0. 如何にして舞台は整ったのか ~プロローグ~
初投稿です。よろしくお願いいたします。
暇な時の手慰みになれば幸いです。
世の中のオンラインゲームには。10周年を超える運用をしているコンテンツもあれば、リリース当日にサービスを終了するコンテンツも存在する。
これは、わずか一週間という期間で終了した、あるゲームのクローズドβテストの話である。
彼が初めて"それ"に触れたのは、フロッピーディスク8枚組の超大作としてデビューした時だった。あまりの面白さに大学の単位を落としかけたのは、彼の妻に失敗談とでしか話したことがない。彼の兄弟にも秘密のまま、墓の中まで持っていく失態だった。
次に触れたのはコンシューマゲーム機。まだCDディスクもなく、カセット型のゲームソフトだった。PC版より劣化したグラフィックと、コンシューマ機の性能に合わせた新システムに一喜一憂したものだった。
彼の思い出のゲームは、それから音沙汰がなくなった。かつてのレトロゲームは次々とリメイクやら移植やらされ、やがては携帯端末で往年の姿を見せつけていても、なお。
初めて"それ"に触れて、はや60年。"それ"は、想像の斜め上の姿で再び彼の目の前に現れた。
『夢現大陸 ヒプノシア・オンライン』として。
知る人ぞ知るマイナーゲームは、その制作発表と共にゲームの内容とクローズドβテストの予定も公開した。
ゲームに関する世界的なコンベンションにて発表された『ヒプノシア・オンライン』。
その制作、及び運営管理は『有限会社 ドリームランド』。デビュー作『夢現大陸 ヒプノシア』を作った会社だ。
彼らの発表は、こうだ。
「ヒプノシア・オンラインは、現在隆盛を極めているVRグラスを使った一人称視点、あるいは古くから使われるモニター画面による三人称視点で進めるゲームではない。
"実際にゲームの中に入り、異世界を体験する"、体感型ゲームなのだ」
小説・アニメの中の話に過ぎなかったおとぎ話の実現に、かつてメジャー層に見向きもされなかったマイナーゲームは、応募人数100万倍を超えるという倍率でクローズドβテスター権が争われることとなる。
そんなすったもんだの半年の後。彼は、高倍率の中から『高年齢(80歳以上)対象』の『ヒプノシア・オンライン』クローズドβテスター権を持って、テスト会場内のベンチに座っていた。
まるで、病院だ。彼はそう思った。
見渡せば、両手で数えるほどの、同い年前後の爺さん婆さん。受付で書類を書いているのは看護師だし、せわしなく通路を駆け回るのも医師か看護師だ。
「俺は、ゲームのテストに来たはずなのにな」
彼は、そう一人ごちて苦笑した。必要なことであるのは重々承知ではあるが、まるで今から入院するかのような現状に、思わず愚痴が漏れてしまったのだった。
この建物に来たのは午前8時頃だった。今の時刻はなんと午後7時だ。ゲーム機一つの動かすのに随分な検査が必要なものだ、とひとりごちる。
もっとも、そのゲーム機一つがこのクローズドβテストの肝なのだが。
「8013番さん」
おっと、出番だ。
左腕に巻かれたタグに書かれた番号が呼ばれたので、よっこらしょ、と彼は立ち上がり、受付へと向かった。
「8013番、咲森 丸満さんですね」
「おう」
「お待たせしました。検査の結果、問題ありませんでした。テスト可能ですので、808番の部屋へお願いします」
番号のずれを鑑みるだに、どうやら失格になってしまった人間もいる様だ。テストができなかった見知らぬテスター達に「ご愁傷様」と、内心手を合わせておく。反面、丸満自身は無事テスターができるようなので、その点についてはひとまずほっとしていた。
職員に案内されるままにたどり着いた808号室に入ってみると、実に真っ白で清潔感のある部屋だった。そのど真ん中にカプセル型のドでかい機械が鎮座していた。
ヒプノシア・オンラインは大きく世論を賑わせた。ゲームの内容ではなく、その関係者の名前に。と、いうのも、クローズドβテストの案内に、以下のような追記があったのだ。
Re:Ask製新型医療機材の専用ソフトになります。ヒプノシア・オンラインのクローズドβテストには該当機材の運用治験を含みます。
技術協力:株式会社 Re:Ask
治験監督:日本国政府 厚生労働省
技術協力にある『株式会社Re:Ask』は医療器具の研究開発を含む、大手機材メーカーである。なぜ、医療器具の治験がゲームにかかわっているのか。
これは、ヒプノシア・オンラインの画期的なシステムによるものだった。
それに必要な件の新型医療機材が、ヒプノシア・オンライン専用機である睡眠導入機『ドリーム・キャッチャー』だ。カプセル型の機械で、その構造は電子機械のベッドである。このベッドに寝ることで、夢のような形でゲームの中の世界に行くことができるのだ。
そう、ゲームの中に"行く"のである。
ヒプノシア・オンラインの画期的なシステムとは、"夢"をゲーム世界としてクリエイターが構築し、同時にログインするプレイヤーと共有し、遊ぶのである。
これには、10年前に発表された一つの研究が関連している。
心理学の中に、『集合的無意識』という理論がある。
人は、無意識の内に誰かの知識を共有している、という考えだ。
具体例で説明すると、子供が何を教えられることもなく言葉を理解し、やがて話すことができるようになるのは、睡眠中に夢の中で親と知識を共有したからだ。と、そういう理論である。かつて、世界各地で同時に、様々な人種の人間が全く同じ夢の内容を共有したこともあるという。
この理論をもとに、一人の科学者が提案した。これはつまり『集合的無意識』という、さながらクラウドサーバーが存在しているのではないか。過去、アカシックレコードなどと呼ばれたそれに行き着く机上の空論に、当時の研究者たちは鼻で笑ったと言われている。
もちろん、その発表直後は実現可能な技術だとは思われなかった。かつてはノーベル医学症に最も近いと持て囃しておいた過去があってなお、『狂人の類』『妄想の区別がつかなくなった心理学者』などと誹謗中傷するメディアもあった。
また、世論の論点は「夢」という科学的にあいまいな空間にアクセスする事に対しての危険性などに移っていき、具体的な技術の内容について話に上がることはなかった。危険な技術、危険な理論。そう言って理解できないものとして排除を図ったのだ。
実現可能なレベルまで研究が進んでいる、と吐き捨ててその学会を去った科学者は、その後の8年で研究を完成させたと発表した。もっとも、提案者の実現した技術でアクセスできるのは、その科学者が"作った"集合的無意識空間であり、『集合的無意識』理論で出てくるそれではないらしい。
オリジナルではないという点だけで、失敗作の烙印を押した学会を離れたその科学者は、更にその技術を世の中に広めるために活動した。
結果、諸国に先んじてその研究に手を伸ばしたのは『技術大国』『変態技術』『なぜ全力を尽くしたのか』で世界的に有名な日本であり、ゲームメーカーであったドリームランドだったのである。そして、どういう思考回路か、その"人工的な集合的無意識空間"を、あろうことかオンラインゲームのサーバーとして構築したのだ。
更には、危険性を揶揄する声を国家研究という印籠で退けて、ドリームキャッチャー専用ゲーム『ヒプノシア・オンライン』は世に発表されたのである。
丸満の頭には、ドリームキャッチャーを使うことに関する不安感はない。むしろ、未知の機材をいち早く使うことができる高揚感と優越感に、気持ちの悪いくらいに相貌が緩んでいる。
いつになっても、新機種という言葉に男は弱いのである。
食事も風呂も、念の為のトイレも終わり、時刻は21時。ゲーム開始時刻となった。
「さてさて、じゃあ早速行きますか」
こうして丸満は、意気揚々とドリームキャッチャーの中に体を滑り込ませる。ちなみに、楽しみが過ぎて、思わず独り言が多くなるのは丸満の癖だ。
体を横にすると、頭にフィットする枕が心地よい。背中を包む敷布団に当たる部分はゆっくりと体を沈めていくと、実にリラックスできる体勢の時点で体が止まった。寒くもなく、熱くもない空間も相まって、普通に寝具として最高級の機材という感じである。
さて、寝に来たのではなくゲームをプレイしに来たのである。どうやってゲームを開始するのかと視線を巡らせてみれば、右手のそばに『押してください』と張り紙のある赤い丸いボタンがあった。
押し込んでみると、駆動音と共にドリームキャッチャーの蓋が閉じる。
「おお、始まるのか」
ワクワクしながら待っていると、ヒーリングミュージックのようなゆったりした曲が流れてきて――。
「ヒプノシアの夜の王都のBGMじゃないかこれ。いいねぇ」
イントロだけで判断するというオタクじみた感想を口走りながら、音楽に眠気を誘われ、丸満は目を閉じた。至れり尽くせりの空間にニコニコとしながら。
まるで全身麻酔を受けた後のように、気が付けば見知らぬ大地に立ちすくんでいた。柔らかな草むらは、裸足の足裏にも優しい。周囲は木々に覆われ、目の前には日光をまぶしく照り返す、澄んだ湖があった。
いや、気づいた。ここは見知らぬ場所ではない。
「こっ、ここは……記憶の泉か!?」
記憶の泉は、コンシューマ版の『夢現大陸 ヒプノシア』――『ヒプノシア・ファンタジー』のセーブポイントだ。ドット絵で一キャラ分の画像しかない記憶の泉は、目の前の泉とは似ても似つかない。
では何故、丸満はここを記憶の泉と判断したのか。それは、ヒプノシア・ファンタジーの取扱説明書の目次ページに描かれていた記憶の泉とそっくりだったのだ。
オンラインゲームにセーブポイントがあることは珍しい。基本的にリアルタイムでプレイヤーキャラクターの情報をサーバーに格納するのが基本的な仕組みとして確立しているためだ。
では、この場所はなんなのか。
ふらふらと誘われるように泉に向かった丸満の足は、不意に目の前に出てきた半透明のウィンドウに行く手を遮られた。
<ヒプノシアで活動するアバターが作成されておりません。アバターの作成をしてください>
ウィンドウにはそう書かれており、文字の次の行には<アバターを作成します [OK]>というボタンがあった。
「なるほど。ログイン画面が記憶の泉なのか」
ウィンドウに書かれた文字をみて、記憶の泉の役割を理解する。丸満は、迷うことなく目の前のウィンドウの[OK]ボタンに指を伸ばした。
<scanning・・・――DC機がユーザーの身体情報をスキャンしています。しばらくお待ちください>
DC機とは『ドリームキャッチャー』の略称だろう。
ウィンドウが細かく分解されて粉になっていく。目の前の地面に粉が集まり青い球体を作る。
そこまで長い間待つこともなく、ウィンドウの表記が変わった。
<スキャン完了。アバターを作成します。>
ドリームキャッチャーがプレイヤーの体をスキャンしているのには理由がある。それは、現実と同じ体の形をしたアバターを作るためだ。
と、いうのも今回のテストに関して、事前にいくつかの制限事項が言われていた。
まず、プレイに使用するアバターはドリームキャッチャーが用意したものから改変不可能であること。また、用意されるアバターは、現実の体と寸分変わらないものである事だ。
ドリームキャッチャーの治験であるこのβテストでは、アバターの改造による現実の体の影響まで保証が取れない、という検証チームの訴えによりアバターの改変を不可としたのだ。
丸満は、最初にその話を聞いたときには爺の体で遊ばざるを得ないことに不満を顕にしていた。ゲームが始まって、現実と同程度しか動けないのでは冒険なんてとてもできない。
しかし説明の中では「身体能力に関してはゲーム準拠であるから、見た目の身体年齢でプレイに支障が出ることはない」と聞いて、素直に了承した。少なくとも、ゲーム内でも縁側に座り続けることにならないようで、安心したのだ。
目の前の青い球体が発行すると、複雑に形を変え、人の形を作って――。
「……んん!?」
そこに現れた姿に予想を裏切られて、彼は思わず声を唸らせた。
なぜなら、現れたのは明らかに20代後半の若者の姿だったからだ。
更新は明日の予定です。