癖の強い同僚たち
久しぶりの投稿で長くなっちゃいました。
引き続きよろしくお願いします。
青空が澄み渡る気持ちの良い朝。
宿屋に住み込みで働いていた時よりも少し広くなった部屋で目覚めた私は、身支度を終えてから憂鬱な気分で不恰好に見えるブカブカの白衣を羽織って外に出た。
そしてそのまま一階にある寮の食堂に向かうと…案の定、周囲の視線が自分に集まってくるのを感じる。
「何で私がこんな目に……」
そう1人呟き、ため息を吐きながら辺りを見回すと、近くでリュベルがこちらに来いと言うように手を振った。
「おはよう、アイリス」
「おはようございます、リュベルさん」
好奇の視線に晒されつつリュベルの元へ逃げるように駆け寄る。
すると彼も周囲の視線を感じたのか、困ったように苦笑いを浮かべた。
「…やっぱり目立つね、その格好」
「私にとってはもはや呪いの白衣なんですけど、やっぱり無記名のじゃダメですか?」
「あはは、絶対そんなことしちゃダメだよ。
もれなく僕の胃に穴が開くからね」
アイリスの言葉に、リュベルはブラックジョークを言いながら明確なNOを突きつける。
それにショックを受けつつも、まぁ仕方ないかとこの現実を渋々受け入れている自分もいる。
だってこれ、いわゆる所長命令だし……
それにこの研究所には職員は所属をわかりやすくするために白衣を着ていなければいけないというルールがあるなんて言われてしまったというのもある。
私は初っ端からやらかしてしまったせいで新人のくせに二級職員というイレギュラーな存在でもあるため、ルアンの白衣を借りることでルアンの直属の部下だとアピールし、牽制の意味もあるとかなんとか……
私には何を牽制する必要があるのかよく分からないけど、とにかくルアンの名がある白衣を着ることはちゃんと意味のあることらしい。
アイリスの頭は、この白衣を着ることの意味も必要性も理解している。
だから自分の白衣が届くまで約2週間かかると言われても、短い期間のことだと思ってなんとか耐えようとしている…のだが。
「これがあと最低2週間は続くなんて地獄よ!」
既に溜まりきったストレスに振り回され、目の前のテーブルに突っ伏す。
今までの人生ずっと人目につかない場所で生きてきたアイリスにとって、必要以上に目立ったり職員たちの噂の的になったりというのは正直かなり苦痛だった。
『女があの若さで薬師なんて』
『あの白衣、デラフィス様の物じゃないか』
『気難しいあの方に気に入られたなんて』
『初日に所長室に向かっていたらしいぞ』
『よっぽど優秀なのか?』
そんな周囲の囁き声が聞こえてきて心底辟易としたアイリスは耳にシャッターを下ろす。
そして、リュベルがいつの間にか持ってきてくれていた朝ごはんを食べながら、ふと昨日のことを思い出した。
「じゃあこれにサインしてね」
昨日、ルアンに所長室へ連行されたアイリスは、最後にセイアスから差し出されたよく分からない書類にサインさせられてから解放された。
ルアンはそれを新薬の機密保持に関する契約書と言っていたけど、その時の私はすでに精神的に疲れ果てていてほぼ思考を放棄していたので、内容をまともに読まずに言われるがままサインしてしまった。
今思い返してもアレはマズかったとわかるが、取り返しがつかないことをしてしまったらと思うと恐ろしいので、契約書に何が書いてあったのかは考えないことにしている。
うんうん、知らぬが仏だよね。
そしてその後、アイリスは仏頂面のルアンに引きずられるようにして寮に戻り、「明日はリュベルと一緒に研究室に来い」という言葉と共にリュベルの元へ放り投げられ……
そのムカつきのままにすぐさま白衣を脱ぎ捨てようとしてリュベルに注意されたり、寮や研究所のことについて軽く説明してもらったりした。
それから私たちは一緒に夕食をとり、翌朝一緒に研究室に行く約束をして、新しい部屋に入りそのままぐっすり寝た……というのが一連の流れだ。
ちなみに、新しい部屋は住み込みで働いていた時と同じようにシンプルな一人部屋だったけど、そこそこ広くてシャワールームとトイレもついているかなり便利だった。
食堂のご飯も職員ならタダで食べられる上にかなり美味しいし、今のところ衣食住で問題は全くなく快適だ。
あとは好奇の視線に晒されることさえ無くなれば文句なしの職場なんだけどなぁ。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「はい!」
色々あった昨日の思い出を振り返ったり、リュベルとなんてことのない日常会話をして無事朝食を食べ終わったアイリスは気を取り直し、リュベルと共に研究棟にあるルアンが管理する研究室へと向かった。
うん、これは昨日も見た場所……あれ?
昨日と違う場所だ。
しばらくしてアイリスたちが辿り着いたのは昨日来たばかりの1階にある研究室…ではなく、研究棟の2階の端にある研究室の扉の前だった。
昨日の研究室がルアンの管理している研究室ではないのか。
アイリスは不思議に思いながら扉にかけられている木の名札を見る。
そこには昨日と同じく(管)ルアン・デラフィスと書かれていて、アイリスはさらに首を傾げた。
「ルアン様が管理する研究室って、一つだけじゃないんですか?」
医薬研究所の薬学部門では、たった13人の一等職員が管理者として二等職員以下を指導しているらしく、職員は一等職員が率いる研究室にそれぞれ振り分けられている。
ルアンはそんな一等職員の中でも1番実績のある人物であることから薬学部門長も務めており、そんな多忙な彼が直接管理する研究員はほんの一握りの優秀な職員で、一等職員候補ばかりだと聞いた。
だからアイリスはてっきり、ルアンの研究室は昨日見た一つだけだと思っていたのだが……そんなアイリスの言葉を聞いたリュベルは「あ、そっか」と思い出したように手を叩いた。
「部屋は2つあるけど、1階の研究室はほぼルアン様専用だね。
たまに予期せぬ爆発事故が起きたりするから、どこの研究室も予備の部屋があるんだよ」
そう言って「ほら、僕みたいな悪意なき爆破魔もいるから…」と自虐して、どこか遠くを見つめるリュベル。
どうやらまた彼の心の傷を抉ってしまったらしい。
なんだか気まずくなったアイリスはとりあえずこの状況から脱しようと、演技じみた大袈裟な動きで扉に手をかけた。
「な、なるほど!
いやぁ、実は私、昨日から同じ研究室の方々と会うのが楽しみだったんですよ!
それじゃあ、早速お邪魔しま…………へ?」
研究室の扉を開いたその時、まず視界に入ってきたのは白衣を着た2人の屍だった。
1人目は、紺色の短髪の男性で、コルンの葉を握りしめながら入り口に近い床の上で力尽きたように横たわっており……
2人目は、グレーの長髪を青いリボンでまとめた男性で、こちらは見覚えのある青い薬瓶を持ちながら何かをぶつぶつ呟いて焦点の定まらない目で机の上に上半身を預けていた。
なにこれ……怖い、怖すぎる。
カーテンが締め切られているのに電気がついてないせいで薄暗いし、心なしか空気もどんよりとしていて、室内はまるで墓場のような雰囲気だ。
ねぇ研究室ってどこもこんな感じなの?
違うよね??
そう心の中で問いかけるが、勿論返事はない。
いっそこのまま何も見なかったことにして、扉を閉じてしまおうか……
現実逃避をしようとする私の心に従順な手が勝手に目の前の扉を閉めようとしたその時、研究室の奥から聞き覚えのある女性の声が聞こえた。
「あら、アイリスちゃん!ついに来たのね」
そう言ってこちらに駆け寄ってきたのは昨日アイリスを慰めてくれたセクシーな美女、マリーナだった。
透明な実験用ゴーグルをつけていたマリーナはそれを頭に上げ、床に転がっていた男をヒールで思いっきり踏みつけてから、入り口にいたアイリスを部屋の中に引き寄せるようにしてギュッと抱きしめる。
その際、「グエッ」と苦しそうに呻く音が部屋に響いたが、再会を喜ぶ女性2人には聞こえておらず…ただ、リュベルだけがその男を哀れむような目で見ていた。
「わぁ、マリーナさん!嬉しいです、また会えて。
あれ、でもなんでマリーナさんがここに……」
「あら、言ってなかった?
私、ルアン様の研究室所属なのよ。
4年前ルアン様にスカウトされてこの研究所に移ってきた時からね」
「え!?そうだったんですね」
通りで、彼女はルアンについて詳しく、リュベルと特に仲が良さそうだったわけだ。
研究室という閉鎖された空間で見知らぬ他の職員と上手くやっていけるか心配だったアイリスにとって、マリーナがいるというのは嬉しい驚きだった。
「ちょっと散らかっててごめんね。
昨日そこに転がっているジョナンと机に突っ伏してるルピスが徹夜で新薬について調べていたから部屋が荒れてるの……って、そうだ。この新薬、アイリスちゃんが作ったのよね!?」
「そ、そうですね…私が作ったことになっちゃいますね……」
ルピスが持っていた青い薬瓶を半ば無理やり奪うようにしてこちらに突き出してきたマリーナに、私は若干後ろめたさを感じながら頷く。
すると彼女は興奮気味にアイリスが作った疲労回復薬について語り始めた。
「この薬、本当に素晴らしいわ。
飲んだ瞬間に実感する溜まっていた疲労が回復していく感じ…これは画期的な開発よ!
コルンの葉に秘められた成分を引き出し、最良の組み合わせで薬効を高め、味も美味しく改良してしまうなんて!
あなたって、本当に天才なのね」
「それは絶対に違います!!
誤解が生まれてしまうとよくないのでハッキリと言わせてもらうんですけど、私は本当にごく平凡な薬師なんです!」
「まぁ、謙遜なんてしなくていいのに」
即座に反論すると、何故かマリーナは生暖かい視線をアイリスに向ける。
な、なぜそんな視線を……勘弁してほしい。
これ以上褒められると恥ずかしすぎて死にそうだ。
レグルの民の知識があるだけで、アイリスは決して天才ではない。
ちょっと手先が器用な小娘に過ぎないのだ。
なんか騙してるようで罪悪感を感じてしまったアイリスはひたすら首を横に振って自分の能力自体はごく平均値であることを主張していると、何故か黙って見守っていたリュベルまで参戦してきた。
「いやいや、平凡なんて。君にそんなこと言われたら、僕なんかは立つ瀬がないよ。
偶然でこんな素晴らしい薬ができるほど薬師の世界は甘くないんだから」
「そうよ、あのルアン様が褒めてたくらいだもの。もっと誇っていいのよ」
「えぇ………」
いや、もうお腹いっぱいです。
お願いだからもう褒めないで……と羞恥で顔を真っ赤にしたアイリスは、どうにかこの状況から逃れられないものかと目線を動かす。
すると、疲れ果てて床に転がるジョナンや机に突っ伏しているルピスが目に入った。
そういえば彼らは徹夜で新薬について調べていたと言っていたけど、一体何を調べていたのだろうか?
…まさか、怪しまれてるとかじゃないよね!?
もしや禁止されている薬物を入れているとかあらぬ疑いをかけられていたりするのだろうか。
別にやましいこともないのに、何故か不安になってきたアイリスはやや青ざめながら恐る恐る尋ねた。
「あの、新薬についてですが、一体何を調べていたんですか?」
「え?…あー、そのことね。
心配しなくても大丈夫よ、新薬に興奮しちゃった馬鹿二人が暴走しただけだから」
呆れた表情のマリーナが言うには、昨晩研究室を訪れたルアンが新薬を3人それぞれに渡し、「これは18才の新入りが持ち込んできた新薬だ。同じものを作れるなら作ってみろ」と挑発的に言ったらしい。
しかし、薬を飲んで早々に「専門外だし、私にこれを再現するのは無理」と悟ったマリーナ以外の2人のうち1人は自分を優秀だと思ってるが故に諦めが悪く沼にハマり、もう1人は薬が好きすぎるあまり謎を解こうと疲労回復薬を徹夜で再現しようとしていたそうな……
はて、なんで研究所が誇る天才たちがこんな薬のためにそこまでするんだろう。
「まぁ案の定、時間の無駄だったみたいだけどね」
屍のようになっている男達を横目で見て、フッと鼻で笑うマリーナ。
彼女は彼女で意外と黒い性格をしているようだ。
しかしそんなマリーナの態度を気にする余裕は私にはなく、頭の中は別のことに対する"?"でいっぱいだった。
なぜルアンはレシピも渡さずに再現してみろなどという意地の悪いことを言ったのか。
薬師ならその薬の味から使われている材料を大体推測することができるだろうが、流石に全ての工程を推測するのは難しいだろう。
そうなると、予想がつく工程を片っ端から試さなきゃいけないし、膨大な時間がかかる。
普通、新薬を沢山作りたいならレシピを知ってる人は多い方がいいし、そもそもこの薬の材料は手に入りやすいのだから勿体ぶるほど貴重でもないはずだ。
うーん…やっぱりあの人、かなり性格が捻くれてるんじゃないか。
まったく、見た目通り意地悪な人だわ。
「よかったら、私がレシピ教えますよ」
ルアンが教えないなら、開発者とされている私が教えればいい。それなら問題ないはず。
そう思ったアイリスは純粋な善意から笑顔で解決策を提案する。
すると次の瞬間、マリーナとリュベルの顔が同時にアイリスの方向を向き、大声で叫んだ。
「「それはダメだ/ダメよ!!!!」」
「ヒッ……」
突然の大合唱にビビるアイリスの肩をマリーナが掴み、真剣な眼差しで言う。
「アイリス、それだけは絶対にダメよ。
貴女の口から、レシピの情報を漏らしたら…」
「も、漏らしたら?」
「最悪首が無くなるか、もしくは舌が無くなるわ」
「え、ええええ!!??」
「薬のレシピに関しては機密保持契約があるから、例え職員同士でも迂闊に話しちゃいけないのよ。国益を損なうことだから…下手したら死刑、よくて口無しの刑ね」
ええ!?
なんで自分の薬のレシピ漏らしただけでそんなバイオレンスなことになるの!?
全くもって意味がわからないし、めちゃくちゃ怖い。
それはつまり、もしそれを知らないままうっかりレシピについて口滑らせていたら私の人生即終わってたってことじゃないか。
そもそも私はそんな契約、した覚えが……ない……ことも、ないなぁ!!
そうだった、たしか昨日よくわからないままサインさせられたやつがあったはず。
まさか……まさか!!
「き、昨日の契約書類!」
あれがもしかして機密保持契約の書類なのか。
あぁ、今すぐ確かめたい…だけど控えすら貰ってないから、確かめる術もない。
私は絶望し、頭を抱えてその場に座り込む。
昨日の"終の住処"発言といい…やっぱりとんでもない所に来てしまったのではないか?
カル兄に少しでも近づけて、薬学の発展にも貢献できるなんて一石二鳥じゃん!などと呑気なことを思っていた自分を今すぐ殴りたい。
「バカすぎるでしょ……」
本当に、私はとんでもない場所に来てしまったらしい。
毎月20ゴールドなんていう破格の給料を出しているのにはちゃんと理由があったのだ。
良い話には必ず裏があるもの。
次からはもっと慎重に、サインを求められたときはちゃんと契約書類を読もう……
そんなことを考えて遠い目をしながら手で首を守るように触っていると、様子を見ていたマリーナが可哀想な子を見るような眼差しでアイリスを立ち上がらせ、その頭を優しく撫でた。
「アイリスちゃんったら、本当に何も知らないのね。箱入り娘って感じがして可愛いわ」
やだ可愛いって言われちゃった、ウフフ。
マリーナの優しい手つきに惑わされたアイリスは思わずデレデレとしてしまっていた。
こんな美女に優しく頭を撫でられるなんて、私はなんて幸せな人間なんだ……
心の底からそう思っていたその時、近くに転がっていた男がアイリス達をジッと見ながら冷静なツッコミを入れた。
「おい、それ褒めてないぞ。ソイツは遠回しに世間知らずと言っているんだ」
「え……」
「はぁ?違うわよ!ていうか、喋る元気があるならさっさと立ち上がりなさい。邪魔だから」
男の言葉に怒りを表したマリーナは目が笑っていない笑みを浮かべ、その男の腹を足で小突いた。
すると、男が「グエッ…」と聞き覚えのある声で鳴き、アイリスは密かに恐怖に震えた。
何故なら、マリーナの真っ赤なハイヒールの尖った爪先が男の鳩尾に見事に突き刺さった瞬間を見てしまったからだ。
正直、見てるこっちも鳩尾が痛くなりそうな一撃だった。
「おいっ、なんて力だ!もはや女とは思えない」
「ちょっとやそっとじゃ起きないくせに、何言ってるのよ」
「違う、寝てたんじゃない。俺はさっきお前に踏みつけられて意識を失ったんだよ!」
そうやって男性らしい低い声で怒りを表現しながら、ジョナンと呼ばれた癖のある紺色の短髪の男性は気だるそうに無精髭を生やした顔を上げ、のっそりと立ち上がった。
南方人らしい褐色の肌をした男の白衣には銀色の刺繍でジョナン・ラクルという名が縫われており、彼はマリーナの横にいるアイリスを見て人好きのする笑顔を浮かべてこちらに手を伸ばした。
「どうも、ジョナン・ラクルだ。ラクルは俺の故郷ラクル村の出身者共通の苗字みたいなものだから、名前で呼んでくれ。
歳は35で一応ここの研究室では最年長だが、まぁそこのマリーナと大差ないからあまり気にするな。よろしくな」
「4歳差は大差よ、アラフォーのジジイと一緒にしないで」
「おい、ジジイとはなんだ?あぁん?」
「…よ、よろしくお願いします」
何故か睨み合う2人の間に立たされ、非常に肩身が狭く気まずい思いをしながらなんとかジョナンと握手する。
この2人は何故こんなに仲が悪いのだろうか
私は助けを求めるようにリュベルを見ると、彼は呆れたように首を横に振った。
「2人はどちらもルアン様にスカウトされてこの研究所に来たんだけど、何故か出会った時から相性が悪かったようで…初対面の頃からこんな感じらしいんだ。
もうどうしようもないよ」
「なるほど…」
初対面時の自分とルアンも中々相性が悪かったと思うけど、側から見てもこの2人の関係はそれを超越している。
もはや逆に相性が良いのではないかと思ってしまうくらいお互い喧嘩腰だ。
私を挟んで私の存在を忘れたように頭上で罵り合う2人の姿は美男美女カップルのようにも見える。
しかしこの小競り合い、中々終わる気配がないな……
そう思いつつ半分魂が抜けた状態で呆けていると、リュベルが腕を掴んで自分の方へ引っぱってくれたことでアイリスはようやく2人の間から救出された。
それにしても、マリーナとジョナンは言い争いに夢中なあまり、間にいたアイリスが居なくなったことにすら気づいていない。
…やっぱり、喧嘩するほど仲が良いってやつかもしれない。
「はぁ…この2人はしばらくこのままだから放っておいていいよ。とりあえず、この間にもう1人の仲間を紹介するから」
そう言って、リュベルは少し離れた場所にある机の上で死んだようにうつ伏せている男の元へアイリスを案内した。
うわぁ、この人の肌すごく白いというか、青白いというか…ん?これ、本当に死んでない?大丈夫だよね??
「ルピス、眠いところ悪いけど、起きてくれないかい?紹介したい人がいるんだ」
「ん…なに?僕は今疲れているんだ、徹夜でルアン様に言われたこの薬を……」
「それならここに開発者がいるよ。
この子がアイリスちゃん、期待の新人で18歳だ」
リュベルがそうやってアイリスのことを紹介すると、ルピスはゆっくりと顔を上げる。
彼の長いグレーの前髪の間からは、濃いクマに覆われたルビーのように美しい瞳が見え、その魅惑的な瞳はアイリスを捉えた。
「…君が、この新薬の?」
「は…はい」
目の下のクマがなければ深窓の令嬢と見紛うような美しさをもつルピスの問いに、動揺しながらもなんとか頷く。
すると、ルピスは途端に目をキラキラと輝かせて、急に距離を縮めて興奮気味にアイリスの両手を掴んだ。
「嬉しいよ、この子の生みの親はどんな人なのか気になっていたんだ!!」
「こ、この子?」
「うん、この青い子のことだよ。
シンプルなのに、難解で、謎めいた美しい子……」
そう言って彼は疲労回復薬をデレデレと愛おしそうに頬擦りする。
薬を子供に例えるなんて…今まで遭遇したことないタイプの変態だ。
美しい顔をしているだけに、あまりに残念すぎる。
「徹夜でこの子の謎を明かそうと思ったんだけど、中々秘密のベールを脱いでくれなくてね。お陰様で寝不足だよ。
まぁでも、この子と向き合う時間は至福の時だったけどね」
「そうですか…喜んでもらえたならなによりです」
薬を見てどこか官能的にため息をつくルピスに、棒読みで返事をしてしまったのは仕方ないと思う。
薬草探しに燃えてあちこちを転々とする父のことも変態だと思っていたが、これは比べ物にならない。
なにがどうしたらこんな美人が薬に興奮する変態に育つんだろうかと思いながら、アイリスは引き攣った笑みでルピスの薬に対する熱い告白(早口)を聞く。
彼の薬に対する賞賛をまともに聞いていたら精神がもたなそうなので、ちくわ耳になるのは許してほしい。
「〜〜…それでね、僕は考えたんだ。これは…」
「ルピス、それくらいにしておこう。
アイリスちゃんが困ってるし、まだ自己紹介すらしてないじゃないか」
「あぁ、そうだった、ごめん」
まるで呪文のようだったルピスの語りが、リュベルの一言でピタリと止まる。
それにより、アイリスの中でリュベルに対する尊敬度がさらに上がった。
まるで魔法だ、おかげさまで助かった。
ルアンのサポートといい、癖の強いマリーナ達の扱い方といい、このチームはリュベルによって均衡が保たれているのに違いない。
間違いなく、彼はこの研究室にいなくてはならない存在だ。
「僕はルピス・ファム。年齢は26でリュベルと同じ、ちなみに研究所に入ったのも同じ3年前。
出身はノレードで、実家は商会をやっているんだ。よろしくね」
「ノレードの…ファム…?
え、もしかして、あのファムリル商会ですか!?」
「え、知ってるの?」
「もちろん、有名じゃないですか!」
知ってるもなにも、ファムリル商会といえば北方では並び立つ者がいないと言われる世界有数の大商会だ。
お手頃な価格で良質な物を扱っているから、北方に住んでいる時は色々とお世話になった。
それにファムリル商会は寒い地方を中心に商売をしているからか薬関係も幅広く扱っていて、手に入りにくい薬草を良心的な価格で販売しているのでこの商会のトップにいるのは素晴らしい人格者に違いないと常々感心していた。
まさに正しい儲け方で成り上がった、数少ない良質な商会だろう。
にしても、なんでそんな家の人がわざわざ薬師に………?
「ふふ、何故ファムリル商会を実家に持つ人間がここで薬師をやっているんだって思ったでしょう?」
「へ!?心を読んだんですか!?」
「あはは!まさか。僕が実家の話をすると皆揃って不思議そうな顔をするから、そう思っているんだろうなって経験則で分かる。
でもね、商会の息子とはいえ僕は三男坊で後継ぎではないし、他の兄弟と違って商才も無い。
病弱だった僕は、まともに外にも出れなかったしね」
ルピスはそう言ってニコリと笑い、手元の疲労回復薬を見つめる。
しかしその視線は目の前の物を見ているというより、それを通してなにかを懐かしんでいるようだった。
「実はね、僕は13歳の頃一度熱病で死にかけたことがあったんだけど、普通の解熱薬は苦いうえにまともに効かなかったんだ。
それで家族は必死に解熱薬をかき集めてくれて、高価なものは片っ端から試してくれたんだけどそれでもダメだった。
だけど、みんなが僕の死を覚悟していたある時…ノレードの田舎にある支店から送られてきた少し変わった解熱薬によって、死にかけていた僕はたちまち全回復したんだよ」
なんだそれは!?
まるで物語のように奇跡的な話に、アイリスは興奮して声を上げる。
「わぁ、まるで奇跡みたいな話ですね!」
「そう、奇跡のような話だよ。
実際、その薬は特別だった。
味も、効果も、全てが素晴らしかったんだ。
それから僕は薬に魅了され、薬学を勉強し始めてね…それで今に至るんだ。
まさにあの時の薬が僕の人生を変えたんだよ」
ルピスの話に、アイリスは目を輝かせる。
生まれてからこの方、自分たちの薬以上どころか肩を並べるような薬に出会ったことがない。
そもそも、市場に出回る薬を口にする機会も少なかった。
何故なら市場に出回っている薬は父や自分の薬に比べたら、『不味い・効果がない・高い』の3点セットが当たり前だからだ。
しかし私が知らないだけで、そんな優れた薬が世の中にあるなら飲んでみたいけど、今でも商会で取り扱っているのだろうか?
ルアンの変態さに引きつつも、実は自分自身もそこそこ薬オタクであるアイリスは興奮気味に尋ねる。
「その薬は今もファムリル商会で扱われてるんですか?」
「あるにはあるけど…元々売られた数も少なかったし、僕の手元に来た頃には2本しか残っていなかったんだ。
その残りの1本も全て商会の本部に厳重に保管されている。何せあの薬は滅多に手に入らない、幻の薬師が作った秘薬だからね」
「………ひやく?」
その呼び名はあまりに聞き覚えがありすぎて、アイリスの思考が停止する。
しかしそんなアイリスの様子を気にすることもなく、ルピスは陶酔した表情で語る。
「そう、秘薬。まぁそれも所詮は僕の推測でしかないけど…でも、僕が飲んだ薬は間違いなく"レグルの秘薬"だ。
多くの人間はそれを都市伝説と笑うけど、この世界にはまだレグルの民が生き残っているんだと僕は確信してるし、いつか彼らに会えることを人生の目標に掲げて生きてきたんだ。
この研究所に来たのだって、世界で1番優れた薬師達が集まると聞いて、なにかレグルの民に繋がる情報や薬が手に入るんじゃないかと思ったからだよ」
それ、目の前にいます。
どうも、私がレグルの民の子孫です。
…なーんてこと、言えるわけあるか!!
1人で大きなツッコミを入れたアイリスは、ルピスの思わぬ告白にどうしたものかと途方に暮れていた。
というのも、アイリスの中には確信めいたものがあったからだ。
ーー間違いない、ルピスの命を救ったのは父の薬だ。
13年前、アイリス達はノレードの田舎に住んでいた。
カリアードを発見したのがノレードの森だったから、その時のことはよく覚えている。
そしておそらく父はそこで、ファムリル商会の支店に解熱薬を売ったのだ。
そしてそれがルピスの元まで辿り着き…そして今に至るのだろう。
そもそも父の話が正しければレグルの民の生き残りは父と私だけ…現在流通している"レグルの秘薬"と呼ばれるものは私たちのどちらかが作った薬のはずだ。
そしてそれが13年前なら、父の作った薬に違いない。
…まさか父の薬に魅了され、薬師の道に進んだ人がいるなんて。
そのうえ、その人が自分の同僚になるときた。
これはなんとも…この国には、つくづく運命めいたものを感じる。
信心深くはないけど、神様が私をこの場所に導いてきたんじゃないかと思ってしまうほどには。
「ルピスさんは、レグルの民に会ってどうしたいんですか?」
「うーん、まずは昔のお礼を言いたいな。
そして、出来れば弟子入りしたい。
きっと僕には想像できないくらい素晴らしい知識を彼らは持っているだろうから、沢山学んで昔の僕のような子供達を救いたいんだ。
残念ながら今はまだ、夢物語に等しいけど」
どこか照れた様子でそう語るルピスを見て、アイリスはホッとして微笑む。
「素敵じゃないですか、きっと叶います」
自分の目標と重なる夢に、心が躍った。
私がレグルの民であることは明かせないけど、知識を分け与えることはできる。
そしてその知識で多くの人を救えるなら、こちらも願ったり叶ったりだ。
「未熟者ですが、これからよろしくお願いします!」
「うん、よろしくね」
一癖も二癖もある同僚たちだけど、案外悪くない。
むしろ私にはピッタリの場所かも。
なんだか、この研究所に来て初めて居心地が良いと思えた。
「じゃあアイリスちゃんの場所はここね」
「はい、分かりました」
いつの間にか喧嘩が終わったらしいマリーナは、自分の隣のスペースをアイリスの定位置として用意してくれた。
ちなみにこの時少し離れた所で股間を押さえて蹲るジョナンがリュベルに慰められているのが見えたが、何があったのか聞くのは流石に怖いので見なかったことにした。
触らぬ神に祟りなし。
アイリスにとってマリーナは依然として優しい女神のままだ。
「ところで、ルアン様はいつ来るんですか?
自分が呼び出したくせに放置なんて……」
呼び出したくせに一向に現れない上司に対して不満の言葉を漏らすと、マリーナは椅子に座って足を組みながら愉快そうに笑って答えた。
「多分書類の整理がひと段落したら来るんじゃないかしら。今日はアイリスちゃんの初出勤だし…って、噂をすれば来たわね」
マリーナがそう言って扉に目を向けたのを見て、アイリスもそちらに顔を向ける。
するとちょうど扉が開かれ、そこから明らかに不機嫌そうな表情を浮かべたルアンが現れた。