3-2. 蹉跌
その遠いゲームセンターにいつも行くわけにはいかなかったから、手近なところでどうにかできないかと思って、私は記憶を頼りにバッティングセンターに行き、まさに目当てのあのゲームが設置されているのを見つけて、内心で大喜びした。しかしそこでは百円で一回しか遊ばせてくれず、なんて不親切なんだと思った。私はそこで「背に腹は代えられない」という言葉の意味をはっきりと理解し、往復の電車代を考えればこちらの方が遙かに安いのは間違いないのだからと自分を説得して、行く度に一回だけと決めて、そのゲームを遊ぶようになった。もっとも、その頃の私は「遊ぶ」なんていう風には全く思わず、我ながら馬鹿だったんじゃないかと思うほど、真剣だったのだけれど。
そしてある日の放課後に、今日はこれを練習しよう、これをやってみようと百円玉に託すことを思い描いてわくわくしながら自転車をバッティングセンターに走らせてみると、同じクラスの何人かの男の子がそこにいた。そのとき、初めて人との対戦を経験した私は、その男の子たちと、ゲームやその他のことで遊ぶようになった。
そこでは私が一番うまかった。私以外はそれほどその類いの、私が熱中したような形式のゲームに触れている人はいなかったから、それも当然だった。何度か男の子の家で遊んだ、例えば車のレースとか銃で撃ち合う戦争ごっことか双六のようなボードゲームだとかも楽しかった。でも私はいつも、結局自分がどこかで夢中になれず、こういう身近な人と、自分が一番好きなものを一緒にできないことをもどかしく思っていることに気づく。
私はまず男の子に馬鹿正直に自分の希望を提案し、それが受け入れられるまでに苦労したので、私が一番、というか唯一得意なゲームで、できるだけ手加減をすることを覚えた。そんな努力が実ったのか、遊ぶ仲間の男の子たちの何人かは、私の対戦相手になった。一時期にはいつの間にか腕前で追い越され、本気で悔しく思ったのを覚えている。そして、難しいからきっとできない、あるいは理解できないと思っていた情報だとか技術を調べて身に着けようとして、ますますのめり込んでいった。
もっとも私が悔しさを感じたのもごく短い間だけで、要するに、偶然、私が対処できないようなやり方をされたに過ぎなかった。そんなやり方はいくらでもある。だから、最初のが通用しなくなったらまた別の、という風にされれば、私の悔しさも長く続いたかもしれないけれど、そうはならなかった。そこまでしてはくれなかったわけだ。男の子たちにとって一番重要なのはもっと他の、例えば全く私の関心のないサッカーやそのゲームだったりしたのだから。
結局一番決定的だったのは、私が最初に触れたのとは別の、ただし同じ類いのゲームに関する出来事だった。それは有名な漫画を題材にしたもので、当時、インターネットの動画サイトで異様に人気があった。何しろめちゃくちゃなゲームで、きっかけになる攻撃が当たってしまえば、もうそこから連続技が始まり、それで、その一回だけで勝負がついてしまうというものだった。その間、対戦相手は延々と殴られ、蹴られ、宙に浮いたり地面にたたきつけられるてまた跳ね上がったりしている。
私はこういう、つまりは長々とした連続技を使うゲームに魅力を感じてはいなかったけれど、男の子たちがその動画(あるゲームセンターで毎週行われている大会)について話していたし、バッティングセンターに置かれていたそのゲームで遊んでいるのを見て、これなら気を引いて、興味を持ってもらえるのかもしれないと思った。
あのゲームセンターにもそのゲームは置かれていた。そこでこっそりと触れ始め、定額で遊べる時には何時間か練習した。自然と、同じゲームをやっていた人と知り合い、アドバイスをもらった。どういう順番でどのボタンを押し、どうレバーを動かすのかを暗記するために、メモ書きを目の前に置いて頭の中で繰り返し、手だけを動かしてみたりした。そんな馬鹿馬鹿しい努力の甲斐があって、私は遊び仲間に、小技を一回当てれば、もうそれで勝ってしまうという連続技を披露できたのだけれど、以来、男の子たちは、私とその類いのゲームで対戦することは拒むようになってしまったのだった。