仙堂家の家庭事情
出てくる人達
仙堂美虎
竹岡真尋
一理華
仙堂寅一
いずみ←名前だけ
で、お送りします。
「婚約を破棄して欲しい」
そう宣った男は、隣に座る可憐な少女の手を取った。
その少女の容姿は、正に『可憐』。大きな丸い瞳、華奢な細い体、守ってあげたくなるような…ふんわりとした儚げな美少女。
私とはまるで正反対ね。
美虎は他人事のように、その可憐な美少女を観察していた。ぱち、と目が合うと、少女の目は潤んだ。
「ご、ごめんなさい美虎様っ…!」
「美虎、彼女を責めないでくれ」
責めるも何も、美虎は何もしていない。ただ目が合っただけである。それだけで泣くって、精神面豆腐以下ではあるまいか。そう言ってやろうとしたが、ただ面倒になるだけだと思い直し、溜息を吐くに留めた。
それも刺激になってしまったか、元婚約者曰くの澄んだ美しい目から、とうとうポロリと涙が落ちる。まるで此方が悪いように、睨まれた。
だから、何もしていないというに。
親が決めた結婚であった。
物心ついた時にはもう、あなたのお婿さんよと決定事項となっていた。それについては、いい。
いずれは誰かに嫁いで、血を繋がなくてはならないのだから。でもそれは、目の前の男……竹岡真尋でなくてもいい訳で。
情が無い訳ではなかった。美虎も美虎なりに、彼に相応しくあろうと努力した。
ただ真尋は、どちらかと言えば活発な美虎が、苦手なようであったのだ。二人の間には、小さな溝があった。それは両家の親が二人の将来を話題にするにつれ、お互い成長し実力をつけるにつれ、どんどん深まり。
気付けば大きく、二人を隔てていた。
何もしなかった訳ではない。歩み寄ろうともした。けれどどちらか一方だけでは、溝は埋まらないのだ。
とうとう、歩み寄りもしてくれなかったわね。美虎は、結局心の通わなかった婚約者を見遣る。
「…そちらの当主様はなんと仰ってましたか」
「……」
目を逸らしやがった。
つまり、許可も何も、家同士が決めた婚約だというのに、この男は独断で破棄しようとしている、と。
せめて、自分の親には告げてから来いと言いたい。いや、
「仙堂家から破棄を告げてもらいたいと、そういう事ですね?」
仙堂家は、退魔で知られる大きな一族だ。その血を引く美虎も、過大な霊力を持っている。単独で妖魔を狩る事もできる程に。上二人の兄には、まだまだ及ばないが。
……真尋が美虎を苦手とした理由は、ここにもあるのだろう。彼には、退魔の才が無かった。竹岡家も退魔の一族。優秀な血が欲しいと考えての、婚約だったのだ。
力関係を見れば、竹岡家から断るのは難しい。恐らくは、向こうから持ってきた話であろうからだ。親に頭を下げても、別れさせられるだけ。そう考えての、今日の席なのだろうが。
「不愉快です」
美虎は、真尋の表情が歪んだのを見て取った。
「あなたの行動が、考えが、逐一不愉快です。そこの……あなた、お名前は?」
「っ、い、一里、華、です」
「そう、一里さん。彼女とは真実の愛だとか、仰ってましたわね。だったら何故、ご自分で行動しないのです?彼女と一緒になりたいのなら、親に頭を下げるなり、駆け落ちなりしてでも貫けばよろしいでしょう」
「…父や母が、それで諦める筈もない。何処までも追って、必ず僕と華を引き裂こうとする」
「違いますね。あなたは要らぬ苦労をしたくないのです。一里さんを愛している、それは事実なのでしょう。ですが、親に告げる前に私の方へ。その行動から下心が見えて、私は不愉快ですわ」
真尋は下を向き、けれど愛しい者の手は離さない。華は心配気に覗き込んだ。
「こちらから破棄した事になれば、貴方は家を出る必要が無い。落ち着いた所で、一里さんを紹介するだけでいい。何も失わずに、竹岡家を継げる。そう考えたのではないですか?」
「……僕は華に、要らぬ苦労をさせたくないだけだ」
「一里さんに、退魔の力はあるのですか。竹岡家に入るなら、あるのですよね」
「無い、だが、」
「要らぬ苦労を与えるのは貴方ですわね。自分の身を最低限守れないと、負担になるだけです」
「っ……!何もかも持っているお前には分からないだろうな!!」
テーブルを殴りつけ、真尋は美虎を睨んだ。
忌々しい。生意気だ。女のくせに。
……目は口程に物を言う。美虎は冷めた目で見返した。
真尋は穏やかな青年だ。こうして声を荒げる姿だって、目にするのは初めてかもしれない。
けれど、今までの表情や仕草でも、真尋の心の内は見えていた。それが表にやっと、出てきた。
「何かにつけて、僕を馬鹿にする!力を見せびらかす!僕を否定する!!人を思いやれないお前のような女が婚約者?!冗談じゃない!」
真尋の目が吊り上がっていく。何度も、何度もテーブルを殴りつける。
「お前は黙って、僕に従順であればよかったんだ!!愛想良く、僕に媚びていれば可愛がってやったのに、そんな事も分からないのか??!生意気にも口を出し、力を見せつけ見下すお前が憎くて仕方なかった!!」
「……」
「……、だが華は違う。常に僕に寄り添い、僕を立て、愛らしい笑顔で僕を認めてくれる……!そう、このままでも僕は優秀なんだ。仙堂家なぞ頼らなくとも、僕と華が一緒になれば、」
「潰えますわね」
怒りで赤くなった目が、美虎に向けられる。それを冷静に見返した。
真尋の口が歪んだ。……笑ったようだ。
「滅ぶのはお前らだろう?穢れ者を兄と慕う、お前らの方こそ滅ぶべきだ」
「穢れ者」
「あんなのが人である筈がない、化け物だ。おぞましい、人の皮を被った鬼だ」
「化け物、……」
「それが分からず、阿呆のように兄様兄様と……。同じ空間に居るというだけでも耐えられない。穢れが移りそうで、ずっと気持ち悪くて仕方なかったよ。…お前らが周りになんて言われているのか知ってるか?」
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
甲高い悲鳴が遮る。真尋はぴたりと止まった。
美虎は静かに佇んでいるだけだ。なら、この悲鳴は?
圧迫する程の殺気に、真尋の体は勝手に震え出す。それでも、必死に視線を動かした。
隣には華が居る、筈だった。
「これ以上は不愉快だ」
くすんだ小麦色の髪、鋭い紅い目。美虎の兄、寅一がそこに立っていた。華の姿は無い。
「イチ兄様。よろしいのに」
「いずみ兄さんが気を揉んでいるんだ。美虎ならもう片付け終えてる筈だと、心配している」
「まぁ!いずみ兄様が…!そうですわね、早く終わらせてしまいましょう」
「それで?何がどうなって、こいつは兄さんを侮辱していたんだ?」
「待て、待ってくれ華は?華はどこだ?!何処へやった??!」
のんびりと話す兄妹に、理解が追い付かない真尋。取り乱しながらも、愛しい姿を探す。そして、気付いた。
寅一が足蹴にしている事に。踏みつけられた華は、動かない。
余りの光景に、息が止まる。
「な、ななっ、お、ま、」
「……気付いてないのか。こいつ」
「ええ。彼女とは真実の愛だそうですわ」
「ひ、ひと、人殺し!!華っ!僕の華がぁぁっ!!?」
兄妹の、真尋に向ける目が冷たい。
寅一は溜息一つ、華を哀れな男へと蹴り飛ばした。
「よく見ろ。それが人間に見えるか?」
「な、何を、言って、っひっっ……っ!!?!」
あの愛らしい顔が無い。目も、口も鼻も無い。何も無い。つるりとした輪郭があるだけだ。
まだ息があるのか、震える手で真尋の着物を掴んだが、思わず振り払った。
「なっ、こ、これ、はっ、」
「のっぺらぼう。ずんべら坊ともいうな。元から人間じゃねぇよ」
「本物の一里華は、もう居ないでしょう。これは喰った人間の姿を模しますから」
「は……?」
信じられないと目を見開く元婚約者に、美虎は淡々と告げる。
「竹岡家に入り込むつもりで、貴方に近付いたのでしょうね。無謀な事をする妖魔も居たものだわ」
「でもまさか、気付かずにいたとはな。泳がせているのかと思っていたが、とんだ見込み違いだったらしい。こんな男には、妹は任せられねーわ」
白紙に戻す。寅一の冷たい宣言に、真尋はようやく、自分がしでかした事に気付いた。
このままでは、家からも追い出される。
「まっ……、ちが、違うんだ美虎!ひぃっっ??!」
追い縋ろうとした真尋の鼻先を掠め、刀がのっぺらぼうを突き刺す。悲鳴も上げず、それは消滅した。
刀を回収しながら、美虎は笑顔を向ける。
「分かっていますよ、真尋さん。貴方は妖魔に中てられたのだと」
その優し気な微笑みと声音に、体の力が抜ける。真尋は安堵した。
「それ故に、本音が出たのだと。私はそう報告しますわ」
「??!そんっ……違う!」
「私はそこまで鬼じゃあないつもりです。例え婚約者が、お人形のような女を求めていると分かっても、それは他の男も大概かもしれませんしね?程々に転がしておけば、貴方は扱いやすいと思っておりましたから」
寅一は、コロコロ、と掌で転がす仕草をする笑顔の妹を眺めていた。これはいずみ兄さんに報告案件だと考えながら。
対する真尋の顔は、どんどん青褪めて、白に近くなっていく。
「私の事はいいんですの。でも、いずみ兄様への侮辱は、到底許せるものではありません。万死に値しますわ」
美虎から笑顔が消える。
「いずみ兄様は私達を慈しみ、育ててくれた唯一の家族です。両親はクズですが、兄様は違う。命を懸けて私達を守ってくれた、敬愛し守るべき人……。そんな大事な人を穢れ者だと罵倒するような男など、此方から願い下げです。クズ以下の男が、兄様の視界に入るなんておぞましい。怒りで切り捨ててしまいそう」
兄と同じ、美虎の紅い目は本気しかない。ガタガタと震えながら、真尋は逃げて行った。
寅一は静かに見送る。
「珍しいですわね、イチ兄様が大人しいなんて……。私、妖魔と一緒に潰してしまうと思っておりましたのに」
「そうしようと思ったんだが、絶対行方訊かれるから。いずみ兄さんに」
「いずみ兄様が気に掛ける必要なんてこれっぽっちもありませんわ!」
「そういうお前だって、逃がしたろう」
「怒られたくはないのです」
幼子のように、ぷくと頬を膨らませる妹の頭を撫で、寅一は帰ろう、と笑った。
「どちらにせよ、あの男はもう終わりだ。先に伝えておいたから、竹岡の家は今頃大騒ぎだろうな」
「あら、素早いですこと」
仙堂家には、二人の子が居る。
現当主の仙堂寅一。妹の、美虎。
仙堂家の跡取りは、代々『寅』の一文字を継ぐと決まっている。
しかし、寅一は兄こそ相応しいと、継いだその名を嫌っているという。
仙堂家には二人の子。しかし、もう一人、養子として仙堂家に入った者が居る。
名は、いずみ。
中々子に恵まれなかった当主夫妻が、いずみの能力を見出し迎え入れたそうだ。けれど、そのすぐ後に子ができた。夫妻は喜んだが、いずみの扱いに困る事に。
すぐに捨てるは外聞が悪い。このまま子が成長するまで、代わりに退魔の仕事をさせる事となった。
いずみは、物わかりのいい子であった。
引き取ってくれた仙堂家に感謝し、勉学に励み、仕事を請け負った。生まれてきた兄妹の世話も、実の親よりも率先してやっていた程だ。御蔭で仲睦まじく、兄妹はいずみによく懐いていた。
それを、懸念する者が現れた。
いずみは必ず、仙堂家の争いの元になる。けれど成長したいずみの能力を超える者は、居ない。
そこで狙われたのは、寅一だった。
寅一は呪いを受けた。未熟な子供では抗えず、どんどん蝕まれていく。
このままでは死んでしまう。いずみは必死になって、呪いの対象を自分へと変えた。
それが、相手の目的だと知らぬまま。
誤算だったのは、いずみが呪いを抑え込んでしまった事だろう。
命は拾ったが、一度呪いを受けた者は、穢れ者と呼ばれ忌避される。追い出そうとする当主夫妻に激怒したのは、兄妹であった。
兄妹にとっていずみは家族であり、命の恩人だ。いずみを追い出すなら、自分達も出て行くと大暴れし、決して離れなかった。それもあり、いずみは仙堂家に留まれたが。兄妹は、親に不審を抱いた。
そして、気付いた。呪いの元凶は両親だと。
自分達の都合で、いずみを養子にしたのに。また自分達の都合で、追い出そうとしている。実の子を使ってまで。
その事実を知ってから、親への情は消えた。
兄妹はいずみを守る為、必死に力をつけ、寅一はほぼ力尽くで当主の座を奪い取った。美虎は上手く両親を丸め込み。僻地、と言っても過言では無い土地へ、療養と称してぶち込んだ。
戻って文句を並べ立てるというなら、親でも切り捨てる所存であった兄妹である。命があるだけありがたいと思え。
幸いというか何というか。両親は兄妹の数年に渡る激怒具合を感じ取ったか、大人しいものであった。
……そうしてやっと手に入れた、平穏な暮らし。
兄妹の足取りは軽い。
「今日はいずみ兄様に慰めてもらいましょう。あんな男に罵倒されて、私はとても傷付きましたわ」
「あれは雑魚だったけど、跡形なく消してやったし。兄さんは褒めてくれるよな」
「とどめを刺したのは私です」
「刀は俺のだ」
軽口を叩き合いながら、家路を急ぐ。
―――お前らが周りになんて言われてるのか知ってるか?
「穢れに魅入られた、暴虎兄妹」
「上等。兄さんを守れるなら、何と言われようが構わねぇ」
「私もですわ」
恥じる事など、何も無い。
兄妹は今日も堂々と、背筋を伸ばしていた。