第18話 星明かりの下のエピローグ
沈みゆく意識にとても仄かな光がさす。今日という多忙で死にそうだった一日を一旦諦めて、マストの下のハンモックで寝ていたその身は、何故か今とても柔らかな感覚の上にいた。
ぼやける視界に、暗い面が見える。寝転ぶ彼の頭はどうやらその人の膝の上にあるらしい。
そんなお目覚めの体験を前にも一度味わったことがある。彼はつい、当てずっぽうでその人の名前を呟いていた。
「──────藤乃……?」
「ぶっぶー」
違ったようだ。間違った罰ゲームか、鼻先をちょんと小突かれた。
鼻を小突かれて溜まっていた眠気が半分ほど吹き飛んだ。金閣寺は、おもむろに寝ぼけ眼をこすり、曇っていた視界を鮮明にした。
天に聳えていたその暗く見えずにいた面は、とても白くて明るい表情をしていた。
夜空の色に溶け込む彼女の黒い髪がわずかに靡いた。あの湊天が、金閣寺歩のお目覚めを、見守るように微笑んでいた。
いつの間にか夕空は、単調でない黒に模様替えされていた。
隣同士、並び寝た二人は、ちいさな甲板から広大な夜空を見上げる。
「ねぇねぇ」
「ん?」
「カクジってさ、なにもの?」
「なんだそれ? 同じようなことまた聞きやがって……なにものか、か……」
「わるいヤツじゃあないってかんじ?」
「はは……よくもわるくもな」
善か悪かなにものか。どこかで聞いたそんな彼女の問いかけに、彼は笑いはぐらかした。
独特でしずかな二人の間に、冷たい夜風が爽やかに吹き、二人の頬をそれぞれに撫でてゆく。
「なんかさ。ひょっとして魔王を倒したらさ、あのゲームの世界、あの勇者もこんなかんじなのかな?」
「あぁー……そうだな? あの勇者も、こうやって凪いだ船の上で呑気に寝転んでるのかもな。────あぁでも、誰が言ったか知らないが、エピローグは短めにって言うだろ?」
「うん。でも。エピローグ、長いのも、ありじゃない? 誰が言ったか知らないから、ふふっ」
「あぁー……。今日ぐらいは、そうだな。誰が言ったか知らないから、はは」
とまった揺れない船の上で望むエピローグは、もう少し長くてもいい。こうして流れつづける穏やかな時間はそう急ぐものでもないのだから。ここでは誰に急かされることも脅かされることもない、だから今はのんびりと、この秘密の場所で寝転がる。それがただただ気持ちいい。そんな感想、感情を二人はずっと夜空を眺め共有してしまっていた。
「ねぇねぇ」
「ん?」
「なんか、かき氷、たべたい」
「あぁー。俺は、ちょっとラーメン」
「じゃあさ、なんかちょっと、ラーメンとかき氷」
「あぁー、いいな、それ──」
予備の絆創膏をはりつけたその手をおもむろに伸ばして、浮かぶ星々をたくさん掴んだ。
彼がとまっていた星たちをひとつかみすると、冴えた夜空にあらたな星がナナメに一筋流れた。
一瞬走った幻のようにも見えたソレを彼女が指を差し、彼もおくれて指を差した。
浜の波音が遠く、耳に近く、聞こえる。もうしばらくこのままでいいと思ったのは、顔を見合わせて笑い合った二人とも。
頼りない灯りがまばらに照らす海の公園は夜。甲板にはりつき見上げる夜空星々の絨毯がこんなにも輝いて見えたのは、初めてのことだった。
沈みそうで沈まないその秘密の場所の乗客は二名、つぎの行先をのんびりと空かせた腹で決めながら。
また一つ、流れた星の雫に、今度は二人同時に指を差す。
今日という一日を、彼はほんの少しの嘘のスパイスを込め、彼女は溢れる興味と気の利いたユーモアを込めて、隣同士、問いかけあうように振り返ってゆく。
転んで、追いかけて、掴んで、空に浮かび上がってまた落ちて、また寝転んで、目覚めて────そして今こうして────
浜の近く、夜の更けていく海の公園、星明かりの下のちいさな甲板上。
そこにあったのは、とても穏やかで清々しい、それでいて指を差し笑いあえるような、そんな二人だけが知ることの許される──ちょっぴり長めの、かぎりない結末だった。
人の空いた電車に乗り、午後10時過ぎ夜更けに向かう、穏林市のおとなり赤幕市で──
氷のたくさんある場所、氷を削るのが上手い場所、あの手この手でお客様を楽しませてくれる場所、といえば金閣寺歩には連想し思い浮かんだある場所がある。
学生たちは身分を隠し、彼の自宅にあった同じ野球チームの帽子を被った。今夜は二人でその白骨の取手を引き、入店をしらせる風流な鈴を鳴らし、BARの中へとお邪魔した。
『おい、お前ぶち殺すぞ』
赤毛のバーテンダーは、カウンターごしに前のめりに詰め寄り、学習しない野球帽の男の至近で物騒な言葉をささやいた。
「かき氷、まだ?」
隣の席に座っていた湊が、カウンター席に肘を着きながらつぶやく。
「はい、ただいま! がしゃらばとくせい唐傘ストロベリーミルクかき氷♡鋭意制作中でございますので、そのまま黙ってお掛けしながらお待ちくださぁーい♡」
赤毛のバーテンダーはお客様につくった笑みを向けながら、繰り返し突き刺すアイスピックで氷を削り出す。まだ新入りで作ったことのない裏メニューの設計図紙を何度も確認しながら、カクテルシロップを混ぜ合わせる、忙しくも鋭意製作中のようだ。
『おい、てめぇ、ここがどこだか知ってるかガキ野朗? 来るたび来るたびコーヒーだとかかき氷だとかこのバーテンダー様に作らせるたぁ、てめぇは何様だぁ? どこぞのしょぼい国の王様気分かぁ?』
アイスピックで氷を削りながら、お客様をガンつける赤毛のバーテンダーに、再び詰め寄られた金閣寺は苦笑いを浮かべる。
「余所見してないでさっさとつくれ、できなきゃクビにするぞ権」
「ひゃっ!? はい、ただいま!!(イノチびろいしたな、おまえ……ちっ)」
傍目に仕事ぶりを覗いていたBARのマスター巻に叱られた見習いバーテンダーの権は、背筋を正しテキパキ働き始めた。
カウンター席に座る客の金閣寺は、最後にまた物騒な冗談を小声で囁かれたが、やっと遠のいた赤毛の顰めっ面にまた苦笑いの表情で応えた。
▼
▽
見習いバーテンダーが手こずりつくる裏メニューのかき氷の完成を、手拍子、応援し見届ける湊。
そんな赤毛と黒毛の彼女らとは少し離れた席で、妖しげな白髪と、訳ありの帽子を被った茶髪、そんな男同士の目が合った。
「君が友達を連れてくるとはな? はて、氷の専門家に何かようかい?」
すっとぼけたお言葉から入った巻マスターは、常連客の金閣寺に微笑いかけた。
茶髪の学生は、今日なにもお忍びでBARの裏メニュー、その風変わりなかき氷を食べにきただけではない。
「────なるほど風船が破裂か。それでまた次の風船が、風来坊のようにその友達の元にふらふらやってこないかどうか、か?」
とある友達から仕入れたとある怪奇体験を、またこの店がしゃらばに持ち込み、金閣寺は着物姿のマスターへと話していく。
グラスに夏の青を注ぎながら、目の前の席に座るお客の話を興味深そうに聞いたマスターは、
「ふっ。それはないな」
客である金閣寺の問うたその心配の種を、きっぱりと否定し笑った。
「ない? ……なんで、きっぱり?」
「その風船に吹き込み、その風船を膨らませるのは人だ。ぶくぶく膨らんだそれが怨念であれ祝福であれなんであれ、一度〝ぱんっ〟と盛大に破裂したともなれば、もう二度と再び浮かぶ気力を持つことはないだろう。精一杯膨らませたオモイがターゲットに届かずにやぶれたならば、オモったやつも相・当・しんどい。一途な恋にやぶれた乙女が袖を濡らしてすすり泣くように、そう、しんどいのだよ。まぁ、泣きじゃくりながら次の風船をせっせと膨らませている奴もいるかもしれないがな、ははは」
「……」
「またなにか引っ掛かるようだな」
「いや、なんか……そんなに一人の人を想ったり恨むことってあるのかなって。その手が穢れてもいない、その手が何かを殺してもない、恨まれるようじゃない普通に生きているヤツを」
「表面化しないだけで、世の中にはたくさんあるよ。水面下に潜む不満や恨み、妬みや嫉み、そんな澱んだ感情が膨らみきる前になにかしらの気の利いた対処をする。怪異とは特に弱った人の心の闇や隙間につけ込むものだからな。夜更けと共にある俺たちバーテンダーの仕事も、こうして世間様の喉元を潤しながら、飲み干させ、その一役を買っているともいえる」
マスターの作った季節のカクテルのサービスがそっと、金閣寺の目の前に置かれた。どこか夏の雰囲気のする甘くて青いソーダ色の水面が、静かに、逆三角のグラスの中で揺れている。
カウンターにしゃがみ沈み、またいつぞやのアルバイト募集の紙切れを、黙して客の男に見せつける白髪のマスターがいる。
金閣寺はいつものぎこちない笑みを作り、マスターの誘いをはぐらかす。
置かれたカクテルグラスを手に取り、いつものようにそれが学生である自分にとって安全かどうか、先ずは、匂いを嗅ごうとしたその時──
ポッケにとつぜん響いたバイブレーションに動かされ、スマホを取り出した金閣寺は、通信連絡アプリのPINEを開いた。
しばらく画面を訝しむよう睨めっこした金閣寺は、財布から取り出した5000円の代金をカウンターテーブルの上に一枚、そっと置いた。
煌びやかに澄んだその目の前の夏のカクテルには手をつけず、客は突然、興味が別の何かに移ったかのように席を立った。
逆三角形に切り取られた綺麗な水面を泳ぐ三粒のチェリーが、今、乱れ渦巻いた青の中、ゆっくりと、一つ、沈んでいった────。
よろよろと夜の路地を歩き、待ち合わせの場所に向かう。上着の前ポッケから取り出したスマホ画面の明かりが、虚ろな彼女の目とその青白い面を照らしている。
そんな夜道を漂いつづけるグレーのフード姿の女の前に、臙脂色の制服を着た黒い長髪の者が、対面の道の暗がりから忽然と姿をなし現れた。
「なにか、用────」
「なに……? なんでふじのっちが、ここに……? ……うーうん、用なんてないから、じゃあね」
「ダメ」
「は──?」
その場をそそくさと去ろうとしたグレーフードの者に、藤乃春はそう言った。
その冷たい一言と、冷たくとまった紫の眼差しが、フードに翳る女の表情を歪ませた。
「なんなの! なんでふじのっちがいきなり邪魔するの! 金閣寺くんをまさかッ好きなの!」
「彼のこと? そうね、彼は特別、何度も剥がしてくれるから。あなたよりは──好きよ」
平然と返された藤乃の意味深な言葉が、やさぐれた目をしたフード被りの女の、その怒りの感情に火をつけた。
「なっ!? ……あぁーあ、どいつもこいつもそうなんだ……私のまわりはビッ⬛︎の⬛︎ばかり集まってくる! いつもすました賢しそうな顔してたのに藤乃っちもそうなんだ! 結局! 気持ち悪い!」
突然項垂れたフード姿は、呆れたように深い息を吐きながらぶつぶつと地に向かい何かを呟く。そして、またその面を上げて、血色の悪い肌に皺を刻みながら、怒り叫んでいた。
「どいて!」
上がっていたフードを下げ、その女は咄嗟に片手で覆った自分の顔を深く隠した。強い言葉を吐き捨てた後に、突っ立ち微動だにしない藤乃春の横を、彼女は早歩きで通り過ぎようとした。
その時、急にあらわれた黒い壁と、急に吹いた風が通り過ぎようとしたその女の進路を遮った。
藤乃の持っていた傘が急に開き邪魔をしたのだ。藤乃の横を抜けようとしたグレーフードの女は、驚き歩いていた方向の逆側に倒れてしまった。
「彼はきっと友人としてあなたを助けるわ。でも、今のあなたのような醜いモノを助けない」
開いていた黒い番傘を閉じる。藤乃はその閉じた傘の先端を、今アスファルトに倒れた人間の面へと突きつけていた。
またも冷たいその紫の眼に見下されたグレーフードの女は、たじろぎながらもすぐさま突き付けられた理不尽に対し、反論をした。
「どうして!! わたしが醜いっていうの! わたしのまわりはもっと醜いヤツらばっかなのに!」
「さぁ、あなたのことなんて知らないもの」
語気を荒げて反発するグレーフードの女をまたも藤乃は冷たく突き放す。まるで人ではないモノを見るように、宵闇に妖しく光る紫眼が、道端に倒れて鳴くソレを見下し続けている。
被っていたフードが脱げていた。片手で左の頬を慌て隠すように抑えながら、倒れていた女はよろよろと立ち上がった。
「……!! 何も知らないくせに……何が分かるって言うの!! ママは知らない男を毎晩家に連れてきて! たまの外食も気持ち悪くて! こもってがんばってやってたザッキーちゃんねるの配信も、そんなのみっともないからって取り上げられた! 自分がまともじゃないクセに、まともぶってるような親のふりした腐ったヤツ! でもそんな腐った腐った最悪なヤツ、ママだけじゃない! ⬛︎天、アイツだ! あのビ⬛︎⬛︎がわたしの⬛︎⬛︎⬛︎んに! わらいながらとなりで手を振って! あの⬛︎ソ女が、平気な顔で裏ではこそこそママみたいに⬛︎らわしいことばかりするから! わたしの場所をどんどん奪ってゆくのッあの⬛︎⬛︎きが! 悪びれもせずワラってぇ!! 下の名前で呼ぶなって何度も言ってるのに聞かないし! なんなのモヨ、もよりって! 意味のわからない大っ嫌いな名前! 何も考えてない! ⬛︎⬛︎だけで考えるから! 大嫌い大嫌い大嫌い大嫌いそんなの大嫌いッッだからッッ、ママもアイツもアイツらも……みんな⬛︎えちゃっていいの!!!」
彼女は汚い言葉とあふれる思いを連ねて、束ねて、晒し、吐き捨てた。彼女の生きるセカイがいかに穢れてただれているかを、両手を感情のままに振り揺らしながら、吐き捨てるように説いた。
「何を言っているのかわからないわ、──あなた」
しかし、傘を持ったその分からず屋は言う。平然な顔で、また冷たいその目で。顔を曝け出した女が何を必死に吐こうとも、何も響いてはいなかった。
「な……!? だかは、⬛︎⬛︎、あいふへ──」
フードを下ろし感情的になった女は、もう一度、煮えたぎる思いを募らせて何かを言おうとしたが、言えない。
言葉にしようとしてもできない。その名や、罵言を言おうとするとまるで舌が上手く回らなくなった。
「あなたもう、吊り下げられてるもの」
奇妙な舌の感覚にいまさら気づいた女を尻目に、藤乃はおもむろに指をさした。女もつられて、指された上方を見上げてみると──
天に浮かぶそれは夜の黒ではなかった。星の光が一切見えないほどの巨大に膨らんだ得体の知れないものだった。
空一面に浮かんでいるのは黒、まっくろ。影を落とさずただグレーパーカーの女の頭上で見守っているのは、その丸みも一目では分からないほどに膨らんだ黒い風船であった。
「そんなもの、誰になすりつける気?」
藤乃は最後に、天を仰ぎ顔面蒼白のまま固まった醜い彼女に問うた。いったい誰が、空を隠すほどに膨らみ切ったその黒い厄介を、預かるというのかを。
「ど、どうしてわたしだけ! わたしは助けてくれないの!! わたしだけこんなにもずっとずっと苦しいのに!! 誰もわかってくれない!! 我慢して我慢して我慢したわたしじゃなくて、なんで先に泣きついた■ナだけが! 助かってぇ!!」
彼女は首を横に激しく振った、認めない。彼女は靴でアスファルトを幾度も踏んづけた、怒らずにはいられない。誰も彼も、己を助けてくれないスベテに。
「彼が許しても、ここまで積もった怨念が、あなたがその道を行くことを許さない。怒りは海に鎮めて、そのまま大人しく帰りなさい。その顔の傷は戒めにでもして、彼らの前から消えて生きることね」
藤乃は、怒りや妬みを込めたそんな彼女の言葉に耳を貸しやしない。ただ感情の狂った目の前の女という生き物を諫め、諭した。その道の先を進むことはできない、そしてもう元に戻ることもできないのだと、冷たく突き放し明かした。
「ッ────どいて! どけっ!! ハァハァ!!」
女は左の頬を撫でて、そのブツブツと膿んだ不快感の広がりに、絶望する。しかしそんな触れてしまった絶望感を、涙とともに込み上がる怒りが塗り替えた。女は藤乃に肩をぶつけ、十字路になっていたその道を曲がらず真っ直ぐに走り抜けた。
スベテから逃げるようにひた走る、だが、まだ一縷の希望があると信じて疑わない。まだ彼女が足音を立てて突き進むその道の先には彼、彼ら、学校で会ういつものグループが待っている。ちゃんと話し明かせば、自分のことを認め、逆に、穢れた要らぬことばかりするミ■のことを排斥してくれるはずだと信じている。
涙の粒を散らし走る。暗がりを走りながら膨らませていく妄想に、大きく頷き、やがて歪な笑みを浮かべた。
滲んだ希望、浮かんだ妄想、なけなしの勝算を胸に、真っ直ぐに夜道を走っていたそのグレーパーカーの背は、突如────ものすごい勢いで宙に釣り上げられ、消えた。
「恨みつづけ恨まれつづける覚悟、彼女にはどちらもなかったようね」
音もなく、声もなく、走る姿はそこになく。
藤乃春は、後ろを駆け抜け途切れた足音に、振り返らない。しばらく歩いては十字路の中央に立ち止まり、左側の道にゆっくりと目をやった。
「あなたも、気をつけて帰りなさい。道を間違えないように」
藤乃はわずかな物音のした左の物陰に向かい、そうつぶやいた。息を潜めた物陰は、何も言わない──。
黒い傘を天へとおもむろに開き、音もなく破裂した今日の空は、見上げない。
ユラユラと降り頻る白く穢れた紙吹雪の中を、黒い長髪をした一人の少女が、静かに傘をさしながら去っていった──────。
「アレ? なんだこの文……さっき見たのって、こんな文だったか? そりゃこんな夜中に……誰か来るわけもなく、いたずらか? てかなんでこんなところに、来ちまった? 俺──」
差出人不明、意味の分からない空白の目立つ歯抜けの電子メッセージが彼の覗くスマホの画面に表示されていた。それでも空白部を思考しおぎない推測しながらやってきた待ち合わせの場所には、待てども待てども、謎の待ち人はついに来ず。
独り、夜更け、突っ立つ──。人のほぼいない店灯りも消えたこの噴水広場には、誰も来ず。
金閣寺はどこか釈然とせず、外吹く風に吹かれつづけ奥まで冷えた茶髪を、今おもむろに掻いた。
髪を乱しといても、謎が解けることはなく──。水の音もない、風の音だけが寂しく彼の耳から耳へと通り抜けていった。
そんな何かを漠然と待ち続けていたらしい彼のジーンズのポッケに、突然、バイブレーションの音が鳴った。もう一度彼は仕舞っていたスマホを取り出し、通知バナーに表示された差出人の名に目を見開き、黄色いパイナップル柄のアプリを開いた。
⬜︎PINEメッセージ
歯磨いた? 窓は閉めた? 鍵閉めた? 消しゴムは? 受験票は? 忘れものない? チョコレートたべる?
ミナトソラ
⬜︎
一瞬、彼のスマホにまた怪文書が送られてきたように見えた。
「なんだこれ、やばっ……ってまじか……いや、この場合やらかしたのは──俺……だな? てかこれなんか……コイツ、地味にキレてねぇか。(なんで受験生の母親みたいなセリフ……)はぁ……よしっ!」
湊からPINEのメッセージを受け取った金閣寺は、噴水のとまった夜の広場から停めていた自分の自転車の元へと急いだ。終電の時間を過ぎたであろう赤幕市へと、置いてきた忘れものを隣の市まで今から自転車をとばし迎えに向かうことにした。
自転車のサドルに跨り、カラカラと音を立てて車輪がもぬけの広場を前へと進んでゆく。
ふと、何かを思い出したのか車輪の音を止ませ、自転車は止まった。彼は、稼働しないライトアップもされていない暗い噴水の辺りをもう一度、振り返り眺めてみた。差出人不明のメッセージを見つめながら、ゆっくりと首を傾げ、画面の電源を落とした。
止まっていた車輪は、軽々とペダルを踏みまた進んでゆく。駅沿いの風に吹かれながら、彼は次の待ち人の元へと、せっせと自転車をその足で走らせてゆく。
グレーのビルの屋上から静かな街並みとまばらに点いた灯りを眺める。黒髪の少女は、また小さくかき乱れてゆくその風の行方を目で追いながら、やがて傘を開いた。
雪のような白い斑点で化粧した黒の番傘と共に、暗く垂れ下がる夜のとばりの中へと消え入った。
黒い風船の怪奇譚(終)




