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第13話 紙切れ

 夜の学校で目覚めた生徒たちは、当たり前のように、また、明けゆく元の日常に溶け込んでいった。


 恐ろしい怪奇体験を辛くも乗り越えた金閣寺歩もまた、彼らと同じように──。


 しかし、彼の頭の中にはどこかぼんやりと、所有するスマホのメモリーにも記録されていない、忘れられないその人の名が残っていた。







 その人が消えてしまってから数日後。


 放課後、演劇部では新たな劇、題名【ヤマトタケル】のリハーサルが行われていた。


 景行(けいこう)天皇に疎まれた暴れん坊のオウスのちのヤマトタケルが、数々の試練を乗り越え西へ東へと冒険を繰り広げていく日本を代表する伝説的な物語だ。


 そんな演劇部の劇を見学したいと理由をつけて、校内の多目的ホールへとお邪魔した一介の生徒、金閣寺歩は、彼らの稽古模様を見守って指導していた演劇部の顧問に尋ねた。


 【やなぎしおり】という名に、聞き覚えはないかどうかを。


「やなぎしおり、やなぎしおり……そうねぇ……あっ、昔そんな芸名の子役が確かにいたわ。CMとか昼のドラマにも確かちょくちょく出ていたんだけど、そうね……ある日を境に突然みかけなくなったわね。それからは出演機会に恵まれずさっぱり、鳴かず飛ばずだったのかしら? 演技の方はそうね、子供ながらにどこか中性的でどこか品があって良かったものだと記憶しているわ。まぁ、才能のある子役が、育ち盛りがゆえに変化する自分の容姿や演技の壁に当たって、受け止めきれずに伸び悩むことは珍しくもないことね。残念だけど芸ごとの界隈ではよくある話ね」


「まじ……? あの、そのドラマの映像とかってネット配信とかにある感じすか?」


「ん? 私が見たのは数十……古いものだから、どうかしら。それはたしか、特段ヒット作でもなかったとも思うし、残っているとすればネットというより実家にある映るか分からないビデオテープね。その当時は、私もまだ夢見るほどに若かったから、良い演技をする子は、年齢はどうあれ撮り貯めてそうしてお手本代わりにしていたこともあったわ。その名前にピンときたならきっとそうね──って、あなたネット配信って今時なのね、もう少しで恥をかくところだったわ! うん、じゃあ、時間があったときに〝ソレ〟探してあげるわ。──あ! あなたもしかして、演劇部に本格的に興味でも出てきたのかしら?」


「え? いやぁー、俺は特にそういう本格派というわけでもなく……まじでにわかのにわかの」


「ン──よく見れば、あなたけっこうタイプかも?」


「は!? あのぉー、俺って、生徒ですよ……?」


「あははは、舞台向きのタイプということよ。さすがに分別をわきまえてるわ」


「な、なんでそんなことを? 全然んなこと言われたことも」


「だって、その立ち方。好きでしょ、舞台」


「あ──?」


 顧問の先生は今話す彼の足元を指差した。


 爪先の角度、腰の位置、『浮き足立たない』ように、誰かに指導されたまるで神経の通った立ち方が、そこに染み付いていた。


 立ち方というのは舞台の基本。立ち方一つ覚えるだけで素人感をぐんと減らすことができる。日々の生活の中でも、それは鍛えることができるものだと、金閣寺はそう聞いたことがあるのを思い出した。そして、自分がそのような特異な立ち方をしていることに気付いた途端に、不思議な感覚に陥ってしまった。


 演劇部の顧問にその立ち方のことを指摘された。見る人が見れば、舞台の立ち方を知っているかどうかなど、一発で分かるのだという。


 指摘されるまで自分では全く気付かなかった。金閣寺が彼の普段の立ち方がどうであったかを、思い出そうと自分の上履きを見ながら怪訝な顔を浮かべていると──


 突然、何かが落ちる痛々しい音が響いた。


「先生! クマソタケル役の学くんが酔って転けて足をヤっちゃって!?」


「えぇ嘘! もう何をやっているのよ! この発表会の近づいている時期に、どこ、見してみなさい。────あちゃー、もう殺陣をやるなら段取りをしっかりしなさいって言ったでしょ! 怪我するなんて下手なことをしたのね! 役柄とはいえ本当に酔って派手に転けてどうすんのよ。──え? 俺は憑依型だからそこを突き詰めたい? そんなことは今聞いていません! 大物になってから言いなさい! もうバカらしくて……やだっ! うわぁー、腫れてきてるじゃないの」


 顧問の先生が向こうで転けた男子部員を心配し駆け寄る。説教をしながらも、男子部員の腫れ上がった足首にコールドスプレーを振りかけていく。


 稽古を中断し、演劇部の部員たちがどよめきだした痛々しい光景を、傍らで見てはどこかデジャヴを感じてしまう────


 金閣寺歩はフローリングに無造作に転がっていた一本の棒切れを、今、おもむろに拾い上げてみた。










 急遽、主人公ヤマトタケルの敵であるクマソタケル役、その稽古での代役を務め果たした金閣寺は、顧問のはからいで演劇部の部室を貸してもらいひとり休憩をしていた。


 何故彼がそんな代役を引き受けたのか、それはまた、何かを確かめてみたかったからだろう。


 体を動かせばその何かを掴めると思っていたが、ただ、思ったよりも激しめの木剣での殺陣アクションをこなし、体に汗をかいただけであった。


 この体に染みついたものは、何なのか。休憩していた長椅子から彼は起き上がり。もう一度そこに立ってみる。


 黙し、静かに立つ──目を閉じて何かを探してみる。足元の神経から流れるソレは、彼の中に当たり前に溶け込んでいて、もう見つからないのだ。


 元の立ち方さえ、どうであったか定かでない。


 それが【やなぎしおり】なるものの彼に残した痕跡だとすると、とても不思議で同時にとても恐ろしくも思えた。


 首元にぶら下げていた白いタオルが、するりと、落ちてゆく。


 金閣寺は、おもむろに閉じていた目を開いた。


 彼は今落ちてしまった白いタオルを拾い上げようとした。しかし、彼が手を伸ばしたその床に落ちた白いタオルが、今一瞬、何かを誘う矢印のように伸びているようにも見えた。


 白く指し示された方向へと歩いていき、やがて、そこにあったネームのないロッカーを開けてみる。

  

 その中には、チェック柄の探偵帽子が一つ置かれてあった。


 金閣寺はどこか見覚えのあるその柄を見て、思わず息を呑んだ。


 急速に汗が冷えるゾッとした心地に、ロッカーをこのまま閉じてしまいたいとも思ったが、彼はゆっくりと手を伸ばし、その帽のツバを指で挟んでいた。


 慎重にそれを暗いロッカーの中から取り出してみると────今手に持った帽子の中から何かが、ひらひらと、舞い落ちていった。


 金閣寺が慎重に床から拾い上げたのは、一枚に満たないぼろぼろの紙であった。


 破れて題の読めない物語の断片がそこに、掠れたインクで書かれてあった。









 放課後、部活動をしている生徒たちも帰り始めた夕暮れ時。演劇部の部室から文芸部の部室へと、金閣寺は向かった。


 小汚い部屋は、空気に染みついたインクの臭いと、乱雑に置かれた本から独特のカビた臭いが嫌に金閣寺の鼻を打つ。


 換気や掃除もろくにしないほどに、こもりっきりで執筆活動に没頭でもしていたのだろうか。先生に見つかれば即刻注意されてしまう、そんな酷い有様だ。


 本や紙屑や資料の散らかった狭い足場になんとか立つ場所を見つけ、金閣寺は、演劇部の顧問を尋ねた時のように同じことを文芸部の部長に問うた。


「やなぎしおり……?」


 机に向かっていた男の丸まった背は黙ってペンをとめ、思考している。


 やがて──


「知らないな。もういいか、今度の夏の賞に出す作品を仕上げるのに忙しいんだ」


「え? あぁ、邪魔して悪かった。あ、じゃあ、ちなみにこの話の方は?」


「支離滅裂な文章だ。ファンタジーものやSF小説志望なら他の部を当たれ」


 依然背をみせながら、文芸部の男は顔を合わさずに茶髪の客を邪険に扱った。


 辛く評したような支離滅裂な文章を見て、苛立ったのか。文芸部の男は客からもらった紙の切れ端を、後ろに雑に投げ捨てるように返した。


 金閣寺は慌てて、ユラユラと宙を舞った紙切れを手で掴み回収した。つい、床に無造作に置かれてあった本や捨てられた原稿を足蹴にしてしまったものの、それは先に雑に扱ったお相手の自業自得で諦めてもらうしかない。


 居心地の悪くなった金閣寺は、その男の背に睨まれる前に、用のなくなったカビ臭い部室を出ていった。




 邪魔者はいなくなった────取り戻した静寂に目を凝らすのは、いくら埋め尽くしても湧いてくる余白のスペース。


 文芸部の男は薄い原稿にペンをはしらせ、また、物語のつづきを書き始めた。









 結局、【やなぎしおり】は何者だったのか。それは誰かの芸名らしく、しかし、たしかに彼女は化物であった。


 あれほど見た覚えのある美しいその彼女の顔を、金閣寺歩は何故か今は思い出すことはできない。満ちていた月が欠けてゆき、流れる浮雲に途切れ隠れてゆくように。



 そして手に入れたこの紙の切れ端を、どうするか金閣寺は迷った。実は探偵帽子から出てきた切れ端は後から出てきたもう一枚があり、そのもう一枚の方には、誰かの独白めいたものがあやふやに書かれているが、それを信用することも難しい。


 それどころか、彼には、今すぐ捨てたくなるような呪いのようなものにも思えた。


 その文を見ているだけで、読もうとするだけで、あの時の恐怖や肉声が徐々に蘇ってくる。そんな嫌な感覚に囚われてしまった。


 金閣寺は思わず紙から視線を外す。やがて、屋上の手すりにしがみ付くように、ため息をついた。


 気分の悪くなった金閣寺は、一度、夕暮れの校舎屋上から、オレンジがかった街並みを眺めた。


 今日はもうこれ以上、探しつづける意味などないのかもしれない。今悠然と眺めるこの美しいオレンジ色もやがて深い闇に沈み染まりゆくというのならば、その境でどことも知らず深掘りしていては、帰る道が分からなくなりそうだ、そう金閣寺には思えた。


 何よりも彼の左指が、また疼きだし、そう報せているようでならないのだ。



「何か──用?」



 そのとき、彼の背に聞き覚えのある声がそよ風のように流れた。


 金閣寺が後ろを振り返ると、もぬけの屋上にあらわれたのは藤乃春、彼女だった。


 紫の瞳に見つけられた時、彼の左指に疼いていたそのわずかな痛みが、だんだんと失せてゆく。


 持っていた紙切れを背方で丸めて、ズボンの後ろポッケの中へと仕舞い込む。屋上の端に立ち止まっていた金閣寺歩は、雨も降らずにひらかれた黒い傘の下へと、歩き出した────────。

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