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やりたいこと


とりあえず晩御飯を食べ終わることを優先させた私たちは、お客さんが部屋に帰っていった後に食堂で話し合うことになった。


そしてついにその時がやって来て、何故かトーマスとゴルドーは揃ってアイリスの向かい側に座ったため、おかげさまでアイリスはこれから尋問されるような気分である。


「あの、さっきのゴルドーさんの言葉の意味ってどういうことですか?

もしかしてここでは薬師が宿屋で働くのは良くないとか…」


圧迫感に耐えきれず、アイリスは俯いて自分から話を切り出す。

後半、動揺するあまり声が途切れてしまったのは許してほしい。

そう思いながらアイリスは恐る恐る顔を上げ、ゴルドーの顔を見る。

すると何故だろう、ゴルドーはアイリスに対してどこか気まずそうな表情を浮かべていた。


「あぁ、あれは…悪い、言い方が悪かったな。

つまりだな、俺はお前にはもっと向いてる職場があるって言いたかったんだ」


「本当に言葉足らずな息子ですまないね。

これだからいい年になっても独身なんだ」


ははは、と笑いながらゴルドーの隣からチクっと言葉の針を刺すトーマス。

ゴルドーはその言葉に眉を顰めつつも、分が悪いと思ったのか言い返しはしなかった。


そして、さっきまで冷や汗をかいていたアイリスはというと…心の底から安堵していた。

自分の行動が違法とかじゃなくて、本当に安心したのだ。


いや、冷静に考えれば、そもそも薬師が宿屋の手伝いしちゃいけないなんていうヘンテコな法律がレヴィス帝国にあるはずもないのだが。


「それにしてもアイリスが薬師だったとは…そんな若くして薬師の免許を持ってるなんて、相当優秀なんだな」


突然のゴルドーの褒め言葉に、アイリスはビックリして、慌てて首を振る。


「いえいえ、私なんてまだまだですよ」


私よりもはるかにレベルの高い父の技術に追いつくまでに何年かかることやら…考えるだけで気が遠くなる。

何百年も引き継がれてきたレグルの知識はあれど、私はまだヒヨっ子なのだ。


「でも今朝のは俺から見ても本当にすごかった。普通の痛み止めなんて飲めたもんじゃねぇし、効果もあそこまで出ない。

だからこそあれは絶対に売れる!と、言いたいところだが…残念ながら、この国じゃ薬の売買は国が取り締まっている」


「へぇ、そうなんで…す、か!?」


アイリスは最初褒め言葉かと思ってゴルドーの言葉をつい受け流しそうになったが、絶対に流してはいけない部分にギリギリ気づいた。


薬の売買を、国が取り締まってる?


それはつまり、薬師は市場での自由取引ができないというであり…

私は自分の本業である薬作りでは稼ぐことができないということだ。


「そんな、薬が売れないなんて」


生活が落ち着いてきたら薬をどこかに売ろうとと思っていたアイリスはショックを受け、あからさまに落ち込む。


薬作りで生計を立てられないこの国では暮らしていけないことを父は知っていたのか?

…いや、知らなかったんだろうな。

もし父が知っていたら、こっちに薬草を送るなんて言葉は出てこないはずだ。

いくら父に少し抜けてるところがあるとはいえ、そう信じたかった。


いや、今はそんなことを考えてる場合ではない。

アイリスはこれから先のことを考え、どうしようかと頭を抱える。

するとゴルドーは慌てたように私を慰めた。


「いやいや、そんな絶望するな。

他所から来たお前は知らなかったのかもしれないが、別に薬師が薬師として働けないわけじゃない。

ただ、働ける場所が限られてるだけだ」


そう言って、ゴルドーはどこからかペンと紙を取り出した。

そして、紙にアリの巣のような図形を描く。


「この国には王家や貴族が出資している国立の医薬研究所という組織があるんだ。

その研究所には医学部門と薬学部門が存在していて、国内の医者と薬師は全員そこに所属している。

国外からやって来た医者や薬師も研究所に登録すれば働けるし、下っ端でも毎月20ゴールドの給料を貰えるらしい」


毎月20ゴールド!!??


庶民には目が飛び出そうな金額だ。

いやしかし、そんなに給料が高いなんて裏があるんじゃ…と聞くと、ゴルドーさんは呆れたような顔をした。


「まぁ確かに庶民には夢のような話だが…実際に金のない平民から医者や薬師になれるのは一握りの優秀な人間だけだ。

職員の多くは貴族や商会、名のある医者や薬師の子息といった生まれながらのボンボンたちが占めている。それを考えると最低でもその金額は妥当か、むしろ低いくらいだろうな」


なるほど、セレブの基準に合わせた賃金なのか。

そんなセレブが多いところにど平民の私が馴染めるとは到底思えない。

私にはこの宿屋みたいな落ち着く雰囲気の方があってるのだ。

それにこの宿屋は人手不足、私が辞めたらまた困ってしまう。

恩を受けといて仇で返すほど私は恩知らずじゃない…じゃないのだが…

今の10倍の給料だと聞いて、正直かなり心が揺れている。


恩義か金か。

その二つが天秤にかけられ、心が揺れているアイリスに、長く黙って見守っていたトーマスはそっと優しい声をかけた。


「アイリス。

前から聞こうと思っていたんだが、君はなぜこの国にやって来たんだい?」


それは、アイリスにとって核心をつく質問だった。

思い返せばこの2週間、アイリスは働いて生活に慣れるのに必死すぎて本来の目的から遠ざかっていたような気がする。

その証拠に、ここにやって来た日からロクに外出した記憶もない。

これじゃあカル兄に会うなんて、何十年先になることやら……全く、本当に私は何しにやって来たんだ。


アイリスは自分に呆れつつ、その時初めて自分の事情をトーマスたちに伝えた。


「子供の頃、兄のように慕っていた人に会いに来たんです。

その人とは生き別れて連絡が取れなくなったんですけど、つい最近レヴィス帝国にいるって偶然知りました。でも、彼はこの国でかなり偉い人になっているみたいで……」


そこまで言って、アイリスは口をつぐんだ。

流石に『皇帝に会いに来た』とは言えなかったのだ。

それくらい平民が皇帝に会おうとするのは現実味のないことだと頭では分かっている。

平民は貴族に会うことでさえ難しいのだ。

だけど、それでも諦められなくて、時間がかかってもいいからと必死に首都での生活にしがみついていた。

ここに住んでいたらいつか会えるかも…なんていう微かな希望に縋りついて。


アイリスの言葉に対して黙り込むトーマスたちの様子を見て、アイリスはギュッと手を握りしめる。

優しい彼らも流石に呆れてしまったのかもしれない……それくらい、馬鹿な話なのだ。


「すみません、変な話して。今の話は忘れてくだ…」


「わざわざ遠くから会いに来るなんて、よっぽど会いたかったんだね…素敵な話だ。

アイリスちゃんの探し人が"かなり偉い人"だとしたら、その人は首都の中心部の貴族街に住んでいる可能性が高いだろうから、尚更君は研究所に入るべきだよ」


「親父の言う通りだ。この国は階級社会で、平民は滅多に貴族街に出入りできない。

だが研究所は貴族街の中にあるから、職員になればその人に会える可能性も高まるんじゃないか?」


無謀なアイリスの夢を否定するどころか、普段と変わらない優しさで背中を押すようにアドバイスをしてくれる2人の反応はあまりに予想外で、感動のあまり涙がポロポロとこぼれる。

なんていい人たちなんだろう、私には勿体無いくらいだ。


「トーマスさんも、ゴルドーさんも、何でそんな良い人なんですか!

余計にここを離れがたくなっちゃいます」


たった2週間、されど2週間。

私のことを理解してくれた人たち。

まるで家族のように接してくれた2人との別れは、アイリスには思っていた以上に堪えるものだった。


どうしよう、決心がつかない。

2人の言う通り、カル兄と会いたいなら研究所に行った方がいいのは明らかなのに。

初めて自分で見つけた居心地の良い場所を出るのが、あまりにも辛くて。


自分でも自分の気持ちがよく分からなくなり、アイリスはまるで子供のように机に伏せて静かに泣いた。

そんな彼女に、トーマスはまるで孫に対するような優しい視線を向けてその頭をゆっくりと撫でる。


「私だってアイリスにはずっと居てもらいたいが…あの薬を作る才能をここで腐らせるのは、あまりにもったいない。

世のため人のために君の才能は使われるべきだよ。

研究所なら、それが叶う」


そんなトーマスの励ましの言葉に、幼い頃から何度も繰り返し聞いた父の言葉がふと重なる。


『アイリス、覚えとけ。

レグルの知識は多くの人の命を助けたいという先祖たちの願いによって少しずつ紡がれてきた。

だから俺たちは知識を悪用せず、悪用されず…人を救うためだけに使うんだ』


真面目な顔でそう言ってから、いつも通りガッハッハと笑って私の頭を強く撫でてきたお父さん。

お父さんはその言葉の通り、自分の作った薬にどれだけ素晴らしい効果があっても、それを明かさないまま一般の薬と同じように売った。

それはレグルの民だとバレないようにするためもあっただろうが…それ以上に、多くの人に自分の薬が届き、命が救われることを願ったからだろう。


アイリスは考える。

2人の言う通り、レグルの民が継いできた知識と技術は多くの人を救うために使われるべきだ。

当然、受け継がれてきた薬のレシピには麻酔薬など取り扱い注意の薬もあって、そういった薬は悪用されやすいので隠す必要がある。

しかしその一方で、レシピを隠す必要のない薬もあるのも事実だ。


アイリスは、痛みが無くなり喜びに満ちたトーマスの顔を頭に思い浮かべた。


もし…もし私がこの国で痛み止め薬の工程を発展させたら、トーマスみたいに苦しむ人たちがもっと幸せに暮らせるのでは?


いや、痛み止め薬だけじゃない。

一般に出回る薬で改善の余地のある薬はまだまだたくさんあるのだ。

そしてレグルの民の子孫として生まれた私には、それを変える知識と技術がある。


そこまで考えた時、私の中でやりたいことがもう一つ増えた。


「私、決めました」


この世界の薬に革命を起こし、多くの人を救うため。

そして、立派な人間になり、堂々とカル兄に会うため。

アイリスは袖で涙を拭き、顔を上げて堂々と宣言した。


「国立医薬研究所で働きます!」


待っててみんな。

幻の薬師の秘薬を、そこらへんに売ってる薬にしてみせるからね!


そう心で誓って目を輝かせたアイリスはどこか暴走気味で、斜め上の方向へ突き抜けようとしていた。


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