都会の物価は恐ろしい
感想ありがとうございます!
不定期更新になりますが、完結までよろしくお願いします。
最寄りの港から馬車に乗って2日。
ようやくレヴィス帝国の首都にたどり着いた時、アイリスはその広さと人の多さに驚き、顎が外れるかと思った。
「なんじゃこりゃ……」
見たことない広さの大通りに、見えないところまで立ち並ぶ商店。
道を歩く人の中にはレヴィア帝国の平民、旅人らしき人、どこかの民族衣装を着ている人、そしてなんだかお金持ちっぽい格好をして馬車から降りてくる人もいた。
アイリスは薬草のために各地を巡っていたが、基本的に薬草が取れるといえば田舎。
生まれてこの方、こんな都会には来たことがない。
世界はこんなに広かったのかと驚きつつ、アイリスは生活に最低限必要な物と、それ以上の薬草や道具などが無理やり詰め込まれた大きなカバンを背負って大通りを進む。
そして美味しそうな屋台の食べ物に目を奪われながらもなんとか我慢し、果てしなく先へと続く大通りをしばらく歩いていると、お腹からグゥ〜っと音が鳴った。
「そういえば朝から何も食べてないや…」
アイリスは抱えていたカバンからお金の入った革袋を取り出し、中身を確認する。
その中には自分で作った薬を父に売ってもらうことでそこそこ貯まったお金が入っていて、船旅や馬車の料金で多少は軽くなったが、それでも田舎なら1ヶ月は余裕で暮らせるお金が入っていた。
これだけあればきっとなんとかなるはず。
そう信じ、アイリスは近くで平民たちが盛んに出入りしている飲食店へ入る。
そしてその店のメニュー表で価格を見た時、アイリスは目が飛び出るかと思った。
「お、オムライスが5コッパー!?」
田舎なら1コッパーで食べられるのに、まさか5倍の値段とは。
都会とはなんて恐ろしい場所なのだろう。
田舎と同じ基準で考えていた私がバカだった…
アイリスは再び財布の中を覗き込む。
今、私のお財布の中には1ゴールドと8シルバーしか入っていない。
ちなみに1ゴールドは10シルバーで、1シルバーは10コッパーだ。
そしてこのオムライスの物価基準で考えれば、私の所持金はこの都会では半月も保たないのは容易に想像できた。
しかし、腹が減っては戦はできぬ。
アイリスは心を決め、キッと目を鋭くし、戦に向かう戦士のような気分で注文した。
「すみません、このオムライスください!」
「あいよっ!」
注文を受け取るおばちゃんの姿は田舎と変わらず、なんだか落ち着く。
これでもっと安かったら完璧だったんだけど…と心の中で愚痴をこぼすが、これが都会の洗礼。
もしかしたら提供時間も長いのかもと覚悟したアイリスだが、実際は10分と待たずにオムライスを受け取ることができ、冷めないうちにと口一杯それを頬張った。
「お、美味しいっ…」
「美味しそうに食べるねぇ、お姉ちゃん。
こっちも作り甲斐があるってものよ」
カウンターの奥のキッチンにいたおばちゃんはアイリスの顔を見て、嬉しそうに笑う。
その笑顔だけで、5コッパー分の価値はあったかもしれない。
アイリスは心で涙を流しつつ、高級オムライスをじっくりと味わった。
そしてオムライスを食べ終わり、お金を支払ったアイリスはおばちゃんに宿屋について聞いた。
このまま何も知らないまま無闇に宿を探すより、きっと地元の人の方が聞いた方がいいと思ったのだ。
「あの、ここら辺に安めの宿ってあったりしますか?」
そんな私の質問に、おばちゃんは目を丸くした。
「あらお嬢ちゃん。やたら大きなカバン背負ってると思ったら、やっぱり旅人だったのかい。
若いのにすごいねぇ…宿といえば、ここから少し先に行くと、中央広場っていう大きい噴水のある広場に繋がるんだけど、そこを右に曲がって少し進んだ所に"曲がり角"っていう宿屋がある。
そこの店主は老人でね、店の手伝いをすれば安く泊まれるって聞いたよ。」
「なるほど、ありがとうございます!」
やっぱり勇気を出して聞いてみるもんだなぁ…
私はおばちゃんに全力で感謝し、日が暮れる前にと急いでその宿へ向かった。
それから30分ほど歩いた頃。
ようやくおばちゃんの言ってた立派な噴水が見えたのと同時に、さっきからうっすらと見えていためちゃくちゃ大きい白亜の城がハッキリと見え始めた。
あれがカル兄の今の家か…こっから見てもデカすぎるわ。
まぁ、あの中には貴族たちが集まって会議する場やパーティをする大ホールなども入っているので、大きいのは当然といえば当然かもしれないが。
…ていうかカル兄、元々あんな所に住んでたのによく私たちと一緒に暮らせたな?
なんならカル兄は私と同室だったし、よく同じベッドで並んで寝ていた。
尊い生まれだったというのに、本当によく文句の一つも言わなかったものだ。
おそらくカル兄にとっては犬小屋にも満たないサイズの家だったろうに…
なんか悲しくなってきたアイリスは考えるのをやめ、遠くの城から目を逸らしておばちゃんに言われた通りに右に曲がる。
そして何ブロックか歩いたところで、ようやく"曲がり角"と書かれた木の看板を掲げた建物に到着した。
正直今日は歩きすぎてもうヘトヘトだ。
早く休みたい…そう思いながら扉をそっと開くと、チャランチャランと扉につけられた鈴が鳴る。
一回は受付と食堂なのか、いくつかの木製テーブルと椅子が並んでおり、暖かみのあるランプに照らされた心地良い空間になっていた。
「いらっしゃい」
奥の階段からゆっくりと降りてきた白髪のお爺さんは、杖をつき、ニコニコと私を迎えてくれた。
見るからに良い人そうだ。
「すみません、近くの飲食店の方から手伝いをすれば安く泊めてもらえると聞いて参ったのですが…」
「おぉ、手伝ってくれるのかい?
それは助かる…ほら、見た通り私は膝が悪くてね、足が言うことを聞かないんだよ。
息子と2人で経営してるが、正直人手が足りないんだ」
そう言って、お爺さんは杖をつきながら受付の椅子にヨイショと座り、優しく微笑んだ。
「ちなみに、どれくらい泊まるつもりなんだい?」
「とりあえず仕事と住まいを見つけるまで、ですかね…」
実は、アリシアは少し困っていた。
勢いで飛び出して来たはいいもの、首都に着いた時のことはその時に考えようと後回しにしてきたことのツケが今になってまわってきたからだ。
本当ならすぐに住まいを探して薬を作ってお金を稼ぐつもりだったが、今持っている資金のことを考えるとそんなことをしている余裕はない。
多分、今のままじゃ部屋など借りられないだろう。
だからまずはなにか仕事を探してお金を稼ぎつつ、その上薬も作って売り、貯金するしかない。
これもだいぶ杜撰な計画だが…多分どうにかなるはず。
アイリスは基本薬を作る時以外は適当で、無駄にポジティブな人間なのだ。
そんなアイリスに、お爺さんは優しい声で聞く。
「もう仕事の目処はついているのかい?」
「いえ、全く…レヴィス帝国には初めて来たので、何も分からないんです」
仕事を探すつもりではあるが、どう探せばいいのかなど全く分からないアイリス。
そんな田舎者丸出しのアイリスに、お爺さんは救いの手を差し伸べた。
「そうか…それなら泊まるのではなくて、ここで住み込みで働くのはどうかな?」
そんなお爺さんの思わぬ申し出に、アイリスは食い気味に答える。
「いいんですか!!?」
「もちろん。ちょうど人手が欲しかったんだ。
住み込み3食付きで一月2ゴールドだけど、それでもいいかな?」
「よ、喜んで働かせてもらいます!!」
この世に神はいた…!!
アイリスにはもはやお爺さんの後ろから後光が差しているように見えた。
そしてそのまま、アイリスは感謝の意を込めて、お爺さんに思いっきり頭を下げた。
こうして、私は首都にある小さな宿屋"曲がり角"で店主のトーマスさんの元で働くことになったのだった。
そしてそれから時は経ち…2週間が経った日のこと。
朝6時。
小さなテーブルと椅子、そしてベッドだけが置かれたシンプルな部屋で、アイリスは目を覚ました、
「ふわぁ…あ、今日は雨なんだ」
欠伸しながら窓を覗くと、小雨が降っている。
首都に来てから初めての雨だ。
別に雨は嫌いではないが、洗濯のことを考えると憂鬱な存在だ。
この様子じゃ今日は洗濯物をベランダに干せないから、部屋で干せるものは干して、残りは明日に回すか…と考えながら身支度をする。
そしてアイリスは最後に髪を一つに結び、部屋を出て1階へと降りた。
いつもは先客などいないのだが、今日は珍しくトーマスが食堂でコーヒーを飲んでいた。
すぐにアイリスに気づいたトーマスはいつもと同じ優しい笑みを浮かべる。
「おはよう、アイリス」
「おはようございます、トーマスさん。
今日は何かあるんですか?」
いつもならトーマスは大体お客さんと同じ8時くらいに起きてくるはずだが…何か用事でもあるのだろうか?
そう不思議に思っていると、トーマスは苦々しそうに自分の膝を軽く叩いた。
「雨の日はね、何故か膝が痛むんだよ。
それでいつもより早起きになってしまった」
仕方のない膝だ、と笑いながら言うトーマス。
確かに、雨の日は関節が緩んで痛みを引き起こす場合があると聞いたことがある。
眠れないくらいだ、相当痛いのだろう。
自分に何かできないだろうかとアイリスは頭をひねる。
うーん…あ、そういえば首都に着いてから売ろうと思っていた薬の中に関節痛に効くものがあったような?
ここ2週間は宿での仕事を覚えるのに必死で、薬を売りに行く暇も無かったため、まだカバンの中に眠っているはずだ。
「ゴルドーさん、おはようございます!
早く仕込み手伝いたいんですけど、ちょっと待っててください」
「おう、ゆっくりでいいぞ」
アイリスはキッチンで働く強面おじさん…トーマスの息子ゴルドーに挨拶してから、急いで自室に戻ってカバンの中を漁った。
「あ、あった!」
カバンの奥底から出てきたのは、薄緑色の液体が入った小瓶。
薬は効果によって色が変わって、痛み止め系は薄緑色をしている。
きっとこれならトーマスさんの関節痛にも効くはずだ。
アイリスはそれを手に握りしめながら階段を駆け降り、トーマスさんにそのまま手渡した。
「トーマスさん、よかったらコレ飲んでみてください」
しかしトーマスさんはその小瓶を見て、引き攣った笑みを浮かべる。
その理由はアイリスにも分かっていた。
簡単に言うと、一般に売られているこの系統の薬はクソ不味いのだ。
特に痛み止めの薬は、薬の中でもワースト3に入るほどとても不味い。
なぜなら痛み止め系は使う薬草の関係でかなり苦くエグみが出てしまうから…と言われているが、実は違う。
材料ではなく、工程が問題なのだ。
それを知っているアイリスは、懇願するように手を組んでトーマスを見た。
「お願いです、騙されたと思って一口飲んでみてください」
一口でいい。
たった一口で、その違いがわかるはず。
そんなアイリスの必死さが伝わったのか。
トーマスは渋々その小瓶に口をつけ、一気にそれを飲み込んだ。
そして、目を丸くした。
「なんだ…全然不味くないじゃないか。
それどころか、なんだか爽やかな味がするね」
それもそのはず、レグルの知識を用いて作られた痛み止め薬は、喉越しスッキリ爽やかな味になるのだ。
父曰く、薬作りは工程にいかに手間をかけるかが命。
材料が全く同じでも、工程が違えば、味も効果も変化するらしい。
「膝は楽になりましたか?」
「えっ…あぁ、本当だ!
これは驚いた、すっかり痛みが無くなっている」
嬉しそうにしたトーマスは杖なしで立ち上がる。
それを見て、アイリスは大丈夫かとヒヤヒヤした。
所詮は痛み止めなので、トーマスの足にかかる負担は変わってないと知っていたからだ。
「あの、一応杖は持った方がいいかと…」
「おっと、忘れてたよ」
アイリスの一言でトーマスは杖を持ってくれたのを見て、アイリスはホッと安堵のため息をもらす。
しかし膝の痛みがとれてアクティブになったのか。
いつもは座りっぱなしのトーマスはキッチンで朝ごはんを用意するゴルドーを手伝いにいった。
もちろん、何も知らないゴルドーは先ほどのアイリスのようにヒヤヒヤしながら自身の父親を見る。
「おいおい、大丈夫なのか?」
「いやぁ、アイリスのくれた痛み止めの薬がよく効いてね。
とても気分が良くて、とにかく動きたいんだ」
杖はついてるから大丈夫だよ、と言いながらトーマスはサンドイッチの乗った大皿を持って食堂へ向かう。
ゴルドーはそれを呆然と眺めていた。
まぁ、当の本人が喜んでいるならそれでいい…のか?
アイリスにはよくわからなかったが、とりあえずお腹が空いたので、何も考えずに朝ごはんの準備を手伝うことにした。
そして、それからのアイリスはいつも通り食器洗いと洗濯をして、使われた部屋の掃除をし、昼になったら昼ごはんの準備と片付けをして、また違う部屋の掃除をして乾いた洗濯ものを畳む。
ゴルドーは掃除や洗濯が苦手なので、今は料理と力仕事担当だ。
なんたって人手が少ないので毎日がとても忙しく、アイリスは特に外出することなく働いていた。
働いていると時間が過ぎるのはあっという間で、気づいた時には夜ご飯の時間になっていた。
今日のご飯は鶏肉のハーブ焼きかぁ。
僕を食べてと言わんばかりに照り輝く肉たち。
とっても美味しそうと思いながらそれを口に放り込むと、思っていた通り、肉汁がジュワッと溢れる。
ヤバい、これでご飯何杯でもいけそう。
「ゴルドーさん、今日もご飯が美味しいです!」
「そりゃ良かった」
ゴルドーにグッジョブサインを送ると、彼はどこか照れくさそうに笑う。
私としては冗談抜きでゴルドーさんはこの国一番の料理人だと思うほど、彼の料理は食いしん坊な私の胃袋を掴んでいた。
そんなアイリスたちの様子を微笑ましそうに見ていたトーマスは、ふと思い出したように口を開く。
「そういえば、今朝の薬はどこで買ってきたんだい?」
その疑問に対し、アイリスは何も考えず正直に答えた。
「え、私の手作りですよ」
すると、トーマスとゴルドーは少し固まった後、口を揃えて叫んだ。
「「…手作り!?」」
何をそんなに驚くことがあるのか。
驚くポイントが分からないアイリスは首を傾げた。
そんなアイリスに、トーマスは恐る恐る聞く。
「アイリス、君はもしかして薬師なのかい?」
「はい、ちゃんと免許もありますから」
そう言って、アイリスはドヤ顔で財布の中から顔写真のついたカードを取り出す。
ちゃんと2年前に南側のトリアット王国で薬師免許の試験も受けて合格しているので、そこは安心してほしい。
そう伝えると、ゴルドーはますます意味がわからないとばかりに言った。
「お前、なんでここで働いてんだ?」
「…え?」
もしかして、都会じゃ薬師は宿屋で働いちゃダメなの??
アイリスは冷たい汗が背中をスーッと流れるのを感じた。