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そんなこと知らなかった


「とりあえず、黙って俺について来い」


「えっ、ちょっ、なんですか!?」


突然やってきたルアンに首根っこを掴まれたアイリスは、問答無用でマリーナから引き剥がされた。

マリーナとリュベルはルアンに引きずられるようにして連れてかれるアイリスを憐れむように見ていたが、マリーナは「薬に関係することなら仕方ないわね」と笑顔で私に手を振り、全てを諦めたような目をしたリュベルには「荷物は預かっとくね」とそのまま見放されてしまったのだ。


そして「え、助けてくれないんですか!?」という私の叫びは空に消えていき……

ドナドナ、どこで何をされるかわからずに引きずられる私の気分は哀れな子牛だ。


そう思いながら大人しく連行されていると、私たちは先ほどルアンの執務室があった本棟ではなく、隣接する大きなドーム状の建物に到着した。

その半透明の温室の中には薬の材料と思われるたくさんの植物が栽培されており、壁に沿って置かれている多くの棚には薬草の名前がそれぞれ書かれて保管されている。

すごい、薬師にとっては天国みたいな場所だ。


「うわぁ、ここに住みたい…」


あまりに素晴らしい光景に、今の状況を忘れて思わず感嘆してしまう。

多分温度管理が極端で栽培が難しい薬草や珍しいものは置いていないだろうが、市場に出回る大抵の薬はここにあるもので作れるはずだ。


…でも、なんで私はここに連れてこられたんだろう?

そんなアイリスの疑問は鬼上司の命令によってすぐに解消された。


「お前が渡した薬の材料を取ってこい。

もう一度俺の研究室で作らせる」


はて?


私が渡した薬の材料はそんな珍しいものでは無いし、ベースも市場のものとほぼ同じなのだが…

不思議に思いながらも、首根っこ掴みから解放されたアイリスは大人しく薬棚を見て材料を取り出す。

そして乾き物ではない材料は栽培しているものから拝借した。


コルンの葉にヒュリの花びら、そしてレモニーの実でしょ…あ、肝心のものが無い。


材料を探す途中、アイリスはここには無さそうなものに気づき、恐る恐る仁王立ちして待つルアンに話しかけた。


「あの…蜂蜜ってここにあります?」


「蜂蜜?…あぁ、だから甘かったのか」


どこか納得がいった様子のルアンに「それなら研究室にある」と言われ、アイリスはホッと息を吐いた。

なんとかお望みの薬を作れそうである。


それからアイリスたちは温室の後ろ側にある研究棟へ行くことになった。

なんであの大きな本棟の中に研究室がないのかと思って聞いてみると、薬の実験で爆発することがあるから建物を分けているらしい。

私は爆発などさせたことがないのでその時点で驚きだが、リュベルみたいな人もいると考えると当然の安全配慮だと納得せざるを得ない。


ちなみに研究棟もそこそこ広く、研究室っぽい場所が沢山並んでいた。

ルアンはその中から(管)ルアン・デラフィスと書かれた研究室の扉を鍵で開く。

するとその研究室の中は執務室と違ってきちんと整理されており、薬瓶や薬草が置かれた棚だけでなく、薬を作るために必要な器具も全部一通り置いてあった。

作業場の広さからして、複数人が同時に使えるようになっているのだろう。


「白衣は…適当にコレ使っとけ」


アイリスはロッカーを漁るルアンから突然放り投げられた白衣を咄嗟に受け取る。

正直ありがたい、今何も持ってないから。

だけどなんとなく嫌な予感がして、私はその白衣の胸元をそっと見る…するとそこには金の刺繍でルアン・デラフィスの名が刻まれていた。


いや、めちゃくちゃ汚し辛いんですけど…


渡された白衣を見て、アイリスは思わず白目を剥きそうになる。

そもそも白衣って汚れてもいいように着るものなのに、こんなにも汚すことが許されない白衣がこの世に存在していいのだろうか?

普段使っている白衣をカバンの中に置き去りにしたことをこれほど後悔した瞬間はない。


しかし他の選択肢など存在しないアイリスは結局抵抗を諦めてその白衣を着た。

当然、高身長の男物白衣は私にはブカブカだ。

まぁ無いよりはマシだよね…さっさと終わらせよう。

一刻も早く白衣から解放されたいアイリスは素早く精製に必要な器具を選び取り、材料を用意したところで一応精製にかかる時間をルアンに告げる。


「この薬は30分もあれば完成できますので…

じゃあ、始めますね」


今日初対面で喧嘩を売った上司に早速薬を作るところを見られるというあまりに緊張感のある雰囲気だからか、現実から逃れようとした頭が勝手に軽快な音楽を鳴らし始めた。


タララタッタッタ、タララタッタッタ、タララタタタタタッタッタ。


アイリスの、30分クッキング〜!


皆さん、疲労回復薬はご存知ですか?

一般的に、疲労回復にはコルンの葉とヒュリの花を使った青い薬が有効とされています。

でもこの薬、かなり青臭くて飲み辛いですよね?

本日はこの青臭さを取り除いた、甘酸っぱくて美味しい薬を紹介します♪


まず初めに、コルンの葉を用意します。

真っ青な葉を使うのが鮮やかな青色を出すコツです。


続いて、この葉を1分ほど茹でます。

これはコルンの葉特有の青臭さを取るためです。お湯から上げた後は、使うまでそのまま放置します。

ちなみに茹でるのに使ったお湯は捨ててください、ただの青臭い水なんで。


続いて、蜂蜜とレモニーの実を用意します。

ビタミンいっぱいのレモニーの実を薄くスライスしたら、蜂蜜につけちゃいましょう。

これが疲労回復薬を甘酸っぱくしてくれます。


そしたら、置いておいたコルンの葉をすり潰して精製水と混ぜ、ヒュリの花びらを一枚入れて火を通します。

ヒュリの花びらはコルンの葉の成分を多く引き出してくれますが、入れすぎると青臭さが引き立つので一枚だけにしましょうね。


最後に、その鍋にさっき作った蜂蜜漬けのレモニーを合わせます。

そしてしばらく煮込んだ後、漉して薬瓶にいれれば疲労回復薬の完成です。


疲労回復薬は市場で出回っている薬の中で安価で最も手に入りやすく、疲れの溜まっているアナタにはピッタリの薬。

ぜひ、飲んでみてね!


脳内でチャンチャン♪と終わりの音楽が聞こえると同時に、薬が完成した。


うん、上出来じゃない?

我ながら素晴らしい、とアイリスはどこか得意げに完成したそれをルアンに手渡す。


「まぁ、こんな感じですよ」


そもそも私が上司にアピールするために疲労回復薬を選んで作ってきたのは、一番上出来に作れる自信があったからだ。

実は疲労回復薬は私が父に初めて教わった薬のレシピなので、一番作ったことがある薬であり、むしろ下手くそに作る方が難しかったりする。


それに皆コルンの葉の正しい処理の仕方を知らないのかそれとも面倒なのかは知らないが、市場に出回っている疲労回復薬は青臭くて飲み辛いものばかり。

こんな味ではせっかくの効能も台無しだ。

だからこそ、これを改良すれば「私は薬の味の改善くらい出来ますよ」というささやかなアピールになると思ったんだけど……


「一回に煮出したものを捨てて、蜂蜜漬けのレモニーと合わせるだと…

それで効能がこんなに変化したのか?」


なんだか上司が私の作った薬を至近距離で見つめて、ぶつぶつ言いながら何か考え込んでいる。

何を言ってるかはよく分からなったが、その姿がかなり怖いので男からそっと距離を置こうとしたその時、ルアンはそれを察知したかのようなタイミングでバッと勢いよくこちらを向いた。

その姿があまりにホラーすぎて「ヒッ」と声が出てしまったが、彼は私の様子を気にも留めない様子で口を開いた。


「お前、疲労回復薬の効能を知っているか?」


「え、効能ですか?

たしか、凝り固まった筋肉を解して身体の疲れを癒してくれる…ですよね?」


なんでそんな当たり前のことを聞くんだろう?

疲労回復薬なんて全然珍しい薬じゃないのに。

そう思いながら答えると、目の前にいたルアンは呆れたように頭を抱え、アイリスにとんでもなく辛辣な言葉を返してきた。


「お前、さてはバカだろう」


「え?」


「市場に出回る疲労回復薬には実際に疲れを回復させる効果など存在しない。

人は疲労が溜まると眠気を感じやすくなるが、疲労回復薬はコルンの葉の青臭さを利用して多少眠気を覚まさせ、疲労感が消えたと錯覚させるものだ。

俺からすればそもそも薬と呼べる代物ではない」


ルアンの言葉にアイリスは首を傾げた。

んん?どういうことだ??

市場に出回っているのは疲労回復薬と言われているけど、それらには疲れを回復させる効果はなかったってこと?


…はぁ?いったいどんな言葉遊びをしたらそんなややこしいことになるのか。


でも冷静に考えてみれば、確かに薬師の試験では疲労回復薬のことについて一問も出てこなかった。

あの時は1番得意なことなのに残念すぎるとか思ってたけど…まさか、疲労回復薬は最初から薬師が扱う薬じゃなかったから?


アイリスは冷や汗をかきつつ、ルアンに尋ねた。


「疲労回復薬って、薬の扱いじゃないんですか?」


「そうだ。あれは一種の民間療法であり、薬師以外でも作れる眠気覚ましでしかない……が、コレは違う」


ルアンはアイリスの作った薬瓶を2人の間に掲げる。

その顔はどこか愉快そうで、疲れきって死んだ魚のようになっていた瞳はいつの間にか爛々と輝いていた。


「筋肉が解されることで身体の疲労感が一気に飛んで軽くなる感覚……これは立派な薬効だ。

お前の作ったこの薬には、間違いなく薬に分類されるほどの効果がある」


それってつまり……私が作ったのが本物の疲労回復薬になるということ!?

いやいやうそでしょ、そんなこと知らなかったんですけど!!


図らずも医薬研究所で働き始めた初日に新薬開発という偉業を成し遂げてしまったということに気づき、アイリスは過去の自分をぶん殴りたくなった。

しかし、今更自分の世間知らずっぷりに後悔してももう遅い。

目の前には疲労回復薬(真)を前にして各々興奮する上司がいるのだ。

これはもう、早々にやらかしてしまったという他ないだろう……終わった、これ絶対目立つ奴じゃん。


そりゃあ薬を改善したかったという目的はあったけどさ、私はもっとさりげなく、コッソリやりたかったんだよ!!(涙)


ごめんなさい、ご先祖様。

私の無知のせいで、お父さんに教わった通りに疲労回復薬作ったら何故か私が新薬を開発したみたいになってしまいました。

本当は偉大なご先祖様の知恵があってこそなのに…


そうやって心で懺悔していると、頭の中で『そんくらい気にすんな』と言ってガッハッハと笑う父が出てくる。この父は自分の想像でしかないのだが、実際にこの場にいたら全く同じことを言いそうだ。


ていうか、元はといえば市販薬の実情をまともに教えてくれなかったお父さんのせいでは?


『疲労回復薬は薬師にとって入門編みたいなもんだからな、しっかり覚えとけ』


そう言って父は幼い私に市場の疲労回復薬をペロリと舐めさせた後、自分の疲労回復薬を飲ませた。

そしてその味の違いを知ってしまった私は、それからはいくら疲れていても疲労回復薬は自分で作ったものしか飲まず、市場の疲労回復薬には一切口をつけることはなかったのだ。

味の印象が強すぎてうっかり市販の薬とほぼ同じ効果だと思っていたけど…これも痛み止め薬と同じ類だったのだろう。迂闊すぎたかもしれない。


まぁ遅かれ早かれ改善したかった薬だし、別に構わないけどさ……


アイリスがそうやってなんとか自分を納得させている一方、ルアンは先ほどアイリスが実演していた時にメモをとった紙と薬瓶を何やら高そうな木箱に入れていた。

そしてそれを片手で持ちながら扉の取っ手に手をかけ、こちらを見る。


「報告に行くからついて来い」


「え、どこにですか?」


「この研究所で最高権力を持つ狸ジジイのところだ」


研究所の最高権力者…それってつまり所長!?

どなたが所長かは存じ上げないが、貴族の上に立つ人だしとても偉い人に決まっている。


え、私初日からそんな人に会わなきゃいけないの?


そう泣き言をこぼしそうになりつつ、私は研究室を出てどんどん本棟へと進んでいくルアンを早足で必死に追いかける。

足が長い分、追いつくのが地味に大変だ。

それになんだか通り過ぎる他の職員たちからすごく視線を感じるけど…多分見慣れない顔だからだよね。

そうやってアイリスは職員たちの視線を受け流し、気になったことをルアンに聞いた。


「所長って、新入りの職員でも会えるんですか」


「基本は一等職員以外は会えないだろうが、お前は特殊だ。新薬を使って金を貯め込んでる貴族どもからお金を取るのが好きな人だから、新薬を持ち込んできたお前は大層気に入られるだろうな」


そんな好かれ方しても全然嬉しくないんですけど!?

ていうかお金儲けって…ちゃんと平民にもこの薬は行き届くのだろうか。

本末転倒になったらどうしようかと心配になってそのことを尋ねると、ルアンはフッと鼻で笑った。


「そのことは気にするな。

新しいモノならなんでも食いつくアホな奴らから資金を巻き上げ、薬を平民へ安価に提供するのがあの狸の常套手段だからな」


なる、ほど……それはアリ、なのか?

ルアンの言っていることが本当なら、所長のやり方は一応アイリスの『薬を必要とする全ての人が手に取れるように』という基準をクリアしている。

貴族はぼったくられるようだけど、そのおかげで平民に安価で薬が提供出来るようになるのなら結果オーライというやつじゃないだろうか?


貴族ならきっと余るほどお金持っているんだろうし……うん、多分大丈夫だよね。


アイリスは少しざわつく己の良心に蓋をし、所長と会った時に粗相をしないよう気をつけることに意識を向ける。

そしてそのままルアンを追いかけ黙々と本棟の階段を登っていき、やがて最上階の5階に辿り着いた。


そこから更に進んでいくと、一番奥にアイリスでも一目でお金がかかっていると分かる立派な細工が施された扉があった。

ここはどこかなんて聞かなくても分かる。

きっとここが所長室だ。


やっぱりドキドキするなぁ…と思いながら前にいる男が扉をノックするのを待つ。

しかし当のルアンは何故かノックをしないままゆっくりとアイリスの方を振り返った。

その顔には思わず見惚れてしまうほど綺麗な笑みを浮かべており、彼はそのままアイリスの肩をポンポンと軽く叩いた。


…後にこれが悪魔の笑みだったのだと、アイリスは知ることになる。


「おめでとう、今日から研究所(ここ)がお前の終の住処だ」


「……え?」


終の住処って、どういう意味ですか。


そう言いかけた時には、既に目の前の扉は大きく開かれていたのだった。


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