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星なるダメ王子の物語  作者: クロス
第一章
4/27

04 ダメ王子と妖精様の休日


まだ桜の咲いている外を見て、もう次の日なのかと実感する。

自分の体の体調を感じてみると、何も辛さを感じない。完全に熱が引いたようだ。


まさかあれ程の高熱から熱が次の日には引くとは思っていなかったが、思いの外体は頑丈だったようだ。


時計を見れば今は朝の9時。丁度良い時間だ。

水でも飲むかと思いリビングに出る。

リビングを目にして視界に入ってきた光景を見て後ろから膝かっくんされた衝撃が走った。


何と昨日見たはずの美少女、紅野エリカがキッチンに立っていたのだ。

突然の事で理解が及ばず頭が追いつかなかった。

まだ熱でもあるのだろうかと自分に訴えかけるがなんて事ない体調なのでどうやら正気のようだ。


キッチンにいた紅野エリカは冬華に気づいたのか、そばに駆け寄ってきた。その動作が余りにも可愛すぎたので、喉の奥で唾が詰まった。


「おはようございます、星川さん」


だが動作とは裏腹に態度は昨日と全く変わりのない紅野エリカだったので何処か安堵した。


「お、おはよう。何でお前俺ん家に上がり込んでんだ?」

「朝からすみません。不法侵入については謝ります。その、どうしても心配になって様子を見に来たんです。そしたらお部屋、鍵がかかっていなかったのでお邪魔して・・・・ついでに朝食を作ろうと思いまして」

「あ~・・・悪りぃ、忘れてた。・・・すまんな、ありがとう」


熱で朦朧としていたせいか、よく覚えていなかったが確かに鍵を閉めた覚えがなかった。要注意だなと考えながら机の上を見ると出来立ての朝食が目に入った。

これはまた豪華だなと目を向く。


小さくカットされた野菜たっぷりのサンドウィッチにウインナーにプチトマト、卵焼き、コーンスープ、小皿に盛られたサラダ。

まさに夢のような朝食が今目の前にある。

よだれが出てきた。昨日は夕食しか食べていないので正直腹ペコだった。


紅野エリカは冬華の空腹を察したのか、エプロンを椅子にかけ脱ぎ向かいの席に座る。

冬華もつられるがままに席に座り、両手を合わせて日本人が使うこの世の感謝とも呼べる言葉を口にする。


「・・・・いただきます」


手を合わせて深々と頭を下げたのちにサンドウィッチを手で掴み口に頬張る。

野菜メインではあるが、みずみずしく野菜本来の味が出ている。

一言で言うと美味い。その一点に尽きるというものだ。


紅野エリカは何故か手を進める事なく冬華を見ている。その視線に気づいた冬華はどうしたのかと不思議に思い、考えると一つの答えに辿り着いた。


「・・・おいしいです。ありがとな」

「・・・・はい、ありがとうございます」


口に入れたサンドウィッチを飲み込んで上っ面ではない感謝の言葉を述べる。

それを聞いた紅野エリカは昨日オムライスを食べて感想を伝えた時と同じ顔をしたのを冬華は見逃さなかった。


作った側の人間からすれば、感想を言って貰うのが何よりのご褒美と冬華は母親に聞いた事がある。


結婚する前はラブラブだったのに、結婚して何年も経った夫婦が離婚するのは、誉めなかったりや甘やかしてあげさせないなど諸々あると、以前父親にも言われていた。


まぁ自分と紅野エリカは夫婦ではないのだが、と心の中で頷く。

兎に角、感想を言った事に満足したのか紅野エリカは小さく手を合わせて「いただきます」と言って料理を食べ始める。


食べる所作を見て思ったが、動作の一つ一つが綺麗だった。

紅野エリカを見て放心状態になっていると、彼女の座っている椅子の後ろにあるエプロンを見てふと思った。


「それ、・・俺のエプロンか?」

「え?・・・・あ、はい。昨日掃除したら出てきて、使った形跡がほとんどなかったので折角なら使われてもらおうと思いまして。すみません、勝手に使用してしまって」

「いや、別に良いよ。何ならやる。予備にでも何でもしてくれ」

「・・・・・はい。ありがとうございます」


ぶっきらぼうに答えたのに、何故か紅野エリカからは少しばかりトーンの高い言葉が返ってきた。

そんな態度を取られると何処かやるせない気持ちになる。


更に、自分のエプロンを付けた紅野エリカを見てみたいという欲が口から溢れそうになったが、何とか生唾を飲み込んで押さえた。

健全な男子ならば、こんな美少女のエプロン姿を見て見たいと思うのが当然でロマンがある。

見て見たい気持ちが9割なら、その気持ちを抑え込むのが1割だが、今回はその1割が勝った。


何故なら、こんな美少女が一傍観者みたいな人間と関わっている事自体があり得ないからだ。


少なくとも入学式の日は、あたりのきつい、口うるさい毒舌な人間だと思っていた。実際話してみると予想は当たっており、世間一般では誰にでも愛想良く振る舞うのが普通らしいが、冬華からすればちょっと口の悪いエリカが普通になってしまった。


そんな彼女があの日、何をしていたかは知らないし、今は聞く気にもならない。

だから適当に彼氏と喧嘩でもしたのかと思ったので一様聞いてみる。


「何で入学式の帰りに公園に居たんだ?あんな真夏の天気の中。彼氏と喧嘩でもしたのか?」


興味はかなりあるが、そこまでガツガツ行く中でもないので、興味ないですオーラも出しながら聞いてみる。

安直な内容だったかと思い紅野エリカを見ると、エリカの顔は呆れ顔をしていた。


「・・・彼氏なんていませんし作る予定もありません」

「え?」

「では聞きますが、何故私が交際してるという体で話が進んでいるんですか?」

「いや、ファンクラブやら何やらあるなら1人や2人いるものと。まぁお前の眼鏡にかなう人はそうそういなさそうだけどな」

「・・・決めつけは・・・決めつけるのはやめて下さい。私は今、交際する気もそういった相手を作る気はありません」


どうやら紅野エリカにとっての地雷を踏んでしまったようだ。昨日とはさらに比べ物にならないほどの凍てつく吹雪を食らっている感覚が背中に走った。

その程度なら風邪のせいだと思ったが。


「何人もの人と交際するような人と一緒にしないでください。・・・私は生涯付き合うのでしたらたった一人と決めているのです」


凍てつく吹雪から豪雪の吹雪に大気温度と体内気温が下がったと錯覚してもおかしくないレベルには恐らく気温が下がっただろう。まだ熱があるのかと思うくらいには。

それ程までに、紅野エリカの美しい青色のサファイアの瞳は氷のように冷たい目に変わり、深淵を覗いているように見えた。

これ以上それを見ていると心なしか冬華の心も押しつぶされそうに感じた。


「ごめん、そんなつもりはなかった。謝るよ」

「・・・いえ、私の方こそ言い過ぎました。ごめん、なさい」


ただ素直に頭を下げて謝罪をすれば凍え切った空気はすぐに元に戻ったので一安心した。


「入学式の日は、・・・・その、1人になりたくてあそこに居たんです。ちょっと忘れたい事があったので、熱にでもうなされれば忘れると思って・・・・でも、私を心配してくれた星川さんの方が熱でうなされてしまう事になるなんて思わなくて、本当に申し訳ありませんでした。以後気をつけます」

「・・・良いよ、それはもう。紅野の献身的な看病のおかげで今はもうぴんぴんしてるしな」


やはりというか、紅野エリカは一から十まで罪悪感で看病していたらしい。実際、冬華は自分が勝手にして勝手に風邪を引いたのだからそこは気にしないで欲しかった。


「罪悪感やら何やらは気にするな。それに紅野と関わるなんてのは今後一切無いだろうからな


俯いて冬華の言葉の最後を聞いていた紅野エリカは顔を上げて瞬きをして不思議そうな顔をしている。

今後一切無いというのに引っかかったのだろう。


「だってそうだろ?特に接点ないし、何なら今まで喋った事すらないんだから。そもそもお前が隣っていうのを昨日初めて知ったんだ。お前が妖精だか天使だか言われてるからって下心丸出しで関わるなんてことしねぇよ。・・・俺は自分で言うのもなんだが、そこら辺の男みたいにお前とお近づきになろうなんてのは思ってねぇよ」


あっけらかんにそう言うと紅野エリカは「絶対に恩を売らせてって魂胆だと思ってました」と驚きながら言った。そんな事を考えられているだろうというのは想像できていた。やれやれと肩を竦めてるが、彼女の人付き合いを想像すれば、そういう事は日常茶飯事なのだろう。

大抵の人間なら、意中の相手にはまずは恩を打って関わっていこう、なんて考える奴が多くいる。


そういう事が何度もあれば、今の紅野の警戒するかのような性格も頷ける。

自衛、処世術のようなものなのだろう。それは責められたものではない。

まあ、あの口の悪さは元からのような気もするが。


「嫌だし面倒くさいだろ?お前も」

「はい」

「即答・・・・知ってた」


紅野エリカ本人が肯定する事を分かっていたように、冬華はもう一度あっけらかんと返し、自分が肯定する事を見破られていた紅野エリカは冬華を恨みがましげ見る。

そんな目をされても困るのだが、やっぱりちゃんと人間らしい感情を向けてくれるのは良い事で、少しばかり嬉しい。


「それでいいと思うぜ。妖精様でも好き嫌いはあるんだなって。いや、むしろ妖精だから人は選ぶのかな」

「そう呼ばれるのは嫌いです。次からはやめてください。それに妖精だって気に入った相手には近づきはするでしょう」

「分かった。気をつける。でも妖精は相当懐いてないと人には近づかないぞ?」


童話に出てくる妖精のような彼女を見て少しばかり和かに笑っているのが自分でも分かる。

しかし紅野エリカはそっぽを向いて両頬を膨らませる。

どうやら学校で広まっている二つ名はお気に召していないらしい。

その態度はまるで拗ねた子供のようで、冬華は笑った。


「・・・まぁ何にせよ、用事はほとんど無いんだから声なんて滅多にかけないって訳だからこれから特に関わらないと思うぜ?」


きっぱりと言い切れば、紅野エリカは関心のような目で見てきて、青いサファイアの瞳はとても優しい色をしていた。


朝食を済ませた二人は片付けをする。

流石に作ってもらっておいて何もしないというのは気が引けたので食器を洗うくらいはすると名乗り出た。

紅野エリカはそれに対して、「まだ病み上がりなんですから、私も一緒にします」と言って2人で片付けをする事になった。


「・・・・・・」

「・・・・・・」


2人は無言で作業に没頭する。

冬華は皿を洗い、紅野エリカが水気をタオルで取る役割だ。

冬華は皿の裏や持ち手のところを丁寧に洗う。

その作業をしばらく見ていた紅野エリカは何を思ったのか冬華に以外な発言をする。


「・・・・星川さん」

「何だ?」

「・・・・星川さん、本当は家事とかできますよね?」


それを聞いて洗い終わった皿を紅野エリカに渡す前に落として割るところだった。

目を丸くして紅野エリカを見ると、至って真剣な眼差しで冬華を見ている。

暫く黙っていたが、やがて観念するしかなくやむなしで答える。


「・・・出来るよ、それなりにはな」

「やっぱりそうですか。今の食器を洗う動作を見て手慣れているなと思いまして。・・・・どうして何も言わなかったのですか?」

「別に言う事でもないし、聞かれなかったしな。言っても得がないからな」

「いえそういう事を言ってほしかったわけではないのですが、・・・・その、昨日色々と文句を言ってしまったなと思って」

「え?どんな?」

朝食の時よりテンションが低く、顔を下に向けてしまった紅野エリカを見て一体何を言ったのか気になり皿を洗う手を止める。


「その、・・・・一人暮らしなのにこの人は何でこんな堕落生活してるんだろう、このおたんこなすさんはって。酷いことを。後・・・・お馬鹿さんとも言ってしまって」


紅野エリカは顔を真っ赤にしつつ、その場に崩れ落ちてしまう。

思っていた以上に酷い言われようではあったが事実だし、それに内容はともかくとして言動は可愛すぎて見ているだけで目の保養になった。

しかもおたんこなすって発想が小学生なので、ツボに入り笑いそうになるのを堪えた。


流石にこのまま紅野エリカを羞恥心で殺させる訳にはいかないので、食器を洗い続けながら答える。


「いいよ、それくらいの事はな。実際1人で暮らしててこの私生活は最悪だし片付けをろくにしてなかった罰は降ったけど、それを1人で掃除してくれただろ?だからいんだよ。気にしなくて」


ぶっきらぼうに答えすぎたかと少々考え込むが、紅野エリカには届いたらしく、立ち上がり前向きな姿勢に戻った。

それを見てまた笑いそうになるがここも堪えた。


片付けを終えた後も少し動揺が残っていたのか紅野エリカは暫く深呼吸をしていた。1回目、2回目、3回目、4回目・・・目一杯。流石にやりすぎではと思ったが本人が落ち着くまでやらせようと見守った。


長い間の深呼吸が終わり、紅野エリカはスマホを持って冬華の目の前に突き出してきた。

突然の事で驚き、紅野エリカのスマホと顔を交互に何度も見てしまう。

何なんだ急にと思いスマホの画面を見ると、連絡先のQRコードと、それと一緒に電話番号の書かれた紙を渡してきた。


「・・・えっと?」


あまりの事に脳の処理が追いつかず、動きを止めてしまう。

一方紅野エリカは呆れたようにため息をつく。


「連絡先を登録してください。貴方が先ほど言ったように、私達にはこれから関わりはないかもしれません。それでも何かあれば聞くなり何なりできます。それでいいので連絡先を交換してください」


最後に小さな声で、「貴方は信用できますから」と、強い眼差しでそう言ってさらに押し付けてくる。

ここまで強気な連絡先の交換をしてきた人間を見るのは初めてだった。

事もあろうに学校の有名人は、こんなパッとしない男と連絡先を交換しようだなんて言ってきたのだ。

断る理由がないが、受諾する理由もないのもまた事実だが、ここで拒否をすればどんな反応をするか分からない。


ここは大人しく従い、スマホを取り出す。早打ちのようなスピードで番号を入力し、QRコードを読み取り登録完了した。


続いて冬華は電話番号を素早く書いて手渡す。受け取った紅野エリカはそれを打ち込み、また冬華が登録した際の通知が来たのか、友達追加のボタンを押す。

これでいつでもお互いに連絡を取り合える。


まぁ連絡を取ることなどまぁないのだが。

そんな事を思いながらスマホを眺めていると、紅野エリカのスマホが鳴る。

「失礼しますね」とお辞儀をしてキッチンの方まで離れる。

数秒して戻ってきたので何なのかを聞いてみた。


「なんかあったのか?」

「え?いえ、友人の方に今日遊ばないかと誘われまして、行こうと思いますので私はここで失礼しますね」

「・・・お、おお。ありがとな、色々。助かったよ」

「いえ、どういたしまして。それより、一つ提案があるのですがいいですか?」

「何だ?」

「・・・・今日の夕食も、ここで食べてもよろしいでしょうか?」


信じられない言葉が耳に入る。冬華は今脳をショートさせ、驚いた魚のような目でエリカを見ている。

流石に動揺させすぎたのを察したのか、紅野エリカはバツの悪そうに目を逸らす。


別に問題はないのだが、少しは警戒しないのだろうかと思う。殆ど知らない男の家になど態々好んで上がろうとはしないだろうと。

だが、昨日の今日で信用してくれたのなら嬉しいのだが、ちょっとは警戒してほしいものだ。


けれど断る理由というか、今日もどうせコンビニ弁当で済まそうと思っていたので、作ってくれるのならありがたい。


「・・・・いいよ。一緒に食べようか」


冬華は考えた末に優しく受諾した。

意外な返答に驚いたのか、一瞬硬直するがすぐに笑顔になった。

そんなに嬉しかったのかなどと、的外れな事を考えてしまうがそこは冷静になり我慢した。


「それでは、帰りは18時ごろになると思いますので、帰りに食材を買って帰りますね。念の為メモを机の上に置いておきます。もし私の帰りが遅い場合は代わりに買ってきてもらいたいのでお願いします。それまで休むなり何なりゆっくりしていてくださいね」

「おう、分かった。気をつけてな、行ってらっしゃい」

「はい。それでは、・・・行ってきます」


お辞儀をしてそう言ったエリカを見送ってリビングに戻る。今日の夕飯は何だろうと考えながらソファにもたれかかる。

ぐったりしてそのまま目を閉じると、睡魔が襲ってくる。

昨日あれだけ寝たのにも関わらず、まだ眠れる自分の体に軽く恐怖するが、眠気に抗えない。


今日と昨日あった事は冬華と紅野エリカだけの秘密だ。

こんな事を誰かに言っても信じてはくれないからもあるが、この特別な時間だけは誰にも話したくないなという意地も少しはあった。


紅野エリカが帰ってくるまで寝ていようと睡魔に身を委ね、冬華の意識は徐々にと落ちていったのだった。





目を閉じてからどのくらい経ったのかは分からない。

それでも今も尚冬華の意識は覚醒しない。

ゆっくりと眠りについたせいか、いつも見る夢を見た。

しかし今度の夢は先祖の記憶ではなく、冬華自身の記憶だった。


冬華は幼い頃より、魔術士の師匠である人から修行を受けていた。人生の殆どを魔術士として生きるのに費やしたと言っても過言ではなかった。

この日は今から五年ほど前、10歳の時に師匠である人に修行をつけてもらっていた頃の事だ。

偶々夏休みで、師匠に言われ山籠りをさせられて最初の日の出来事。


「・・・もうちょっとちゃんとした魔術を扱えたらいいんだけどな、中々むずい。と言うかド三流の魔術士である俺が一流になるなんてある訳ないけどな」


この頃の冬華は真っ直ぐに魔術の勉強に明け暮れていた。捻くれてはいたが、師匠のような人間になりたいと思っていたからだ。もう一度言うが、子供の頃から自分の実力を分かり切ってはいたので捻くれてはいた。

それでも森の中で座り込み、魔術本に齧り付き唸る。

しかしどうにも上手くいかず、ただ悩んでいた日々に少しの転機が訪れた。それはーーーーーー


「・・・・ねぇ、こんにちわ。アナタは誰?」

「え?」


突然声をかけられて振り返ると、そこにはこの時の冬華と同い年くらいの少女が立っていた。


髪の一本一本がとても綺麗な白縹色の腰くらいまでの長さの髪の少女だった。

左側の頰当りの髪は三つ編みに結ばれており、

後頭部あたりの髪をまとめてポニーテールにしている。結び目の部分には黒い大きなリボンが付いている。

瞳の色は唐紅でとても眩く、服は白色のワンピースを着ていて如何にもお嬢様といった感じのする少女だった。

冬華は見惚れて惚けてしまい口をあんぐり開けていた。


「ねぇ?聞いてる?」

「・・・・え?あ、ああごめん。俺は・・・ここで修行してる星川冬華。よろしく」

「よろしく、トウカ。私はアグレイシュナ・ホーリーグレイルよ」

「お、おお。よろしく」


手を差し伸べられたのでそれを強く握り返して握手をする。

彼女の笑顔はなりより太陽以上に眩しかった。


それから夏休みの間、アグレイシュナは毎日遊びに来て冬華と一緒に魔術の勉強や、彼女が提案した遊びを色々とやらされた。

彼女の家も代々魔術士の家柄らしく、偶々家族でこの森を訪れていたそうだ。

毎日のように振り回されていた冬華も最初は、何だこいつ?と思っていたが、次第に心を許しており、いつの間にか【レイナ】と呼ぶようになっていた。


だが、長いようで短い時間は突如として終わりを迎える。

夏休み最終日、レイナは誘拐された。

1人誘拐した犯人のアジトに突入した冬華はそこで誰も想像できないような地獄を見た。


そして8月31日、この日も特に暑かった事を覚えている。楽しかった日々はたったの一日により黒く塗りつぶされた。


レイナは二度と冬華の前に現れる事はなかった。



・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・。

・・・・・・・・。




夢から覚めて目を開けると天井が目に入った。

最悪だと、ボソリと言いながら体を起こしキッチンへと向かう。

冷蔵庫からお茶を取り出し一気に飲み干す。


「・・・・あんな夢、久しぶりに見たな」


冬華は空になったペットボトルに穴が開くほど睨みつける。

あの夢の続きはいずれ見るかもしれないが、今は見ても苦しいだけだ。

それに、レイナを失った時の記憶は今の冬華には無かった。


余りにの絶望に打ちひしがれて記憶の一部を欠損してしまったのだ。

記憶にあるのは1ヶ月、レイナを失った日以外の記憶はあるのに、あの日のだけの記憶がない。


それからというもの、冬華は魔術の勉強こそすれど、意欲を持ってする事をしなかった。

否・・・・出来なかった。出来るはずがなかった。例え目標があったとしても心の支えとなるべきものが無ければ何をしても意味がなかった。


あの日以来冬華は人を避けるようになり、積極的に輪に入るような事はしてこなかった。

無意識のうちに、失う事を恐れたからだ。


深くため息をついてソファに座り込みスマホを見ると、メッセージが入っていた。


何と紅野エリカからだった。時間を見ると今は15時で何かあったのかと思いメッセージを見る。



『星川さん、いきなり連絡してすみません。実は今日の帰りなのですが、予定より遅くなりそうなのです。ですから帰ったら夕食は作りますので材料だけ買っておいてください。あ、食材のメモは机に置いてあります』


ソファから立ち上がり机の上を見る。

こうなる事を想定していたのかは分からないが、準備がいいなと感心する。メモ用紙に書かれた綺麗な文字をざらっと見た感じ、今日はハンバーグをするつもりだったのだろう。


「・・・・ま、看病してくれたしな。これくらいは返さないとな」


冬華はスマホと財布を机の上に置き、先ずはシャワーを浴びてから出かけることにする。

昨日から汗を流していないので、ベタベタというよりは少し気持ち悪い。


20分間シャワーを浴びて着替える。

黒インナーに黒の上着を羽織る。ポケットが普通のズボンより付いているズボンを履き、腰には小さなポーチを数個つける。


必要な物を持って家を後にする。念には念だ。

家から目的のスーパーまでは片道15分ほどかかる。余り時間もないので、早足でスーパーに入り頼まれた物を買うためスーパー内を歩き始める。此処には何度かきているので、何処になにがあるかは分かる。


テキパキと食材を箱に入れていき、全て入れ終わった後に、冬華はなにを思ったのかレジに向かわず少し別の場所に寄り道をしてから会計を済ませる。


家へと帰ると買った今晩の食材を取り出し冷蔵庫にしまう。

まだ時間があるので、冬華はソファに座りじっと時間が来るまで待つ。


暫く暇を持て余して時計を見ると針が指す時間は3時半。


「さて・・・・やるか」


冬華はソファから腰を上げ、服の腕を捲り上げ冷蔵庫から買ったばかりの食材を取り出し、キッチンの空きスペースに並べる。

玉ねぎとにんじんをみじん切りにしてざるにいれ、上の棚からかなり大きいボールを取り出しその後に、フライパンに油を注ぎ切った玉ねぎとにんじんを炒める。


色が変わるまで炒めた後は少し放置して、先程取り出したボールにひき肉に塩胡椒を振り、パン粉につなぎの豆腐を入れる。冷ました野菜と卵を入れる。


その後はひたすら揉んで混ぜ尽くす。

手が冷たすぎてちぎれそうな思いをした。

この分なら冷蔵庫ではなく、外に出しておけばよかったと後悔した。


混ぜ終えたらラップをして冷蔵庫に入れる。

常温のまま放置しておくと肉が熱にやられるからだ。

だから、先にしてしまいたい事を済ませる。



紅野エリカの代わりに夕食の準備をしてから2時間。流石に紅野エリカ程早くはできないが、まあ予定通りの進みではあった。

ここまで時間がかかったのはもう一手間やりたい事があったからだ。

ハンバーグは形を作るだけでまだ焼かずにもう少しだけ寝かせる。

別件でやっている事も、もう少ししたら焼き始める為準備をしておく。


紅野エリカが帰ってくる予定の時間までにはまだ余裕があるので暫し休息する。

ベランダに出て棒キャンディーを食す。


「・・・久しぶりにやったな料理。今までは面倒くさくてやってこなかったけど、できる事は役に立つもんだな。・・・レイナ」


自分の今日やった行動について考える冬華は無意識の中、かつて隣にいてくれた少女の名を口にした。


空を見上げると、一番星がキラリと光る。

心地よい春の風が体に靡き風を体で感じる。


冬華は自分の今までやってきた事を振り返る。決して褒められたものがある訳ではないが、それでも自分のやってきた事は無価値になる事はない。

そう自分に言い聞かせてガリっと飴をかじる。

飴をかじりとかじったと同時に、スマホが鳴ったので取り出すと紅野エリカからメッセージが届いた。



紅野エリカからメッセージを受け取った頃にはもう18時になっていた。

届いたメッセージを開いて文章を読む。


『星川さん、大変遅くなりました。19時前には駅に着きますので、もう少しお待ちになっていてください』


そのメッセージを受け取ったと同時にクローゼットから少し厚手のパーカーを取り出し羽織り、もう一つあったかい青色の上着を取り出す。スクエア型の伊達眼鏡をかけて、髪に手を当てる。


するとたちまち真っ黒い髪の色が、少し紫ががかった色に変化した。

これなら誰も冬華だとは気づかないだろう。パーカーを頭に被り外に出る。

髪の毛の色を変えたのもちょっとした魔術だ。

変身魔術を髪の毛だけに施す、簡単で初歩の初歩の魔術だ。

初歩的な魔術は一流の魔術士からすれば馬鹿にされる技術ではあるが、冬華の師匠は『今の時代、初歩的な技術を扱える奴はそう居ない。だから基本を怠らない奴が一番強いと私は思うよ』。


昔そんな事を言われたのを思い出してふっと笑う。


冬華の住んでいるマンションから駅までは30分ほどかかる。

19時前には着くとのことなので、出来るだけ急いで駅まで向かう。


30分ほどして駅に着いたので、紅野エリカが来るまで中に入らず外で待つことにした。

駅をちらちらと見ながら待つこと10分。

駅の入り口から紅野エリカとその友人だろうか、5人ほどおり、その真ん中に紅野エリカが立っていた。


友人に向ける笑顔は妖精様の笑顔ではないのは少し意外だった。友人だからか、それとも気心が知りすぎているからか本心を出せているように見えた。

友人4人と別れて紅野エリカは1人、まっすぐ冬華に近づいてくる。


その横を通り過ぎたので、流石に気づいていないと思った冬華は声をかける。


「よう、紅野。意外と遅かったな?」

「・・・・・・どちら様ですか?勧誘やナンパならよそでやって下さい」

「ありゃ」


予想通り辛辣というか警戒心ダダ漏れの冷たい顔と態度でこちらに振り帰ってきたので、肩を竦める。

やっぱり気づかれていなかったので、慣れない眼鏡を外す。

眼鏡を外した冬華を見て紅野エリカはお化けでも見たように驚いた。

髪の色はそのままだ。フードを被ってるので見られないが、今戻せば普通の人間ではない事が疑われるからだ。


「・・・ほ、星川さん?ですか?」

「まぁな。流石に変装してたら分からんよな。外でお前と会うんだから誰かに見られて変な噂立っても嫌だからな」

「す,すみませんでした!失礼な事を言ってしまって。・・・でも、どうして此処に?」

「・・・・だって、こんな時間に女の子一人を家まで歩かせる訳にはいかねぇだろ?」


冬華は顔を赤くして頭を掻きながら紅野エリカから目を逸らす。

実際こんな事をして照れ臭いので、かなり居た堪れない。

それを見た紅野エリカは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「・・・ふふ。星川さんは優しいですね。ありがとうございます、お迎に来て頂いてくださって」

「別にどうって事ねぇよ」


だが、次には感謝の笑みをしていた。

以外、だったのだろうなと思う。実際に、冬華はこんな事はまぁ滅多にしない。


だけど、普通の女子を暗い中一人で帰らせるのは心が持たなかったので、冬華が迎に来たという訳だ。


「・・・寒いな」

「・・・はい。まさか、ずっと外で待ってたんですか?」

「まぁな」

「手、冷たいじゃないですか!春とはいえ今日はかなり夜は冷えるので気をつけてください。病み上がりなんですから」


いきなり手を握ってきたのでドキッとしてしまったが、紅野エリカは何も気にしていないようだ。

冬華の冷たくなった手をぎゅっと握りしめて必死に温めてくれている。

手を離して欲しいものだったが、今は水を刺すのはやめておこうと紅野エリカが満足するまでさせる事にした。


「・・・ふぅ、大分温くなりましたね・・・あっ、す、すいません、急に勝手な事を」

「いや、俺の体を気遣ってくれたんだろ?むしろ感謝するよ。ありがとうな。・・・でも次からはよく知らん男の手なんか急に握るなよ?勘違い野郎は出てくるぞ」

「すみません、気をつけます」


軽く説教のような事を言ったが、冬華は顔を紅野エリカからずっと背けている。

どうにも気恥ずかしくて顔を直視するのが難しい。不自然ではないくらいの態度で接して、紅野エリカに握られていた手を下ろす。


「ほら、春とはいえその格好は冷える。一応上は着とけ。その格好は少し寒いだろ?」


冬華は持って来ておいた上着を紅野エリカに渡す。

受け取った紅野エリカは無言でゆっくり上着を羽織る為,手に持っていた荷物を一度地面に置こうとしてその手を止めた。


びっくりして紅野エリカは冬華を見ると、冬華は無言で荷物を全て持ち紅野エリカが服を羽織りやすくする。

冬華の服のサイズなので、身長差があり、小柄な紅野エリカではかなり大きく袖のところは捲らなくてはいけないレベルだった。


紅野エリカは上着の袖を捲り、「行きましょうか」と歩き出す。

冬華も眼鏡をかけ直しそれに続き、紅野エリカの前を歩く。


何故前なのかは言わずもがな、冬華がもし紅野エリカと歩いているのがバレれば、色々と面倒くさいからだ。


それに彼女とはそこまで仲良くない。ならばそれなりの距離を取るのが普通だろう。


距離としては冬華の歩幅5個分空けるつもりだったのだが、この時間帯は車の通行量も多く、いくらガードレールがあるとはいえ、かえって危なく、人通りも多いので側を離れるのもいなまれる。


だから冬華は紅野エリカの所まで戻り、ボディーガードとして傍にいることにした。

そもそも、一人で暗い中歩かせない為が目的だったのに、距離を取って帰るなど何のために来たのか危うくなってしまうとこだった。



「所で、何で今日遅くなったんだ?」


駅を出て10分ぐらい経った頃、ふと疑問に思った事を聞いてみた冬華は、スマホの時間を指さして聞く。


「実はお昼頃強風が吹いて電車が全て運休となってしまって、帰れるようになるまで時間がかかっていたんです。向こうに行っている間も風が何度か吹いて電車も何回か止まってましたし」

「そうなのか。寝てたから風なんて吹いてたの知らんかったわ」


実際その時間はぐっすりと熟睡し、昔の夢を見ていた時間帯だろう。

強風が吹いた痕跡はあたりを見渡してもなかったが、どうやら山地風辺りだろうと思いながら欠伸をする。


「朝から寝てたんですか?寝るのも良いですが、寝すぎるのも体に悪いですよ?」

「・・・へいへい。しゃあねぇだろ?眠りが深くて起きられなかったんだから」

「昨日も高熱で魘されてかなりの間寝ていたのに。知りませんよ?寝過ぎて不眠症になっても」

「・・・気をつけますよ」

「・・・なら良いのですが・・」


いまいちやる気のない態度の冬華と、呆れた表情と声できつく返す紅野エリカ。

冬華が紅野エリカと話していて思う事は、【相性最悪】。


この四字熟語が頭に浮かぶ。自分の性格を叱咤してくれるのはありがたい事だが、真面目な性格のエリカではどうあってもだらしないダメ人間性格の冬華とでは意見が重ならない。


ままならないものだな。と、内心で少し諦め姿勢になり紅野エリカの隣を歩く。


その後は会話もなく、無言の空気感が二人の周りにはあった。

此処まで近くで歩いていて何故意味ありげな瞳でこちらを見てくる人が居ないのかは、冬華の魔術のおかげだ。


一種の認識阻害のようなものだ。

と言っても、それは二人を認識されないようにするような大掛かりなものではく簡単なものである。


紅野エリカの髪の色は目立つので、周りの人達がエリカを見ても見たような気がしただけという認識にしたのだ。

因みに冬華自身には使っていない。

あくまでこれは紅野エリカを中心にした認識阻害の為、紅野エリカの近くにいればある程度の影響は受ける。


しかしこの魔術の利点は近くにいる人間には効果を絶大的に及ぼすが、遠目から見られると丸裸も同然なのだ。

更に言えば、人間は目が慣れてくる生き物なので、そう何度も見ていれば自然と紅野エリカを認識できるようになってくる。


出来るだけ見られない事を祈りながら家へと急ぐ。

気を張りながら、ようやくマンションに辿り着いた時にはもう7時を過ぎていた。



「・・・ただいま~っと」

「お邪魔します」


靴を脱ぎ家の電気を消してリビングの机に紅野エリカの荷物を置く。

紅野エリカも冬華に付いていき、来ていた上着を脱いで椅子にかける。


「星川さん、迎へに来て頂いてありがとうございました」

「なんだ突然?別にいいよ。俺がしたくてしただけだしな」

「・・・そうですか。ではそういう事にしておきましょう。でも、感謝はさせて下さい」

「へいへい」


深々と頭を下げてきた紅野エリカを軽くあしらえば、冷たくなく、しかし少しつんとした返答が返って来たが、今日の朝よりは和んでいる事に気がついた。


あえて指摘はせず、キッチンへと向かう。

紅野エリカも夕食の事を思い出したように慌てて跡をつけてくる。


「すみません、すぐに夕食の用意を・・・え?これは?」


キッチンの上を見ると、夕食の準備はすでにもう殆ど済まされており、残りはもう焼くだけと盛り付けるだけになっていた。


紅野エリカはそれを見て何事かと目を丸くして傍で準備をしている冬華をじっと見ている。

視線に気がついた冬華は不敵に笑いながら準備を進める。


「お前が帰ってくるの遅いって聞いてたから、どうせならこっちでやっとこうと思った次第でな。昨日看病して部屋の掃除もしてくれたんだから、これくらいはしとかねぇとバチが当たるからな。メニューを見て今日はハンバーグだと思ったから、早めに買って早めに準備したから後はもう焼くだけだな」


冷蔵庫から形の整ったハンバーグを取り出し次々とフライパンの上に乗せて焼いていく。


「・・・あっ、て、手伝いますよ。作って頂いてありがとうございます!」

「あ~、じゃあ皿出してくれ。ハンバーグとサラダ盛るから。後、あまり出そうだからもう一枚でかいやつと、味噌汁用の皿頼む」

「は、はい。分かり、ました」


冬華に言われるがまま食器棚から次々と皿を出して冬華のすぐ取れる場所に置く。

基本フライパンでハンバーグを焼いた時は少しだけ放っておく冬華だが今回ばかりは真面目に作るべく、フライパンの前から離れる事をしなかった。


その姿を見て表情をころころと変えない紅野エリカは冷や汗を流し、じっと冬華を見ている。


いい感じに焦げ目がついてきたらひっくり返し、またしばらく待ってひっくり返す。

その動作も澱みなく手際がいい。

あっという間に夕食が完成し皿に盛り付けを済ませ配膳して席に着く。


そしていつも通り、ではなく紅野エリカがいるが変わらず手を合わせて感謝の言葉である「いただきます」を言ってから食事に入る。

紅野エリカも恐る恐る手を合わせて「いただきます」と言って丁寧にナイフとフォークを使ってハンバーグを一口サイズに切って口に運ぶ。


冬華は我ながらという顔をしてうんうんと頷く。

エリカも余程美味しかったのか、それとも意外だったのかは分からないが、なんとも言えない表情をしていた。


「・・・・口にはあったか?」

「・・・・・聞くまでもない事を聞かないでください。・・・とても美味しいです。私よりもとても」


紅野エリカは顔をほんのりと紅潮させて少し怒りつつもハンバーグをさらに口に頬張り、目を逸らす。

冬華はそれを見て面白すぎて口を押さえて笑った。

紅野エリカは冬華が笑っているのを見て不服そうに頬を膨らませて怒っているのが分かる。


「でも本当に、美味しいですよ。お料理もできるんですね。・・・でも、何でこんなに美味しい料理ができるのに何でしないんですか?」

「・・・・する気がない、というかやる気がない。面倒いし」


罰が悪そうに目を逸らし味噌汁を啜る。

実際本当にやる気がないので、実際家事なんてしないし、プロ級にできるのだが、これでもかというほどやる気がないのだ。


このままではいけないとは思うのだが、本当にやる気の問題なのでやる事は滅多にない。

ジト目で見てくるエリカを他所に、ハンバーグを食べ続ける。


「星川さん、一人暮らしをするのですからそういったことは改めるべきだと思いますよ。あんなに部屋が汚くて、足の踏み場も無くて、おまけに料理はサボりまくり。こんな自堕落ダメ人間は初めて見ました」


ズバリとかなり心に刺さる毒舌をかましてきた紅野エリカにぐぅの根も出ない程言われ、何も言い返せない。


「でも、今日の手際はとても良かったですし、慣れた手つきのそれだったので、教えてくれた方がよかったのですね?」

「・・いや、色々な社会の事は教えてくれたけど師匠自身、今の俺と変わらないくらいの自堕落な人だったから、料理は自然とできるようになったよ」

「それはまた、随分と凄いですね。それで何故今やらないのかは理解に苦しみますが」


残りのハンバーグも紅野エリカは一気に平らげ、二つ目のハンバーグを食べ始める。

冬華は「よく食うな」と小さく呟いたが、聞こえていたようで紅野エリカはまたもや顔を赤らめて「放っておいて下さい」と言って脛を蹴って来た。スリッパで更に女の子なだけあって力は弱かったが、それなりに痛かったので静かに悶絶する。


結局余るだろうと思っていたハンバーグは、冬華よりも紅野エリカがほとんど食べてしまい無くなってしまった。


夕食の片付けだが、紅野エリカが「夕食を作ってくれたので私が片付けをします」と率先してやってくれたので、任せる事にした。


片付けが終わった紅野エリカは冬華の座っているソファの隣に座る。何故隣に座るのかは分からなかったが、二人は黙ってテレビを見る。


しかし長い沈黙に耐えかねたのか冬華が急に席を立ちリビングへと向かう。

紅野エリカは何事かと思い立ち上がるも、それに気づいた冬華が「座って待ってろ、すぐ終わる」と紅野エリカを静止する。


紅野エリカは言われた通りソファに座りなおし、待つ事5分。冬華が何やら小さなバスケットを手に戻ってきた。

冬華はそれを身の前の机に置く。

何だろうと紅野エリカは冬華が持ってきた物を見て驚いていた。


それは、小さなバスケットに入った色々な形をしたクッキーだった。それも二つ。


「こ、これ、どうしたんですか?」

「ん?お前から連絡もらった時に、どうせ時間余ると思ってたから、折角なら作ろうと思ってさ。よかったら食べてくれ、女の子は別腹なんだろ?」

「・・・・い、いただきます」


何やら反論がしたくてもできないエリカは恐る恐る冬華のクッキーに手を伸ばし、口に運ぶ。

一口食べた瞬間から美味しかったのか、もうすでに一枚を平げすでに3枚目に突入していた。


どうやらかなり気に入ったようだ。

見る見るうちに無くなっていき、もっと作っておけばよかったと後悔した。

何せ、もう殆ど残っていないからだ。

9割がた食した紅野エリカは満足した笑顔を浮かべていた。


それを見た冬華も自然と笑みを溢し、最後に残った一枚を取ろうとするが、ふと紅野エリカを見るとしょんぼりとした顔でこちらを見てくるので取るに取れず、「最後食えよ」とぶっきらぼうに言って紅野エリカにクッキーを譲る。


最後の一枚をちまちまゆっくりと食べる紅野エリカを見て、ハムスターみたいだなと思った。


「クッキー、美味いか?」

「・・・・本当に意地悪ですね。美味しくない物をこんなに沢山食べませんよ。・・・でも意外です、お菓子作りもできたんですね?」

「料理ついでに勉強したんだよ。さっきのクッキーは看病してくれたお礼だ」

「ありがとうございます。ご馳走さまでした」

「・・・・お粗末さん」

妖精様の笑顔ではなく、完璧なまでの素の笑顔でお礼を言ってくる紅野エリカに少しばかり見惚れてしまい、目を背けながらつれなく返事を返す。



その後は何事もなく時間が進み、気がつけば夜の9時になっており、紅野エリカは自宅へと帰宅するため玄関へと言ったので、見送りをする為に冬華も玄関へ行く。


「では、今日はありがとうございました。また何かあれば、声をかけますね」

「・・・・何かあれば、な。朝も言ったろ?余程のことなんてなければ関わりなんてないよ」

「そうですね。・・・おやすみなさい」

「おう、おやすみ」




二人は玄関で別れ、冬華もその後は風呂を済ませて眠りについた。

不思議なことにこの日以来、紅野エリカとは暫く全く話す事はなくなってしまう事は、今の冬華には考える余地もなかった。



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