23 甘く麗しき客人
「えっ、でもそれは」
メラニアが戸惑いの声を上げた時だ。
急にドアベルが鳴ったかと思うと、店内に銀髪の美女がやってきた。
彼女の顔には見覚えがある。呪いの腕輪を嵌めてくれたこともあったその美女は、つい昨晩も接触した相手だ。
だというのにロイはそんなことなど少しも顔に出さず、店主としていつも通りの笑みを浮かべた。
「いらっしゃいませ、レディー」
「こんにちは。来客中だったようね」
「ええ。申し訳ありませんが、少しお待ちいただけますか?」
美女は淡い水色のシフォンワンピースを身に纏っており、清楚な印象を受けた。
肩にかかった銀髪を軽く手で払うとサラリと揺れ、微かに香水の甘い香りが漂う。
これまでのイメージとは正反対だ。彼女は会う度、メリハリのあるボディラインを強調するようなピッタリとした黒いドレスを身に纏っており、妖艶さを醸し出していたというのに。
いつもの姿が幻想的な夜を舞う蝶のような女のイメージだとしたら、今日の彼女は明るい日差しの下を歩く良家のお嬢様だ。
しかし、美女の口から飛び出したのは少しばかり好戦的な一言。
「いいえ。文句を言ったらすぐに帰るわ」
「文句?」
すぐさま反応したのはルカだった。
揉めごとの気配を察知しては、黙って見ているわけにもいかない。
それに彼女は以前、ロイに呪いの腕輪を嵌めた張本人。印象は違えどルカが見間違えるはずもなく、警戒するのは当たり前のことだった。
「そうよ。言いたいことがあるだけですぐに帰るわ」
「……」
「あまり睨まないでくださる? 怖いわ」
ルカが眼光鋭く美女を見上げるのに対し、彼女はにこりと微笑みながら余裕の態度でそんなことを言う。
まったく怖いなどと思っていない様子に、ルカの警戒心はさらに高まった。
「ルカ、お客様をお通ししなさい。そんな顔ではマダムやメラニアさんだって怯えてしまうよ」
「っ、は、はい。……どうぞ」
「ありがとう、坊や」
穏やかな声でルカを下がらせたロイに、美女は笑みを深めてカウンターにいるロイの下へと歩み寄った。
自然と近くにいたマダムとメラニアが一歩下がる。
ロイは視界の端でそれを確認しながらも、美女から決して目を離さずにいた。
美女はカウンターに片腕をつくと、少しだけ身を乗り出し、ロイに向けて流し目を送る。
「ねぇ、店主さん。今朝はどうしていなくなってしまったの? 目が覚めたらいなくなっているのだもの。寂しかったわ。……昨晩は、あんなに優しく抱き上げてくれたのに」
美女の発言にその場にいた誰もがぎょっとした。いや、ロイだけは特に顔色も変えずにいつもの笑みを浮かべたままだ。
それから眉尻を少しだけ下げると、今日の天気でも訊ねるかのような軽さで言葉を返した。
「誤解を招くような言い方は困りますよ、レディー。店の評判にも関わりますし」
「あら、店の評判だけ?」
「評判『にも』と言ったでしょう。できればすぐにでも本当のことを打ち明けてくれると助かるのですが」
「ふふっ、ごめんなさいね。みなさんの反応が面白くって」
美女はクスクス笑いながら状態を起こすと、今度は振り返ってカウンターに寄りかかり、その場にいるみんなに説明するように告げた。
「昨晩、怪我をして動けなかった私を彼が助けてくださったのよ。あ~あ、こんなに早くネタバラシするつもりはなかったのに」
「ご配慮に感謝いたします。それで、怪我の具合はいかがですか?」
「まだ痛むけれど、問題ないわ。おかげさまでね」
美女は再びカウンターのほうに身体を向けると、肩をすくめながら口を尖らせて言葉を続ける。
「お礼を言う前に姿を消すのだもの。文句も言いたくなるし、意地悪もしたくなるわ」
「これは失礼いたしました。今日も店があったもので」
「まぁ、いいわ。それで、何かお礼をしたいのだけれど?」
「そうですね……では、レディーの名前をお聞かせ願えますか?」
予想外の返答に面食らったのか、美女は一瞬だけ目を丸くした後、不機嫌そうに腕を組んだ。
「貴方なら、すぐにわかるじゃない」
「直接お聞きするということが大事なのですよ」
暫し、ロイと美女のにらみ合いが続く。
ただ、ロイの表情が変わらないので美女が一方的に不機嫌そうなのだが。
それから数秒後、ついに諦めたのか美女が大きくため息を吐いた。
「まったく。貸しができたわね。困ったことがあったら一度だけ無料で請け負うわ。これでどう?」
「ええ、ありがとうございます。その時は声をかけさせていただきますね」
最初から最後まで一切態度を変えないロイに対して恨みがましげな目を向けた美女は、すぐに踵を返してドアのほうへと向かった。
これで話は終わり、とばかりに無言で歩を進める彼女を見て、すかさずルカがドアを開けた。
まるでさっさと出て行ってくれと言わんばかりのあからさまな態度に、美女はクスッと笑う。
おそらく本当なら、こんな素直な反応をロイで見たかったのだろうがそれは叶わなかった。しかしながら彼の従者が見せてくれたことで一応は満足したらしい。
「オルガよ。忘れてもいいわ」
美女オルガは最後に振り返ってそれだけを言うと、今度こそ真っ直ぐ外へと出て行った。
すぐさまルカがドアを閉め、何ごともなかったかのように前を向く。
カランコロンと鳴るドアベルの音が聞こえなくなった時、メラニアが呟いた。
「すっごく美人な方でしたね……貴族のご令嬢でしょうか」
「そうかもしれないわねぇ」
のほほんと会話するメラニアとマダムの姿に、ロイはようやく肩の力を抜いたのだった。