14、主従はともに殻を破る
ひたすら無言で歩き続けるデルロイに、ルカもまた何も言わずに小走りでついてくる。
もしかすると、先ほど声をかけるのに勇気を全て使い切ったのかもしれない。
(もう何も言ってくれないんだな)
そう思うと少々残念な気持ちになったデルロイだったが、同時にルカの殻を破るような行為に感動も覚えた。
デルロイにとって、ルカを拾ったのは気まぐれだった。
悪徳業者が顔だけは傷つけないようにしていただけあってルカの容姿は整っていたし、頭もよく運動神経も良いときた。
もっときちんと食事を与え、暴力ではなくしかるべき教育を受けていれば光り輝く人生を歩んでいただろうに、そう思うと同情というよりは惜しいという気持ちが沸いてきたのだ。
その程度で、最初はデルロイもルカに対してそこまでの思い入れはなかった。
しかしルカは想定以上に従順だった。
最初の頃はデルロイが良いと言うまでその場を動かないし、目の前にある食事にも手をつけない。
生きるのに必要な細かい行動さえいちいち許可を出す必要があるほどで、自分の判断で動けるようになるまでには数年を要した。
ルカもそうだが、主人であるデルロイにも根気が必要な数年間。
当然、面倒ごとをのらりくらりと避けて生きてきた末っ子デルロイにとっても、ここまで手のかかる大変な相手を世話する経験は初めてだ。
ペットを育てることさえしたことがないというのに、最初に育てたのが訳ありの心を閉ざした子どもの従者。
あまりにも無謀で、誰もがすぐに匙を投げると思っていた。
実際、使用人が何人も脱落してしまったくらいだ。
けれどデルロイは決してルカを諦めなかった。不思議なことに、面倒だと思ったこともない。
打てば響くルカを育てるのは、存外楽しかったのだ。
「ルーカティウス、君は本当に何も聞かないね」
足を止めず、振り返りもせずにデルロイは言う。
身長差があるため、早歩きのデルロイに対しルカは小走りだ。
わかっていて、デルロイはあえてスピードを緩めない。
少々意地悪な主人に対し、ルカはいつもの淡々とした口調で答えた。
「聞いてほしければそのようにします」
「ああ、君はいつもそうだ」
そこでピタッと足を止めると、デルロイは前を向いたまま言葉を続ける。
「スピードが速いなら緩めてほしいと言えばいいのに言わない。意見があっても僕が問わなければ何も言わない。従順すぎる子だよ、まったく」
「も、申し訳ありま……」
「これは謝ることではないよ、ルーカティウス。まだその判断は難しいかい?」
デルロイはようやく振り返り、ルカを見下ろした。
困ったように眉尻を下げ、慈愛の籠った眼差しをルカに向けている。
「何も言わなくても、聞いてほしい時がある。お節介を焼いてほしい時もあれば、そっとしておいてほしい時もあって、その判断は慣れている者でも難しい。場の空気を読むという技術だけれど、誰もが何度も判断を間違える」
「……ボクは、間違えてしまったのでしょうか」
反省しているのか僅かに項垂れたルカは、デルロイに声をかけたことを後悔しているのかもしれない。
しかしデルロイはそれを許さなかった。
軽く膝を曲げて項垂れたルカの頭にポンと手を置くと、優しく髪を梳くように撫でてやった。
ルカはピクリと肩を動かし、うつ向いたままほんのりと頬を紅潮させている。
後悔なんてする必要はない。ルカの判断は正しかったのだから。
なにより正しいのは、ルカが自ら行動を起こしたということだ。
「いつになったら俺に甘えてくれるのかな、と思っているだけさ。ルカはスカイラー公爵家に雇われている専属従者だが……俺はね。君を家族のように思っているよ」
「か、ぞく……」
「そう。家族だから間違えた時も、怒られた時も、最後には許すんだ。絶対に、嫌いにならない」
ゆるゆると顔を上げたルカに、デルロイは目を細めて微笑みかける。
目線を合わせるように膝を曲げているため、いつもより近くにルカの顔があった。
ルカはデルロイにとって弟だ。末っ子の彼にはいないはずの、大切な弟。
「勇気を出してくれたこと、とても嬉しいよ。ありがとう」
「デルロイ、様……」
「ああ、違う違う」
デルロイは上半身を起こすと右耳につけていた耳飾りを外した。
見る見るうちに赤い髪と目が黒くなり、表情もどことなく穏やかなものへと変化する。
「やっぱり僕には、市井が肌に合う。帰ろうか、ルカ。あ、まだ店はあるかな?」
つまり、帰る場所はあの大切な骨董品店。
ルカの顔はパッと明るくなった。
「っ、はい! ロイさん!」
滅多に表情の変わらないルカが、先ほどまでの鬱々とした雰囲気が嘘だったかのように明るい。
あんな宣言をしておいて何も言わずに骨董品店へ帰れば、きっと父や兄からまた抗議の手紙が送られてくるだろう。
特に父からは結婚はどうするつもりだ、やっと落ち着くと思ったのに、など顔を合わせれば説教の嵐になることは目に見えている。余計に屋敷に戻りたくはなかった。
今回ばかりは父も店に乗り込んでくるかもしれないが、その時はその時だ。
弟のように思っているルカの笑顔の前では、どれもこれも大した問題ではない。
それに、店に戻ればまたメラニアと挨拶を交わすという楽しみもある。
考えねばならない問題は山積みだ。
メラニアとの関係についても、彼女の身の安全についても、まだ何も解決していない。
だがもう弱気になるのはおしまいだ。
いつでも根拠のない自信に溢れた鑑定士ロイの、営業再開である。