4. その心、躊躇いもなく ~買い食い~
「むほーっ!」
ようやくヨロの建物――通称がヨロ館なのである――から出ることができたジェノは、その光景に思わず歓喜の声を上げた。見た目の雰囲気は、ファンタジーのお約束で想像していた、中世ヨーロッパ風というよりは砂漠のオアシスの様だった。
建物は砂色のコンクリートのようなもので壁が補強され、その形はてんでバラバラ。かろうじて四角形の形が多い共通点があるか。そしてメインストリートの両脇は布の屋根の出店で占拠されている。
活気のいい声があちこちから聞こえてくるし、人の行き交いもまた多い。ヨロ館の中でよく見られる戦士じみた格好の者が店先の商品を手に取り、何かしら商談をしている姿がよく見られる。
それが、ヒプノシア・オンラインで最初に訪れる拠点『ネージャッカの街』の姿だった。
建物の外に出ることができたのはヨロズの登録が終わって一時間後のことだった。席を立ち、いざ冒険をと勇んでみるも、アダからジェノの行動に物言いが入ったのである。
「まだヨロズとして仮免許のジェノさんには、まず町の外で活動できる実力を実績として提出していただきます」
アダが言うには「神託により訪れた異邦人を、むざむざ危険な目に合わせて失うわけにはいかない」とのことだ。
当然だ。ヨロズの主な目的は、アビリティを駆使したモンスターの駆除だ。実力もなく送り出しても無駄死には必至。そんな見えている地雷は避けたいのだ。
まして、ジェノの姿は10代の少年。許可が出ないことにも納得であった。
とはいえ、ジェノの方はというと、まさかチュートリアルの開始時点、まだ戦闘もしていないところでこんなに手間取るとは思ってもみなかった躓きではあった。考えてみれば、ヨロズへの登録だけがチュートリアルなわけもないのだが。とジェノが納得した所で、最初の依頼が言い渡されることになったのだ。
チュートリアル依頼:【訓練所】
ネージャッカの街にある訓練所で、教官に一定の成績を示せ。
1. 訓練所に到達する。 [未達成]
2. スキルを使う。 [未達成]
3. 教官と模擬戦をする。[未達成]
つまりアビリティの使い方などを覚える依頼であろう。ジェノは、まだモンスターとの戦い方も知らなければ、魔法の使い方も知らないのだから。
こうしてジェノはヒプノシアの大地を踏みしめることとなる。ヨロ館を出る間際、なぜか受付嬢二人が言い争いを開始した気がするが、きっと六つ目の受付嬢のサボり癖の件だろう。
さて、ようやくゲームが始まったわけだが、訓練所の道すがら、ジェノの気を何よりも引いたのは、メインストリートに漂う"匂い"だ。
これまで発売されたVRゲームの中にも、視覚だけではなく触覚に手を出したものはあった。グローブ型の周辺機器などの同梱型がそれだ。
しかし、嗅覚や味覚に関してはどうしても手が出せなかったのだ。
もし味覚もさることながら、嗅覚を再現するのであれば、ある程度の生モノを使わざるを得ない。そうすると何が問題になるかと言えば『消費期限』だ。腐敗の防止や機材のメンテナンスの面倒さは、作る側にも敬遠されるものだった。
しかも、感覚は人それぞれだ。「本物じゃない」や「こんなものとは思ってなかった」というものならまだ作り手側の技術次第だ。
これが「くさい」「まずい」といった人の感性に依存する感想はどうしようもなかった。
かつて、外付けアクセサリで匂いを感じる機能のものが発売され、それに伴うVRゲームが出たことがあった。結果は異臭騒ぎによる通報の末、全品回収騒ぎ。哀れメーカーは火消しに尽力した末に、ゲーム業界から撤退した。
しかも、通報も、プレイヤー関係者ではなく全く付き合いのないご近所さんからのものであったし、逆にプレイヤー近辺からはクオリティの高さを評価されていたものであったのだが。まして、問題の匂いもその間で強いものではなく、種類としては芳香剤とほぼほぼ変わらないものだったのだが。
残念ながらそういったいざこざがあったこともあり、ゲームで視覚・聴覚・触覚以外を使うものは駆逐されていたと言っていい。
それが、どうだ。
屋台がこれでもかと叩きつけてくる串物の香ばしい香り。木箱に山積みにされた果物の瑞々しい匂い。
(むむむ。正直、辛抱たまらん……おっ、あれは!)
ジェノは、飛び込むように、目についた屋台に飛びついた。
「店主、店主よ。こいつを一つ、おくれ」
これは、この世界の物価を調べるためなので、無駄遣いではない。いいね。
「……坊主。金、ちゃんと持ってるか?」
しかし、屋台の店主は訝しげにジェノに目線をやった後、不躾にそう言った。
それに対し、むぅ……、とジェノは不快に呻いた。見た目が浮浪児にでも見えたとでもいうのか。
「俺はちゃんとヨロズじゃよ。ほれ、この通り」
誤解を解くために、杖を掲げ、空いた手にカード――ヨロに登録している者である証明のカード――を見せつける。そこには、『ヨロズ(仮免許)』の文字。
「へぇ!その年でかい!?将来有望かねぇ!
すまねぇな。すぐ焼き上げるからよ」
ぶったまげた!と全力でアピールしながら屋台の店主は目を見開いて驚いている。誤解が解けたようで「旨い部分くれてやるよ!」と料理をする手を進めてくれた。何とも豪胆な男だ。すぐに自分の非を認めたところも、カラッとした男気を感じる。
店主は、年季の入った手つきで串に次々と肉を指してはあぶり焼きにしていった。料理法として一番近いのは焼き鳥だろうか。しかし、その肉は明らかに獣肉の赤みをしている。とはいえ、ゲームの世界の鶏肉が赤々としているかはわからないのだが。
「お待ちどう。200Gね」
店主は、焼き上げた串を袋詰めにすると、袋と同時に手のひら大に収まる水晶を出してきた。
この世界では通貨は物質ではない。"通貨用の魔力"が存在し、そのやり取りで交易をおこなうのだ。その単位は『G』である。由来は、通貨用の魔力が金色に近い色をしているからだったか。ヨロズのみならず、この世界の住人は魔力で交易をおこなっている。
という設定なのだ。
ちなみにお値段、焼き肉串2つワンセットで200G。
一本100Gとすると、そのまま100円くらいの感覚でいいのだろう。今の手持ちは初期装備に8600Gを消費して残り1400G。
残金と比較すればなかなかの出費だが、なに必要経費だ。問題ない。
支払いは、水晶に手を当てて魔力を通せばいい。やり方は最低限の知識として、ヨロズの説明を受けているときに習ってきた。
実際は感覚的に行うのだろうが、異邦人にはもっとゲーム的な演出が行われる。視界にウィンドウが開き、売買を完了させるのだ。
<『コウモリウサギの串焼き』 2本の代金を支払います。[OK]/[NG]>
[OK]ボタンを押下して支払いを済ませ、品物を受け取る。店主に感謝を述べると、人の少ない路地裏に伸びる階段に腰かけた
「いやぁ、あってほしいと思っていたが、本当に堪能できるとはなぁ」
あまりの嬉しさにジェノはそう、一人ごちた。しかも歴代のヒプノシアシリーズの値段と同じ、一つ100Gで。ヒプノシア・オンラインのスタッフには感謝しきりである。
【コウモリウサギの串焼き】は、歴代のヒプノシアシリーズでプレイヤーたちが最もお世話になったと過言でもない【回復アイテム】だ。効果は最大HPの10%回復。
このアイテムのいいところは、何といってもコスパの良さと、一日内で使い過ぎても回復量が低下しないことだ。
回復アイテムの回復量が低下するシステムについて補足をしよう。ヒプノシアシリーズでは、回復アイテムの代名詞は『水薬』である。品質グレードが様々あり、品質が高ければ高いほど回復量が増える。
この水薬による回復は、一日内の総使用回数が決まっているのである。その総使用回数を超過して使っていると、過ぎれば過ぎるだけ回復量が割合単位で減っていく。この減少値は、宿屋などで一泊しないと使用回数がリセットされない。
ただし、この制限はアイテム名が変われば別のものとして数えられる。上級水薬を使用限界まで使ったとして、下級水薬は使用限界の制限を受けない、というわけだ。
一方の食べ物系の回復アイテムは、というと。まずデメリットから話すと、全て戦闘中に使えないことが挙げられる。また、水薬と違って満腹度合の再現ということで、使用回数が決まっている上に、その回数は少なく、回数の超過もできない。この使用回数の制限は水薬と違って、総回復量ではなく、使った食べ物アイテムの重量の合計が影響してくる。
例えば、サンドイッチを限界まで使用した後に串焼きは使用できない、といったシステムだ。
では、食べ物系のアイテムのほうが使い勝手が悪いかというとそうでもない。何故なら、食べ物系アイテムの使用回数制限のリセットは、一度の戦闘が終了した時となるのだ。
また、水薬の回復量は固定値であり、食べ物系のアイテムの回復量は割合になっている。そしてコウモリウサギの串焼きのみを使うのであれば、その使用可能回数はなんと8回。水薬の回復量が固定値であることから、戦闘中でなければ食べ物で回復するのが中盤以降のお約束となるのだ。
それはそれとして。ジェノは、長年付き合ってきたこの【コウモリウサギの串焼き】を、ヒプノシアに来た時に最初に口に入れる食べ物にしたいと思っていたのだ。だからヨロ館でも水しか飲んでいない。正直、お茶請けのクッキーは惜しかったとも思う。
ホクホク顔でメインストリートから外れた、どこぞの階段に座って戦利品を取り出す。
ねんがんの こうもりうさぎのくしやき を てにいれたぞ!
一行でいえばそんな感想だ。
A4サイズの笹の葉のような包みから、まずは一本を取り出す。未だ、ほかほかと湯気が立ち上り、熱と共に香ばしい香りが漂ってくる。
「いただきます」
まずは一欠け。
「……固っ!?」
最初の一噛みは、まるでゴムでも噛んだかのようだった。本当は、少し端をかじろうとしたが、結構な弾力で噛みちぎれる気がしなかったのだ。とはいえ、大き目の肉は、この体では目いっぱい口を開かねば噛むこともできないサイズだ。
思い切って丸々一かけらに噛みつくと、串から引き抜いて咀嚼する。
顎に力を入れれば、ゴリゴリと音が出る。まるでスジ肉のようだ。前歯で噛みきれないと判断し、反射的に頬袋に収める、奥歯ですりつぶすようにして噛み千切る。
「んンっ!?」
目いっぱい噛んでしまえば、まるで水がスポンジから出てくる様に香ばしい肉汁が口の中に広がった。野性的な風味が強い。
甘い。脂の甘みと、肉の旨味が口の中いっぱいに広がる。
「あふっあふっ……美味い!」
舌を火傷しかけたものの、素直に感想を叫んだ。
久々の獣の味だからか今まで食べた肉の中でもTop5に入るくらいに美味い。味や風味に関して、その味はウサギというよりも馬……?ジビエ料理は経験があるが、コウモリの経験はないのでコウモリ風味かはわからない。
なんにしても食べ応えのある触感と、味だ。この年でこんな肉が思い切り食べられるとは思わなんだ。こればかりは、肉体の変化に感謝せざるを得ない。
さて二欠片目。やはり最初の一口に苦労する。味付けが塩胡椒のみ、というのも味のワイルドさに拍車をかけている気がする。ジェノは「んまっ……んまぃ……」とモリモリ食べ進めていく。
この辺りに醤油の文化はないのだろう。照り焼きが合う肉かと言われれば首をひねらざるを得ないが、ジビエ風味が苦手なら一考の余地がある、という具合か。
念願叶ったジェノは、この瞬間だけでも、このβテストに参加できてよかった、と感動していた。
もっとも、笑顔で食べれたのは三欠片目までだったが。
一つの串に五つ肉が刺さっている。つまりあと二個ある。正直三つ目を飲み込んだ時点で結構腹が膨れていた。
「うぬ……後、二個あるのか」
ジェノは先ほどまでの堪能した満足とは逆に、ため息とともに不満を口にした。
「肉がでかすぎるし、固すぎる!むしろ、あやつら、良くこんなもの8串も食べれたものだな!」
世界を救うには、それほどの健啖が必要なのか、と戦慄する。
「……、もう一本は、昼飯にでもするか」
何とか一串食べ終えた後、疲労困憊の状態でそう決めた。
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