(ⅳ)、d、詠唱の文末が終止形の場合〔1〕
これまで何の前置きもなく何度も使っていますが、「終止形」や「已然形」という用語について、簡単に説明をします。
長い文章は複数の文に分けられます。その文もいくつかの単語が組み合わされています〔もちろん「山!」のように一語で一文のものもあります〕。
前に確認したように、単語をグループ分けしたものが品詞〔名詞や形容詞、助動詞など〕です。
その品詞の中には、文中の使われ方によって形が変化するものがあります。この変化のことを「活用」といい、活用のパターンを「活用の種類」〔例、サ行変格活用、カ行上二段活用〕といい、変化した形を「活用形」〔例、未然形、連用形〕といいます。
現在の「活用形」と「活用の種類」は、本居宣長〔1730-1801年〕の子、本居春庭〔1763-1828年〕が『詞の八街』で説明しているものがモデルとなっています。この春庭を採りあげた名著に足立巻一『やちまた』〔1974年〕というものがあるので興味ある方は手にとってみてください。
さて、「動詞・形容詞・形容動詞〔3つをまとめて用言と呼びます〕」と「助動詞」と呼ばれる単語は活用します。
たとえば、「山」という単語は名詞ですが、「やめ」とか「やも」などと活用はしません。「おまえ」が「おめえ」になることはありますが、これも活用とは言いません。
『ドラゴンボール』の孫悟空役の野沢雅子〔1936年~〕による「悟空語」では、「大丈夫か→でぇじょうぶか」「おまえ→おめえ」「すごい→すげえ」と、「ai、ae、oi→ee」となることが多く、おそらく母音融合と呼ばれる現象なのだろうと思います。
さて、一方、「走る」という動詞、「美しい」という形容詞、「静かだ」という形容動詞は、活用します。
なお、動詞は、人や事物の動作を示したり、存在を示します。形容詞と形容動詞は、事物の性質や状態などを示します。
「形容動詞」が日本語教育の時には使用されないことは前に書きましたが〔「な形容詞」と言います〕、そもそもこの名称は「形容詞」の性質を持ちつつも「動詞」の活用のように変化する、という事情から来ています。
国文法〔日本語の文法〕の中でも「形容動詞」を品詞と認めず、「名詞+助動詞『だ』」と考える立場もあります。形容詞と形容動詞は用法に違いはありますが、区別すべきかどうかはまだ議論が続いているようです。
以下は中学生の時に習った口語文法です。知っている人は知っていると思うので、ざっと読み流してください。
〈例文1〉「走る」という動詞
【未然】 あの人は走らない。〔「走ら」〕
私が走ろう。〔「走ろ」〕
【連用】 私が走ります。〔「走り」〕
走ったら負ける。〔「走っ」〕
【連体】 明日走る。〔「走る」〕
【終止】 走る時は全力で。〔「走る」〕
【仮定】 走ればいいよ。〔「走れ」〕
【命令】 走れ。〔「走れ」〕
〈例文2〉「美しい」という形容詞
【未然】 美しかろうが、駄目だ。〔「美しかろ」〕
【連用】 美しかったな。〔「美しかっ」〕
美しくありたい。〔「美しく」〕
【終止】 星が美しい。〔「美しい」〕
【連体】 美しい顔だ。〔「美しい」〕
【仮定】 美しければ良かったのに。〔「美しけれ」〕
【命令】 ○
〈例文3〉「静かだ」という形容動詞
【未然】 ここは静かだろう。〔「静かだろ」〕
【連用】 もっと静かだったらよかった。〔「静かだっ」〕
静かで暗い部屋だ。〔「静かで」〕
静かに話してください。〔「静かに」〕
【終止】 ここは静かだ。〔「静かだ」〕
【連体】 静かな部屋に案内された。〔「静かな」〕
【仮定】 静かならばどこでもいい。〔「静かなら」〕
【命令】 ○
しばしば活用表に〔 〕があったり、○〔特に助動詞の場合〕があったりするのは、その言葉を○○形と認めるかどうかという立場の違い、または文献上確認できていないものです。上述の例を見るとわかるように、形容詞と形容動詞には命令形がありません。「なく・なれ」「静かに・しろ」のように、動詞の命令形とセットにしなければなりません。
次は文語文です。忘れている方は下の資料をざっと眺めて思い出してみてください。
〈動詞〉 未然形/連用形/終止形/連体形/已然形/命令形
■四段活用〔書く、待つ、読む、など〕
語幹 a/i/u/u/e/e
■上二段活用〔起く、過ぐ、恥づ、など〕
語幹 i/i/u/uる/uれ/iよ
■下二段活用〔与ふ、明く、捨つ、など〕
語幹 e/e/u/uる/uれ/eよ
■上一段活用〔見る、着る、似る、ゐる、など〕
語幹 i/i/iる/iる/iれ/iよ
■下一段活用〔蹴る〕
語幹 e/e/eる/eる/eれ/eよ
■カ行変格活用〔来、出で来〕
語幹 こ/き/く/くる/くれ/こ
■サ行変格活用〔す、おはす〕
語幹 せ/し/す/する/すれ/せよ
■ナ行変格活用〔往ぬ、死ぬ〕
語幹 な/に/ぬ/ぬる/ぬれ/ね
■ラ行変格活用〔あり、をり、侍り、など〕
語幹 ら/り/り/る/れ/れ
〈形容詞〉 未然形/連用形/終止形/連体形/已然形/命令形
■ク活用〔憂し、難し、少なし、つらし、よし、など〕
語幹 〔く〕・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ
■シク活用〔美し、あさまし、いやし、をかし、など〕
語幹 〔しく〕・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ
〈形容動詞〉 未然形/連用形/終止形/連体形/已然形/命令形
■ナリ活用〔静かなり、あはれなり、あからさまなり、など〕
語幹 なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ
■タリ活用〔堂々たり、満々たり、など〕
語幹 たら/たり・と/たり/たる/たれ/たれ
さて、寄り道をしましたが、文末が終止形の場合を見ていきます。
次の【引用1】は「仰ぐ」〔動詞〕、【引用2】は「断つ」〔動詞〕、【引用3】は「あり」〔動詞〕、【引用4】は「無し」〔形容詞〕の終止形の例です。
【引用1】FFT〔1997年〕・召喚士・ラムウ
森羅万象の翁 汝の審判を仰ぐ!
ラムウ!
【引用2】FFT・聖剣技「北斗骨砕打」
死兆の星の七つの影の 経路を断つ! 北斗骨砕打!
【引用2】は「の」を意識的に増やしているように見えます。『百人一首』にも採られている柿本人麻呂〔660-724年〕の歌「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」が思い出されます。あるいは坂口安吾の『桜の森の満開の下』もこれに似たものがあるのかもしれません。
ところで、日常生活の中では動詞の終止形で文を終えることは案外少ないかもしれません。
多くは助詞や助動詞で文が終わることが多いのではないでしょうか? 「~しよう」「~です・ます」「~た」「~よね」「~の」「~かも」のようにです。
なお、「昨日、走る。」とは言えませんが、「明日、走る。」と言うことはできます。「今日、走る。」も言うことができます。現代語では動詞の終止形は未来のことを示せるわけです。つまり、終止形で終えると「〔未来に〕~する」という意味が備わっています。角度を変えれば、終止形は現在を示していると言えないとも考えられます〔『ONE PIECE』のルフィの有名な台詞「海賊王におれはなる」はどう分析できるか考えてもいいでしょう〕。
したがって、【引用1・2】は「仰ぐ」を「仰がん」、「断つ」を「断たん」という形にしなくてもいいわけですし、してもいいわけです。ただし、厳密にいえば、「ん」は意志「~しよう」、推量「~だろう」であって、単純に未来を示しているというわけではありません〔モダリティと言います〕。
一方、「白い」「大きい」などの形容詞や「静かだ」「わずかだ」などの形容動詞、そして「ある〔あり〕」「いる」などの一部の動詞は、「現在」の「状態」を示しています。
「ある」や「いる」という動詞に状態を示す「~ている」を付けることができないのは、すぐにわかるでしょう。逆に、「走る」に「~ている」を付けて、「走っている」となり、それが現在の状態を示していることもすぐに了解できるはずです。
「走る/走った」のように観測時から見て、以前か以後かによって選び取られる表現形式をテンス〔時制〕と言い、「走り始める/走っている/走り終わる」のように動作のどのような局面かによって選び取られる表現形式をアスペクトと言います。
通常、古典文法では「完了」〔つ・ぬ・たり・り〕がこのアスペクトに相当します。「過去」〔き・けり〕がテンスです。これらが融合したのが今使っている「た」です。
詠唱文に直接関わってこないので今のところ詳しく採りあげる予定はありませんが、テンス表現である過去の助動詞「き」を使用した「選ばれし勇者」は、「過去のある時に選ばれた勇者ではあるが今はそうではないかもしれない」という響きがあるので、伝統的な古典文法に従えばアスペクト表現にして「選ばれたる勇者」とする方がいいように思います。
これまで引用してきた詠唱文にも「~し○○」というのがありましたが、そういう観点から詠唱文を見つめてみるのもいいかもしれません。
さて、【引用3】は「ある〔あり〕」の例です。
【引用3】テイルズ オブシリーズ「インディグネイション」
天光満つる処に我は在り。
黄泉の門開く処に汝在り。
出でよ、神の雷 インディグネイション
何度か採りあげてますが、テイルズ オブシリーズの詠唱も根強い人気があります。この詠唱文は作品によって若干言葉が異なるところがあります。
すぐにわかることとしては対句表現があります。「天光⇔黄泉の門」「我⇔汝」という語の対応と、「~処に~在り」という文の骨格が共通しています。
また、「満つる」は文語の動詞「満つ」のタ行上二段活用の動詞の連体形です。仮に口語にすると「満ちるところ」です。気づきにくいですが、「在り」は文語の活用の種類です。したがって、この詠唱の用言はすべて文語の活用の種類です
次は形容詞の終止形の例です。
【引用4】『BLEACH』有昭田鉢玄・縛道七十五・五柱鉄貫
鉄砂の壁
僧形の塔
灼鉄熒熒
湛然として終に音無し
縛道の七十五!! 五柱鉄貫
久保帯人『BLEACH』〔全74巻、2001-2016年〕は、説明するまでもないくらい知名度が高いかと思います。死神代行になった主人公が敵と戦っていく物語です。戦いの際に鬼道と呼ばれる霊術を用います。
【引用4】では、(ⅱ)文末が名詞で終わる場合にも述べたように、名詞を並べ立てていく工夫が見られます。その後、「終に音無し」と静かに締められます。
『BLEACH』の他の詠唱でも名詞を並べる手法が多いのが特徴です。まだ詳しく分析できていませんが、拍も意識しているのかなと思われます。
文末の終止形は、用言単体よりも推量や意志の助動詞「ん」のものが多く見られます。「ん」は未然形につながる助動詞です。
助動詞「ん」の例を挙げます。
【引用5】『タクティクスオウガ 運命の輪』暗黒魔法「ドレインマインド」
我、血に飢えし獣の如く、汝の内より魔の力をすすらん…!
「すすらん」の「ん」は、未然形〔「すする」の未然形「すすら」〕につながって、推量や意志などの意味を示します。ここでは「〔お前の身体の中から〕魔の力を啜ってやろう」という「意志」の意味でしょう。この「意志」の場合は通常主語は「私」ないし一人称です。
倒置法により、「我、汝の内より魔の力をすすらん、血に飢えし獣の如く。」のようにもできますが、「~のごとく。」にする場合は短い言葉の方が引き締まるように感じられます。このあたりは好みもあろうかと思います。
【引用6】FFT・真言「金剛七剣」
暗雲に消ゆる来光を雷電に束ね、金剛光の息吹とならん! 金剛七剣!
「ならん」は動詞「なる」に助動詞「ん(む)」がくっついた表現です。「ならん」には他に断定の助動詞「なり」に助動詞「ん」がくっついたものもあります。
直前に「と」があるので、「なら」の正体は動詞の未然形です。「と」は助詞ですが、ここでは「変化の結果」を示す言葉です。
「ん」の意味は「来光を雷電にまとめて、それは金剛光〔菩薩〕の息吹となるだろう〔そしてお前を倒す〕」と、推量「~だろう」だと思います。
意味的には「~となれ!」のように命令形にしてもいいところだと思います。
なお、「金剛杵」は密教で使用される重要な法具であり、古代インドのバラモン教の聖典の一つ『リグ・ヴェーダ』の中のインドラ神が持っていたものだとされています。「雷」をかたどったものだとも言いますので、詠唱に「雷電」という言葉があるのでしょう。
「消ゆる」はヤ行下二段活用「消ゆ」の連体形です。口語では「消える来光」となりますが「消ゆる来光」の方が雰囲気が出るでしょう。
少し長くなったので、続きは次回に回します。
基本的に初めて引用する作品には少しばかりの解説を加えているため、長くなってしまいます。煩瑣だなと思うかもしれませんが、こういう講座であることもご了承ください。