4. まるで夢の世界。夢だけど ~さようなら~
「まず、ヒプノシア・オンラインは新技術の『集合的無意識クラウドサーバー』が使用されています。これは、集合的無意識論に基づいたものですが、この辺りの知識はどのくらいお持ちでしょうか」
「昨夜も話していたやつじゃな。人の夢を読み取って、夢に向かう方向を修正するとかなんとか」
「そうです。基本的に、ヒプノシア・オンラインの世界は、プレイヤーの知識に左右される部分が存在します。
ゲーム内の名詞に完全な独自のものはなく、エルフやドワーフといった有名な名詞が使われているのもそのためです」
「ふむ……?」
確かに、聞き流していたものの、完全な異世界というには聞き覚えのある単語が多いと思った。エルフは精霊種、といったような専門用語が存在するはずが、エルフと言う名前で認識されるのは、ヒプノシアの世界観において違和感があったのだ。日本語になってしまっているのは、自分が日本人なのだからしょうがない翻訳だと割り切っていたとしてもだ。
しかし、そう言ったからくりがあったのであれば納得できた。
「奥様の意識がそこにあるのも、同様なものだと思われます。
つまり、NPC「エスカペ」の外見がたまたま丸満様の奥様にそっくりだったせいで、丸満様の記憶がそのNPCのアバターに反映されてしまっている可能性があります」
一瞬、言われていることが理解できなかった。血の気が引いた後、徐々に血が戻っていくような、ぞわぞわとした理解が広がっていく。
思わず、エスカペの方を向く。
しかし、エスカペは表情も変えず、なんでジェノが顔を向けているかわからない、といった困ったような表情で微笑んでいる。彼女に前田の声は届かないのだ。
何故か?NPCだからだ。
それが、プレイヤーのように、あるいは運営アバターのように、中に誰かが入っているわけではないということ。ヒプノシア・オンラインによって作られたアバターである証左になる。
当たり前だ。本当の妻は、すでに故人なのだから。
しかし、今ここにいるのだ。ジェノの目の前で、まるで生きているみたいに。
死者をよみがえらせるだの、幽霊と話をするなど、テレビで見た時は眉唾物だと馬鹿にしていた。それが当の本人となってしまえば、こんなに辛いとは思わなかった。
死んでいるのは理解していたが、それが偽物とはいえ、再び会うことができた。そして、それが偽物なのだと、今はっきりと自覚してしまったのだ。
はたして、この状況は、自分のせいなのか。これが、ゲームがしたいと運営を困らせた自分への罰なのだろうか。
そんな考えが、ジェノの中を占めていく。
ふと、心配そうな表情を向けるエスカペの顔が映った。顔色を変えたジェノの姿に、不安を覚えたのだろう。ジェノ自身は自分の顔を見ることはできないが、実際ジェノの顔色は真っ青を通り越して白く染まっていた。
ここで話す話題ではない。そう、我に返ったジェノは考えた。
「……あいや、わかった。詳しい話は、"リアル"の方で聞こう」
「そうした方がよろしいかと。こちらも情報を集めてまいります。
ただ、明日はログインせずにデータの収集と走査、検証を行いますので、ログインを控えていただくことになるかと思います」
それは、そうだろう。ジェノ――丸満の記憶が、ゲームを侵食しているのであれば。あるいは逆なのかもしれないが。つまり、ひょっとしたら、丸満の方にもゲームに浸食されるなどの何か影響が起こっているかもしれないのだから。
「ああ、分かっておるよ」
「では、後程、よろしくお願いいたします」
前田はそう言って通信を切った。
「……あなた?」
先ほどとは打って変わって、ずいぶんと落ち込んだジェノの姿に、エスカペは心配そうな声をかけた。その肩に置かれた手に気付いて、落ち込んでいた顔を上げるジェノ。
もう会えないと思っていた最愛の妻。先ほどは、5年ぶりの料理をふるまってくれた。姿が変わっても、自分のことをわかってくれた。
それも全て、夢でしかないというのか。
ひどく落ち込んだジェノではあったが、とりあえずこれからの予定を伝えることにした。
「すまん、明日はこちらに来られそうもないようじゃ」
「そう……無理しちゃだめよ?」
その優しさが、どうにも今のジェノには痛かった。
だからこそ、禁断の一言が口を付いてしまった。
「マルティにも、一人でネージャッカに戻ってもらうことになるかのう」
はは、と力なく笑うジェノだった。……が、ふと肩に置いた手に力が入っていることに気付く。
「そういえば、あの娘さんとはどういったご関係かしら」
今度は、どことは言わないが物理的に痛くなってきた。エスカペの表情については、語らない方が良いだろう。
「おじいちゃん、ただいまー!」
βテストが始まってからの経緯と、マルティとの関係は無罪であるというジェノの弁論は、かろうじて無罪と相成った。ただし、犠牲として魔法を勉強する時間は無くなってしまい、両足がしびれのため動けなくなってしまった。
気が付くと、ヴォーロゥと共にマルティが帰ってきていた。
「あら、お帰りなさいおじさま、マルティさん」
「ただいま、エスカペ。今日の晩御飯はこれで行こうと思うよ」
そう言ってヴォーロゥが片手を掲げる。その手には、彼の身長を超える鹿が足をつかまれてぶら下がっていた。
その姿に、ジェノは絶句しっぱなしである。かろうじて口から洩れたのは。
「エルフって、力持ちなんじゃなぁ……」
であった。
その晩は、エスカペ一人でその鹿を調理してしまった。なんでも、マルティが鍛錬中に初めて仕留めたものらしい。
「おじいちゃんにも見せたかったなぁ!一発でね!頭をね!」
「おお、そうかそうか」
祖父に地盤する孫娘の光景がそこにあった。祖父は孫娘より若い外見ではあるが。
内心びくびくしながらマルティの話を聞いているジェノの姿を、同じくマルティの資質を上機嫌に語るヴォーロゥの話を聞きながら、エスカペは優しく見守っている。どうやら無事、無罪判定は続いているようだった。
「そういえばおじいちゃんは魔法何か覚えた?」
ふと、マルティがジェノの成果を訪ねた。ふと、視線が泳ぐジェノ。まかり間違っても、痴話げんかしていたら時間が過ぎていました、などとは言えない。
そもそも、エスカペの話を詳しくするのは憚られた。彼女が、ジェノの亡くなった妻だと言っても話がややこしくなるだけだし、その実どうなるかは今後の進展次第なのだから。
「あ、ああー……今日はこの村を案内してもらってな。いろいろエルフの話を聞いているうちに時間が過ぎてしまっておった」
と、ジェノはごまかした。
「ありゃりゃ。じゃあ、依頼が終わった後に、またこっちに来る感じになるのかな」
「あ、その事じゃがな。明日も俺はこっちに来れないことになってしもうたんじゃ」
「ええっ!?なんで?」
「あー、その。ほれ。このアバターじゃよ。また不具合が見つかってしもうて、その検査じゃ。
そういうわけで、済まないが、ネージャッカには一緒に帰れそうにない」
「うーん、どうしようもないね。それは。
じゃあ報告どうしよう……」
一人で報告するにしても、依頼を受けたのは二人である。一人しか報告しない場合はどうなるのか。
答えは、ヴォーロゥからもたらされた。
「それなら大丈夫だ。ケガなどで、報告の際にメンバー不足した時は、報酬は個人金庫にすべて振り込まれるはずですよ」
酔いながらも、必要な話はちゃんとしてくれるようだ。それなら安心だ、と再び自慢話と食事に注力するマルティ。そして、それに追従するヴォーロゥ。
そんな二人を、困ったように、それでいて楽しそうに相手する咲森夫妻であった。
その夜。
マルティは運動して体力を使ったこともあり、既に就寝――ログアウト準備に入っている。ヴォーロゥはただの酔っ払いだ。
ヴォーロゥの家に用意された個室で、ジェノは夜空に浮かぶ月を見ていた。
「二つの月……ローイとトゥールだったか。そういえば、夜空をまじまじと見たのは初めてじゃったなぁ」
今日はそこまで体力を使っていないこともあって、まだ眠気自体はなかった。明日も検査、あるいは今日がこの世界に来る最後になるかもしれない不安から、ジェノは窓からこの世界を眺めていた。
「どうされたの?」
背後から、聞き慣れた声。エスカペもまた、起きていたようだった。ジェノの部屋に電気がついていたので気になったようだ。
「いや、明日はこちらに来れないからのう。というか、ひょっとしたら、テスト中止になってしまう可能性もあるでな。そうなると、ここに来ること自体ができなくなってしまう。
……そう思うと、この世界を見ていたくなったんじゃ」
「そう……」
エスカペは、そっ、とジェノに寄り添う。ジェノも、自然にその肩に手を回した。
ファンタジーの世界で、まるで彼女がいなくなる前、縁側で茶をすすって日向ぼっこをしていたような。そんな空気を思い出す。
「……あなた。私はもう死んだ存在だったの。こうやって会えたのも奇跡だったんだわ」
「うむ……そうじゃのう。たまたまにしては、随分と素晴らしい経験じゃ」
ふと、視界にログアウト用意のポップアップが出てきた。まだ時間があったはずだったが、どうやら知らず知らず時間が過ぎてしまっていたようだ。
幸せな時間は、いつも短い。
「諦めていたお前の料理が、まさか、また堪能できると思わんかった。
俺も、この世界に生まれ変わりたいもんじゃ」
「そうね。いつか、また会えたら素敵ね」
エスカペの方も、なんとなくわかっているのだろう。これが、ただのひと時の夢に過ぎないということに。ひょっとしたら、次にログインした時にはエスカペに透の意識はなくなっているかもしれないのだ。
ジェノの不安と懸念はそこにあった。
しかしエスカペは、自分を既に死んだものとケリをつけろというのだ。ジェノの未練は、死者を縛り付ける不要なものだと。
「……この年になって、説教されるとはなぁ」
「あら。小さい子供をしつけるのはお姉さんの役目よ?」
「こいつ!」
ジェノが自虐し、エスカペが揶揄う。それにジェノが笑いながら乗って、笑いあって。
静かな夜は、そこだけがしんみりとにぎやかで、寂しかった。
「さようなら」
その言葉を最後に目が覚めると、すっかり見慣れたコンクリートの天井だ。ふと、頬に違和感があって、指を這わせる。
「……はっ、泣き虫が」
丸満は、そう自虐的に吐き捨てると、顔を洗いに部屋を出た。
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