6、自由な恋はなぜこうも難しいのか
あれから二日。
手紙の返事が来ず、ロイは不機嫌そうにコツコツと指でカウンターを叩いていた。
「まったく、貴族相手にすると手続きだの裏取りだのに時間がかかって仕方がないと思わないか? 証拠を固めないと簡単に動くこともできないなんて。殴り飛ばしたら一瞬なのに」
「殴り飛ばしてしまえば、その後が余計に面倒なことになりますよ」
「わかっているとも。やれやれ、苛立って仕方ないね。ルカ、なにか気分を変える話題はないかい?」
決して周囲に当たり散らすことはないロイだが、無茶ぶりはする。
しかしそんなことには慣れ切っているルカは数秒ほど考えてから何ごともなかったかのように口を開いた。
「メラニアさんについて、はどうですか」
「いいね! それは気分が上がりそうだ!」
「……ロイさんは、メラニアさんに恋をしているのですよね? 本当に、本気で?」
「もちろんだとも。ただここ二日、彼女も店に来てくれていないな……」
はぁ、と大きなため息をつくロイを見て不機嫌の理由に納得したルカではあるが、やはり飄々としているせいかあまり本気で恋に落ちているように見えない。
だがそれを言えばロイがショックを受けるかもしれず、ルカは小さく頷いてから再び口を開いた。
「メラニアさんはお綺麗ですが平民ですし、これまでロイさんがお付き合いしてきた女性たちとは雰囲気が違いますよね」
「ああ、言いたいことはわかるよ」
もっと美しく綺麗な人はたくさんいるのに、なぜロイが恋する相手がよりによって平民のメラニアなのか。
「ルカ、身分とは飾りのようなものだよ。髪飾りをつける、ドレスを着る、アクセサリーをつける。それと同じさ。彼女は着飾っていないだけなんだ」
つまり、メラニアが貴族であったとしても惚れていたということだ。
ロイがメラニアに惹かれた理由は、外見ではないということでもある。
「たしかに僕は女性に困っていない。選ぶ、なんてえらそうなことは言えないけれど、実際に選べる立場にある」
「それでもメラニアさんがいいのですね? 以前、なくしてしまった耳飾りを届けてくれたからでしょうか」
メラニアとの出会いは、彼女がそうと知らずデルロイの怪力を封じてある耳飾りを拾って届けてくれたことがきっかけだ。
持ち主が血紅の公子だろうことも予想していたメラニアは、平民である自分では届けられないからと、耳飾りの鑑定を頼むとともに持ち主に返してほしいと依頼してきたのだ。
結果ロイは非常に助かり、おかげでデルロイとしての力を再び自由に使えるようになったわけだが、その辺りの詳しい事情をメラニアは一切知らない。
「あの時、僕が彼女に一目惚れをしてしまったのはたしかだけれど、別に耳飾りを届けてくれていなくとも惹かれていたよ」
ロイは目を伏せ、胸元から耳飾りの入った箱を取り出して蓋を開けた。
力が封印された耳飾りは宝石が割れて、見るからにボロボロだ。
それでもメラニアは持ち主に届けようとしてくれた、その心に胸を打たれたことを今でも鮮明に思い出せる。
「僕のこの呪われた目は、見たくないものを見てしまうことが多い。人間というのは実に欲深い生き物でね。もちろん僕も欲深いけれど」
耳飾りを手に取り、壊れた赤い宝石を指で撫でる。
メラニアのことを思い出しながら語るロイは、穏やかで温かな目をしていた。
「メラニアさんには、そういったものがないんだよ。誰だって人や物に対して無意識にメリットやデメリットを探してしまうだろう? もちろんそれが悪いわけではない。メリットがあるからこそ良好な関係が築けるものだからね。それが当たり前だ」
「メラニアさんには、裏表がないのですね?」
「その通り。僕に対する善意に裏がない人なんて初めてさ。強く興味を引かれ、その優しすぎる性質が心配でたまらなくなり……気づけば恋に落ちていたんだよ」
ロイは、手のひらに乗せた耳飾りにそっとキスを落とした。
その姿は男性だというのに実に艶美だ。
ルカは、ロイの本気をようやく理解したらしく目を丸くしたが、すぐに現実を思って悲しげに目を伏せる。
「でも彼女は平民です。ロイさんの側にいるのは少々……」
「おや、ルカだって同じだろう? それでも僕の側にいてくれている」
「従者と恋人は違います。それにロイさんが本気なら未来の奥方様になるということも視野に入れるのでしょう? さすがに、その」
ルカの言いたいことがわかり、暫し黙ってしまったロイは大事そうに耳飾りを箱にしまうと、自嘲気味に笑む。
「そうだね。本当にそうだ」
貴族に生まれたというだけで、こうも自由な恋が難しいとは。
自由を愛し、奔放に生きたいロイにとって、それは最も厳しい拷問かもしれない。
ルカが再び何か言おうと口を開きかけた時、店のドア向こうから手紙の配達員が声をかけてきた。
一度ロイをチラッとだけ見たルカは気持ちを切り替えて配達員から手紙を受け取ると、宛名と封蝋を確認してすぐロイに手渡した。
羽を広げた鷹の封蝋はスカイラー公爵家の印、そして藍色は小公爵を指す。
長兄ライアンから弟デルロイ、いや鑑定士ロイに宛てた手紙だった。
ロイはすぐにペーパーナイフで封を開けると素早く手紙に目を通す。
その後、すぐに小さくため息を吐いたかと思うとルカに視線を向けた。
「スカイラー公爵家がついに動き出すようだよ。ただ面倒なことに、僕は一度実家に帰らなければならないみたいだ」
常にご機嫌な様子で笑みを浮かべるロイが、心底うんざりしたような低い声を出すのは珍しい。
それほど、ロイにとって実家への帰省は気が重いらしい。
「すぐに準備いたします」
「ああ、優秀すぎる従者はこういう時に困るね。ゆっくりでいいよ。なんなら準備に手間取ってくれ」
「承知いたしました」
優秀過ぎる従者は言われた通り準備に手間取り、二人が公爵家へと向かったのは次の日の昼過ぎになってからであった。