三日月の夜の魔法屋。
「一晩の宿を」
「魔法屋ですが」
「知ってる」
誘いの森に迷い込み二日。夜が延々続く。そう言う場所だ。
壁掛けの常夜灯──木棚に並ぶ魔法薬と魔導書が見える。
「三日月の夜は魔女が出るとか」
「私の事ですか?」
Sランク魔女の討伐依頼。だが、盗賊の俺の目的は別。
「お一人で……ですか?」
「何も狩ろうって話じゃない」
堕としに来た。と言うよりは、抱きに来たのが本音。
この狂った暗黒の世紀にはウンザリだ。
魂の等価交換で最期に良い夢みせてくれるらしい。噂通り目の前の魔女は悪魔級の美女だ。
「何が見たいの?」
「見せたくはない秘密を」
最高の女を抱くのは男の浪漫だ。勇者にはなれなかった。魔王討伐は人類の夢。それでも立ち向かう旧友が眩しかった。
「心がみたいわ」
「気兼ねしなくて良い」
店の奥の唯一の扉が開かれる。そこにある簡素な寝具。
「どうぞ」
「このままで良いのか?」
横たわるとスルリと白い肌が露わになる。艶やかな曲線に目を奪われた。長い銅色の髪が視界を覆う。赤い瞳は魔女特有のものだろう。
「何人喰った?」
「貴方を悲しませたくないわ」
滑らかな暖かさの中で生きて来た喜びも憂いも忘れる。常夜灯に映る陰影と彼女の瞳に見とれて。
「いつでもイって……」
「なら……」
奥深く沈める。互いの動きが止まった。幽かな呼吸音が耳もとに聞こえ、彼女に口吻した。窓辺の三日月が静かに灯る。
「愛し合うって何かしら」
「これからのことだよ」
不思議に想う。等価交換が本当なら俺は死んだのか?
まだ温もりのある身体を互いに抱き合う。常夜灯の幻想的な余韻に、僅かな動きを加えて。確かめる様に。
「離れたくないの?」
「まだ果ててない」
意識がある。鼻先の彼女の匂い。覚悟を捧げたはずが、まだ続きがある様だ。
「今夜は記念日ね」
「旧世界の?」
「忘れたの?」
人類が今よりも幸せだった頃。忘れていた。世界が魔法でお伽話に変えられてから。
──数百年。時の流れは緩やかに。まだ俺は生きていた。暗黒の世紀と引き換えに。
「もと人間?」
「忘れた。貴方は?」
「かも知れない」
忘れていた。何もかも。仲間がいた、それよりずっと以前。恋人もいた。今じゃ分からない。何処に行ったかさえ。あの日を境に。
「探してるんでしょ?」
「分かるのか?」
旅人を魔法薬にする魔力。何故か俺は瓶詰めにされなかった。
「似てたから」
「誰に」
「代わりにはなれない……から」
言葉より先に──常夜灯の灯火の様に、彼女の瞳が震えていた。