしていた彼女は聞いた。
『アレは漫才やない』
『アレはタレントさんみたいなもんやろ』
『平場で何もおもろいこと言えへんし』
『『はははは』』
男女、芸人たちの笑い声が通る廊下まで聞こえてきた。
きっと影で、裏方のスタッフやマネージャーにも嫌味を言われている。人気者の彼女は、そのように思えて仕方なかった。
同時に今もなお活動休止中であるニシナナの言葉を思い出す。「お笑い防御力」この界隈ではそれが足りなければ見抜かれてしまう。ホンモノかニセモノか、彼らは常にその判断を下すために口撃する隙をうかがっている。
「お笑い……」
孤独の楽屋で、彼女は忽然とそこに置かれてあった白いだるまを手に取り撫でた。傷心した彼女と目が合った白いだるまはご機嫌か、髭を黒く伸ばしながら微笑んだ。
この日、仕事を済ませて地元に帰ってきたアベカナ。平日の午後、以前通い慣れていたファミレスの中で、地元の友人と久々に会う約束をしていた。
「きんきん、みんなも変わりない?」
「あぁ、とくに変わりない。ちょっとは楽になると思ったんだが、中川も湊も宗も富宮もいつも通りだ。そういう阿部は?」
「うん、ぼちぼちっ」
「そうか、そりゃいいな」
「……昔よくここに来たよね」
「あぁー、そうだな。ってんな昔じゃねぇだろ? おい?」
「はは、そうだね。きんきんの腕が鈍ってないか、試しただけ」
「試されてたのか……はは、で?」
「んー、69点」
「そうか、それはなかな……っておい、ソレいつの電車のことだよ。まだ擦ってたのか……よく覚えてたな」
「ふふっ」
彼はいつものように彼女にツッコんだ。このやり取り、彼との関係性が遠い昔のことのように彼女は懐かしくも思えた。
「あっ、きんきん、今日はなんでも好きなの好きなだけ頼んで! 私おごるから! この日のために稼いできたから、なんて、ははっ!」
「え? あぁ……じゃあ──」
今、彼の対面の席にかける裸眼の彼女は、いつもテレビ画面越しに見る時と別人のようだ。
いつも被っていた重そうな深い緑の帽を脱いだような、それでいて広がる黒髪はとても艶めき生命力を帯びて見えた。
一介の学生の身である金閣寺歩は、自信に満ちたその阿部加奈の言葉に甘え、肯定するようにゆっくりとうなずく。彼はメニュー表をいつもより真剣そうに睨めっこしながら、注文する料理を悩んだ。
「おもいきって本人に聞いたんだけどっ、あのネタってね、実は……神様にどっちの絵の方が好きなのか聞いてたんだって!」
「まじかよ、はは! なんじゃそれ、実はめっちゃ皮肉じゃねぇか、ソレっ、ははは」
彼女は華々しいお笑い界隈のことや、テレビでは決して明かされない裏のこと、芸能人のあれこれな秘密まで嬉しそうに語ってくれた。あの芸人は実はなになにだとか、そんな笑い話が中心で若者の二人は盛り上がった。
懐かしの故郷である穏林市、懐かしのファミレスの匂い。店内ではしゃぐ子連れの主婦たちの集いも。とても普通で、とても笑いにあふれ、とても賑やかで豊かな時間を友人と共に過ごす中────
「……実はさ。仕事中の東京の方でね、お父さんに会ってきたんだ」
「お父さん……?」
突然、阿部加奈が切り出したその落ち着いたトーンで発された言葉に、金閣寺は分からず。
「それでね……今度は、お父さんが助けてもらえる番なんだって」
阿部加奈の言ったその言葉の意味が、彼女と同じく父親が家にいない金閣寺には分かった。彼女のした仕草や雰囲気、言葉端から本当に言いたげな不穏な何かを察することができた。
そんな話をしたのは、平日の午後のファミレスの中。町中のいたるところにあるチェーン店だ。
眼鏡とあの緑の帽子がなければ、みんな彼女が誰だかわからないのだという。彼女が今、裸眼でいるのもオシャレではなく、それが理由だ。
卓に並ぶ料理は、そんな不穏な味のする話を打ち明けられる前に頼んでいたもの。好きなだけ食べていいよと言われて出てきたメニューだ。彼が注文した覚えのないものまで、数えきれないほどの品数が並ぶ。
大人数のグループで一緒にきたときよりも、それらは多く豪勢なものだった。彼女、アベカナの芸人としての仕事の成功を表している。
阿部加奈本人と彼女の父親の関係性がどうなのか、金閣寺には深くは分からない。しかし、彼の立場から、少し共感できる部分もあった。
「そうか」
金閣寺は、一言だけそえるように返した。
「お父さんお笑い番組が好きだったから。一緒に見ていた記憶があったんだ。ま、それだけ! 確認、いや確定できてよかった!」
それはもしかすると、彼女がお笑いの道を熱心に目指していた理由の一つだったのだろうか。
一つの区切りがついたように、さっぱりと、彼女は笑みを浮かべていた。
注文した料理はまだ温かい。二人は懐かしのファミレスで、いつまでも自分たちのことを語り合った。
白いだるまを見たくなかった。だが白いだるまは彼女を見つけ見てくる。
どこにいても、笑って見ていた。仕事場、収録現場、ホテル、楽屋までついてきていた。忽然と現れては、その髭を黒く伸ばしながら笑っていた。
⬛︎⬛︎
⬛︎
東京での仕事をこなしていく内にいつ頃からか、彼女はお笑いのことを次第に考えたくなくなった。白いだるまは、彼女がお笑いの道を目指したときの象徴。そんな象徴なんて今はいらない、見たくない。
スマホにたまった未読のメッセージが赤く灯る。事務所やマネージャー、わずかながらの芸人仲間からのメッセージは、今の彼女を励ますには至らない。むしろ、この間まではただの女子高生であった彼女の身に余る。界隈に飛び込む内に構築されていた複雑で巨大な関係性に、蜘蛛の巣のように縛られて、アベカナは追い詰められていた。
緑の帽子はゴミ箱に丸めて捨てて、眼鏡のフレームは机の上に折り曲がった。書いては消した未熟な筆跡の残るネタ帳もやぶりさる。ネットやsns、今日出演した番組での気の利かない返しやしょぼいリアクション、全ての現実が彼女が描くように思う通りにいかない。
東京で借りたマンション内の仮住まい。いまだに見慣れない木目と色合いをした机。その上にあった白いだるまを、手で払いのけて落とす。
テレビに映る何も言われても愛嬌あるアベカナの明るいキャラクターとはちがう。お笑いという、まるで呪いじみた終わりのない受験勉強をしている日々に、嫌気がさす。
そんな悲惨な悲しみの中、彼女は家の中でスマホの画面を眺めていた。ずらりと並ぶのは、天才お笑い女子高生のアベカナのファンや、収録スタジオで出会ったアベカナの仲間、成功する彼女にまだ媚びへつらうアベカナの取り巻き、アベカナの仕事関係の────
やはり彼女の見ている現実世界はアベカナを中心に動いていた。SMR優勝から一躍有名になったアベカナなる芸人のその人気に、完全に翳りが差すその日まで、この状況はつづいていくのだろう。
お笑い界に突如とした現れたちいさなかいぶつ。だが、色眼鏡を取り、愉快な色をした帽子を脱いだそのかいぶつの中身はどうだろうか──
長々しく指でスクロールしていく連絡帳とメッセージ履歴の中に、くすみながらも金色に鈍く光かがやいて見えた名があった────。
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九州にある風羽市にて、午前11時28分──飛行機でたどりついた風羽空港の中。
茶髪の青年がエスカレーター前、待合席の前で、一人突っ立って誰かを待っていた。
先に気付いたのは彼女の方。
混雑する人混みのなか、エスカレーターのすいた左側を駆けるように登ってきた目立たない彼女は、茶髪の彼を見つけて手を振った。
午前11時32分──土曜日の空港の待ち合わせは、遅延なく約束のとおりに。
穏林からやってきた金閣寺歩と、東京からやってきた阿部加奈。
またの再会は、海を超えた遠い地で────




