第2話 神の苦悩
アーデンはふわふわと浮遊しているような感覚にその身を委ねていた。
彼の思惑通り、意識を失い、目を覚ませば新たな生を受けているような事にはならなかった。
世界の理の一部となって最後の世界を守り続けていく……
数百年が経過した。
世界は豊かに成長している。
その代わり、人間同士の小競り合いは増えている。
紛争も起き始めていたが、魂を穢されるようなこともないし、それぞれに正義があった……
さらに数百年がすぎると、人間はそれぞれ大きな国を作り、小さな国を飲み込んで力をつけていく。
そして、大国同士がぶつかりあい、多くの弱い人間が犠牲となる。
しかし、アーデンはその様を見ていることしか出来ない。
以前のように救うことは……出来ないのだ。
更に時が流れ、人々は大地を、空を汚し始めた。
多くの数の人間を養うために、他の生命を増やし食らう。
人間同士、殺し合い、騙し合い、憎しみ合った。
しかし、愛し合い、助け合う人々も確かにいた……
人々は禁忌に手を出してきた。
自らの命を永遠のものとするために、様々な生命を好き放題に弄り回した。
そして、世界の理に触れ、その理を自らの物にしようとした。
アーデンを組み込んだ理を、人間は自らの手で破壊し、自らの物にしようとした。
それが、何を意味するか、理解することもなく……
ついに、理が破壊された。
アーデンの意識はすでに悲しみ、哀しみに満たされ、自ら殻の深くに閉じこもっていた。
しかし、自らを含む理の破壊によって、世界の状況を見せつけられた。
人々は、自分本位で、他者のことを思いやる気持ちをすっかり失ってしまった。
大地は汚れ、空気も乱れ、海は腐臭を放っている。
身を守るからに閉じこもった人間が、最後の頼みと壊したアーデンの組み上げた理。
封じた魔なる者が再び生を紡ぐのに、さほど時間がかからなかった。
悪魔。
新たに現れた存在はそう呼ばれた。
しかし、アーデンからすれば人間こそが、悪に見えた。
悪魔も呆れるほどに荒れ果てた世界……
彼の尊厳は何もかも失われてしまった……
『ごめんね、もう、見なくていいよ……』
彼の心が、本当に滅びるその寸前、彼の耳に言葉が届く。
もう、声を聞くこともないはずの彼の耳に、たしかに言葉が聞こえた。
次の瞬間、彼の目の前で繰り広げられた惨劇は全て消え失せ、アーデンはふわふわと心地よい感覚に包み込まれていた。
『……すまない……いくら謝っても、許されることではない……』
アーデンの姿は光に包まれ、自分自身もよく理解できなかったが、目の前に同じような光の集合体が現れたことは感じた。
『弟子の不始末を取るのは師匠の役目だ……』
何者かが手をかざすと、場面は一転する。
周囲を見渡すと、上品な作りの小部屋、部屋の中央には真っ白な椅子とテーブル、そこにはいい香りを放つ紅茶が2つ乗っている。
アーデンは気がつけば、若き日の姿を取り戻していた。
まるで聖職者のような白いローブを身にまとっている。
『座ってくれ、少し話をしよう』
アーデンが自らの体の変化に驚いていると、声をかけられる。
再びテーブルに目をやると、向かい側の椅子に人が腰掛けている。
男性、なんだろうが、女性的でもある。
一言に言って美しい存在。
落ち着いた中年のようにも見えるし、若々しい青年にも見える。
まるで印象が炎のように揺らいでいる。
「こ、ここは……」
アーデンは、自分の口が言葉を発したことに、自分自身で驚いてしまう。
そして、言われるがままに椅子に座る。
紅茶を口にすると、素晴らしい香りが鼻孔を抜けていき、暖かくホッとさせる味わいに、冷静さを取り戻していく。
『私は……そうだな、言ってみれば神だ』
「神……」
そういう存在がいることは、確信していた。
『君は、この世界の真理に触れているからわかっていると思うがね』
「はい……」
『まずは謝罪をせねばならん、我が弟子……だった男が君に課した運命はあまりにも過酷……』
「弟子ですか……」
『やつはこの世界の神から降りた……いくつもの世界を放り投げてな』
怒りと哀しみに悲しみを足したような表情で、神は語った。
『世界は美しい、しかし、その美しさは、儚いからこそ美しいのだ。
良いことばかりではない、悪いことだって起こる。
だからこそ、魅力的だ。
しかし、あやつは苦難から目を逸した……
そして……お主に押し付けた……』
「……」
アーデンは口を開くこともなく、静かに紅茶を口に含み、その味わいに身を委ねていた。
『あまつさえお主を縛り付けて、面倒事は押し付け、不条理が起きれば次の世界を作る……
同じ神として理解し難い……色々な神がいるとはいえ、私も色々と世話をしてきた責任がある。
完全に破棄すると聞いて、責任を持って引き受けることになった』
「神は、たくさんいらっしゃるんですか?」
『私の愛する世界の神は……少しづつ減っておるな。
先程も話した通り、どちらかといえば思い通りに行かない世界を愛する変わり者の神でないと、離れてしまうのだよ。最近は何でも自分の思い通りになるようななんというか、雅でないと言うか、いかにも簡単な薄っぺらいと言うか、そういった誰でも簡単思い通りの世界を作れます! みたいな安易な世界が人気になっている。いや、わかるんだよ、そりゃ何の苦労もなく綺麗なだけな自分の作りたい世界が作れるならその方が楽しいかもしれない。でも本当に嬉しいのは思い通りに行かないことが一生懸命調整を繰り返すことで、奇跡にも似た輝きを見せた時、そこに想像もしていなかった美しさを見つけたときにすべての苦労が報われるような快感がこう、体の底から、いや、魂の奥底から湧き上がってくると言うか、その瞬間を味わうために、その前提である辛く長い我慢時を必死に乗り越えるという楽しみが、最近の神はわかっておらん!!』
「……はぁ……」
『おほん……。
何にせよ、私は放棄された世界を、きちんと形にして自立させる責任がある。
そして、今まで君に与えられていた役目に報いるお礼をしたいと思っている』
「……お礼?」
『ああ、君に与えられた役目から開放し、一つの生命として人としての生涯を与えるつもりだ。
もちろん、君が積み上げてきた能力はそのままだ。
そうすれば余程のことがなければ、豊かな人生を贈ることが出来る。
記憶は……君に任せる。
今後も記憶を残して輪廻を繰り返すことも出来るし、普通の生命と同じ様に、素質として能力を残してまっさらな魂として生きても良い』
「記憶は、消してください!」
『すまんな……、実態としての肉体がない状態で謝罪も、卑怯だな……
たぶん、感情も大きく動かないだろうし、しかし、世界に生まれた後は大きな手助けも出来ぬ。
こんな形でしか謝罪できないことを、申し訳なく思う』
「人として、再び生きることが出来るのならば、私は十分です。
一人の人間として、普通に、一生涯を生き抜きたいと思います」
『ありがとう……ならば君の出生に、生まれる場所、立場、世界に私は手を加えない。
全てがそうなると大いなる存在が決めてくれるだろう……
どうか、君の人としての生に幸多からんことを……』
こうして、アーデンは普通の世界に新たな人間として、生命を得ることになった……
毎週日曜18時に投稿するつもりです。