28 お悩み相談
無言の時間が続いたが、それがよかったのかオルガの顔色がよくなったように見えた。
様子を窺っていることに気づいたらしいオルガが目だけでこちらを見たので、メラニアは思わずドキッとしてしまう。
「なぁに?」
「ご、ごめんなさい。無遠慮に見てしまって。その、顔色が少しよくなったかな? と思って」
「ええ、そうね。貴女のおかげだわ」
「いえ! 私は大したこと……」
メラニアが慌てて手を横に振った時、オルガがおもむろにパシっとその右手首を握った。
戸惑うメラニアをよそに、オルガはどこか痛ましげな目で腕を見てくる。
(私の右手に、なにかあったのかしら……?)
見た感じは何もないので疑問符ばかりが浮かぶが、その様子がなんだかとても真剣で、メラニアは何も言えなくなってしまった。
「綺麗に治っているわね……」
「え?」
「ううん、なんでもないの。そうだ、よかったら少しだけ話を聞いてくれない?」
ポツリと何かを呟いたかと思えば唐突にそんなことを言われ、メラニアは目を丸くしたままこくりと頷いた。
オルガはありがとうと礼を言うとそっとメラニアの手を離し、自身はベンチの背凭れに寄りかかる。
「私ね、仕事で失敗しちゃって。それでこっ酷く叱られたの。おかげで次の仕事は絶対に失敗できなくて」
「そ、れは……」
「酷い職場なのよ。できればはやく辞めてしまいたいのだけれど」
自身は人や環境に恵まれている分、なんと声をかければいいのかと戸惑ったメラニアは、ただオルガの横顔を見つめる。
その目は真剣で、事情はわからないもののなにか大事なものを背負っているように思えた。
「大切な人のために、どうしても今はお金が必要なの。休んでいる暇なんてないのに怪我なんかしちゃって。そんな自分が許せなくて、悔しいのよ」
「オルガさん……」
「やりたくないなんて、言ってられないのよね」
どうやら、次の仕事はオルガにとっては気の乗らない内容なのだろう。けれど、それを拒否することはできず、板挟みになっているらしかった。
その上、怪我のせいで思うように身体が動かせないとあっては、ストレスが溜まるのも当たり前のことだ。
(私は、職を失ってすぐロイさんに誘ってもらえて……恵まれすぎているわ。そんな私が何を言っても慰めにもならないわよね)
もしロイに誘われていなければ、メラニアもなかなか仕事が見つからずどうなっていたかわからない。
ただそんなもしもの話に意味なんてないことは、メラニアにだってわかっているのだ。
自然と眉尻が下がっていたのだろう、オルガのクスッと笑う声が聞こえて顔を上げる。
「ごめんなさい。そんな顔をさせるつもりはなかったのよ。こんな話、聞かされたって困っちゃうわよね」
「いえ! 私のほうこそごめんなさい。なにか言えたらよかったんですけど……」
「いいのよ。聞いてもらえて少しスッキリしたわ。ありがとね」
オルガはそう言いながらふわりと微笑んだ。どこか儚く切なげで、それでいてとても美しいその微笑みからメラニアは目が離せなかった。
そろそろ行こうかしら、と立ち上がったオルガに気づき、メラニアもハッとなって立ち上がる。
オルガの立ち姿は凛としており、出会ったときの今にも倒れてしまいそうな姿はどこにもない。
無理をしている可能性もあるため、できれば彼女を送り届けたいとメラニアが声をかけようとした時、オルガが振り返って質問をしてきた。
「お嬢さん、お名前を聞いてもいいかしら」
「あ、はい。メラニアです」
「メラニアちゃんね。良い名前だわ」
ふっと見せた流し目が、今日はここでお別れだと告げているように感じられた。
まるでこちらの考えていることなどお見通しかのようで、メラニアは不思議な気持ちになる。
「私はオルガ。貴女と話せてよかったわ。ああ、それと」
ドキドキしながら呆気に取られていると、オルガはさらにドキリとする言葉を続けた。
「気づかないフリは、あまり長くは持たないわよ」
「え……」
「あの鑑定士のことよ。気持ち、気づいているのでしょう?」
カッと顔に熱が集まる。本当にオルガという女性は一体どこまで見透かしているのだろう、と。
正直なところ、メラニアはまだよくわかっていない。
ただ、そこはかとなくロイが自分に対して普通以上に好意的であることには、なんとなく気づいている程度だった。
だとしても自分は平民で、彼は貴族。
ロマンス小説の世界じゃあるまいし、身分違いの恋が実るとはとても思えない。
そんなことは貴族である彼のほうがわかっているはずなのだ。
だからこそ、メラニアはそんなわけないと思っていられた。
……のだが。
「ズルいのは彼のほうよね? そうね、困った時は名前を聞くといいわ。フルネームを」
第三者であるオルガの目にはつまり、そう見えているということなのだろう。
自信はない。けれど、もしかしてという思いは常にある。
(……ん? あれ? 今、オルガさんはなんて)
そこまで考えたところで、今しがた彼女が言った言葉の意味に気づいたメラニアはハッとする。
まるで、彼女はロイの本当の名前を知っているかのような口ぶりではないか。
「っ、オルガさんは知って……え、あれ?」
メラニアが目を逸らしていたのは一瞬だ。
だがそのほんの一瞬の隙に、目の前にいたはずのオルガは姿を消していた。
近くに隠れられるような場所などないというのに、まるで最初からそこにはいなかったかのように。
「夢、だったのかしら? ううん、そんなわけないわよね」
初めて見た時は儚げな貴族令嬢かと思っていたが、メラニアはその認識を改める。
(きっとスキル持ちなんだわ。只者ではない、ってことね)
メラニアは噂でしか聞いたことはないが、スキルを持って生まれた者は苦労も多いらしい。
彼女が語る仕事も、なにか特殊なものであるのかもしれない。
(そうなると彼女の負った怪我も……ううん、詮索はやめましょう)
想像だけならいくらでもできる。
それに、たとえ本当のことを知ったところでただの平民の娘でしかないメラニアに、できることなどほとんどないのだ。
オルガは悪い人ではないとメラニアは感じる。ほんの少しだけ会話をしただけの関係ではあるが。
「また、お話できたらいいな」
わずかでも気が紛れるのなら、メラニアはいくらでも彼女の話を聞きたいと願うのだった。