第一話:これはロボットですか?
布団越しにお腹を叩かれる感覚で目を覚ます。今日は何曜日だっただろう?反田直道の覚醒前の脳みそを信じてよいならば、確か土曜日のはずだ。
休みの日ぐらい惰眠をむさぼりたいものだが、そうはさせてくれない存在がいる。そいつが今、直道の腹を叩いている。
「ねえねえ、直くん起きてっ。大事件だよっ」
「ああ……はい。…ちょっと待ってくださいね。…あと、五分」
どうせ悪足掻きだとわかっているが、少しでも長く眠りたい。
「起きなさいっ‼」
ドスっ‼
「いでぇぇえええ!まじで何考えてんだあんた⁉人の腹に脚立突き刺すとか頭沸いてんのか」
直道は飛び起きると、脚立を片手にしたり顔で仁王立ちするバイオレンスの出処に抗議の言葉をぶつける。
「ごみん、ごみん。悪かったって」
「本当に勘弁してくださいよ桜蘭さん」
直道は痛む腹をさすりながら、大きなため息を吐いた。
麻丘桜蘭。大学一年である彼女は、歳に似つかぬ天真爛漫な笑顔を向けると、ペロッと舌を出して中身のない謝罪の言葉を投げ掛けた。
『サイは振られた』と書かれた謎Tシャツを押し上げる中々な胸元、半世紀ほど流行に遅れた姫カットの黒髪、いたずらっぽく覗く八重歯、愛らしい大きな瞳と小さく通った鼻梁。その容姿どれもがトップレベルなのに、何なんだこの残念な感情は。
「あ、でもでも直くん。わたしの頭が沸いてるっていうのはある意味正解かもよっ?」
「はぁ……?」
”ある意味正解”とかいう次元じゃなくて、圧倒的事実だと思うが。
「何せわたしの高校時代のあだ名はズバリッ!『脳みそティ●ァール』だったんだから」
「しょうもない嘘はいいんで」
冷めた声でいなす直道に、小脇に抱えた脚立をバンバン叩きながら異論を唱える桜蘭。
「嘘であるものかっ!『あっと言う間にすぐに沸く』って校内でも評判だったんだよ!」
あっと言う間も無く既に沸いていると直道は思ったが、話をややこしくしたくはないので、黙っておく。
「それはそうと……朝から大事件って何事ですか?」
話を一度も触れていなかった本題に戻す。その大事件とやらの為に直道は叩き起こされたのだから。
「はて?本題とはなんぞや、直くんよ」
「忘れるの早すぎだろっ⁉大事件だよって言って俺を起こしたの桜蘭さんですからね。で?……それで、なんの事件があったんですか?」
ややキレ気味になりながらもそれを抑えて、桜蘭に話を促す直道。マトモにツッコんだりキレたりしていたら、彼女との会話は死ぬまで本題には辿り着かないだろう。そこら辺を直道はよく理解しているのだ。
「思い出したぞ直くん‼なんとなんと、うちの下宿に高性能ヒト型アンドロイドが来たんだよっ!」
「あ、俺もう一回寝るんで…」
再びベッドに潜り込む直道。
「ヒト型アンドロイドが来たんだよっ!」
「おやすみなさーい」
「アンドロイドが来t…」
「寝言は寝て言ってください!」
もう一度ベッドから起き上がると、もうツッコみ切れないとばかりに直道は深く溜息をついた。
「なんですか?ヒト型アンドロイドって。そもそもそんな物がうちに来るわけ無いですから」
「ノーノー。ダメだよ直くん。思い出してごらん……そう、アレは一年ほど前のこと。七海さんが言ってたじゃんか、ヒト型のアンドロイドがうちの下宿に来るかもしれないって……」
「・・・・・・・・・?」
そんな昔の話をされても、覚えていない。ちなみに七海さんというのは、直道達が暮らしている下宿『海荘』の大家のことなのだが…………。そんな話あっただろうか。
「え?思い出せないの?さては、直くんの記憶力はヒヨコ並みだな?」
「覚えてないのは認めますけど、せめてニワトリぐらいにはしといて下さい」
桜蘭に知能レベルを疑われるという屈辱的状況に耐えつつ、直道は今度こそベッドから降りるとカーテンと部屋の窓を開け放った。
その隣では桜蘭が、先程凶器に使った脚立を立てると、クライミングに勤しんでいる。相変わらず行動原理が分からない。
「で、そのヒト型アンドロイドとやらは今、どこにあるんですか?」
「おっ!よくぞ聞いてくれたっ。さっき来たばかりだから玄関に立っているハズだよ。さあさあいらっしゃれよ御人」
直道の質問に嬉しそうにそう答えると、桜蘭は手をニギニギしながら部屋を出て行った。寝起きでなまった体をのそのそと動かしながらも、直道もそれに続く。
ギシギシ。ギシギシ。
築数十年のこの屋敷の階段を軋ませながら、二人は階段を降りていく。
「軋むって言葉ってエロいよね。ベッドが軋む‼みたいな感じでっ!」
「さっきの桜蘭さんの脚立アタックでも、俺のベッドは十分に軋んでましたけどね」
「なにっ⁉じゃあ、実はさっきの脚立プレイはエロい行為だったというのか⁉」
大袈裟に驚いてみせる桜蘭。「エロい行為だとベッドが軋むのか、ベッドが軋むとエロい行為なのか……。」とか言って悩み始めた。
「『タマゴが先かニワトリが先か』とか、そんな悩み方をするほどの事じゃないですよ……」
「むむっ……そんな哲学的なことを言われても分からないよ直くん!……まあでも、直くんの記憶力がタマゴでもニワトリでもなく、ヒヨコレベルだということだけは分かるけどねっ」
ドヤァ。
「まだその話引っ張ってたんですか……」
そんなしょうもない会話をしているうちに、二人は屋敷の一階に降り立っていた。
そのまま薄暗い廊下を進んで、玄関口へと足を運ぶ。そして、玄関と廊下を隔てるドアの前に差し掛かったところで、桜蘭が少し小声になって言ってきた。
「いいかい、このドアを開けばそこにはッ‼なんとも可愛らしい高性能ヒト型アンドロイドが突っ立っています!……心してドアをオープン下さい」
「はぁー……」
実を言えば、直道はアンドロイドどうこうの話を真に受けていない。桜蘭がこの手の冗談を言うことなど、日常茶飯事だから無理もない。
ただ、一年以上の付き合いで、こういうおふざけにはノッてやるのが一番無難な選択だと言うことも、十分に心得ていた。
「分かりましたよ」
仕方無しにそう言って、ゆっくりとドアを押し開けた直道はしかし、その先にあった光景に……一瞬時が止まったような錯覚を覚えた。
玄関の靴箱の横。灰色のタイルの上。
そこには海荘の家主、七海さんが立っていて、その傍らには……
「すげぇ」
少し幼さを残した顔立ち、ぷにぷにの頬、ツインテールにした白髪、可愛らしい顔は無表情だが、確かにそこにはソレが立っていた。
これでもかと言うほどの異質な雰囲気を放ちながら、いつも直道が使っている玄関に立ち尽くしていた。
そしてソレは、小さく口を開くと、
「ノエル………ろぼっと」
そんなことを言った。
もっと電子音のような声を想像していたのだが、ソレが発した声は、人間味や可愛げといったものを感じられるものだった。
直道は、あまりにも機械らしからぬソレの容貌、声に驚きを禁じ得ない。
というより………、
「いや、この娘明らかに人間…ですよね……?」
そう、ソレ、もとい彼女は明らかに人間そのものだった。直道が決して博識な訳ではないが、いくら最新技術でもここまで人間に近いアンドロイドが作れるとは思えない。いや、絶対無理だろう。
だが、七海と桜蘭は平然とした顔で口を揃えて言った。
「直道くん。ノエルちゃんはアンドロイドですよ?」
「何言ってんだ直くん!ここまでロボットロボットしたロボット見たことがないよっ!!」
「ロボットロボットしたって何だよ。どういう意味だよ!」とかいうツッコミは置いとくとして、本気でそう思っているのだろうか?
「いやいやいや、絶対に人間でsy……」
しかし、直道の言葉を遮るようにして、今度はノエルとかいうそのアンドロイドが言い張った。
「ノエル……ろぼっと…。博士が…造った、の」
明らかに人間の声でそんな事を言われてもねえ…と、直道は思ったが、この場はこれでスルーさせていただきたい。これで勘弁していただきたい。
小さく息を吸って………さあ、いきます。
「さいですか…」
読んでいただきありがとうございました。
次回もお楽しみに。