番外編『鑑定士ロイは女性に弱い』
続きの連載前に、今作を書くきっかけとなった短編を投稿します!
2024年12月の文フリ東京に出展した「妄想リアリスト」さんの「一人称変化アンソロジー 僕→俺」に寄稿した作品ですね!
WEB公開OKになったので掲載いたします!
読まなくても本編に影響はありませんが、お読みいただくとより楽しめるんじゃないかなー、と思いますのでぜひ。
続きの連載は来週月曜日からスタート予定です。
目には目を、歯には歯を。
真実には真実を。
──嘘には、嘘を。
◇
メインストリートから一本外れた道を通り、入り組んだ路地を抜けた先に一風変わった骨董品店がある。
半年ほど前から営業しているその店では、黒髪黒目の美丈夫店主ロイが鑑定の仕事も請け負っていた。
貴族秘蔵の品、一般家庭に眠っていた品、冒険者がダンジョンで見つけてきた判断の難しい稀少な道具や素材など、客の身分問わず鑑定を引き受ける店は珍しく、界隈でちょっとした噂になっている。
鑑定費用は一律で銀貨三枚。
貴族にとってははした金で、冒険者にとっては夜の酒代程度。貧民であっても頑張れば一日で稼げる程度の金額だった。
儲け度外視の良心的すぎる費用設定に、人々からは心配される声もあった。
しかし当の本人はいつだって飄々としており、金銭面において一切気にした様子はない。
己の能力だけで生業が成立するのだから元手が必要ないのだとはロイの持論であるが、清潔な装いに上品な立ち居振る舞いから、貴族が道楽で商いをしているのではないかとまことしやかに噂されている。
実際、ロイにとって仕事がただの道楽であるのは間違いなかった。
客のいない店内。
ロイはカウンター内にある背の高い椅子に座って読んでいた本をテーブルに置くと、足を組み直しながら口を開く。
「完璧な人間など存在しないとはよく言うが、仮に存在するならどんな人物だろうか」
唐突に出された質問に対し、店の従業員である少年ルカは戸惑うことなく考え始めた。
シルバーブロンドに透き通るような水色の瞳を持つルカは、幼い容姿もあってよく性別を間違われる。小首を傾げて考える姿はまさしく少女のようだ。
「神様のようなもの、でしょうか」
「ああ、いいね。では神様とはどんな存在かな」
「万能で人間とは格の違う存在というイメージがありますが、神話の神々はどこか人間味があったりしますよね」
「素晴らしいよ、ルカ! 良い着眼点だ! 人間味のある神々に、我々は少し親近感がわくよね。神様でさえ完璧たりえないのだから、完璧な人間など存在しないというのも道理だ」
なんの前触れもなく始まった講義だったが、ロイが急にこうして話題を振ってくるのは初めてのことではないため、ルカも慣れたものだ。
むしろルカはこの時間を楽しんでいる節があった。
普段はあまり変わらない少年の表情が、今はほんのり頬が紅潮し口角が上がっている。
「つまり完璧な人間が存在したとしたら、それはとてもつまらない人間だ。周りから見ても、本人にとってもね」
その後、ロイは「人間味とは欠点だ」ということを熱弁し、ルカは真剣な顔で頷きながら黙って聞いていた。
「だからね、僕のように周囲から完璧に見えてしまう人間にはわかりやすい欠点が必要だということさ。とはいえ能力の高さはどうしようもない。だから僕は自分の欠点として、悪いことと知りつつも彼女たちを受け入れることにしているんだよ」
結局のところ、ロイが言いたかったのはそこである。
というのも実は講義が始まる直前まで、ロイは朝帰りしてきたことに対してルカから注意を受けていたのだ。
ずいぶんと長く回りくどい言い訳だったが、ルカはこの程度で騙されてはくれない。
「浮気や不倫を正当化しようとするのはどうかと思いますよ、ロイさん」
「人聞きが悪いな。僕は女性からの誘いを断らないだけだ。彼女たちに恋人や配偶者がいるかどうかなんて、聞いていないからね。もし事前に聞いていたら、当然断っているとも」
「聞いていないだけで知っているのでしょう? 悪いことだという自覚はあるみたいですし」
「ふふっ、そこは駆け引きというやつさ。ルカにはまだ早いかもしれないね」
「はぁ、別に構いませんけどね。僕はただ、いつかロイさんが女性に刺されるのではないかと心配なだけです」
「美しいレディーに刺されるなら喜んで受け入れたいところだが、僕はまだまだ生きていたい。肝に銘じておくよ、ルカ」
反省の色が微塵も見えないロイを見て小さく肩をすくめたルカは、突然なにかに気づいたようにピタリと不自然に動きを止めた。
そのままスッと壁際に移動した時、怒声とともに外側から乱暴にドアが開け放たれる。
「おいっ、どういうことだ!?」
ドアが開くやいなや、どすどすと大股でカウンターまで歩み寄ってくるのは大柄な男。
吊り上がった眦、口角には白い泡が浮かんでおり、誰が見ても男が怒っているのだとわかる。
しかしロイは驚くわけでもなく両手を軽く広げ、まるで今日の天気でも聞くかのような気軽さで彼に挨拶をした。
「おや、パンクさんではないですか。いらっしゃいませ。どのようなご用件で?」
「とぼけんじゃねぇ!」
興奮状態で入ってきたパンクと呼ばれた男は激高し、勢いもそのままにロイへと近づいてくる。
ルカは警戒し、いつでも動けるよう体勢を整えていた。
「この人形、偽物じゃねぇか!」
バンッと大きな音を立ててカウンターテーブルを叩いたパンクは、抱えていた人形を乱暴にロイの顔の前へ突き出す。
ロイは瞬きもせず至近距離でそれを見ると、両手で人形を手に取った。
まるで本物のレディーを扱うように、丁寧に、優しい手つきで。
「ええ、偽物です。こちらはかの有名な人形職人ジャン・ピエール・マルクス作ではありませんよ。彼に憧れた腕の良い職人の作品でしょうから、観賞用としては十分です」
「なっ、てめぇ……あの時は間違いなくジャンの作品だって言ったじゃねぇか! 鑑定士のくせに嘘をついたってのか」
「嫌ですね、パンクさん。鑑定士は聖職者ではないのですよ。僕も人間ですから嘘くらいつきます」
「っは! 嘘を認めたってのか。おい、賠償として金貨一枚支払ってもらうぞ。契約書にそう書いてあったよなぁ!?」
「それはできません」
ロイがはっきり答えたのと同時にパンクが拳を振り上げる。
しかしそれが振り下ろされることはなかった。
パンクの腕を止めたのは、小柄でひ弱な少女に見えるルカだ。
視線だけで男を射殺さんばかりに睨み上げており、華奢な少年に腕を止められたことと相まってパンクはわずかに怯む。
その間もロイは飄々とした様子で引き出しから紙を取り出すと、カウンターにスッと置いた。
「契約書をご確認ください。僕は確かに嘘をつきましたが、正しく仕事をしましたよ」
「なにをふざけたことを……っ」
「ここに、大きく記載してあるでしょう。真実には真実を、嘘には嘘をと」
ロイが置いたのは契約書だ。
どの契約書にも統一して一番上に大きく書いてあるのは、この店のモットー。
『真実には真実を。嘘には嘘を』
パンクはグッと一度息を呑んだが、すぐに威勢を取り戻して強気に反論した。
「こっちは嘘なんかついてねぇぞ!」
「そうですね、嘘はついていません。ですが、真実は捻じ曲げておりました。それは僕にとって嘘と同義です」
鑑定の依頼を受ける際はいくつか依頼人への確認事項があり、その中の一つに鑑定する品が依頼人のものであるかどうかという項目がある。
もし代理人であれば、鑑定する前に持ち主の許可を得なくてはならない。
また冒険者たちが手に入れた素材などは、一度冒険者ギルドで討伐・採集の証明をしてからでないと受け付けないようにしていた。
パンクから依頼された人形の鑑定をした時も、もちろん確認している。
その際、パンクは「俺のものだ」と言い、ロイは「そうですか」とだけ告げ、鑑定を引き受けたのだ。
確認方法は、口頭のみ。
「嘘さえ言わなければ、バレないと思っていたのでしょうねぇ」
パンクの言う「俺のもの」は、「今は俺のもの」という意味だった。
大方、盗んだ品は自分のものだと言いたいのだろう。だから嘘は言っていないと自信満々なのだ。
今度はロイのほうがパンクに近づいていく。パンクはじりっと一歩後ろに下がった。
「たかだか嘘を見抜くことしかできないその辺の鑑定士と一緒にされては困るのですよねぇ。僕の前では上辺だけの誤魔化しは無意味」
「なっ、お、お前は、何者なんだよ……!」
急に恐ろしくなったのか、パンクは怯えたように叫んだ。
『天眼』
ロイの目は、あらゆる物事の真実を見抜く。
たとえ嘘をついていなくとも、知りたいことは全て知ることができる神のような目だ。
だがそれをわざわざこのような男に教える義理もない。ロイはにこりと笑って告げた。
「人よりちょっと優秀な鑑定士です。さぁ、契約に則りこの人形はうちで引き取らせていただきます」
契約書には依頼人が嘘を吐いた場合についてもしっかり記載されている。
パンクには依頼品である人形を店に渡すだけでなく、違約金を支払ってもらわねばならない。
しかしどういうわけか、ロイは金貨を一枚取り出してパンクに見せつけた。
「それとも、金貨を受け取ってみますか? ただしうちの契約書は厳しくて。もし貴方が本当に無実で僕が違反していたのなら、賠償としてこの金貨を問題なく受け取れるでしょう。ただそちらに嘘があった場合……貴方は違約金として、たったの大銀貨三枚を支払う義務がある。僕か、貴方か。間違った方は命を落とすでしょうね」
どうします? と笑顔で訊ねるロイに、パンクの顔はみるみるうちに青ざめていく。
こういった店での契約書には魔法が使われているのが当たり前だ。
ロイの言ったことが決して脅しなどではないことを理解しているのだろう。
「く……っ、くそっ!」
パンクは懐から大銀貨を三枚投げつけると、ロイやルカを睨みつけてから逃げるように店を飛び出した。
出て行くのを見越してドアを開けて待っていたルカは、パンクがドアを通り抜けてすぐドアを閉める。そのままフッと息を吐いてロイに視線を向けた。
「わかりやすい小物でしたね」
「こらこら、小物だなんて言ってはかわいそうだ。ま、儲かったけどね。久しぶりの大銀貨だ」
ロイは大銀貨を三枚手に握り込んでじゃらりと音を鳴らすと、嬉しそうに勘定箱へしまい込む。
「貴方にとっては大銀貨なんて珍しいものではないでしょうに」
「そんなことないさ。店の売り上げで見ることは滅多にないだろう?」
「本来なら鑑定だって銀貨ではなく大銀貨を請求したっていいくらいなんですけどね」
呆れたように告げられたルカの言葉が聞こえているのかいないのか、仕事は終わったと言わんばかりにロイは再び背の高い椅子に座って読書に勤しむのであった。
◇
キィ、と小さな音を立てて店のドアが開く。
ロイは読んでいた本をカウンター下にしまうと、客を出迎える準備をすべく椅子から立ち上がった。
「いらっしゃいませ」
「あっ、ありがとう……」
ルカが内側からドアを開けつつ声をかけると、客の女性は驚いたように肩を震わせてお礼を告げた。
肩下まであるやや傷んだブルネットの髪は重たく見え、おどおどした様子の彼女は身なりから察するに平民で、明らかに緊張しているのがわかる。
店の外観は町に溶け込むような普通の建物だが、出迎えてくれた二人が貴族のオーラを放っているからだろう。
「あまり緊張なさらないでください。ここはどなたでも利用できる店ですから。ルカ、レディーをこちらまでご案内してくれるかい」
「かしこまりました。こちらへどうぞ、お客様」
入口付近で立ち止まっていた女性はもはや店から出ることもできず、言われるがままルカに案内されカウンターまでやってきた。
ロイは女性に微笑みかけると、優しい声で問いかける。
「美しいレディー。今日はどんな品物の鑑定をお望みですか?」
「ど、どうして鑑定だとわかるんですか?」
ロイは仕事として鑑定も行っているが、この骨董品店に訪れる客のほとんどは買い物客だ。
女性もそう思っていたからこそ、驚いたように目を丸くしている。
「勘ですよ、美しいレディー。僕はロイと申します。貴女のお名前をお聞きしても?」
「はい……私は、メラニアといいます」
「レディー・メラニア、素敵な名前だ。このまま貴女と二人、他愛のない話に花を咲かせて仲を深めたい……どうでしょう。今夜は一緒に食事でも」
「あの、あ、あの」
「ロイさん、お客様がお困りです」
女性とあらば息をするように口説き始めるロイを止めるのはルカの仕事。
実際、メラニアの顔には困惑が見えた。
「これは失敬。レディーがあまりにも魅力的で、つい我を忘れてしまいました」
甘いマスクに甘い言葉。
メラニアはぽっと頬を染めてから、慌ててポケットに手を入れてハンカチを取り出した。
ハンカチには何かが包まれているようで、メラニアはテーブルに置くとそっと包みを開く。
「これを、鑑定していただきたいのです」
「……ほう」
出てきたのは片方だけの耳飾り。繊細な金細工で、どう考えても一般市民が持てるような品物ではなかった。
だが付いている赤い宝石は割れており、デザインも少々古いため価値はそこまで高くなさそうだ。
しかし。
ロイは目を細めて口の中で呟く。
「なるほど、今日が運命の日か」
「え?」
不思議そうに首を傾げたメラニアに、ロイは軽く微笑んでからいつも通りの質問をメラニアに投げかけた。
「いえ、なんでもありません。鑑定するにあたって確認させてください。こちらは、貴女のものですか?」
「……ごめんなさい。私のものではありません。あの、自分のものでなければ鑑定はしてもらえないのでしょうか」
メラニアは誤魔化すことなく正直に答えてくれた。どうやら、よくある盗品の鑑定依頼ではなさそうだ。
すでにロイの天眼はあらゆることを見通していたが、あえて彼女に話してもらうべく質問を重ねる。
「ご事情によりますね。どなたのものか、お聞きしても?」
「それこそが、鑑定をお願いしたい理由なのです」
「……なるほど。詳しくお聞かせくださいますか?」
「は、はい」
興味深げに見つめてくるロイに返事をしたメラニアは、ぽつりぽつりと事情を説明し始めた。
この耳飾りは、一年前にメラニアを助けてくれたある貴族の落し物だという。
「すぐに届けられたらよかったのですが……トルエバ子爵がいるので、その」
「ああ……レディー・メラニアが貴族街に行くのは少々危険ですね」
この町は、実のところあまり治安がよろしくない。昔から荒くれ者が多いのだ。
しかし一年前までは、少なくとも庶民にとっては平和な町だった。
「血紅の公子がいてくれたらよかったのに」
「……なぜ、そうお思いに? 血紅の公子といえば、暴れん坊の危険人物だったでしょう」
血紅の公子とはスカイラー公爵の末息子のことで、昔からずっとこの町を牛耳っていた人物だ。
酷く暴力的で、特に歯向かう者には暴虐の限りをつくす容赦のなさで有名だった。
ひとたび暴れると血の海ができることと、彼の容姿からいつしかそんな呼び名がつき、狂気の公子に敵う者はおらず彼の存在は人々を震え上がらせていた。
だが彼がいるからこそ悪さをする者もほとんどおらず、いてもすぐに粛清されていたためある意味で平和が保たれていたのだ。
それがある日、急に血紅の公子が現れなくなった。
あまりの暴れぶりを腹に据えかねたスカイラー公爵が、末息子を辺境の地へと追いやったのだろうと噂されている。
「確かに乱暴だったかもしれませんが、あの頃は今よりずっと暮らしやすかった。彼がいたら、トルエバ子爵が幅を利かせることも……」
「おっと、それ以上は危険ですよ。どこで誰が聞いているかわかりません」
「すっ、すみません」
大きな声では言えないが、メラニアの言わんとすることは多くの者が思っていることだろう。
現在、この町は平民にとって非常に暮らしにくい場所となっている。
それもこれも全て、血紅の公子がいなくなってから出張るようになったトルエバ子爵が貴族至上主義者だからだ。
トルエバ子爵の息のかかった者たちが町で威張り散らかしており、ただ目障りだというだけで捕らえられた平民も数多くいるのが現状だった。
荒くれ者たちを利用し、裏で悪事に手を染めて私腹を肥やしているとわかっていても、誰もなにもできないでいるのだ。
「は、話を戻します。実は、私を助けてくださった方こそ、血紅の公子なのです」
一年前、メラニアは運悪く酒場で起きた争いに巻き込まれたことがあった。
町の荒くれ者たちが徒党を組んで、貴族のくせに町の酒場でいつも一人酒を飲む血紅の公子を殺そうと襲い掛かったのだ。
メラニアは恐ろしくて身動きが取れず、ただじっと座り込んでいることしかできなかったと語った。
「じっと耐えていたら急に静かになって、私は恐る恐る顔を上げました。店内はめちゃくちゃになっていたのですが……不思議なことに、私の周辺だけは何一つ壊れていなかったのです」
不思議に思っているところへ、背後から血紅の公子に声をかけられたという。
「悪かったな、って。その時、私は守られていたのだと気づきました。この耳飾りは店の片付けを手伝っている時に見つけて……きっと彼の物だとは思うのですが、確信がなかったので、その」
「それもあって、公爵家に届けることができなかったのですね?」
「……はい。あれからすぐに彼が姿を消してしまって。届けようにも私のような平民は貴族区域に近づけません。お礼も伝えたかったのですが、そんなことできるわけもなくて。それどころか、もしかすると私が盗んだと思われるかもしれないって、なかなか勇気が出なくて……」
特に今は平民を見下すトルエバ子爵に見つかればただではすまない。
難癖をつけられるだけならまだしも、処罰を受ける可能性も高かった。
「鑑定してご本人のものだと分かった時は、店主さん。どうか公爵家に届けていただけませんか? これがお仕事の範囲外だということはわかっていますが……追加料金はお支払いしますから、どうか!」
ギュッと胸の前で手を組みながら懇願してくるメラニアを前に、ロイは眉尻を下げてフッと微笑む。
「わかりました。レディー・メラニアのご依頼、引き受けましょう。そうですね……二日後にまた店に来ていただけますか?」
「二日後、ですか?」
「ええ。その時には全てが解決していると思いますよ」
「ぁ、あ、ありがとうございます……っ!」
メラニアはその後、何度も頭を下げてはお礼を告げ、どこかホッとしたような顔で店を去って行った。
彼女を見送り、ドアを閉めてからルカが小さくため息を吐く。
「ロイさん。また鑑定とは関係のない依頼を受けましたね。それ以上もするつもりでしょう?」
「もちろん。今回の件については、むしろ彼女にお礼を言わなくてはならないくらいさ。依頼自体は完了したようなものだし、支払いの分と落し物の分はしっかり働かないとね」
ロイは軽い口調でそう告げると、メラニアが置いていった耳飾りを手に取って右耳につけた。
その瞬間、急に耳飾りが眩い光を放ち、みるみる内に新品のような美しい姿を取り戻していく。
と同時に、黒かったはずのロイの髪と瞳がいつの間にか宝石と同じ赤色に染まっていた。
「それにね、ルカ。これがなくとも、僕は女性に弱いのさ」
赤い瞳を細めてにやりと笑うロイは、いつも以上に色っぽい。
ルカは呆れたように微笑みながら「よく知っています」と答えた。
◇
次の日の夜、ロイとルカは夜の町を歩いていた。
実のところ二人はこれまでも水面下で、調子にのっているトルエバ子爵をこらしめるための準備を進めていた。
あれだけ好き勝手に動いているトルエバ子爵の情報は、苦労せずともたくさん手に入る。
あとはタイミングを見計らって行動を起こすのみという状態だったところ、メラニアがやってきたというわけだ。
「クズというのは自分がクズだと気づけないのが一番クズなところだと思うね。さぁて、力も戻ってきたことだし、お困りのレディーがこれ以上増えないうちにお楽しみの懲らしめタイムといこうか。ふふっ、あいつらをボコボコにできるのかと思うとワクワクするよ」
獰猛に笑いながら告げるロイの姿に、ルカは何か言いたそうな視線を向けたが無言で再び前を向く。
視線の先にはトルエバ子爵邸。今からやることは単純明快。
侵入し、ぼこぼこにして、悪事の証拠品を残す。それだけだ。
事後処理についてもすでにルカが手配済み。
駆け付けたロイの実家の私兵たちはトルエバ子爵邸の惨状と証拠品を見て、すぐに全てを理解するだろう。
その後はしかるべき対応をしてくれる……いや、立場上せずにはいられなくなるはずだ。
「旦那様や若君のため息が聞こえてきそうです」
「お、奇遇だね。僕にも聞こえるよ。とても愉快だ」
面倒ごとには関与しない。荒らすだけ荒らして、後片付けはいつも家族。
ロイは一番楽しい部分だけをやりたい根っからの末っ子気質であった。
「久しぶりだからね、派手にいこう」
ロイの合図とともに、二人は同時に駆け出した。
まず、トルエバ子爵邸の門扉を守るお飾りの兵士を倒し、侵入後は手当たり次第に兵士の意識を刈り取っていく。
平和だった夜のトルエバ子爵邸は一瞬にして大騒ぎだ。
兵士たちの悲鳴やロイとルカの人を殴る音、人がどさりと倒れる音が響き渡る。
舞う血しぶき、恐怖に染まる子爵邸の人々の顔。
一方でロイはとても楽しそうで、おもちゃを前にはしゃぐ子どものようだ。
トルエバ子爵邸の人たちにとって唯一の救いは、ロイとルカの二人が攻撃魔法の使い手ではなかったことだろうか。
いや、防御魔法の使い手がいようがおかまいなしに物理的な力でねじ伏せられている事実の方が怖いかもしれない。
とはいえロイとて無暗に暴力を振るうわけではなく、雇われただけの無害な使用人には手を出さない。天眼があれば無害かそうでないかなど一目瞭然なのだ。
こうして、ものの数分ほどで屋敷の玄関に辿り着いたロイとルカは、大きな音を立ててドアを蹴破る。
外の騒ぎを聞いて怯えていたのだろう使用人たちが片隅で固まっており、その中に一人、ロイたちの見知った顔があった。
「お、パンクさんだ。トルエバ子爵家の小間使いだったのか」
「そのようですね。ロイさん、会った時に気付かなかったんですか?」
「どうでもいい男のことなんかいちいち見ないさ。興味もない」
「な、なななな……っ!」
天眼はあらゆるものを見通すが、見ようとしない限りは見ることもない。
必要だと判断した時だけ、天眼を発動させる。
「ちょうどよかった、会えて嬉しいよ。君の顔には一発入れてやりたいと思っていたんだ」
「お、お前、お前は一体……!?」
「しーっ。静かに」
ロイはパンクに近づくと、静かな声色でそう告げて人差し指を立てた。
赤くぎらついた目が、彼の全てを見透かす。
「ああ、やっぱり泥棒も君だったのか。よくも僕の友達の家を荒らしたね? あの人形は友達の大切なものだったんだ。他の盗品は……へぇ。すでに売却済み、ねぇ」
ロイがにっこりと笑みを浮かべたことでようやく目の前の男が誰だかわかったのだろう、パンクは口をパクパクさせてこちらを指差している。
今のロイは赤い髪と瞳で、普段の黒髪黒目とは印象がかなり違って見える。
加えてこの姿になった時のロイはテンションが上がるのか、いつもより攻撃的になるのだ。とても同一人物とは思うまい。
「後日きっちり支払ってもらうよ。とりあえず今は……おやすみっ」
「ぶほぉ……っ!」
ロイは怒りを拳に込めると、パンクの顔面に強烈な一発を食らわせた。倒れたパンクはピクリとも動かない。
本当ならもう少しいたぶりたいところだったが、本命は別にいる。
ここで時間を取ればトルエバ子爵が逃げ出してしまうかもしれない。それは非常に面倒だった。
あっという間にホール一階を制圧した後、ロイとルカは真っ直ぐトルエバ子爵の部屋へと向かう。
居場所は聞かずともわかった。屋敷全体が悪趣味な装飾でいっぱいだったが、その中に一際豪華なドアがあったからだ。
部屋の前にはわかりやすく金の鎧まで立っている。本物の兵士が霞むほどだ。
二人は難なくドアの前の兵士を蹴散らすと、躊躇なくドアを開けて部屋の中に足を踏み入れた。
「な、なんだ、お前たち……そっ、その赤い髪っ、まさか!」
「こんばんは、トルエバ子爵。夜分に失礼」
バキバキと指を鳴らしながら近づくロイに、トルエバ子爵の顔は一瞬で真っ青になる。
でっぷりとした身体を震わせながら何かを言おうと口を開くも、うまく声にならないようだ。
ロイはそんな彼に、笑みを浮かべたままゆっくりと歩み寄っていく。
ニィッと上がった口角、笑っていない赤い瞳。
恐怖に震え出すトルエバ子爵を前に、ロイは恍惚とした表情を浮かべて告げた。
「ああ、たまらないな。その絶望した顔。すべてがうまくいくと思っていたのに残念だねぇ? 束の間の甘い蜜はおいしかったかい?」
「デ、デルロイ・スカイラー!!」
「んん? お前ごときがこの僕を呼び捨てか」
「ひっ」
デルロイ・スカイラー。
スカイラー公爵の末息子で、血紅の公子と呼ばれる問題児。それがロイの正体だ。
普段はほんの少し問題があるだけの骨董品店店主ロイでしかないのだが、耳飾りの魔道具によって彼はかなり問題のある怪力公子デルロイに戻る。
とはいえ、昔から問題児だったわけではない。
むしろ彼は聡明で大人しく、人のいうことをよく聞く「良い子」だった。
生まれつき「天眼」と「怪力」という二つの天恵を授かっていたデルロイは、物心つく前から人々に敬われ、崇められて育った。
頭の良かった幼きデルロイはわずか五歳の頃、大人たちに利用されているこの状況をどうにかしたいと考えた。
『僕が完璧な存在だから崇められるんだ。それなら、欠点を作ればいい』
その日から幼きデルロイは、暴れん坊になることを決意したのだ。
思春期を迎える頃、デルロイ少年は怪力の力を上手く制御できなくなった。
それを問題視した父スカイラー公爵は、息子デルロイの怪力の力を一時的に封印し、必要に応じて力を戻せるよう対策を打った。
媒体となった耳飾りは大きな力に耐え切れずボロボロになってしまうが、ロイが触れると彼に力が戻って美しく輝く。
全てはいつか、ロイが自分の力を制御できるようになるための措置だった。
ちなみに、すでに力の制御はできるようになっているのだが、今の生き方が気に入っているロイはそのまま骨董品店を続けたいと思っている。
「僕はね、別にいなくなったわけじゃない。お前たちのような子悪党をぶっ潰していたら、なんの罪もない人たちが血紅の公子に怯えるようになったから、仕方なく隠れることにしただけさ」
それっぽいことを言っているが、実際は耳飾りをなくして天眼以外の力を失っていただけである。
「まだたった一年しか経っていないというのに、貴方はかなり好き勝手をしていたようだね」
ロイは、久し振りに自分へと戻ってきた怪力と本能を受け入れた。
「……俺も、ずいぶん舐められたもんだな」
デルロイがトルエバ子爵の顔すれすれに蹴りを繰り出すと、彼の真後ろにあった本棚が見るも無残に粉々となる。
これまでの飄々とした雰囲気が消え、狂気だけが宿る瞳もあいまって、トルエバ子爵はさらに震えた。
「ひぃぃぃっ! お許しくださいお許しくださいっ! なんでも、なんでもいたしますからぁ……っ!」
「なんでも?」
「は、はひっ!」
「命にかけて?」
「いいい命にかけてっ!」
肝の小さいトルエバ子爵はペラペラと都合のいい言葉を口走ってくれたが、デルロイとしては消化不良だ。
しかし目的は達した。デルロイは心を落ち着けると、ロイとしてルカに声をかける。
「だそうだ。ルカ、頼んだよ」
「はい。契約魔法を行使します」
ルカが魔法を発動すると、シュルシュルと金の糸がトルエバ子爵のでっぷりとした体に巻きついていく。
ロイはそれを眺めながら右手を顎に当てると、考えながら契約内容を口にした。
「そうだな、まずは爵位の返上。平民として平民のために尽力する人生を送れ。今後一切の悪事を禁止する。それから俺についての情報はどんな形であれ漏らすな」
「そんなっ」
「いいな?」
反論を許さぬ眼光と言葉に、トルエバ子爵は諦めたように首を何度も縦に振る。
それを確認したルカがすぐさま「契約締結」と唱えると、トルエバ子爵の体内にスゥッと金の糸が吸い込まれていった。
ロイはずるずると床に座り込むトルエバ子爵の目の前に立ち、冷たい眼差しで見下ろす。
「一年前、酒場で俺に殺し屋を差し向けた主犯もお前だな」
トルエバ子爵の顔は、すでに涙とよだれでぐちゃぐちゃになっている。
「ルカは国で一番の契約魔法使いだ。破ろうものなら瞬時に命を落とす。今後、何が悪事に該当するかわからず怯えながら良い子で暮らすがいい。それがお前への罰だ」
トルエバ子爵はもはや抜け殻状態で虚空を見つめることしかできなかった。
ロイは汚物を見るような目で彼を一瞥すると、簡潔にルカへと指示を出す。
指示に従ったルカがトルエバ子爵を縄で縛り始めたのを見て、耳飾りを外した黒髪黒目の美丈夫ロイはようやく満足げに笑った。
「うん。やっぱり世の中は権力、金、拳だね!」
──数十分後。
トルエバ子爵邸にはスカイラー公爵家の長男と大勢の私兵が押し寄せ、現場を見て顔を引きつらせていたという。
後日、骨董品店には抗議と説教が書かれた分厚い手紙が届くことだろう。
◇
予定通り、あれから二日後に骨董品店を訪れたメラニアは、店に着くなりロイから少々捏造された事件のあらましを聞かされていた。
「と、いうわけで。悪事を知ったスカイラー公爵が、ついにトルエバ子爵を捕らえたそうです。町も少しは平和になることでしょう」
「ま、まさか公爵様が平民たちを助けてくださるとは……それに、あの時の争いもトルエバ子爵のせいだったなんて」
「いやぁ、驚きましたよ。まさか公爵が話を聞いてちゃんと調べてくれるなんて。平民の声にも耳を傾けてくれるなんて、素晴らしいお貴族様だ」
「本当ですね! ロイさんも公爵様にお話をしてくれるなんて、すごいです!」
「ありがとうございます。でも僕はただ事実をお伝えしただけですよ」
顔色一つ変えずに平気で嘯くロイの言葉を、メラニアはそのまま信じたようだ。
「血紅の公子たる息子に暗殺者を仕向けられた件も絡んでいますし、公爵も思うところがあったのかもしれませんね」
「なるほど……でも、よかったです。耳飾りもご本人に返していただけたみたいで、とても助かりました。あの、本当に今回の依頼料は銀貨三枚でいいんですか?」
「もちろん。ああ、そうそう。忘れるところでした」
ロイはメラニアから受け取った銀貨三枚を勘定箱にしまうと、ルカに指示を出しある物を持ってきてもらう。
ルカは店の裏側から小さな箱を手に戻って来ると、そのままメラニアへと差し出した。
高級感溢れる茶色の箱には金のリボン。箱の右下には王室御用達の印と有名なスイーツ店の紋章が刻まれている。
「これって……!」
「スカイラー公爵家の末息子から貴女へ、耳飾りを届けてくれたお礼だそうですよ。とても美味しいショコラだとか」
「お、お店の紋章でわかります! えっ、それも血紅の公子が!? このショコラは貴族でもなかなか手に入らないことがあるって聞いたことが……! う、受け取れませんよ!」
「それは困りました。相手は公爵家ですから、受け取っていただけないと僕が叱られてしまいますね……」
「あっ、で、でも」
わかりやすく嘘の涙を拭うロイに、メラニアは慌てた。
助け舟を出したのは見兼ねたルカだ。
「メラニアさん。ロイさんは女性に弱いのです。血紅の公子から叱られたって平気ですから、本当に無理なら断っても大丈夫ですよ」
「ちょっとルカ。そこは受け取ってもらう方向にフォローをすべきだろう」
その後もあーだこーだと言い合う二人の姿に、メラニアは呆気に取られた後クスッと噴き出して笑った。
「ありがとうございます、ルカさん。それにロイさんも。……困らせたくはありませんので、ありがたく受け取りますね」
「それは助かります」
「……や、やっぱり貰い過ぎな気がします! せめて追加の依頼料を……」
追加の銀貨を出そうとしたメラニアの手を止め、ロイはそのまま両手で彼女の手を包み込むように握りしめた。
「いいえ、それは必要ありません。やっとレディー・メラニアの笑顔が見られたのです。追加料金はそれだけで十分ですよ」
甘いマスクに甘い言葉。加えて触れた、大きな手。
メラニアはボボッと顔を真っ赤に染めた。
「メラニアさん。ロイさんは頑固なので諦めてください」
「ルカさんまで……本当に困った人たち。わかりました。では、私はこの店の常連客になることにします」
「ええ、ぜひ! 貴女のような美しい人にいつでもお会いできるなんて、僕には得しかありません」
「もう、お上手なんですから」
コロコロと笑うメラニアの姿は、出会った時のような暗い影は見られない。
きっとこちらの明るい姿が本来の彼女なのだろう。
朗らかに笑って店を立ち去るメラニアを見送っていると、閉まりかけたドアの隙間から小さな何かが勢いよく店内に飛び込んできた。
「ロイお兄ちゃん!」
小さな何かは赤毛をおさげに結った小さなかわいらしい女の子。緑の目をキラキラ輝かせて両手を広げている。
ロイは驚いて丸くなった目をすぐに和らげて女の子を抱き止めると、そのまま高く持ち上げた。
続けてロイがくるくる回ってやると、女の子はきゃっきゃっと大喜びではしゃいだ。
「やぁ、ミニィ。元気だったかい?」
「うん! ……え、あれっ? ローラ! ローラだわ! 見つけてくれたのね!」
ミニィと呼ばれた女の子は嬉しそうに答えた後、すぐさまカウンターに座る人形に気づいて声をあげた。パンクが持ってきた、あの人形だ。
ロイは右腕でミニィを抱えたまま、左手で人形を手に取り彼女に差し出す。
「はい、どうぞ。僕は約束を守る紳士なんだ」
「素敵っ! ああ、おかえりローラ。ありがとう! ロイはヒーローだわ!」
ミニィはロイの首筋にギュッと抱きつくと、彼の頬にチュッとキスをした。
それからおもむろにポケットから銀貨を取り出す。
「お支払いしないとね!」
「ミニィ、今キスをしてくれたじゃないか。お金は受け取れないよ。僕の仕事は品物を売り買いすることと鑑定なんだ。探し物は友達のために僕がやりたくてやったことだからね」
「あら、それはだめよ。私はこの店で泥棒に盗まれた人形を見つけてくださいってお願いして、ロイお兄ちゃんはそれを引き受けたのだもの。きちんとお金を受け取ってもらわないと困るわ!」
「これは参ったな。この僕が一切反論できない」
ロイは困ったように眉尻を下げると、得意げに胸を張るミニィから銀貨を受け取った。
「銀貨三枚。たしかにいただきました。そうだ、よかったらお茶でも飲んでいかない? 美味しいショコラがあるんだ」
「えっ、いいの?」
「もちろん。僕一人で食べるより、友達と一緒の方が美味しいからね」
「うふふっ、うれしいわ!」
「君がうれしいと僕もうれしいよ。さぁこちらへどうぞ、かわいいレディー」
ロイは喜ぶミニィを抱き上げたまま、店の奥へと向かう。
ルカはちらっとこちらに向けられたロイの視線を受けて軽く頷いた。
「ボクはお茶の準備をしないとですね。それにしても……ふふっ。ミニィへのおもてなしに、一粒銀貨十枚のショコラを三つですか」
ショコラの乗ったお皿を前に目を輝かせる小さなレディー。その笑顔を見るロイの表情は無防備だ。
営業用の笑みではなく、柔らかい心からの微笑み。
「本当に女性に弱いですね、あの方は」
そんなロイを見て、ルカもまた自然と笑みを浮かべた。
静かな午後のティータイム。
骨董品店には穏やかな時間が流れていた。