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中二病にかかった人のための詠唱文分析と作成の予備講座  作者: 白バリン
1,文の終わりの表現に注目する
3/10

(ⅱ) a、詠唱の文末が名詞の場合

 前回引用した校歌に、私なりに句読点を付し、改行します。



 ここ南海の神撫台(しんぶだい)古代人(いにしえびと)(あと)(きよ)く、尊女(みおや)遺志(みむね)継承(うけつ)ぎて、創建(たて)真理(しんり)(のり)の城。

 (あかね)いろ()(ゆる)ぎなく、

 (そび)えたるこそ(ほこ)りなれ。

 (とわ)栄光(はえ)あれ、智辯学園。

 おお吾等(われら)が和歌山高校。


 

 歌詞〔韻文(いんぶん)〕を散文(さんぶん)に処理をしました。

 句読点のない詩歌に句読点を付すのは効果的です。少なくともどこで文が切れるのかがわかり、それが文法の規則に従っていることを明示することにもなるからです。

 歌詞も詠唱文も文である以上、文法的な制約があるとみなすのが普通です。そうでなければ、読者は理解することも共感することもできません。

 一方、あえて文法的には変だと思わせて意外性をもたらせることもあります。「破格」と呼ばれます〔破格表現はいずれ例を追加予定〕。


 句点(。)の前の言葉は、「城」「誇りなれ」「智辯学園」「和歌山高校」です(あるいは「神撫台」のあとは読点ではなく句点の方がいいかもしれません)。

 一番多い文末は、「城」「智辯学園」「和歌山高校」という「名詞(めいし)」です。


 これから先、句点(。)だけではなく、読点(、)のところでも、「文末」として処理しています。ただ、上記の「聖く」「揺ぎなく」のような読点(、)は「文末」として処理をしていません。句点か読点か、どちらか悩ましい場合にそういう処理をしています。

 

【引用1】名詞の定義〔『日本語文法がわかる事典』276頁〕


 品詞名の一つ。自立語で活用がなく、単独で主語となることができる。人や事物の名称を表す。



 「単独で主語となる」とは、主語を示す格助詞「が」を用いて「○○が」と言えるということです。「私が……」「学校が……」と言えるので、「私」と「学校」は名詞です。なお、名詞のことを「体言(たいげん)」とも呼びます。

 「走るが……」「ないは……」とは言えないので、「走る」と「ない」は名詞ではありません。

 ただし、例外もあります。「『走る』が動詞で、『ない』が形容詞だ」という文は成り立っています。言語を対象に語る時の言葉を「メタ言語」と言い、この場合には主語になっています。


 ところで、「は」は主語を示す格助詞ではなく、主題・題目を明示する助詞です。

 「僕はウナギだ」という有名な文があり、これは主語を示しているわけではなく、「僕について言えば、ウナギだ」という意味であり、定食屋で注文する時に発話される文です。他にも「象は鼻が長い」「コンニャクは太らない」が有名です。古典でいえば、『枕草子』の冒頭「春はあけぼの」が例に挙げられます。


 さて、「品詞(ひんし)」とは、単語をその働きや形から分類したものであり、「名詞〔代名詞〕・動詞・形容詞・形容動詞・副詞・連体詞・接続詞・感動詞・助動詞・助詞」の10種類あります〔代名詞を名詞と分けると11種類です〕。

 品詞は言語や考え方によって異なります。

 たとえば、英語には形容動詞という品詞はありませんし、日本語教育の世界では形容動詞は「ナ形容詞(な・けいようし)」、つまり形容詞として教え、通常の形容詞は「イ形容詞(い・けいようし)」として教えています。


 文とは何らかの意味やメッセージ性を持つものですが、一単語でも文になり得ます。山を見て「山!」というのは文です。

 名詞は文末に来ることができます〔「名詞述語文」という言い方もあります〕。

 詠唱文においては、名詞を文末にすると歯切れが良くなったり、適度な余韻を感じさせたり、名詞を重ねて用いてたたみかけていく表現効果がしばしば見られます。


 次に引用するのは1999年にエニックス〔現スクウェア・エニックス〕が販売した『ヴァルキリープロファイル』というゲームです。

 主人公レナスが地上に降りて死者〔エインフェリア〕の魂を天界に送り届けて、戦をするという内容です。

 このゲームの大魔法の詠唱文も有名で、一つの詠唱文を何人もの声優が吹き込んでおり、詠唱文の言葉も微妙に異なっています〔YouTubeに動画があります〕。



【引用2】『ヴァルキリープロファイル』〔1999年〕大魔法「イフリートキャレス」


 (われ)()がれ、(いざな)うは焦熱(しゃくねつ)への儀式(ぎしき)

 ()(ささ)げるは炎帝(えんてい)抱擁(ほうよう)

 イフリートキャレス



 「儀式」の後は読点(、)でもよい気がしますがここでは句点にします。

 「儀式」「抱擁」のように名詞で終わっています。また、「~は~の~。」という対句表現もあります。

 「其」を「それ」ではなく「そ」という読み方にするとぐっと詠唱らしさに近づきます。「それに〔捧げるは〕」という3字よりは「そに〔捧げるは〕」という2字の方がよいでしょう。

 『ヴァルキリープロファイル』から名詞で終わる詠唱文の他の例を挙げておきます。



【引用3】『ヴァルキリープロファイル』大魔法「カラミティブラスト」


 奉霊(ほうれい)(とき)(きた)りて()(つど)う、(ちん)眷属(けんぞく)

 幾千(いくせん)(はな)漆黒(しっこく)(ほのお)

 カラミティブラスト



【引用4】『ヴァルキリープロファイル』大魔法「ブルーティッシュボルト」


 (てん)風琴(ふうきん)(かな)(なが)()ちるその旋律(せんりつ)

 凄惨(せいさん)にして蒼古(そうこ)なる(いかずち)

 ブルーティッシュボルト



 ところで、声優はどういう意識をもって声を吹き込んでいるものなのでしょうか。

 『ヴァルキリープロファイル』シリーズでレザード・ヴァレス役をした子安武人こやすたけひと〔1967年~〕のインタビュー記事があります。



【引用5】『ヴァルキリープロファイル2―シルメリア― 公式コンプリートガイド』〔2006年、629-630頁〕


――戦闘ボイスの収録はいかがでしたか?

子安 戦闘ボイスは楽しかったですね。レザードの戦闘ボイスは、すごく好きなんですよ。大魔法を撃つときの長い呪文もそうですけど、それ以外のセリフもすごい好きです。実はあの魔法のセリフは少しこだわりがあって、大魔法じゃない普通の魔法は、もうどうでもいい、ぐらいの気持ちで言うようにしているんです。もうめんどくさい、本当は言いたくない、ぐらいの扱いでやってます。レザードぐらいものすごい人なら、力を入れなくてもあれくらいの魔法は出ちゃうと思うので。

 〔中略〕

――大魔法の詠唱は本当に力が入っていました。

子安 あそこは力入れてます。ファンのなかには詠唱がかっこいいって言ってくれてる人がけっこう多いので、力を入れさせていただきました。



 ついでに子安武人が演じ、またレザード役に近い人物〔闇を抱えたメガネキャラ〕の詠唱を、『テイルズ オブ ジ アビス』〔2005年〕から一つ挙げておきます。『テイルズ オブ ジ アビス』はシリーズのファンの中でも人気のある作品の一つです〔ちょっと暗いけど〕。


【引用6】『テイルズ オブ ジ アビス』ジェイド・カーティス「ミスティック・ケージ」


 旋律(せんりつ)(いまし)めよ、死霊使い(ネクロマンサー)の名のもとに具現(ぐげん)せよ。

 ミスティック・ケージ! 

 力というものを、思い知りなさい。



 詠唱後に「力というものを、思い知りなさい」のように一言添えるのも詠唱ではよく見られることです。

 テイルズ オブシリーズで有名な詠唱、「天光(てんこう)満つる(ところ)に我は在り……」で始まる「インディグネイション」を、『テイルズ オブ ジ アビス』のジェイドは詠唱しますが、「中の人」つながりで『ケロロ軍曹』〔漫画:1999年~、アニメ:2004-2011年〕のクルル曹長が詠唱する『ケロロRPG 騎士と武者と伝説の海賊』〔2010年〕というものもあります。アニメ版の『ケロロ軍曹』にはこのようなパロディネタが多いですね。


 次の引用は『Fate/Grand Order』〔フェイト・グランドオーダー〕です。みなさんの中にはスマホで遊んでいる人もいるかもしれません。

 『Fate』シリーズは2004年からビジュアルノベルのゲームとして発売されて、様々に展開してきました。

 説明が難しいのですが、とりあえず「サーヴァント」と呼ばれる英霊(えいれい)宝具(ほうぐ)を使用する際に詠唱してます。数が多いので分析も容易ではありませんが、これからもいくつか採りあげていきます。

 なお、『FGO』からの引用については「FGO攻略Wiki」の「宝具のセリフ一覧」から選び、YouTubeに挙げられている動画を確認して引用しています。


【引用7】『FGO』・アサシン・百貌(ひゃくぼう)のハサン・「妄想幻像(ザバーニーヤ)


 我ら群にして個、個にして群。百の(かお)持つ千変万化(せんぺんばんか)の影の群。

 いざ! 『妄想幻像(ザバーニーヤ)』!!



 すぐにわかることは、「~群。~群。」と(いん)を踏んでいます。

 また、「群にして個、個にして群」のように「ABBA」となる表現を「倒置反復法(とうちはんぷくほう)」と言うことがあります。

 漫画『(はがね)錬金術師(れんきんじゅつし)』〔2001~2010年〕の「一は全、全は一。」やゲーム『女神異聞録(めがみいぶんろく)ペルソナ』〔1996年〕の「(われ)(なんじ)、汝は我。」が有名です。


 韓愈(かんゆ)〔768~824年〕という唐代の文人の「雑説(ざっせつ)」と呼ばれる文章に「世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。」〔世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。〕とあります。

 1文目の最後と2文目の最初の「千里馬」が鎖のようにつながっています。こういうのは書き下し文で読むとわからなくなってしまいます。


   a      b   b     a

 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。


 なお、「伯楽(はくらく)」とは「馬を鑑定する名人」のことでしたが、「人物の眼力に優れた人」として今は使用されています。今の時代には「伯楽」や「千里馬」はいるのでしょうか?


 さて、【引用6】に戻ります。

 ここでは「個」→「群」→「百」→「千〔変〕」→「万〔化〕」となっており、面白い表現です。

 なお、仮に「~にして個、個にして群。群にして~国。国にして~世界。世界にして……」のように前の文の末尾の言葉を受けて、その言葉を使って大きくなりながら次につなげていく「漸層法(ぜんそうほう)」という表現もあります〔「連鎖法(れんさほう)」「承逓法(しょうていほう)」なども参照〕。

 中国の古典『孟子』の冒頭近くに、次のような表現があります。


【引用8】『孟子』「梁恵王章句上」〔宇野精一『孟子全訳注』9頁〕


 万乗之国、弑其君者、必千乗家。千乗之国、弑其君者、必百乗之家。万取千焉、千取百焉、不為不多矣。


 万乗(ばんじょう)の国、()(きみ)(しい)する者は、必ず千乗(せんじょう)の家なり。千乗の国、其の君を弑する者は、必ず百乗(ひゃくじょう)の家なり。(まん)(せん)を取り、(せん)(ひゃく)を取る、多からずと()さず。


 そもそも万乗の国において、その君を弑するような者は、必ず千乗の領地を持つ大夫(たいふ)であり、千乗の国においてその君を弑するような者は、必ず百乗の領地を持つ大夫であるに相違ありません。万の中から千を取り、千の中から百を取るなら、臣下の(ろく)としてけっして多くないとはいえません。



 「一→十→百→千→万」や「万→千→百」のように数値だけではありません。

 「漸層法(ぜんそうほう)」の例を古典から引用します。


【引用9】本居宣長(もとおりのりなが)〔1730-1801年〕『玉勝間(たまかつま)


 うまき物()はまほしく、よき(きぬ)着まほしく、よき家に住ままほしく、宝得まほしく、人に(たふと)まれまほしく、命長からまほしくするは、みな人の真心なり。



 また、ことわざに「()えば()て立てば(あゆ)めの親心(おやごころ)」という川柳がありますが、子の成長を「這う」「立つ」「歩む」という段階に分けていることがわかります。

 この「漸層法(ぜんそうほう)」を小説の表現に取り入れるとすれば、「彼は来なかった。」という文は、「一日経った。三日経った。それから五日、十日、一ヶ月経った。だが、彼は来なかった。」のようになります。


 読み手や聞き手に効果的に伝える表現の工夫や修辞技法のことを「レトリック」と呼びます。体言止め、倒置法、繰り返し〔リフレイン〕、比喩表現などはレトリックです。

 読者は小説の内容やテーマやキャラクターの性格や台詞(せりふ)、物語の世界だけではなく、作り手の生み出したレトリックにも魅了されているのです。

 「作者〔書き手〕の文体」というものが他の作者とは異なる感じに受けるのは、多くはこのようなレトリック表現にあるのだろうと思われます。

 このレトリックについては今後まとめて詳述する予定です。


 さて、何かが段を積み重ねていくように増えていく、あるいは逆に減っていくとその際限はどこまであるといえるのでしょうか。視点で考えると、クローズアップしていく、あるいは逆にしていくと、どうなるのでしょうか?

 これを平易な言葉を用いて詩で表現したのが金子みすゞの「蜂と神さま」です。


【引用10】金子みすゞ〔1903-1930年〕「蜂と神さま」


 蜂はお花のなかに、

 お花はお庭のなかに、

 お庭は土塀どべいのなかに、

 土塀は町のなかに、

 町は日本のなかに、

 日本は世界のなかに、

 世界は神さまのなかに。


 さうして、さうして、神さまは、

 小ちやな蜂のなかに。



【引用11】FFT・侍「清盛」


 慈悲(じひ)あれば許し(たも)うは剣の心 悪を裁くは無心の剣! 清盛!


〈句読点・改行の処理〉


 慈悲あれば、許し給うは剣の心。

 悪を裁くは無心の剣! 

 清盛!



 これは「剣の心」の後は句点ではなく、読点でもよいかもしれません。

 「許し給うは剣の心。悪を裁くは無心の剣!」の2文は「~はAのB」のように、対句表現にもなっていますし、「剣の心」と「〔無〕心の剣」は言葉が交差しており〔「AのB、BのA」〕、視覚的にも面白いものになっています。

 これは2つの文があってこそ成り立つ表現ともいえるでしょう。「数学は感性の音楽、音楽は理性の数学」という言い方もあります。

 FFTには音声がないので正確な読み方はわかりませんが、(はく)を考えるとおそらく「剣」は「ケン」ではなく「つるぎ」という読み方だろうと思います。

 声に出して違いを確認してみてください。


 慈悲あれば〔5〕

 許し給うは〔7〕

 (つるぎ)(こころ)〔7〕

 悪を裁くは〔7〕

 無心(むしん)(つるぎ)!〔7〕


 あるいは、「(つるぎ)(こころ)」の後は、「無心(むしん)(けん)」〔6〕とするのもアリ寄りのアリだと思います。

 「(けん)」で一旦そこで区切れる印象を受けますし、「〔無〕(しん)」と「(けん)」の「ん」の音の関連もありそうです。


 今回は文末が名詞になる場合を見てきました。

 次回は(ⅲ)、詠唱の文末が助詞、命令形の場合を見ていきます。


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