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第14話 いじわるな風船屋

「カイト、モヨ、アベカナ、トミミ、ナカガワ、カクジ、ナカガワ、カクジぃ〜、たったらたぁー」


 茶色いローファーの爪先が道端の石を蹴ってゆく。


 前へと弾かれたちいさな石を無邪気にも追う、そんな一人遊びを学校の帰路で、童心にかえり繰り返している女子高生が一人。


 意味もなく占うように、親しい皆の名前を順々に繰り返しつぶやく。ただの帰るまでの暇つぶしのようだ。


「おまけの、フッジノーぉ〜──あ」


 勢い余り大きく蹴り出してしまった石を、女子高生は小走りで追っていく。電柱の付近に転がっているのを見つけた彼女は、走っていたその足をゆるやかに止めた。


 電柱の後ろ影から、なにやら黒い足のようなものが、一本、二本と出てきた。


 彼女が地から目線を上げると、黒いシルクハット型の帽子を目深くかぶった怪しげな男が、彼女の目の先のそこにゆっくりと現れ立っていた。


 女子高生は男の足元にある石を蹴り返して欲しかったが、そうはしてくれないようだ。


 よく見ると男は、黒い風船を一つ、片手に持って突っ立っていた。


 黒帽子の男は、その手持ちの風船をどうやら女子高生の方へと差し出そうとしているようだ。ゆっくりと彼女の方へと手を伸ばしている。


 不思議に思いながらも、男の持つ珍しい黒風船と寡黙で独特な雰囲気が気になり近づいた女子高生は、その黒い風船を男から手渡しで受け取った。


 受け取った風船の紐を摘みながら、女子高生は笑った。


「あぁー、じゃあこの子も一緒に帰りますか? なんてね、──誰かツッコめ、はは」


 風船を手渡した際の中腰の姿勢を元に戻した黒帽子の男は、何も言わずに頷き道を開けた。


 女子高生はそんな黒い風船屋さんとのおかしな出会いに別れを告げて、また、落ちていた石を蹴りながら、住宅街の路地を歩き出した。


「子どもとかに会ったら渡しちゃうんだろうなぁ、わたしも、なんて、はは」


 彼女がこの黒い風船を手渡す相手は、きっとこの先の道で出会う誰とも知らない子どもたちだろう。


 手放すには少し惜しい、そんな珍しい黒の風船ではあるが、ほんのしばしの帰り道、楽しめればそれもそれで乙なものだと、彼女は思い笑った。


「あ、そうだ! アレとアレ、今から呼び出して先に会った方に〝これ〟あげるのもおもしろそう? はは。ま、それまでは楽しんじゃ────おっと……?」


 風船一つで彼女のする妄想は膨らむ。何かもっと楽しい案を思いついた彼女は、また一人で笑った。


 道端の石と珍しい風船を連れるそんな無邪気な人間の笑い声に、その時、後ろから──駆ける足音が近づいた。


 駆ける黒い風と冷たく煌いた銀色の鋏が、迫る足音に振り向いた彼女の左肩を突然掠め、瞬く間に通り過ぎた。



 引っ張られ上へ伸びていた彼女が手に摘むその紐は、だらりと、今お辞儀をするように垂れ下がった。


 彼女の左手指に無情にももたれかかった細い紐。見つめる、その紐の先には何もない。手を引っ張っていたあの浮遊感・気分をも上げる楽しげな感覚も、そこにはなく、ぷつりと途絶えたように消えていた。


 さっき後ろから来た突然の黒い風に攫われでもしたのか、彼女は吹いていった方向を見つめるが、そこにも何もない。人影は一つともなく、突き当たりにはいつも目にするグレーの塀が悠然と聳え、視界に見えているだけだった。


 不思議な風に吹かれるままに、乱れてしまったみじかい黒い髪を、おもむろにかきあげながら、


 女子高生は、午後の曇り空を見上げた。


 遠く目を凝らしても、もう、あの黒い風船の行方は分からなかった────。















「金閣寺くんじゃあまた放課後、【火曜日のカラオケ】! 火曜はカラオケの日で三割引きだから」


「あぁー、約束してたな。わかった。あそこの横断歩道を渡ったいつものとこな。火曜は三割引だもんな」


 今日も今日とてこの男、金閣寺歩は、穏林高校の一年生徒として普通の日常を送っている。自転車通学で途中一緒になった道島えりに手を振り、校舎三階の自分の教室へと向かった。





 授業終わり、いつもの放課後がやってきた。だが、この後の予定は決まっている。金閣寺歩は耳にイヤホンをつけ、今日歌う予定のセットリストを垂れ流しながら赤い階段を一段一段降りてゆく。


「おい金閣寺、バッピはバッピ」


「あぁ?」


 階段の途中、いきなり後ろから呼び止められた金閣寺はイヤホンを外し、今、馴れ馴れしく左肩を掴んできた誰かの手のある方に振り向いた。


 そこにいたのは見慣れた坊主頭。野球部で友人の宗海斗は、金閣寺のしらばっくれた態度に、語気を強め問い詰めた。


「あぁ、じゃねぇよ。言ったろ今日来いって。今日は【火曜日のカーブ】! また俺の打撃練習に付き合ってくれるんだろ? じゃあ、先に行ってるからな。水曜日のシンカーも忘れんなよ!」


 宗海斗はイヤホンを外した金閣寺の片耳にそう大声で言い残し、階段を素早く先に駆け降りていった。


(しまったな。カラオケとバッピ、どっちにするか)


 予定がダブルブッキングしてしまった。雑用を頼まれがちなこの男には、こういう事態は稀に起こる。


 この場合、どちらの約束を先に優先すべきか、先約はどちらであったかも考慮し、一度立ち止まり考えなければならない。


「きのう爪切るの忘れたな。喉もなんか、ココ──でっぱってて調子悪いな。…………ただの喉仏か」


 あれやこれや断る理由付けを考えるも結局見つからず。左指の絆創膏を除き、いたって金閣寺歩は健康だという結論が出た。


 片耳だけつけたイヤホンから音が流れる。そんな中途半端な状態で突っ立っていた金閣寺歩、彼のスマホの通知音が鳴った。


「……」


 今きたメッセージを開き、読んでいく。


「先にこっち済ませるか」


 右のイヤホンを外した彼は、踵を返し、上の階段へと向かい足をかけた。





 スマホのメッセージで相談事があると言われた。金閣寺は仕方なく、文字で指定された屋上の方へと向かった。


 またこの前みたいに雑用を押し付けられそうだ。彼が心の中でそう、これから起こる厄介ごとの予想を立てていた。


 5階から屋上へと向かう静かな階段を登り切った時、突然、彼の左手はぐいと強く左方のスペースへと引っ張られた。


 金閣寺は驚くも、そんな子供っぽい悪戯をする奴は、メッセージを送りつけた本人、そいつしかいない。


 屈み身を潜めていた湊天が、屋上ゆきのドア前左の何もないスペース、埃っぽいそこで笑っていた。





 そんな悪戯はどうでもいいことだ。金閣寺はさっそく、メッセージではぼかされていた相談事の内容を詳しく彼女から伺うことにした。


 そして明かされた内容に──金閣寺はつい、ため息をついた。


 「最近肌の調子が悪いのが気になるんだよねぇ」などと、どうでもいいことを湊天はのたまっているのだ。


「はぁ? どこが?」


 金閣寺は湊天を少し冷たくあしらうように対応する。


 こんなところまではるばる階段を登り、その行き着いた先が〝女子のお肌のお悩み相談〟などと、能天気なことを言われても彼の知ったことではないのだ。彼が美容関係に特段詳しいわけでもない。むしろ今は、彼女より彼の肌の調子の方が、振り回されてはストレスを感じ若干ではあるが好ましくない状態だろう。


 それにざっと目を通しても、今、面と向かい離す彼女の肌艶はいつも通りに見える。並の女子より透明感があると評される方なのではないのかと、金閣寺歩は思った。


 思えば山﨑もよりの悪ノリより湊天の勝手なノリに振り回される回数の方が多い気がするものだ。金閣寺はその不満をあらわにするように、首を傾げてみせた。


 しかし彼女は何を思ったのか。


 同じ方向に真似するように首を傾げていた湊天は、いきなり指を弾き閃いたジェスチャーをした。


 そして、彼女は、臙脂色のブレザーを投げつけるように彼に預け、自分の首元にゆっくりと手を伸ばした。


 白いシャツのボタンを一つ、一つ、外していき、自分の生肌をあらわに────


「っておい、なにやって!?」


 目の前の女子がいきなり訳の分からない行動に踏み出す。この人物ならやりかねない奇抜なことも、さすがに限度というものがある。


 金閣寺はすぐに目の前の彼女から視線をそらした。これも一種のいたずらなのだろうと知っているからだ。湊天は金閣寺の鼻をさわったり、なれなれしいスキンシップをよくしてくる。そんな彼も、彼女がまさかいきなり肌を見せてくるとは思わなかったが。


 それでも金閣寺は冷静に対応する。彼女から預かっていたブレザーをカーテン代わりにし、自分の視界から隔てた。


 しかしまだ湊天は隔てる赤い幕ごしに、お肌のお悩みポイントを細かく語り出した。視界の情報を遮断し、一応友人である彼女の話だけは耳に通した金閣寺であったが────


「────は? ほくろがふえた?? いや、しらねぇけど……」


「何言ってんのカクジ、ちゃんと見てもないのに? ほら、こことか、ここも数えて」


「な!? まぁ、おまえがそう思うならそうなんじゃねぇか……。てかそんなの山﨑とか阿部とか富宮にきけよ! なんで俺になんだよ」


「あっ、そっか」


「そっかっておまえ……はぁ」


 金閣寺は急に馬鹿らしくなった。彼女の冗談に付き合うのもほどほどにして欲しいものだ。ただでさえ、この後の予定が詰まっていてそちらの方を優先したいのだから、湊天のシャツ内に隠れたほくろの数など、多少増えようが一介の男子生徒である彼にとっては、まさにどうでもいいことなのだ。


 そろそろこの冗談話はいいだろう。金閣寺はついに匙を投げるように、湊天から預かっていたブレザーを彼女へと投げ返した。


「数え終わったらPINEに書いとけ、じゃあな、俺は忙しいん────だ?」


 そう淡々と吐き捨てて、金閣寺歩は屋上前の階段を下へと引き返そうとした。


 だが、左手を引っ張られる感覚が伝う。


 三歩下った階段の途中、その感覚に金閣寺が振り向くと、彼の左手は、湊の右手に繋がれていた。


 埃っぽい床に、くしゃついた赤いブレザーが落ちた。


 ボタンを掛け違えた白いシャツ姿のまま、彼女の瞳がじっと上から、茶髪の彼のその顔を見つめていた。


(────どうやらソイツは自分のことを離す気がない)



 そんな飽き足らない目の色をしていた。












 ▼カラオケ ヨイサウンド 穏林支店▼にて


 どうしてこうなったのか、金閣寺歩には分からない。道島えりとの約束を果たすために、放課後、自転車を走らせ近場のカラオケチェーン店に訪れたものの。


 今、個室内、L字のソファーに座る人影が、多い。


「おい金閣寺! 突発の合コンなら先にそう言えよ!」


「ってなんでいんだよ。お前、部活サボってていいのかよ。って合コンじゃねぇよ、なんだよ突発って」


 いまごろ部活動真っ最中のはずの野球部員、宗海斗の姿が隣にあった。随分とご機嫌そうな様子で、金閣寺へと話しかけている。


「いいのいいの! 俺って三日寝てても不動の一番だから! 上級生でも俺よりショートで上手いヤツはいねぇのよ。なんなら投でもエース格なのが、ご存知このフレッシュニュースター1年生野球部員、宗海斗だろ!」


 金閣寺がバッティングピッチャー役を打診された件について断りの連絡をスマホでしたはずが、宗海斗は現在カラオケ屋へと合流を果たしている。おそらく勝手に部の練習を早めに切り上げて、ここまでやってきたのだろう。


「一体何足の草鞋をやってるのかは知らねぇが、そのうち全部スランプになってもしんねぇぞ」


「その時はまた練習に付き合ってもらうからな金閣寺くん!」


「いらねぇ……。──寄るな」


 金閣寺は肩に寄りかかったその男の馴れ馴れしい手を払いのけた。そして、賑やかになってきた雰囲気に何かを思いついたのか、おもむろにポケットからスマホを取り出した。


「ったく……あぁー、じゃあせっかくだし中川も呼ぶか」


「は? 何言ってんだ、んなヤツ呼ぶなよ! せっかくだぞ!!」


「は? お前こそ何言ってんだ? だからせっかくだろ……?」


「まったく鈍いな。だ・か・ら! せっかくちょうど2、2になってんだぞ。ソイツ呼んだらこのちょーーーーどいい最良のバランスがガタっと崩れてッ、全部もってかれるかもしれないだろうが!」


「お前……まじか……」


「お前の方がまじかよ! この神の采配にわざわざ水を差すなんて、まったくイカれてるぜ!! あぁん??」


 どうやらこの坊主頭はこのカラオケ屋の個室に、例えそれが友人であろうがこれ以上男子を呼び込み増やすな、とおっしゃっているようだ。確かに頭数はちょうど女子が2、男子が2の人数でつり合っている。今のこの状態こそが過不足なくベスト、偶然にも導き出された神の采配なのだと、鈍感で分からず屋の金閣寺歩へと宗海斗はまた肩をつかまえ熱心に説いた。


「うんうん。そんなエロいヤツ呼ばなくていいじゃんカクジ、あはは」


 ソファーに沈み座る金閣寺の肩に置かれた手が増えた。


 カラオケ屋で落ち合う約束をした道島えり、勝手についてきた宗海斗の他に見慣れた顔がもう一人。


 湊天もここに来ていた。そう、彼女もまた金閣寺の用事に勝手についてきた内の一人であった。そのような偶然や奇遇や気まぐれが重なり合った末に、奇しくもこのカラオケ部屋は今、女子が2、男子が2居る状態となっていたのだ。


 そんな湊も宗の説く意見に同調した。例えそれが友人間の悪ノリだろうが散々な言われようだ。だが友人グループの中川透がここまで邪険に扱われることは滅多にない、普通ならば友の為に少し怒ったり不満げな態度を取ってもいいものだが、不思議と今の金閣寺の気分は悪くはないようだ。


「バッター中川OUT! よぉし、憂いは完全に去ったところで! ここからはお待ちかねのカラオケデュオバトルだ! この最新AIを搭載した相性診断機能をつかって真のデュオ、いや真のペア! そう、真のバッテリーを決めるぞおおお!!」


 宗はどこかで聞いたことのあるような怪しげな企みをまさに実行しようとしている。道島えりも宗が勝手に言い放ったその突発のイベントに乗り気のようだ、意図を理解しマイクを人数分用意してきた。


「ってなんでこうなったんだっけ?」


「「いいのいいの!」」


 マイクを手にした宗と湊が、まだソファーで考え込む茶髪頭の左右から、明るくそう言った。


「まぁ、いっか」


 道島えりからマイクを手渡された金閣寺は、顎に当てていた無駄な手を下げ、ソファーに沈んでいた尻を上げる。


 考えたところでどうにもならない、意気投合するように協調し合う三人により作られてゆくこの明かるげなノリは、もうどうしようもない。


 金閣寺歩はエンジンがかかったように、陽気な面子と陽気なメロディーに誘われるがままに、温めていたソファーから立った。



 騒ぎ声と歌声が一緒くたに漏れ出る。


 カラオケ屋ヨイサウンドのちいさな個室で、学生たちの放課後の宴が今、盛大に始まった────。











 放課後のカラオケ屋で、集まった友人たちと10曲以上も馬鹿騒ぎし歌えば、人はこうもなるのだ。


 時刻は午後6時をとうに過ぎ、金閣寺は遅くに帰ってきた自宅リビングにある小さなソファーの上に、力尽きたように今寝転がった。


 臙脂色のブレザーを脱ぎ捨て、使い古されところどころ薄れたアースカラーの色調に沈み込み、一息をつく。その瞬間から彼は、皆のよく知る金閣寺歩らしくはないのかもしれない。


 仕事で他県へと出張中の彼の母親は忙しく月に一度もここへは帰ってこない、この家はいつも彼一人、静かなものだ。


 何にツッコミを入れる必要もない。そんな静けさの中で、ちいさなソファーに大きくなってしまったその脚をはみ出しながら、ただ天井を仰向けに見上げる。


 そこに何かあるわけでもない。天井のシミの数もそう簡単には変容しない。ただ、そんな何もしない時間というものはこの男にとって貴重なものでもあるのかもしれない。


 そこでぼーっとしていても何も誰にも咎められない、呼びかけられない。この古いマンションにある変哲のない一室が、今の彼の帰る場所なのだ。


「おかしいもん。こんなところにあるなんて。ほらここにも、ねぇカクジ?」


 しかし、今日という日は賑やかだ。無遠慮な足音が家の中をどたどたと音を立て走り、ソファーで寝転んでいた彼に近づいた。

 

「だから……知らねぇって……! あぁー、そうやって細かいとこを見るようになったから変に気付いただけじゃねぇのか」


 金閣寺の住む家までついてきたのは湊天。カラオケ屋では飽き足らず、他人の家の中に現在彼女はいる。


 一人の時間を邪魔された金閣寺はそんな彼女の声に振り向いたが、すぐに視線を外した。


 そのラフすぎる格好に。


 何をしているというのだろうか。彼女は自分の体のすみずみを自分で目視チェックしていた。


 その格好はというと、学校指定のカッターシャツの前を、ボタンを外し開いたり閉じたり、薄手の布地をぱたぱた揺らめかせている。一介の男子生徒が直視するのを憚られるものであった。


 確かに家主の金閣寺は湊が学校の屋上前で相談してきた「増えてきたほくろの数」を、そこの風呂場前の洗面所に籠り一人で鏡で見てくるように勧めはしたが、そのことを報告するにしても、今の彼女の披露するはしたない格好は冗談がいきすぎている。


 彼女はちゃんと前のボタンを全部首元の一つまでも閉じて、洗面所で数えたほくろの数を彼に事務的に報告するだけでいいのだ。それでさえも、おかしな状況であることには変わりないのだが。


 金閣寺は一応そんな状態の彼女を相手して、ほくろの多さに気付いたのは気にするようになったからだと、傍らに置いていたスマホを意味もなくいじりながら冷静に言葉を返した。


「なるほど、うーん……細かいとこ? ──どこ?」


 湊天はその場を優雅に一回転しながらそう言う。白い切れ端と、この部屋を我が物顔で靡く黒髪ショートが、彼の視界の端にちらりと映る。


 冗談をまた聞いた金閣寺は、視界端にちょろちょろと映るものに我慢できず、寝転んでいたソファーから起き上がった。


「おまえ……まじでふざけてんじゃ──!」


 一喝して驚かしてやろう。即座に服をまともに着るように、彼はそんな行動を咄嗟に選んだ。


(ん? なんだあれ? ────?)



 金閣寺が起き上がり振り向いた方向、彼女の背を追い越した場所に、なにやら黒い物体が浮かんでいた。


 部屋の角にあんなものを置いた覚えはない。


 金閣寺が目についたその謎の黒にフローリングを歩き近づいていくと、部屋の角にとまっていたその黒はゆっくりと部屋の中央へと向かい離れていった。


 それは黒い風船だった。


 自分が動いた足音が響きその角を離れてしまったのか。金閣寺は今目で追った進み始めた黒い風船を、また近づこうとリビングの中央の方に戻り、追いかけてゆく。


 やがて、浮かんではまた動かずに止まった風船にさっきよりも近づいた金閣寺はそれに手を伸ばそうとした。


 なんの気なしに伸ばしたその手に今度は黒い風船の方から近づく。いや違う、それは近づいているのではなく、大きくなっていた。


 そう、まるで威嚇するように手を伸ばした先の黒い色合いがその存在感を増し、膨らんできたように彼には見えた。


 金閣寺は焦って伸ばしていた手を引っ込めた。すると、異常に膨らんで見えていた黒い風船は不思議と手を遠ざけるほどに萎んでいき、元の大きさに戻っていた。


「ん? なにやってんの、カクジ──?」


「いや、別に……」


 急に恥じらいという言葉を思い出したのか。ボタンの開いたカッターシャツの薄地を前に重ね合わせ、身を縮めるように隠す。


 そんな仕草でかたまった湊天の姿が、夢中に何かを追っていた彼が今見下げた目の前に突っ立っていた。


 突っ立つ彼女の頭を追い越した向こう側、カーテン側の部屋の角に静かにとまった黒い風船がある。


 家主の金閣寺歩は、飾った覚えのないその黒いアイテムを目に留めながら、じぶんの茶髪を掻いた。


 誤魔化すように手になぞった彼の茶髪の内側は、じっとりと湿っていた────。

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