36 鑑定士は女性に甘すぎる
混乱した様子のオルガは、はくはくと口を開け閉めさせてから独り言を呟くように話し始めた。
「だ、だって、そんな。薬がとても貴重で、それを常飲しなくちゃいけなくて……最近は、症状が悪化しているから、余計に、薬代がかかって、あ……わ、私……」
呆然としながら話すうちにようやく理解したのか、オルガはロイを見上げながら困惑した様子で叫ぶ。
「私、薬代も医療費も……そんなに払えないわ!!」
「代金、ね。そんなもの、今後ゆっくり返してくれればいいですよ。支払いは僕に。無利息、期限なしです」
そんなことは通常ありえないことだ。
オルガの夫に必要な薬は、平民には一生かけても到底支払えない額だ。
だからこそオルガは自身の美しさとスキルを使って、これまで危険な仕事をずっとこなし続けてきた。
「馬鹿、なの……?」
「ええ。たぶんそうです」
「お人好しすぎるわ……!」
「女性には優しくと、厳しく躾られて育ちましたので」
唇が震え、涙がぼろぼろ溢れてくるオルガに対し、ロイは優しい眼差しを向け続けている。
ついに立っていられなくなったオルガはがくん、と床に座り込んだ。
「おかしいわよ! 絶対に頭がおかしい! こんな、こんな、迷惑ばかりかけ続けた女にっ!!」
一歩、オルガに近づこうとしたメラニアに、ロイは小さく手を上げてそれを制した。
メラニアの優しさが必要な時はもう少し後だ。それまでは自分にまかせてほしい。
そういったロイの意図が伝わったかはわからないが、メラニアは真剣な顔で一つ頷いている。
ロイもまたそれに小さく頷いて返すと、オルガに近づき片膝をついて向き合った。
「そうですね。貴女にはいろいろとヒヤリとさせられました。ですから今後、面倒ごとがあった場合、貴女には難しい仕事を頼むかもしれません」
内ポケットから真っ白なハンカチを取り出したロイは、そっとオルガに差し出しながらさらに言葉を続ける。
「できますよね? 数々の困難を乗り越えた貴女なら」
「ええ……ええ! 望むところよ! うっ、うぅっ……ありがとう」
ロイのハンカチを受け取り、ぎゅっと握りしめながら泣き崩れたオルガは、その後もしばらく何度も「ありがとう」と言い続けた。
静かに立ち上がり、オルガから離れたロイは視線をメラニアに向ける。
ここから先は同じ女性であるメラニアに頼んだほうがいいだろう。
彼女はオルガに関する詳しい事情を知らない。だからこそ、安心して頼れる部分もあるのではないかという考えだ。
「彼女の休んでいた部屋を使ってもいいですか?」
「もちろんです。すみません、メラニアさん。助かります」
ロイが申し訳なさそうに告げると、メラニアは一瞬だけきょとんとしたあと、花開くように笑った。
「礼には及びませんよ。だって私も、骨董品店の店員ですから!」
屈託のないメラニアの笑顔は、ロイの心に広がっていた暗い影までも一瞬で晴らしてくれる。
うっかり鼻の奥がツンとしてしまうのを感じ、ロイはよろしくお願いしますとだけ告げてカウンター裏へと姿を消した。
◇
ほどなくして、メラニアだけが奥の部屋から戻ってきた。
その時にはすでに普段の落ち着きを取り戻していたロイは、いつも通り店番をしながらカウンター内の椅子に座って読書中だった。
戻ってきたメラニアの姿を見つけるとすぐに立ち上がり、彼女を迎える。
「緊張の糸が切れたのか、今はぐっすり眠っています」
「そうですか。では、起きてきたら軽く食事ができるように準備をしておきましょう」
ロイの言葉を受け、ルカが何も言わずにキッチンへと向かう。
手伝いを、とメラニアが後に続こうとするのを止め、ロイは座るよう促した。
「突然のことでいろいろと驚いたでしょう。メラニアさんも少し休憩してください」
「……はい。では、お言葉に甘えて少し休ませてもらいますね」
「ええ。今、紅茶を淹れますね」
「私が……いえ。お願いしちゃいます」
「ふふ。喜んで」
ふと、メラニアの肩の力が抜けたのが見て取れる。
彼女はどこまでも気を遣おうとするため、半ば強引にでも休ませなければならないのだ。
メラニアもおそらく、自分のそういった性質をわかっているのだろう。困ったように笑いながらロイに頼ってくれたのがわかった。
それが、ロイにはとても嬉しいことだった。
とはいえ、オルガの様子を見ている間もずっと気を張っていたのだろう。
申し訳ないことをしたという気持ちもあり、そしてそれ以上にロイはメラニアに対する感謝の気持ちでいっぱいだ。
「あの、ロイさん」
紅茶を飲んで一息ついたころ、メラニアが小さな声で呼びかける。
ロイはわずかに緊張しながら顔を上げた。
きっと聞きたいことはたくさんあるはずだ。その全てに答えるわけにはいかないのが心苦しい。
(いっそすべてを打ち明けたい。ああ、どうしてそれができないのだろう)
メラニアは口を開けたり閉めたりを数度繰り返した後、ゆっくり瞬きをしてから口を開く。
「よくはわかりませんが……ロイさんが、オルガさんを助けたんですよね」
柔らかなその微笑みを目にしたロイは、まるでそれだけ聞かせてくれればいいと言われているような気持になった。
「まぁ……そういうことになりますかね」
実際、本当にメラニアもそう思っていたのだろう。
ロイの返答を聞いてにっこり笑うと、いつも通りの元気な調子でさらっと告げた。
「かっこいいです。ロイさんのそういうところ、好きですよ」
「えっ」
「さ、ちょっと遅くなっちゃいましたけど、今日もお店は開くんですよね? あんまりのんびりはしていられないですよ!」
「え、あ、はい。いえ! ちょっと待ってください! 今、メラニアさんなんとおっしゃいましたか?」
しばし呆けてしまったロイだったが、慌てて話を戻そうと必死だ。
聞き間違いでなければメラニアは今、「ロイ」のことを好きだと言わなかっただろうか。
もちろん、そこに恋愛的な意味があるとはロイも思ってはいない。
だがこれまでずっと「デルロイ」に向けられ続けた彼女の「好き」を、始めて「ロイ」に向けられたとあっては確認せずにはいられなかった。
頬をわずかに赤く染めたロイに対し、メラニアはイタズラっぽく笑う。
「えへへ。照れちゃうのでもう言いません」
「そんなっ」
「ほらほら、ロイさんも休憩は終わり! 開店準備を始めましょ!」
「メラニアさんっ、お願いします! もう一度、もう一度だけおっしゃってください!」
「しつこいですよ~!」
笑い声が響く骨董品店内。
キッチンから時々心配そうにロイの様子を見守っていたルカは、珍しい二人の姿に安心したように微笑むと、引き続き作業に戻っていった。