お前の兄貴、皇帝になったってよ
短篇にするつもりが、連載になってました。
恐ろしいですね…
その知らせは、突然舞い込んできた。
「おいアイリス。
お前の兄貴、皇帝になったってよ」
「は?」
父の言葉に、思考が停止する。
今、なんて言ったんだ?
「すごいよなぁ…あの小さかったヒョロヒョロ坊主がこんなに立派になって。
ほらお前も見てみろ、この写真」
父は持っていた新聞の一面を指差し、私に突き出してきた。
そこにデカデカと載った見覚えのある姿を見て、私は思わず父から新聞を掻っ攫い、凝視する。
そしてそれから何秒か経ち、アイリスはようやく理解した。
「カ…カル兄!!??」
―ーかつて兄と慕った人間が、世界に名を知らしめる大国の皇帝になったことを。
⭐︎⭐︎⭐︎
アイリスは薬師であり、かつてレグルの民と呼ばれた人々の子孫である。
レグルの民とは流浪の民であり、遥か昔から国境を越えて各地を転々として生きてきた。
古くからレグルの民の生業は薬師であり、先祖代々受け継がれる膨大な薬草の知識を用いて各地で薬を売って暮らしている。
レグルの民が作った薬は一般にレグルの秘薬と呼ばれ、他と比べられないほど素晴らしい効果を持つと言われており、わざわざレグルの民を探して薬を買い占めようとする商人やレグルの民を攫って悪さをしようと企むも少なくない。
しかし私たちはその国の人々の中に紛れ込んでいるため、私たちが望んで正体を明かさない限り、普通の人たちが私たちを見つけるのはほぼ不可能だった。
そのため、レグルの民は別名"幻の薬師"と呼ばれ、薬師界隈では一種の都市伝説のようになっているらしい。
まぁ実際は、びっくりするほど平凡な見た目をしているせいで、側にいても分からないだけだと思うのだが…
私だって、無駄に太くて結びづらい茶髪に何も珍しくない茶目で背が少し低いそばかす女だ。
そこらへんの村娘Aでしかない、という自覚がある。
アイリスは新聞に載る男をじっと見る。
サラサラの金髪をオールバックにし、キリリとした眉に高い鼻、そしてスッと釣り上がった冷たい灰色の瞳を持つ背の高い男。
うん、とてつもない美形だ。
そして新聞にドカンと大きく書かれた『レヴィス帝国の隠された秘宝 カリアード・レヴィス皇帝陛下、即位式で堂々と登場』という見出しを見て、思わずため息を吐く。
「カル兄って子供の時から怖いほど綺麗な顔してたから、只者ではないと思ってたけど…」
まさか皇族だったとは、驚きの新事実である。
レヴィス帝国といえば世界で1,2位を争う軍事大国で、長い歴史を持つ国だ。
その上、国の規模が大きいだけあって、親族間での帝位争いも苛烈を極めると聞く。
そしてカル兄も、それに巻き込まれた1人だったというわけで……
アイリスは新聞上に載る軍服姿のカリアードを見ながら、ふと昔のことを思い出した。
あれは確か、アイリスが5歳の時。
レヴィス帝国からかなり離れた最北の国 ノレードの森で、アイリスはボロ切れを来て血だらけで倒れていたカリアードを見つけた。
多分、あの時の彼はほぼ瀕死状態だったと思う。
「おとうさん、なんかこわいのがおちてるよぉぉぉぉ!!」
見つけた時、少し離れた場所で薬草を採取していた父の元へ猛ダッシュして泣きついたのはいまだに覚えている。
それくらい、あの時のカリアードは酷い状態だったのだ。
その後、私に泣かれながら手を引っ張られてようやく事態を把握した父は、カリアードに自分が作った薬を飲ませ、私たち2人が暮らしていた小さな家へとカリアードを連れて帰った。
「おまえ…誰だ?」
「あ!ちだらけのおにいちゃんおきた!」
傷だらけのカリアードを看病して3日が経ち、暇だった私が見たことないほど整った綺麗な顔を至近距離で眺めていたその時、彼は目を覚ました。
混乱する彼に、父は丁寧に状況を説明して、「身寄りがないなら、責任を持って俺が面倒みてやる」と言ったらしい。
なんとも、漢気に溢れた父らしい言葉だと思う。
そんな善人すぎる態度を示した父に対し、カリアードは当初一線を引いて警戒の姿勢を見せていた。
そしてそれは私に対しても同じで、私が構ってほしくて付き纏ってもずっと無視されていたのだ。
しかし、そんな警戒心強めの彼も、一緒に暮らしていくうちに父が悪いことをできるような器用なタイプではないと悟ったのかもしれない。
ふと気がついた時には、カル兄は私たちの生活に馴染んでいき、ある程度の時が経つと、まるで元から本当の家族だったかのように仲良く一緒に暮らすようになった。
「ねぇねぇ、カル兄。
これってお父さんの言ってた薬草かな?」
「バカだな、違うよ。
それはおじさんが持ってたのよりも葉っぱが尖ってるだろ?」
「バカっていう方がバカだもん!」
「フッ、なんだそれ」
カリアードを拾ってから約4年が経った頃、あれからも各地を転々としていた私たちは、西にあるヴェンラット王国というレヴィス帝国の隣にある国に住んでいた。
「カル兄ってば、あれから本当に身長が伸びたよね」
そう言って、私はカリアードの背中から目深いフードを被る彼の整った顔を覗き込んだ。
父に頼まれた薬草を取りに行った時の帰り道、疲れ切ってしまった私はすっかり背の高くなったカリアードにおぶってもらっていたのだ。
…我ながら、9歳にしてはだいぶ甘ったれた子供だったと思う。
しかし、その頃の私は6歳年上のカリアードをカル兄と呼んですっかり本当の兄のように慕っていたこともあり、薬師として忙しい父の代わりに彼に思いっきり甘えきっていた。
「あの時は栄養不足だったからな。
多分平均より少し小さかったと思うが…それでも俺が9歳だった時の方が今のアイリスよりは身長あったぞ」
「なにそれ、私をチビって言いたいの?
そんな悪いことを言う奴は…お仕置きだっ!」
フッと鼻で笑うようなカリアードの言い方にカチンときた私は後ろからフードの中に手を入れ、カリアードの真っ白な頬をギリギリとつねる。
「っ、おい、やめろ!」
「やめないもんね〜」
あからさまに痛がる彼を見て、誰が辞めてやるもんかと意地悪さを発揮する私。
しかし、それはカリアードの慌てるような言葉によってあっけなく終わった。
「いい加減にしろ、フードが取れたらどうするんだ」
「あ、それはダメだ」
その言葉で、私はすぐに頬から手を離した。
もしフードが取れて村の誰かにカリアードの顔を見られようものならすぐに噂の的になるということを分かりきっていたからだ。
それはひっそりと暮らしている私たちにとっては致命的であり……また、他人に顔を見られることを極度に嫌うカリアードにとっても都合の悪いことだった。
だけど、カル兄は私がこういうバカな悪戯をしても、決して突き放すことはしなかった。
この時だって、なんだかんだ言いつつも私をおぶったまま、下ろそうとする気配もなかったのだ。
今振り返ってみると、当時の彼は私を非常に甘やかしてくれていたのだと分かる。
「…ごめんね、カル兄」
力加減が下手くそだったのか、カリアードの元の肌が白すぎたのか…思っていた以上に痛々しく赤くなっている頬を、アイリスは申し訳なさそうに優しく撫でる。
するとカリアードはいつものようにフッと鼻で笑い、背後のアイリスに優しく穏やかな目を向けた。
「気にするな、まだまだ弱い子供の力なんてたかが知れてるからな」
「…なによ、それ」
昔から他人に優しくされることも、することも慣れていない、彼らしい不器用な優しさ。
私は彼のそんなところが大好きだった。
父と2人きりで生きてきた私にとって、思う存分構ってくれるカリアードの存在は何ものにも代え難く……
この日々が永遠に続くと、幼かった私は思い込んでいたのだ。
――しかし、それはバカな勘違いだった。
ある日、彼は突然一枚の置き手紙だけを残して私たちが寝ているうちに消えてしまったのだ。
『長い間世話になった、本当に感謝している。
個人的な事情があり、実家へ戻ることにした。
どうか探すようなことはしないでほしい。
2人がこれからも幸せに暮らせるよう、遠くから祈っている。』
その手紙を見た父は寂しがりつつも「カリアードももう15歳で難しい年頃だったし、アイツなりに色々あったんだろ」と受け入れていたが、私はしばらく泣き暮らした。
…だって、すごく慕っていた兄が突然手紙一枚残して失踪したんだよ?
ずっと一緒にいるって約束だってしてたのに。
9歳の女の子だった私にとってはかなりトラウマに近い出来事である。
――そしてそれから9年経ち、18歳になった私は新聞を通して彼と一方的な再会を遂げた。
あれだけ一緒に過ごしていたというのに、新聞には私の知らないカル兄の情報が沢山載っているみたいだ。
アイリスは新聞につらつらと書かれた文章に目を通した。
記事によると、カリアードは前皇帝と没落した伯爵令嬢だった第四側室との間にできた子で、13年前に死んだと思われていた第6王子だったらしい。
そしてちょうど私たちの前から消えた9年前に突然宰相であるドルア公爵の庇護を受けて舞い戻り、長年にわたる皇后や他の側室、異母兄弟との熾烈な戦いの末、昨年皇太子に任命されていた。
そして今年の初め、カリアードの父が長年の病で崩御したことにより、ついに彼は皇帝の座を手に入れたのだ。
短い文章にまとめると淡々と聞こえるが、皇帝の座はそう簡単に手に入るものでは無かったはず。
それを証明するかのように、新聞越しでも分かるほど、写真の中のカリアードは氷のように鋭い瞳をしていた。
「カル兄、苦労したんだね」
整った顔からも全く感情らしいものが見えてこないし、まるで人形みたいだ。
かつて私に向けてくれた優しさに満ちた瞳は、皇帝となった彼の中にはもう存在しないのかもしれない。
そんなことを考え、なんだかセンチメンタルな気分で新聞をずっと眺めていると、突然後ろから父に肩を叩かれた。
「アイリス。そんなに恋しいなら、レヴィス帝国に行ってみたらどうだ?
お前ももう18歳だ、好きなところへ行けばいい」
父の言葉は一見私を突き放すように聞こえるが、そうではない。
レグルの民は基本群れず、各々好きに行動する。
だから昔から成人の18歳を迎えたら家から独立するのが通例らしい。
だけど私は父を1人にするのが不安で、先月成人したにもかかわらずいまだに独立することができずにいた。
アイリスは不安そうな目を父に向ける。
「でも、お父さん…」
「なに、俺のことは心配するな。
これからも色々な所を回って、珍しい薬草を探すだけだ。
それに手紙で次の行き先を書いて送り合えば永遠の別れにもならんだろう?」
そう言って不器用なウィンクをし、ガッハッハと呑気に笑う父の姿に呆れ、肩の力が抜けていくような感覚になった。
なんだ、お父さんはそう考えていたのか。
私が無駄に色々考えすぎてしまっていたのかもしれない。
確かに父の言う通り、遠くの地に住んでも手紙を使えば簡単に連絡がとれるし、寂しくなれば会いに行けばいいだけ。
レグルの民はそうやってずっと自由に生きて来た。
私だって、いずれはそうしようと考えていたわけで。
私はもう一度カル兄の写真を見る。
父と同じくらい大好きだった人。
新聞の上からじゃなく、現在の彼に実際に会うことができたなら…
どれだけ、幸せな気持ちになるだろう。
そこまで考えて、私はようやく自分の気持ちに気づいた。
そうだ、私、カル兄に会いたいんだ。
「お父さん、私独立する!
とりあえずレヴィス帝国に行って、カル兄と会ってみたい」
「よしっ、それでこそウチの娘だ!」
パチパチと拍手する父に乗せられ、気合いを入れた私はすぐに出発のための荷物を準備し始める。
思い立ったが吉日というやつだ。
作り溜めしていた薬瓶と薬草、それと薬を作る道具を入れるでしょ。
あとは何がいるかな…あ、何着か服も必要か。
いざカル兄に会いに行くと思うと、なんだかワクワクしてきた。
アイリスは浮足立ちながら、父の移動の邪魔になりそうな物は処分して、必要なものだけを自分の上半身と同じくらい大きなリュックに詰める。
今まで各地を転々としてきたが、こんなに心が踊るような引っ越し準備は初めてだった。
そしてそれから1週間後、アイリスは港で父に別れを告げ、レヴィス帝国へ向かう船に乗り込んだ。
「お父さん、落ち着いたら手紙送るね!
それまで引っ越さないで!」
「おう、待ってるぞ〜!」
船の上から父に手を振って別れの挨拶をする。
港に立つ父は満面の笑みで私を見送ってくれた。
さぁ、ここからが始まりだ。
アイリスは動き出した船から広大な海を眺め、初めての一人旅へ踏み出したのだった。