34 末っ子は兄に甘えたい
翌朝、まだ陽も昇る前の薄暗い時間帯にロイは騎士団の宿舎に乗り込んでいた。
ちなみに、耳飾りを装着したデルロイの姿である。この姿でいればたいていの無理が通るのだ。
たとえば時間外の面会でも、スカイラー公爵家の暴れん坊の末息子が兄に会いに来たというだけで見張りの騎士たちは震えながら通してくれる。実に親切でかわいそうな騎士たちだ。
呼び出されたスカイラー公爵家の次兄クレイグは慌てて外に出てくると、脅された騎士たちに申し訳ないと謝罪しながらデルロイを引きずるように人気のない宿舎裏へと連れて行った。
怪力スキルを持つデルロイに対し、ここまで力業が通用するのは弟が従順なのを抜きにして考えてもクレイグくらいだろう。さすがは若くして近衛騎士の座に就いただけある。
「……というわけで。俺の条件を呑んでくれるというのなら視てあげるよ、クレイグ兄上」
人気のない場所につくやいなや、デルロイは昨晩のできごとを簡潔に説明しつつ、自身の考えと計画を伝えた。
なお、デルロイの姿になると次兄に対してつい軽口をたたいてしまうのは最も年が近く親しかった幼い頃の名残だ。
呼び出された混乱も冷めやらぬうちにいろいろと聞かされたクレイグはしばしの間ぽかんとした後、頭を抱えてうめき声を上げ、ひとしきり「いや、でも」「さすがにそれは」など一人ぶつぶつ呟いてから大きなため息を吐いた。
「お前は本っ当に女性に弱い。はぁ、ジャネット姉上の教育の賜物だな」
「まぁね。ジャネット姉上には感謝しているよ」
ジャネットはスカイラー公爵家の長女で、現在は隣国の王妃の座についている。「戦神」のスキルを持つ彼女を隣国の王太子が是非にと欲しがり、ジャネットも二つ返事で了承したのだ。
当時、隣国とは微妙な間柄だったが、今では一番の友好国となっている。それもこれもジャネットの力によるところが大きい。
全てはスカイラー家の繁栄と我が国の平穏のため、が彼女の口癖で、はっきりとした物言いと物理的な強さによって隣国ではもはや英雄扱いなのだという。
そんな姉が、弟たちに女性への扱いをみっちりと仕込んだのだ。
クレイグもそれなりに女性に優しいが、素直で幼かったデルロイはより彼女の影響を受けたというわけである。
閑話休題。
「それで? 条件は呑んでくれる?」
「吞みたいのは山々だが、俺の一存で決められるわけないだろう」
「なら、この話はなかったことに」
「ちょ、待て待て待て! せめて陛下や殿下に相談させてくれ!! 全力は尽くすから!!」
「そんな悠長なことを言っている暇ある? 事は一刻を争うんだ。昨晩の内に襲撃がなかったと相手側に知れたら彼女の任務は失敗とみなされ、病に侵されたなんの罪もない男が殺されるかもしれないのに。はぁ……助けたかったなぁ」
相変わらず、デルロイの末っ子気質は絶好調だ。兄の使い方をよくわかっている。
クレイグは情に訴えられることに弱いのだ。
「ぐ、ぬぬ。わ、わかったよ。くそ、事後報告なんてしたら、今度こそ俺は首になるかもしれん……」
「クレイグ兄上ほどの実力者が首になるなんてありえないよ。それに万が一のことがあっても大丈夫。ちゃんと説明するからさ。ライアン兄上が」
「お前は本当に手のかかる末っ子だよ……っ!!」
面倒なことは全て丸投げ。いや、デルロイが解決してもいいのだが、基本は拳にものを言わせるので大人しくしていたほうが結果的にマシだということをクレイグもよく知っている。
とはいえ、優しく親しいクレイグに対し無茶ぶりをするのはデルロイとて心苦しい部分がある。
何を差し置いてもクレイグの立場が危うくなるような状況だけは作らないようにするつもりだった。
「さっさと終わらせたら一緒に飲もうよ、クレイグ兄上。町の居酒屋だけど好きなだけ奢るから」
「町の居酒屋? 俺は構わないがいいのか、お前は」
「気取った店は女性と行きたいからね」
「ははっ、違いない」
肩の力を抜いて笑うクレイグに、デルロイはメモをそっと握らせた。
彼のほしがる情報はすべてここに記してある。
デルロイは最初から、クレイグが条件を呑むとわかっていたのだ。
「お前っ、すでに視てたんじゃないか! はぁ……俺はお前の手のひらの上で踊らされてばかりだな。兄貴なのに」
諦めたようにため息を吐いたクレイグは、すぐに表情を引き締めてメモを開く。
クレイグはさっと内容を確認すると、わずかに眉根を寄せた。
それからすぐにメモをライターの火で燃やし、燃えカスを靴で踏みつぶしながら明るく笑って告げる。
「そうだ。お前の最愛にうちの騎士たちも数人つけてるから。間違えて殴り飛ばすなよ」
デルロイは驚いたように目を丸くした。クレイグには一言たりとも「すべてはメラニアのため」とは言っていないのだから。
天眼のように見透かす目を持っていなくとも、兄は弟のことをよくわかっているということだ。
「……これだからクレイグ兄上のことが好きだよ」
「気持ち悪いこと言うな。いいか? 俺は浴びるほど酒を飲むからな! 飯も引くほど食うぞ!」
「お任せあれ」
喉の奥でくつくつと笑ったデルロイは、ご機嫌な足取りで帰途へつく。
これで王太子の暗殺を目論んでいた貴族もおしまいだろう。あとは二人の兄がなんとかしてくれるはずだ。
つまり、デルロイの仕事はここまで。
そろそろメラニアが目覚める時間だと思い至ると、ロイは足を速めた。
人気のない場所で耳飾りを外し、デルロイからただの鑑定士ロイへと姿を変える。
「さて。どう説明すれば誤解されずにすむだろうね」
結局のところ、ある程度は真実を告げる必要があるだろう。できれば愛するメラニアに嘘は吐きたくない。
とはいえ、なかなか難しいところだろう。
なにせ、二階奥の空き部屋にオルガを監禁しているのだから。