女神
「おはようございます、五十嵐天さん」
鈴の鳴るような綺麗な声。
耳の心地が良い、聞いていて不快という言葉とは無縁な声。
私はその声に導かれるように目を開いた。
その視界に入ってきたのは、真っ白な服を着て、優しい笑みを浮かべている美しい女の人。
え……?
誰?
というか、ここは……どこ?
さっきまで私は自分の部屋にいたはずなのに……。
あ!時間!
今何時?
シャワーを浴びれる時間あるかな?
急いで体を起こせば、違和感に気付く。
なに、ここ……?
見渡す限り真っ白な空間。
その中にポツンとあるのが、木材でできたような簡易的な机。
人2人ほどがギリギリ使えそうなほど、こじんまりとしたもの。
「五十嵐天さん」
目覚めた時にも聞こえた声がして、ハッとして顔を向ける。
そこにいたのは、自分の目を疑うほどに美しい女性。
……こんなに綺麗な人…初めて見た。
きめ細かく、陶器のように白い肌。
ライトブルーの瞳と腰辺りまで伸びている金色の髪。
目鼻立ちははっきりとしていて、無駄なパーツがまるでない。
そして、この空間に合わせたのか白色のワンピースを着ている彼女は、キラキラと光っているオーラを感じた。
「…あ、あなたは……?」
戸惑いながら口を開けば、目の前の女性はフッと口元を柔らかく緩ませた。
「まぁまぁ、とりあえずこっちで飲み物でもどう?」
私の質問には答えず、彼女は机を指さし、そっちに向かっていく。
動けずにいる私にお構いなしに、彼女はどこからともなくカップを取り出し、てきぱきと手を動かし始めた。
数秒後、フワッと甘い香りが漂い始めた。
…いい匂い。
甘い香りに誘われるように、足が勝手に机の方に向かっていく。
「これ、最近の私のお気に入りの紅茶なの」
目の間に座った私に、にこやかな笑みを浮かべ、カップを差し出してくる彼女。
ドキドキしながらもカップを手にし、ゆっくりと口に運んだ。
その瞬間、口の中に広がる甘い味。
と同時に、スーッと気分が落ち着いてくる。
「…美味しい」
思わず呟いた。
何かの果物かと思ったけど、この味の食料が思い当たらない。
それくらい、今まで感じた事のない味わいだった。
「本当?良かった」
嬉しそうな表情をしながら、彼女もカップに口をつけた。
一口飲んだ後カップを机の上に置いた彼女は、急に真剣な顔をして私を見た。
嬉しそうな表情からの変わりように、ドキッと心臓が跳ねる。
「じゃあ早速本題に入ろうか」
その言葉を聞いた瞬間、自分の置かれている状況にハッとした。
紅茶を飲んだことで落ち着ていて忘れてたけど……。
ここはどこで、目の前の女の人は一体誰なんだろう?
「簡潔に言うとここは、生と死の境目。私は人の生死を見届けている女神」
ポカン…としてしまった。
生と死の境目…?
人の生死を見届けている…?
女神…?
言葉の意味が零から百まで分からなかった。
いや正確には、一つ一つの言葉は理解できたけど、あまりにも非現実的な言葉ばかりで、思考回路が止まってしまった。
「……どうして私は…」
ここにいるんだろうと不思議に思った。
だってさっきまで私は、自分の部屋にいたはず。
あと数時間後には仕事に行くはずだったのに……。
「…あなたは過労で亡くなったの」
時間が止まった。
…ような気がした。
頭の中で女神さまの言葉がグルグルと回る。
……亡くなった……?
死んだ…ってこと?
…過労で…?
頭の中が疑問で埋め尽くされるけど、その原因はすぐに検討がついた。
「まずは、25年間お疲れ様。楽しい人生を送れましたか?」
女神さまの言葉に、頭で考えるよりも先に首を横に振っていた。
25年。
世間的に見たら、あまりにも早い死。
多くの人は社会人としての生活にも慣れて来て、後輩に仕事を教える立場になったり。
仕事を要領よく回せるようになり、プライベートの時間も出来て。
友達と遊んだり、彼氏ができたり、もしかしたら結婚している人もいるかもしれない歳。
でも、私は違う……。
過労になる原因なんて考えなくても思い当たる。
なんだったら、過労になるような原因しかない。
それくらいの人生だった。
私は望まれて生まれてきたわけじゃない。
母親が愛人との間に作って生まれた子。
この時点で私の悲惨な人生は幕を開けていたんだと思う。
愛人は子供が出来たと知るや否や、母親の前から姿を消し、最初は優しかった父親も、血の繋がりが無いと分かった瞬間、私と母親に暴力を振るうようになった。
それまでは優しかった父親が一夜にして、鬼になった瞬間だった。
『お前なんて生まなければ良かった』
耳にタコができるほど聞いた言葉。
母親が口癖のように言っていたセリフ。
そんな母親と父親に耐えながらも、何とか学校には通った。
家ではこんなんだけど、学校では友達が出来ると思っていた。
でも、保育園、小学校、中学、高校と友達は一人も出来なかった。
友達が出来るどころか、何を感じたのかいつの間にか私はいじめの対象になっていた。
小学校低学年の頃までは、友達と上手く関われないというだけで、害と言う害はなかった。
だけど、自我が出て来て、好き嫌いがはっきりし出した頃……。
いじめは始まった。
歳が上がるにつれいじめの内容はだんだんとエスカレートしていった。
全く同じ人にいじめられているわけじゃない。
進学しても、クラスが変わっても……いつもいじめられた。
そんなんだからいつからか、これが私の人生なんだと思うようになった。
そして、高校を卒業して、地道にバイトをして溜めたお金で一人暮らしを始めた。
父親と母親はお荷物がいなくなると、離婚をし、今まで住んでいた家を出て、それぞれ引っ越しって行った。
2人がどこに行ったのかは私は分からない。
連絡先すら知らない……。
でも、2人は私が学生の間は最低限のことはしてくれていた。
実家という普通なら安心感を貰える場所を失ったけど、そこだけは感謝している。
就職先として選んだのは出版社。
大手と言うほどではないが、それなりに知名度のある会社だった。
社会人として自立できれば、何か変わると思っていた。
でも、仕事を押し付けられ、毎日残業。
ミスをすれば全て私の責任。
プライベートでも、付き合った彼氏には騙され返しきれる未来が見えない多額の借金。
こんな人生を歩んできて、25年間生きていただけでも褒めるべきなんだろうな……。
「あなたに私から一つ提案があるのだけど…」
今までの人生を思い返していれば、女神さまがそんなことを言った。
「あなたを異世界に転生させたいのだけど、どうかしら?」
女神さまの言葉に思考が完全に停止した。
…異世界?
転生……?
編集者をしている中で何度か見たことがある言葉。
そんなものは物語の中の話で、現実にあるはずがないと思っていた。
のに……。
「…他に亡くなった人も転生したんですか?」
「いいえ。他の人は天国か地獄送りになったわ。こんな事を言ったのは、あなたが初めて」
私の質問に対しての女神さまの言葉に、さらに困惑する。
他の人も異世界に転生したっていうのならまだ理解できたかもしれないど、私が初めてって……。
「…どうして私なんですか?」
「あなたに幸せになってもらいたいから」
迷いなく言われ、逆に動揺してしまう。
女神さまとは初対面のはずなのに……。
どうしてそんなことを言ってくれるのだろう?
聞きたいことはたくさんあったけど、なかなか口から出てきてはくれなかった……。
「どうしても嫌?」
「…そ、そんなことありません……っ」
不安そうな瞳に見つめられ思わず首を横に振った。
「良かった!じゃあ早速始めるね」
嫌ではないと言ったけど、いいとは一言も……。
え?と思った時には、女神さまが私に向かって右手を広げていた。
その瞬間、目を開けていられないほどの光が私の体を覆いつくした。
え……もう?
「安心して、あっちの世界でも私と話せるようにしておくから」
眩しい光に目元を手で覆ったせいで、女神さまの姿は見えなくなったが、微かに声が聞こえた。
どうやって?とは思ったけど、その言葉を聞いて安心もした。
これから行く世界がどんな場所なのか分からないけど、見知らむ場所に1人なのはあまりにも不安だったから……。
体を包んでいた光は、一層強く光りだし、ピカッという一瞬の閃光の後その場から姿を消した。




