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「財布が薄い」
俺は財布を眼前に掲げて、其の薄さを嘆いた。
「まるで、昨日いった麺屋のチャーシューだ」
「どんまい。二つの意味で」
車の中で俺の肩を叩いて嘲笑する彼女は、シートベルトを外して背筋を大きく伸ばした。
場所は病院の駐車場。見舞う相手が入院している病院だ。待ち合わせ時刻の五分前だが、丁度よい塩梅だろう。
「大食らいめ……」
捨て台詞を吐いて、俺は愛車を降りる。美羽も鼻で笑った後、車を降りた。
「瑠璃くんも、財布のヒモを買い換えた方がいいんじゃない?」
本日、まだ一度も開いていない鞄を両手に携えて、彼女は嫌らしく微笑む。其の毒で潤った口さえ閉じていれば、彼氏の一人や二人、容易く射止められるだろうに……。
「勿体ない奴だよ。本当に……」
「なにさ」
口を尖らせて、此方を睨み付ける美羽。俺は、「さあな」と、言葉を濁して、病院の入り口に向かった。
数台の車が停車するロータリーを抜けて、煉瓦が敷かれた病院の出入り口を潜り抜ける。然うして、リノリウムを踏んで立ち入る待合室は、沢山の人で賑わっていた。
「混んでる」
美羽の言葉に、「然うだな」と、俺は相槌を打つ。次いで、周囲を見渡して、見慣れた野郎の姿を探す。
病院の待合室で集合する約束だが、奴等の姿は……。
「あ。いた」
美羽の方に振り返って、彼女の視線の先を辿れば、確かに居た。
見慣れた二人の姿だった。
だが、彼等が此方に気付く素振りは無い。二人で仲良く談笑している様子が、此処からでも分かる。
「行こうか」
大声で彼等を呼べる状況に非ず、此方から出向いた方が手っ取り早かろう。
斯くして、俺が先頭に立って前を行けば、彼女は其の背に隠れる様に付いて来る。其処は昔から変わらないな。彼女は人との会話が、少し苦手だった。
例え其れが、長い年月を共に過ごした友人であっても……。
彼等との距離は二十米。十米。然うして、五米の距離まで近付いた所で、漸く野郎が俺等の存在に気が付いた。
「瑠璃!」
「おお。うるせえな」
此処が病院だと分かっているのだろうか。大袈裟に手を降って、此方に駆け寄る野郎の姿を見て、俺は眉を顰めた。
「遅いじゃないか!」
「出会い頭に、遅いと文句を吐くのが流行っているのか」
今朝方、美羽にも言われたが、俺は別に遅くは無い。お前等が早いのだ。
「瑠璃くん。美羽ちゃん。おはようです」
「おお。お早う」
「おはよ」
騒音を撒き散らす野郎の後に続いて、マイペースで歩いて来た娘は、丁寧に辞儀を呉れた。
安曇。何時でも陽気な性格で、如何なる状況でも能天気に振る舞う野郎だ。動ける公害の様な野郎だが、何故か憎めない。不思議な魅力を振り撒く友人だ。
然うして、安曇とは相反する様に静かな由紀。何時も安曇に連れられて行動している娘だ。本当に掴み所が無い娘で、幼少から一緒に過ごしている俺等にさえ敬語を使う。敬語以外だと話し難いらしいが、未だに其の真相は分からない。
「と、まあ。全員が揃った訳だが……」
俺は意味も無く三者を見回して、一息ついた。
「面会の受付は由紀が済ませたぜ」
「まじか」
由紀を見れば、此方を見据えて二本指を立てていた。
「じゃあ。此の儘、奴の病室に行って良いのか」
「505号室だったか?」
再び二本指を立てる由紀。安曇は、「よし」と、勢い良く手を打ち鳴らした。
「善は急げだ!」
然うして、軽快に階段の方へ駆けていった。
「何が善なのか。然も、階段で五階まで登るのか」
だが、俺の疑問など意に介さず、彼は階段の前に立って、此方に向かって手を招いた。
慣れて仕舞った自分が怖いが、慣れて仕舞ったものは仕方が無い。
「行こうか」
「そうですね」
由紀の声。然うして、背後に隠れる様に潜んでいた美羽を見返して、「ほら」と、俺は彼女を誘った。
「ばーか」
何故か頂戴した罵声を背に浴びて、此方に向かって手を振る安曇の方に歩を進めた。