中
こうして私は、三隅と出会った。
三隅は私の両親から大変な感謝を受けたが、警察内部では厳しい批判に晒された。その事実は、後に知った。
現に命を救い、犯人も無事検挙された事から公式な処罰はなかった様だ。だが手順を無視した三隅のやり方は、支持されない。
警察の捜査とは、チームプレイが基本だ。そこには規律があり、セオリーがある。
それに、嫉妬も。
三隅が私を救ったのは、偶然だった。自転車で巡回中、人がいないはずの廃工場に見慣れないワゴンがある。それに不審を抱いて様子を窺うと、建物の中に拘束された私を見付けたと言う訳だ。
しかも窓から覗き込んでいるのを見張り役の男に見られ、セオリー通りに応援を呼んで態勢を整える余裕なんかなかったのだ。
いい方に転がったからよかったものの、人質に害の及ぶ危険性の方が大きかった。不可抗力の要素があったとは言え、その批判は甘んじて受ける他ない。
しかしだからこそ、私は疑問だ。
当時の三隅は警官になったばかりで、年齢は十九かそこらだったはずだ。
ほんの少し前まで学生で、子供みたいな年齢の人間だ。幼い命が懸かっていたとして、どうしてあんな危険の中に飛び込めたのだろう。人質も危険だっただろうが、あの場で警官と知れたら自分の方が危なかったのに。
私には自信がない。
あんなふうに、誰かを助けられるだろうか。
だから、三隅が全ての理由だった。私はあの人を知りたくて、あの人の様に誰かを助ける人間になりたくて、警官になったのだ。
ただし、スタートは少なからずの失望から始まった。
半年前に警視庁捜査1課への配属が叶った私は、憧れの人にフルネームで挨拶した。
結果、三隅は一瞬奇妙な顔をしただけで、新人の相手をするのは億劫だとでも言う様に席を立った。愕然とした。覚えていないのだ、あの人は。自ら助けた子供の名前さえ。
以来、その事に関してだけは、少し三隅を恨んでいる。
病院からの帰路、三隅はリクライニングを目一杯に倒して助手席に寝転がっていた。
しばらく大人しくしていたが、ハンドルを握る私が交差点を曲がろうとすると口を挟んだ。
「真っ直ぐ行け」
「でも、戻るなら右に」
「本庁じゃねぇよ」
「え? じゃあ、どこへ?」
てっきり警視庁に戻るのだと思っていたのに、違ったらしい。当然行き先を問うと、三隅は黙った。
「……真っ直ぐですね」
私は諦め半分で大人しく従う。
指示通りに車を走らせると、繁華街の雑居ビルに辿り着いた。これはまずい。私はハンドル寄り掛かり、頭を抱えた。
一階は普通の不動産屋の店舗だが、二階から上は暴力団の事務所なのだ。
「お前は帰れ」
車を降りながら言い捨てて、一度もこちらを見ずに行ってしまう。
冗談じゃない。
慌てて車を降り、後を追った。
「帰れ」
「ここで見捨てて帰ったら、一番面白いところを見逃します」
階段に片足を掛けた格好で、三隅が少しだけ振り返った。鬱陶しい、と顔に書いてあるのが見えそうだったが、もう何も言わなかった。
無遠慮にドアを開けると、事務所中の人間が一斉にこちらを見る。三隅はそれに臆する事なくずかずかと上り込んで、三人掛けのソファにどっかりと座った。私は後ろ手に腕を組み、その横に立つ。
そうして見渡すと、この場にいるのは十人ほどだ。Tシャツや派手な柄シャツを着た若そうな顔から、どうした具合か一目でその筋と解るスーツの男達。
その中の一人に耳打ちされて、奥の部屋から姿を現した男がいた。私は少し緊張を覚える。他の男達と、何かが違う様に見えたからだ。
「江南と申します。社長が席を外しているので、代理として話を伺いますよ。刑事さん」
三隅の正面に腰掛けて、江南は慇懃に笑う。
刑事だと知られているのを意外に思って、しかしすぐに納得した。そしてまた、頭を抱えたくなる。
この組の幹部に一人、私達が担当している殺人事件の容疑者がいた。まだ証拠も揃わず、ただ捜査線上に名前が浮んだと言う状況に過ぎない。だから事情聴取もまだのはずだ。が、ここにいるのは三隅なのだ。容疑者の前に姿を見せて、疑惑を仄めかして揺さぶりを掛けるくらいの事はしたかも知れない。
ありそうな話で、私は目の前が少し暗くなった。
私の心労など気にも留めていない様子で、三隅は自分の上着を摘み上げた。中のシャツを示す。左の脇腹辺りが少し破け、滲んだ血が乾いている。
「丁寧に挨拶してくれた奴がいてね。お宅の人間だろ?」
「知りませんね。誤解じゃありませんか」
「とぼけなくてもいい。ここで見た顔だからな。石上って奴だ」
「全員の顔と名前を覚えている訳じゃない。もしかしたらウチの者かも知れませんが、だとしても勝手にやった事ですよ」
「そうか? 礼を言いにきたんだぜ。お陰で、お前らを徹底的に調べられる」
江南の表情に、毒蛇みたいに獰猛な色が過ぎった。すぐに失せ、嘘くさい微笑みに戻ったけれども。
三隅は詰まらなそうにそれを見て、立ち上がった。
「またな」
「次はお茶くらい出しますよ」
うそ寒くなる様な社交辞令には応えず、事務所を出た。
私はビルの階段を降りながら、三隅に質問する事にした。さっぱり解らなかったからだ。
「何だったんです?」
「あ?」
「三隅さんを刺したところで、捜査の妨害にもならないでしょう。捜査員は一人じゃないんだし」
何も答えないのはいつも通りだったが、前を行く肩は階段の傾斜でいつもより低い。それを見るともなく目に入れながら、私は考えを巡らせた。
事件の関係者に、捜査員が襲われる。
この状況で関連がないとは考え難いが、しかし矛盾する。警官が襲われたとなれば、むしろ余計に捜査が厳しくなるものだからだ。
捜査線上に浮ぶ人物を庇いたいなら大人しくしているか、自分がやったと身代わりになるしかない。
だが現に三隅は襲われ、幾ら人望がないと言っても一応は警察官だ。身内の仇を取るために、捜査員達は一刻も早く犯人を挙げようと躍起になるに違いない。
これでは得たいはずの結果と、真逆の事態を招いてしまう。
……それとも、そうしたいのだろうか。
さっさと逮捕でも何でもさせて、事件を終らせてしまいとでも言うのか。
だとしたら、何のために?
幹部を逮捕させてでも、終らせたい理由。
「もっと重大な、隠したい何かがある……?」
知らずの内に声に出してしまっていた。三隅が驚いた様に、こちらを振り返る。と、同時に、階段の数段下から手が伸びて私の腕を掴んだ。力任せに下に引く。感覚としては、突き落としたと言ってもいい。勢い余って、私は残り十段ほどを転げ落ちたからだ。
頭は庇ったが、尻と背中はかなり打った。ちょっと泣きたくなるのを堪えながら、この仕打ちは酷すぎるのではないかと恨みを込めて三隅を見上げた。
コンクリートを砕く重たい音が、耳を打つ。